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「生きる価値」がある人間とは?回答受付中

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有り難し有り難し 2

何度も質問して、申し訳ないです。
私は自分には生きる価値がないと確信しています。
他人よりできない、普通の人がしない失敗をする…良い所が一切なく、欠点を挙げれば止まることがありません。
それを直そうと考えたところ、最終的に自分にはなんの価値もなく、社会にとって邪魔だから死ぬべきとなりました。
それは変えようがないとして、ふと気になったのは、仏教において、「生きる価値がある人間」とは、どんな人間でしょうか?
あるいは、こんな人間は生きていてはいけないという基準があるのでしょうか?
よければ、皆様の考えを教えてください。

2026年6月21日 23:32
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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

仏教に出会えたら生きる価値がある

輪廻転生を前提に考える場合、死んだら来世が地獄・餓鬼・畜生の三悪道になる可能性もあるし、人間だとしてももっとひどい環境になるかもしれません。
それと比較すれば、人間として生まれ、仏教(悩み苦しみを軽減するテクニック)を学べる今の暮らしは比較的恵まれている状態になります。
仏教を学び実践し、功徳(善いことをして善い癖をつける)を積んでおけば、この世で悟れなくても来世で悟りやすくなります。
仏教では、悟れば輪廻転生から解脱できる(生き物であることから卒業できる)と考えます。
ですから、早く解脱するためには、今のうちに功徳を積んでおくことは価値があります。
また、浄土宗等では、南無阿弥陀仏、なむあみだぶなむあみだぶ
と念仏を口に称(とな)えて極楽浄土に往生(転生)したいと願う者は、来世に極楽浄土に生まれることができると説かれます。
極楽浄土は悟りやすい環境なので、ひとまず極楽浄土に往生することが、生きるのを止める(成仏して解脱する)ための近道になります。
ですから、浄土宗では、人生の第一目的は念仏を称(とな)えることなのです。
1回だけの念仏で往生極楽は決定するのですが、そこから念仏したり他の善行為をすることで、極楽浄土での悟り、その先の解脱が早くなります。
ですから、少なくとも仏教のある国に生まれた人間が仏教を学ぶなら、生きる価値があると思います。
苦しみを繰り返す輪廻転生から解脱したいなら、仏教がある国で生きる価値があります。
あなたの周囲の頭のおよろしい人々も、仏教を学ばなければ来世はミミズかもしれません。
あなたは、南無阿弥陀仏と念仏を称(とな)えるだけで、来世は極楽浄土の菩薩様の一人になれます。
生きる価値、ありますよ。

2026年6月22日 3:21
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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

仏教では「生きる価値」の有無を考えることはありません

仏教では、「無常」(ありとあらゆるものは瞬間瞬間に変化して、一時も同じままではない)、「苦」(生命存在はそれ自体が「苦」=「思い通りにならない」ものである)、「無我」(ありとあらゆるものには他のものから断絶しても存在し続けるような固有の要素は何もない)と考えます。
このように考えると、そもそも個人の中に「価値」というような宝物みたいな何かがあったり、「能力」という財産を独り占めしているわけではありません。
ですから、生きる価値のある人間とそうではない人間という区別は成り立ちません。
すべての生命は、それぞれの因縁によって発生して、それぞれの因縁にそって生きているだけです。
したがって、「こんな人間は生きていてはいけないという基準」はありません。
仏教では、「生きる価値があるかないか」と思案したり決めつけたりすることは、煩悩によって迷わされた心がつくる妄想と考えます。
お釈迦様は、正しい智慧を知って、それにしたがって実践すれば、やがて妄想を止めて苦を滅することができると教えられています。

2026年6月22日 3:42
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有り難し
おきもち

新潟県上越市、龍興山宗恩寺住職。

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