「生きる価値」がある人間とは?
何度も質問して、申し訳ないです。
私は自分には生きる価値がないと確信しています。
他人よりできない、普通の人がしない失敗をする…良い所が一切なく、欠点を挙げれば止まることがありません。
それを直そうと考えたところ、最終的に自分にはなんの価値もなく、社会にとって邪魔だから死ぬべきとなりました。
それは変えようがないとして、ふと気になったのは、仏教において、「生きる価値がある人間」とは、どんな人間でしょうか?
あるいは、こんな人間は生きていてはいけないという基準があるのでしょうか?
よければ、皆様の考えを教えてください。
失敗(他人、自分問わず)が許せない 普通の人間になりたい
お坊さんからの回答 7件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
人に価値をつけなくても、あなたが社会で生きていける場所がある
自分の価値、そして生きる価値までを決めているのは、他ならぬ私自身なのだよね。仏様は、すべての存在を尊び救いたいと願いまでかけてくださる。そんな安心をいただいているのに、やっぱり人間は、そんな自分自身に特別な「価値」を感じたいものなのでしょうね。
私たちがあなたを大事に想っていても、こうして回答をして関わってきても、あなた自身が、自分を価値無く見ている。欠点ばかりだからと。社会にとって邪魔だと感じているのですよね。
それならば、そう思わせてしまっている社会に問題があるように思います。プロフィールに書かれてあることで、生きづらさを抱えてきたのですよね。あなたが描くような生き方ができないからと。
あなたがどんなことで悩んでいるのか。一緒に考えてくれる場所も、寄り添ってくれる人も世の中にはたくさんいるのです。人に価値をつけなくても、あなたが社会で生きていける場所がありますよ。
様々な相談先を載せておきます。手を伸ばしてくださいね。
https://shienjoho.go.jp/info.html
仏教では「生きる価値」の有無を考えることはありません
仏教では、「無常」(ありとあらゆるものは瞬間瞬間に変化して、一時も同じままではない)、「苦」(生命存在はそれ自体が「苦」=「思い通りにならない」ものである)、「無我」(ありとあらゆるものには他のものから断絶しても存在し続けるような固有の要素は何もない)と考えます。
このように考えると、そもそも個人の中に「価値」というような宝物みたいな何かがあったり、「能力」という財産を独り占めしているわけではありません。
ですから、生きる価値のある人間とそうではない人間という区別は成り立ちません。
すべての生命は、それぞれの因縁によって発生して、それぞれの因縁にそって生きているだけです。
したがって、「こんな人間は生きていてはいけないという基準」はありません。
仏教では、「生きる価値があるかないか」と思案したり決めつけたりすることは、煩悩によって迷わされた心がつくる妄想と考えます。
お釈迦様は、正しい智慧を知って、それにしたがって実践すれば、やがて妄想を止めて苦を滅することができると教えられています。
仏教に出会えたら生きる価値がある
輪廻転生を前提に考える場合、死んだら来世が地獄・餓鬼・畜生の三悪道になる可能性もあるし、人間だとしてももっとひどい環境になるかもしれません。
それと比較すれば、人間として生まれ、仏教(悩み苦しみを軽減するテクニック)を学べる今の暮らしは比較的恵まれている状態になります。
仏教を学び実践し、功徳(善いことをして善い癖をつける)を積んでおけば、この世で悟れなくても来世で悟りやすくなります。
仏教では、悟れば輪廻転生から解脱できる(生き物であることから卒業できる)と考えます。
ですから、早く解脱するためには、今のうちに功徳を積んでおくことは価値があります。
また、浄土宗等では、南無阿弥陀仏、なむあみだぶなむあみだぶ
と念仏を口に称(とな)えて極楽浄土に往生(転生)したいと願う者は、来世に極楽浄土に生まれることができると説かれます。
極楽浄土は悟りやすい環境なので、ひとまず極楽浄土に往生することが、生きるのを止める(成仏して解脱する)ための近道になります。
ですから、浄土宗では、人生の第一目的は念仏を称(とな)えることなのです。
1回だけの念仏で往生極楽は決定するのですが、そこから念仏したり他の善行為をすることで、極楽浄土での悟り、その先の解脱が早くなります。
ですから、少なくとも仏教のある国に生まれた人間が仏教を学ぶなら、生きる価値があると思います。
苦しみを繰り返す輪廻転生から解脱したいなら、仏教がある国で生きる価値があります。
あなたの周囲の頭のおよろしい人々も、仏教を学ばなければ来世はミミズかもしれません。
あなたは、南無阿弥陀仏と念仏を称(とな)えるだけで、来世は極楽浄土の菩薩様の一人になれます。
生きる価値、ありますよ。
お釈迦様は言いました。
「価値というのは生まれ(身分や才能)で決まるのではない。生まれた後に何をしたかで決まるのです。」
「草木にはいろいろな大きさ(種類)があります。いろいろな所に生えています。しかし草木は自分の居場所や自分の種類を悲しむことは無く、その場所でその種類のままで懸命に花や実を成そうと頑張っています。私たち人間も草木のようにありたいものです。」
他の人の能力を10点とするとあなたの能力は5点かもしれない。しかし、5点の能力はあるということでもあります。他の人と同じ成績を出さなくてもいいのです。5点の成績を出し続けること自体があなたにとっては、そして仏様から見ても100点満点なのです。
昔ある大工の棟梁が言っていました。「若い人を雇うと2種類に分かれる。物覚えのいい器用な奴と、物覚えの悪い不器用な奴だ。10年くらいは器用な奴の方が仕事も早いし有能や。しかしな、20年過ぎてくると逆になるんよ。器用な奴はある程度上達すると満足して腕が頭打ちになってそれ以上伸びないのに、不器用な奴の方が腕がさらに伸びていくんよ。どうしてかわかるか?不器用な奴は仕事に時間がかかるんや。でもそれはそれだけ時間をかけているということや。不器用な奴は器用な奴より材木と長い時間向き合ってるんや。どうしたらうまくできるか試行錯誤しとるんや。その努力の差が長い時間積もってきて10年20年経つと腕の良さが逆転するんや。」
またお釈迦様の弟子にはいろいろな人がいました。
教えられてすぐに理解して実践できるお弟子さん。
何度教えられても忘れてしまうお弟子さん。
でもみんな悟りに至りました。仏様になりました。
たとえば、お釈迦様の教えを覚えることができなくて兄から怒られてばかりのお弟子さんがいました。しかしお釈迦様から雑巾を渡されて掃除するように言われ、毎日掃除だけ頑張っていたら真理に気が付いて悟りに至りました。
悟りに至る方法は一つだけではありません。
同じように生き方も一つだけではありません。
あなたにはあなたでしか歩めないあなたの生き方があるのです。
応援していますよ。
あなたはあなた以上でも以下でもない。
逆にお伺いしたいのです。
生きる価値があるとか、
ないとか、
それは誰が決めるのでしょうか。
私は、
誰もが尊い存在だと思っています。
一人として同じ人間はいません。
双子の方であっても、
性格も違えば、
考え方も違います。
同じ親に育てられた兄弟姉妹であっても、
まるで別の人間です。
人は皆違う。
まず、そのことを認めてみてはいかがでしょうか。
そして、
人に優劣をつけることは本当にできるのでしょうか。
私はできないと思っています。
先ほど公園を犬の散歩で歩いていました。
障がいをお持ちの方々が、
とても楽しそうに笑っていらっしゃいました。
その姿を見て、
率直に
「いいなあ」
と思いました。
幸せそうだったのです。
では、
高学歴で、
仕事ができて、
お金持ちで、
社会的地位が高い人は、
必ず幸せなのでしょうか。
そんなことはありませんよね。
逆に、
失敗ばかりで、
人より不器用で、
思うように生きられなくても、
毎日笑顔で過ごしている方もいます。
生きる価値とは、
成績や能力で決まるものではありません。
ましてや、
誰かと比較して決まるものでもありません。
仏教では、
人は誰もが仏になる可能性を持った尊い存在であると考えます。
だから、
「生きていてはいけない人」
という基準もありません。
もしそんな基準があるなら、
私などとっくに失格です。
坊主のくせに腹も立つ。
愚痴も言う。
失敗もする。
未熟そのものです。
それでも今日を生きています。
だからあなたも生きていていいのです。
どうか、
「価値があるから生きる」
のではなく、
「生きているから価値がある」
という見方をしてみてください。
今は信じられなくても構いません。
人は自分に一番厳しいものです。
だからこそ、
少しだけ自分に優しくしてあげてください。
あなたはあなたのままで、
十分に尊い存在なのですから。
合掌
浄光寺 釋康昭
たった一言に救われた。
あなたは今、自分の欠点ばかり見ています。
しかし、人間の価値は履歴書のように長所と短所を並べて決まるものではないと思います。
私もかつて大きな失敗をして、自分には価値がないと思った時期がありました。
そんな時に東日本大震災が起き、被災地でボランティアをしました。
泥をかき出し、瓦礫を運び、自分にできることを精一杯やりました。
その時、被災された方から涙を流しながら
「ありがとうございます」
と言われました。
私はその瞬間に救われました。
何か特別な能力があったからではありません。
立派な人間だったからでもありません。
ただ、その時、その場所で、自分にできることをしただけでした。
それでも誰かの役に立つことができた。
その時初めて、「私はここにいていいんだ」
と思えました。
価値とは、最初から持っているものでも、誰かから与えられるものでもないのかもしれません。
人との関わりの中で生まれ、自分自身が見つけていくものなのだと思います。
人生は案外、「生きているから価値に出会う」
ものなのかもしれません。
拝読させて頂きました。
あなたは自分が失敗ばかりして良いところがないと思っていて生きる価値がないと思っているのですね。詳細なあなたのことはわからないですが、あなたのその思いはとても伝わってきます。お気持ち心よりお察しします。
あなたはご自分が欠点ばかりの人間だと思っておられるのですね。そんな自分は直せない、価値がない社会の邪魔になるだけだと思ってしまうのですね。あなたがそう思ってしまうのには今まで沢山のことがあったのでしょうね。あなたは失敗してしまった自分を悔やみ悩んでいらしたのかと想像します。あなたが自分には生きる意味がない、自分は価値のない人間なんだと思ってしまうこともわかるように感じます。
私も以前学生だった時にもサラリーマンだった時にもそう思ったことがあります。学校でもなかなかうまくいかず学校にもろくに通えず、社会に出てもなかなか就職できず就職しても仕事がなかなかできず、友人も恋人もいない誰にも言えない、そう思って自分なんて何の価値もない人間なんだと思っていっそのこと死んでしまった方がいいんじゃないかと思っていました。
以前よりもましになったかもしれませんが、今も不安や心配にさいなまれていて毎日どうしたらいいのかと悩んでいます。
それでも何とか今は生きています。生きているというか生かされていると言った方がしっくりとくるかもしれません。
そんな自分でも生きていていいんだと少しずつですが思います。
仏様や神様やご先祖様はそんな愚かな些細な私達のことを決して見捨てたりはしません、必ずお救いになさって下さいます。そして善き方へとお導きなさって下さいます。
きっとあなたのことも仏様や神様やご先祖様は優しくお見守りなさって下さり、あなたを善き方へとお導きなさって下さいます。
あなたがこれからの未来を与えられた命の中で仏様や神様やご先祖様に優しく守られて健やかに生きることできますように、そして与えられた天寿全うなさっていきますように、救われますように切に仏様や神様やご先祖様に祈っています。至心合掌
質問者からのお礼
皆様、回答ありがとうございました。
私は仏教でも、生きる価値が存在しない、死ぬしか道が無いのだという事がよく分かりました。
潔く死ぬため、時間はかかりますが、一生懸命に行動してみます。



午後から夜の時間帯は都合がつきやすいです。
◆こちらから、無理に聞き出すことは致しません。
言いにくいこと、言えない気持ちも大切にします。あなたのお気持ちのままに、ゆっくり待ちながら、その気持ちを大切に受け止めたいと思っています。
◆自死で大切な人を亡くされたり、死別により 死が受け入れられなかったり、心の整理がつかない方へ。30分ずつでも、オンラインで定期的に気持ちに向き合っていきませんか。吐露したり泣ける時間も、大事なグリーフケア 。
◆個別電話ってドキドキして勇気のいることだけれど、声が届くから、聞こえてくるから、ちゃんと繋がっているようで、そばにいるように安心出来ることもあります。
◆ 終末期ターミナルケア、看取り、希死念慮、自死、グリーフケア、トラウマ、PTSD、子育て、産前産後うつ、不妊、傾聴、手話、要約筆記者 としても、サポート
◆出来るだけ希望時間にお応えしたいと思いますが、午前中は毎日 法務があります。
(相談は、hasunohaオンライン相談より受付下さい。お寺へのいきなりの電話相談は受けていません。法務が優先なので)
◆一人で悩まないで。待っていますね(﹡´◡`﹡ )