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不来迎について

うだか無回答/30代
回答数回答 3
有り難し有り難し 33

浄土真宗の方に質問失礼いたします。

浄土真宗の教えに「不来迎」というものを知りました。平生業成すれば来迎を待つ必要がないとの事ですが、これは来迎そのものがないという事でしょうか?
浄土真宗では、阿弥陀如来は法身であると聞きました。であるとするならば、やはり阿弥陀如来が姿を表して迎えに来てくださる事はないのでしょうか?
気付いたら極楽に往生していた、という感じでしょうか?

2026年6月18日 11:37
うだか無回答/30代
質問数:
3
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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

来迎がないというよりも、もう一緒にいてくださっているのですよ

回答僧侶の先生方が仰るように、阿弥陀仏のお救いは、「私を頼れ。必ず救うと喚ぶ声を聞き入れ、念仏申せ。すでにあなたを願うよ」とはたらいてくださるのです。
南無阿弥陀仏のお念仏は、そんな阿弥陀さまのお心に応えるように、唱える御恩報謝のお念仏なのです。

生きている私たちは、こうして娑婆世界で煩悩も抱えておりますが、お念仏の中に、阿弥陀さまの私を願う御心が届けられていると思うと、大きな安心があります。

いつ何時、どのような私になろうとも、どのような最期になろうとも、阿弥陀さまを忘れてしまう私になってしまったとしても、お念仏の願いをいただいた門徒にとっては、阿弥陀さまが私を忘れることはなく、必ず浄土へとお救いくださるのです。

今 ここで すでに 届いていると 念仏をいただいていくのです。

ですから、最期に決まるわけでも、最期に頼むわけでもなく、いつ何時でも、約束されている安心とともに生きていくことができます。いよいよも、お迎えをわざわざ待つことなく、すでに阿弥陀さまは、わたしと一緒にそばにいてくださるので、その瞬間もそのままそばにいてくださり、そこはもう極楽浄土なのでしょうね。

まだ往きたいとは思わない執着の煩悩を抱えている私ですが、いつも阿弥陀さまと一緒ですから、今も、その時もよろしくねという安心と喜びの気持ちで、南無阿弥陀仏とお念仏をお唱えしています。

ですから、来迎がないというよりも、もう一緒にいてくださっているのですよ。もう来てくださっているわけです。

2026年6月19日 14:19
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おきもち

個別相談可能
はじめまして(*^^*) 中田みえです。 教善寺 住職として、母親として、慌ただしく過ごしております。 ◆ゲートキーパー ご相談 駆け込み寺 (訪問は要予約。まずはメールでお問い合わせください) ◆ビハーラ僧、終末期ターミナルケア、看取り、グリーフケア、希死念慮、自死、産前産後うつ、育児、DV、デートDV、トラウマ、PTSD、傾聴トレーナー、手話、要約筆記、行政相談員、女性支援員、小学校 中学校支援員としても、ケアサポートをしています。 ◆一般社団法人『グリーフケアともしび』理事長 【ともしび遺族会】運営 毎月 第1金・昼夜2回開催(大阪駅前第3ビル) 14:00〜,18:00〜 お問い合わせ申込⬇️こちらから griefcare.tomoshibi@icloud.com *この活動は皆さまのご支援により支えられております。ご協力をよろしくお願いします。 ゆうちょ銀行 口座番号 普通408-6452769 一般社団法人グリーフケアともしび ◆『ビハーラサロン おしゃべりカフェひだまり』 ビハーラ和歌山代表 居場所運営 問い合わせ申込⬇️こちらから griefcare.tomoshibi@icloud.com ◆GEはしもとサピュイエ 所属 (Gender Equity 誰もが自分らしく生きることができる社会をめざして)DV・女性支援 ◆認定NPO京都自死自殺相談センターSotto 元グリーフサポート委員長(2018〜2024) ◆保育士.幼稚園教諭.小学校教諭. レクリエーションインストラクター.中学校DV授業 10年間 保育 教育の現場で 総主任として勤めた経験も生かしつつ、お話できることがあれば 幸いです。 いつも あなたとともに。南無阿弥陀仏 ここでは、宗旨を問いません。 まずは、ひとりで抱え込まないで。 来寺お問い合わせは⬇️こちらから miehimeyo@gmail.com ※時間を割いて、あなたに向き合っています。 ですので、過去の質問へのお返事がない方には、応えていません。お礼回答がある方を優先しています。 懇志応援も宜しくお願いします。 ※個別相談は、hasunohaオンライン相談より受け付けています。お寺への いきなりの電話相談は受け付けておりません。また夜中や早朝の電話もご遠慮ください。 法務を優先させてください。
午後から夜の時間帯は都合がつきやすいです。 ◆こちらから、無理に聞き出すことは致しません。 言いにくいこと、言えない気持ちも大切にします。あなたのお気持ちのままに、ゆっくり待ちながら、その気持ちを大切に受け止めたいと思っています。 ◆自死で大切な人を亡くされたり、死別により 死が受け入れられなかったり、心の整理がつかない方へ。30分ずつでも、オンラインで定期的に気持ちに向き合っていきませんか。吐露したり泣ける時間も、大事なグリーフケア 。 ◆個別電話ってドキドキして勇気のいることだけれど、声が届くから、聞こえてくるから、ちゃんと繋がっているようで、そばにいるように安心出来ることもあります。 ◆ 終末期ターミナルケア、看取り、希死念慮、自死、グリーフケア、トラウマ、PTSD、子育て、産前産後うつ、不妊、傾聴、手話、要約筆記者 としても、サポート ◆出来るだけ希望時間にお応えしたいと思いますが、午前中は毎日 法務があります。 (相談は、hasunohaオンライン相談より受付下さい。お寺へのいきなりの電話相談は受けていません。法務が優先なので) ◆一人で悩まないで。待っていますね(﹡´◡`﹡ )

仏教の面白いところ

ご質問いただきありがとうございます。

仏教を勉強されているとのこと。私も浄土真宗の僧侶ではありませんので、宗学的な解説ではなく、一仏教徒としての理解を書かせていただきます。

まず「不来迎(ふらいごう)」という言葉ですが、
簡単に言えば、「死ぬ時に阿弥陀さまのお迎えを待たなくても大丈夫ですよ」
という意味として理解しています。

昔から仏教では、亡くなる時に阿弥陀如来がお迎えに来てくださり、そのまま極楽浄土へ導いてくださるという信仰がありました。

そのため、「臨終の時に正しく念仏できるだろうか」
「阿弥陀さまは迎えに来てくださるだろうか」
という不安を持つ人もおられました。

しかし親鸞聖人は、「救われるかどうかは死ぬ時ではなく、生きている今すでに決まっている」と受け取られました。

ですから、「お迎えが来るか来ないか」を心配する必要がないのです。
これが「不来迎」の背景にある考え方だと思います。

ここからは私個人の理解になります。
仏教には、
文字通りに受け取る世界と、
象徴として受け取る世界があります。

例えば、
阿弥陀さまがお迎えに来るという話を、
本当に姿を現して迎えに来ると受け取る人もいます。

一方で、阿弥陀さまの慈悲に包まれて浄土へ導かれることを、
「お迎え」という言葉で表していると受け取る人もいます。

どちらが正しいと簡単に言えるものではないでしょう。
私自身は、仏教の教えは死後の説明だけではなく、
今をどう生きるかを教えているものだと思っています。

ですから、来迎があるかないかを考えることも大切ですが、

それ以上に、なぜ親鸞聖人が「来迎を待たなくてもよい」と説かれたのか。
そこに目を向けると面白いように思います。
それは、人間が最後の最後まで不安を抱える存在だからです。
「ちゃんと死ねるだろうか」
「ちゃんと信仰できるだろうか」
そんな不安すら抱えたままでも、阿弥陀さまは見捨てない。
その安心感を伝えたかったのではないでしょうか?

ただ私には、「死んでから救われる」というより、
「今すでに救われていることに気づく教え」
という印象の方が強くあります。

宗派が違うと表現も考え方も違いますが、その違いを学んでいくと、それぞれの宗派が何を大切にしているのかが見えてきます。

仏教の面白いところですね。

2026年6月19日 8:33
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有り難し
おきもち

山の中の小さなお寺の住職と児童福祉施設で働いております。 毎日いろんな出来事がありますが、そのたびに、「仏教って、生きる力そのものなんだなぁ」と感じる瞬間があります。 ハスノハを始めたのは、友人の僧侶が青空説法で、人の悩みにまっすぐ寄り添っている姿を見たのがきっかけでした。 「自分にも、こんなふうに誰かの心に光を届けることができないだろうか」 そんな思いから、この場に身を置かせてもらっています。

臨終まつことなし、来迎たのむことなし

よくお勉強なされていますね…💚。
親鸞聖人はお手紙の中で、❝真実信心の行人は、摂取不捨のゆえに、正定聚のくらいに住す。このゆえに、臨終まつことなし、来迎たのむことなし。信心のさだまるときに、往生はさだまるなり❞―いわゆる【現生正定聚不退】―とおっしゃっておられます。それを、後の学者が「平生業成」と言い表したのです。

〈阿弥陀如来は法身である〉と聞いておられるようですが…これが難しいのです。親鸞聖人は別のお書物で❝法身は色もなし、形もましまさず。しかればこころもおよばれず、言葉もたえたり❞と著され、「理解・想像も出来ない」―いわゆる、不可思議というのですが―ともおっしゃっています。要するに、我々人間には、いくら考えても、到底分からないということでしょう・・・💦。
とにかく、名号(南旡阿弥陀仏)の不思議=【摂取不捨の力】を信じて、ともにお念仏申しましょう、ということだけです。納得して頂けないかも知れませんが、とにかく「理屈・理論」ではないのです。
最後に、親鸞聖人は❝浄土にて、かならずかならず待ちまひらせ候べし❞ともおっしゃっておられますので、小生も死んだら極楽浄土でお会い出来ると信じて、お念仏申しております・・・😅。あなたも、それを信じて、一緒にお念仏申しましょう。合掌 南旡阿弥陀仏

2026年6月19日 9:35
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おきもち

質問者からのお礼

諸大徳様、ご回答ありがとうございます。
既にいらっしゃるのだから、「来る来ない」は問題ではないという事ですね!

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