やる気出ない回答受付中
人はいつか死にます。人に限らず、全てのものはいつか終わりを迎えます。
そう考えると、この世界に永遠に残るものはなく、私のような小さな存在が何をしたところで大した意味はないのではないかと思ってしまいます。
そのためか、何をするにもあまりやる気が出ません。
嫌なことから逃げたいというわけではありません。むしろ、好きなことをしている時でさえ同じです。例えばアニメを見たりゲームをしたりしていても、途中で急に虚しくなってやめてしまうことがあります。そうなると、ただ布団の中で時間が過ぎるのを待つだけです。
学校や勉強についても、自分の意志で取り組んでいるというより、「そうするものだから」と周囲に合わせている感覚があります。もちろん、将来のために必要だということは理解しています。しかし、その将来もいつか終わるのだと思うと、努力する意味が分からなくなります。
友人との時間や思い出も大切だと言われますが、それらもいつか失われます。どれだけ感動した作品も見終われば終わりですし、どれだけ楽しい出来事も過去になっていきます。
私は特別不幸なわけではありません。むしろ恵まれている方だと思います。それなのに、このような考え方から抜け出せません。
仏教には「無常」という考え方がありますね。しかし私は、その言葉を知るほど前向きになるのではなく、「どうせ全て失われるのだから意味がない」と感じてしまいます。
そこで質問です。
仏教では、このような考え方をどのように捉えるのでしょうか。
また、無常という考え方は、本来どのように受け止めるものなのでしょうか。
私は何か大切なことを勘違いしているのでしょうか。それとも、この虚しさもまた自然なものなのでしょうか。
お坊さんからの回答 1件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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無常だからこそ生きる意味がある
まず率直に申し上げると、あなたは大切なことを半分理解していて、半分勘違いしています。
確かに仏教は「無常」を説きます。人も物も関係も、すべては変化し、いつか終わります。あなたが感じている「どうせ終わる」という感覚は、決して間違いではありません。
しかし、そこから「だから意味がない」という結論を出してしまうところが勘違いなのです。
少し厳しい言い方をすると、それはまだ人生を十分に生きていない人の理屈でもあります。
例えば、「どうせ食べてもまた腹が減るのだから食事に意味はない」と言う人はいません。
終わるから無意味なのではなく、終わるからこそ価値があるのです。
桜が美しいのは一年中咲いているからではありません。数日で散るからこそ、人は花を見上げます。
友人との時間も、家族との時間も、今しかないから尊いのです。
あなたは頭の中で人生を考え過ぎているのかもしれません。
もちろん考えることは大切です。しかし、10代で人生の意味の答えを出そうとしても無理があります。
なぜなら、まだ人生を十分に経験していないからです。
山頂に登っていない人が、「この山に登る価値があるのか」と麓で結論を出そうとしているようなものです。
仏教では、人間は頭で理解しているようで、実は限られた見方しかできない存在だと教えます。
ですから今のあなたに必要なのは、「人生の意味を見つけること」ではなく「とりあえず生きてみること」です。
勉強も友人関係も部活動も趣味も意味があるか分からないけれどやってみる。
その積み重ねの中でしか見えない景色があります。
無常とは、「どうせ失われる」という絶望の言葉ではありません。
「今あることは当たり前ではない」という目覚めの言葉です。
今日会える人は、明日も会えるとは限らない。
今の自分も、今の時間も二度と戻らない。
だからこそ、今を大切にしようという教えなのです。
人間は考えたことしか分からないのではなく、経験したことによっても変わります。
「どうせ意味がない」と結論を出して布団に入るのは簡単です。
しかし、意味が分からなくても一歩前に進んでみる。仏教的に言えば、そちらの方がよほど誠実な生き方です。
人生の意味は、考えて見つけるものというより、生きているうちに少しずつ出会っていくもです。今はまだ、その途中なのだと思います。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございました。
「山頂に登っていない人が麓で結論を出そうとしているようなもの」というたとえを聞いて、自分は人生を経験する前に答えを求めすぎていたのかもしれないと思いました。
いただいたお話を心に留めながら、まずは目の前のことに取り組んでいこうと思います。
貴重なお話をありがとうございました。



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