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仏教を勉強したいです。

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素人の私ですが、仏教を学んでみたいと思っております。

何か参考になる書籍やサイト等がごさいましたらご教授いただけませんか?
因みに私の家は浄土真宗です。

日常生活の中に仏教の考えって沢山あるように思えるのです。

よろしくお願い致します。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

仏教は学ぶな!と言われた私

素敵な質問をありがとうございます。
私が助かった話をさせて頂きます。
私の師は「仏教を学ぶんじゃない、自分を学ぶのが仏の教えだ」と教えてくれました。
学生時代仏教の本を買いあさって読んでいても「こんなのは嘘っぱちだ」とケナすのです。
「こんなものは役に立たない。どうせ読むのならちゃんと悟った人の本を読め。」というのです。
師も若い頃から真剣に仏教を学び、仏道を求め、禅の宗匠に参禅してきた人です。
真剣に仏道を求めた人でしたから、仏教の❝まなびかた❞を誤らせまいとしてくれたのです。
提唱を聞け、じかに本当の仏の教えを悟った人から学べ。知識をためても無駄だ。
本当の仏の教えを得るには、仏教のガイド人から学ぶなというのです。
この業界には、仏教についてしゃべる人、仏教ティーチャーは沢山います。
般若心経の本でも10000冊以上あります。
でも師は、仏教の解説者からは何も生きた仏教、本当に役に立つ仏教は学べないから、ちゃんと正師に就いて学びなさい、というのでした。
たとえば池上彰さんは大変お話しが上手で解説も超一流です。でも池上さんは悟った人、仏陀ではありません。
だから所詮はガイドなのです。そういう本を読めば仏教の外枠の勉強、参考にはなると思います。
たとえば蕎麦の道を志すのであればそばを打たない人の蕎麦の本をいくら読んでも味は分かりませんし、自分では作れるようにはなりません。
気をつけて頂きたいのは、いくら有名大学の教授であるからと言って、自分の煩悩や苦しみから自由になったという意味での仏さま、覚者、仏陀ではない人が大勢いるということです。そういう人たちの本はいくら有名でも人生の力にはならないということです。
仏教を学ぶことは楽しいです。1000冊の仏教書を学ばれたとします。
でも、実際に問題が起こった時、自分の心が自分の思いに苦しめられたとします。
だとすれば、それは仏教を学んだことになっていなかった、ということなのです。
苦しみから救われて楽になって、一生問題の無い心になるのが仏教を学ぶことの肝心カナメだからです。わたしは、危うく道を間違える所だったのですが、師が「そっちをいくらやったって何もならんぞ」と教えてくださったのでよき禅の師匠に出会うことができました。
仏道をならうというは自己をならうなり。道元

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

まずは宗派にとらわれず基本を学んでみては

ネットや一冊の本では偏った知識しかありません。

もし。信頼のおけるお坊さんにご縁があるのであればその方から直接学ぶ事が一番ですが、
もし、そういったご縁がまだ無いのであれば、
まずは、仏教伝道教会の『佛教聖典』それを読み終えて本当に仏教が学びたいと思ったら
図書館に通ってみる事が良いと思います。

中央公論社の大乗仏典のシリーズまたは大蔵経など、少しずつでも読んでみてはいかがでしょうか?

それがシンドイというのであれば、仏教系の大学も良いのではと思います。

ただ、学び方を人に聞くのは自分でできることを出来るだけやってみてからの方が良いのではないかと思います。
そうで無いと、折角教えて下さる方と出会ってもその方が仰る大事な部分があっても何を言っているのかも解らず、聞く事も要点を得ず、折角の機会を無駄にしてしまいます。

自分が学びたいと思う仏教の宗派をみつけてその宗派のお寺で学ばせてもらえるお寺などを探す事をお勧めします。
文章だけでは決して学べない事が多いと思います。

追記:私は佛教聖典をキッカケとして全く一般の家庭から仏教を学びたいと思って図書館に通いました。私の父方の菩提寺は浄土真宗、母方はキリスト教のギリシャ正教でした。家の宗教というより私自身が仏教を学びたかったので、いろいろと図書館で本を読み各宗派の本も読み、その後で私は自分の宗旨を選び出家得度しました。

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個別相談可能
仏道に入門して40年が経ちました。 死ぬまで修行を続けるのがお坊さんだと思っております。 法昌という法名で、和歌山県の高野山の西禅院が所属寺院ですが、 普段は東京都町田市のマンションで手作りの密壇でひたすら修行を続けている  はぐれ行者です。 伝法灌頂も中院流の一流伝授も授了させていただいております。 娘を持つ母であり、一家の主婦でもあり、親の介護もあったりします。 エッセイや文章、そして漫画家として漫画も描いております。 イーハトーブクリニック萩原医師の指導をいただきヒプノセラピスト(催眠療法士)でもあります。 基本的に隣のおばちゃん的な、でも変わった尼僧です。
ご相談可能な時間はその日ごとに違うので、いくつかご都合を書いてくださいね。 人生で悩んだ時に、最善の答えを与えてくださるご神仏と、あなたは心の奥で必ず繋がっています。ご自身の心の中からご神仏のお答えが受けられるようにアドバイスをさせて頂きます。 ◆著書:「神さま仏さまがこっそり教えてくれたこと」「迷いをすっきり消す方法」「幸せを呼ぶ仏像巡り」

正信偈と 歎異抄を学ばれてみたらいかがでしょうか

ゆうじさん
仏教を学んでみたい
大変うれしく思います。
ちなみに家は浄土真宗ということですので

正信偈(親鸞聖人が漢文で書かれた仏徳讃嘆の歌)と
歎異抄(親鸞聖人の言行録)について書かれたものについて
学ばれてみたらいかがでしょうか

当宗派に関係するサイトをご紹介します。

正信偈の教え(真宗大谷派 東本願寺)
http://www.higashihonganji.or.jp/sermon/shoshinge/

歎異抄の世界(大谷大学)
http://web.otani.ac.jp/tannisyo/

聖典の試訳『歎異抄研究会』(親鸞仏教センター)
http://shinran-bc.higashihonganji.or.jp/report/report03_bn01.html

また大阪在住ということですので
お話を聞きに足を運んでみて下さい。
南御堂
http://minamimido.jp/minami-mido/kouza.html

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「八万四千の法門」

ゆうじ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

この度は、仏教を学ばれたいとの想い、誠に有り難く尊いことでございます。

「仏教の考えって沢山あるように思えるのです」・・

はい、一説に「八万四千の法門」と言われますように、確かに沢山ございます。

問い「なぜか一つに決められないんですが・・・・」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002969128.html

『・・とにかくお釈迦様の教えは、八万四千の法門があると例えられておりますように、人々の迷い苦しみに応じて、巧みなる方便により説かれたものであると言われています。まさに六十億人いれば、六十億通りの迷い苦しみがあり、それに応じた教えがあってもおかしくないことでございます。その中で、ゆうじ様にとって合う教えもあれば、合わない教えもあるでしょうし、その時々の時期や環境、心境の状態、学びの進め具合などによっても、合う、合わないも出てくるのではないかと存じます。そのため、まずはどのような教えがあるのか、各宗旨宗派の教えを総合的に学ばれて、その上で自分に合う教えを見い出されていかれるのも宜しいかと存じますし、また、「ご縁」としての「仏縁」も一つ一つ大切になさられた上にてお考えになられるのも良いかとは思います。・・』

また、下記各問いの拙回答もご参照頂けましたらと存じます。

問い「宗派にとらわれない仏教思想の学び方について」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002944760.html

「・・拙生が一から仏教を学ぶ上における文献について参考にさせて頂いたのが、下記紹介のおすすめ仏教書のコーナーとなります。初心者から上級者向きに分類されており、誠に参考となりました。・・」

「金剛居士の根本道場」
http://kongoukoji.fc2web.com/

拙回答カテゴリー「各宗派の教えについて」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/cat_319881.html

是非、共に頑張って仏教を学び進めて参りましょう。

川口英俊 合掌

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最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断しています。 https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k

質問者からのお礼

ご回答ありがとうございます。

このhasunohaを見ていて、いつも皆様のご回答が素晴らしいものばかりなので、
こういう考え方はどこからくるのだろう?と思い仏教に興味が湧いてきて質問させていただきました。

しかし、興味は湧けどもどこから…という状態でしたのでスタートラインが見えてきました。

本当にありがとうごさいます。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ