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瞑想時の身体の揺れ

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 時々しかできないですが、座禅、瞑想を行っています。

 正式な方法を学べてはおらず、ネットでの聞きかじりですので少し不安がでてきました。 
 
 お寺で学べれば一番ですが、近隣に宿坊や座禅会もなく、あっても最近の瞑想の流行りもあり少し怪しい主催者のセミナーくらいです。

 座禅をして、少しすると身体の横揺れが繰り返されます。もしくは腰を支点に頭が少し円を描くようになります。

 瞑想できている証拠とか、悩みの現れとか、動きに身を任せなさい、絶対止めるべき、宇宙と身体の繋がりが云々など色々情報があり、判断しかねます。

 確かに悩みが解決した時は、ピタッとその揺れが止まったこともありました。

 瞑想での身体の揺れが、仏教上で正しくは何を表しているかや、対処というような内容を教えていただきたいです。

 常に回答が殺到し、回答が追いついていないとのことです。辛い悩みの方も沢山いますので、本当に時間の空いた時にでもご返答をいただけるとありがたいです。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

むやみに酔うように揺れに意識を任せるのは危険です

私たちがハンドルの効かない車に決して乗らないのと同じように
瞑想でもまずは体(基本は呼吸)と意識をコントロールする事が大事です
そうやって日常から呼吸や姿勢に意識を持つ時間を作る事は瞑想の基本です

体の揺れというのも様々な解釈があります
体調不良や揺れている自分に酔っている状態(揺れるように潜在意識がコントロールする状態)
はたまた霊的な要因のときもあります
霊的な要因は特に先生が必要で危険です。
sas様が揺れの原因を特定できていないのですから
体を止めて呼吸からやり直すのが正しいといえます

瞑想は現代医学であれば認知行動療法というものが大変近い性質を持っています
自分の心と体の一部に集中し指先の動きから腰の動きも
主人である自身が意識的に動かし次第にあるがままを学んでいくのです

生きていく苦しみを抜け出すのは瞑想の本来の目的です
怪しい瞑想はトランス状態から安心や快楽を得るものなのですが
精神離脱を目的とするものも本来のコントロールを何かに委ねるわけですから上記した方法とは大きく異なります
これは一時的で利己的瞑想と解釈して良いと思います。

そこで浮上する疑問は音楽やマンダラの観想など密教的な要素が強い瞑想方ですが
これに関しては更に上の段階でもっときちんと経験を積んだ導師を必要とします
これらは上記の訓練の先にあるものです

とはいえsas様が瞑想に入りやすい体質である事に間違いは無いと考えます。
まずが呼吸で日常からここに注意を置くと
悩みに対して執着も無くなるものですよ

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有り難し
おきもち

山形のそれは小さなお寺の住職です。 私は子供の頃いじめられ、社会からドロ...
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質問者からのお礼

丸山さま

 早速のご回答ありがとうございます。
 思い返しますと、悩むと身体に影響しやすく、揺れと体調不良は繋がっている気がします。

 揺れるよう潜在意識がコントロールする状態は、揺れが心地良いこともありましたので、気をつけます。

 霊的な要因、というのが、少し心配です。それを招きやすい状況などがあれば教えていただきたいです。
 
 ともあれ、日常でも呼吸に意識を向けていきます。ありがとうございました。

先日、図書館でたまたま各宗派監修された瞑想の本を見つけました。
それを参考に気負わす、行っていきます。

「仏教における瞑想」問答一覧

うつ病の中でも利他の心を持つためには

5年ほど心の病に苦しんでおります。最初は適応障害という診断でしたが症状が悪化し、3年前にうつ病と診断されました。 それでも昨年から始めた漢方の治療やカウンセリング等の効果で体調は良化しており、検査の数値も改善してきています。 しかしながら「ものを考える余裕」が生まれたこともあってか、生き方に対する苦悩は深まるばかりです。 うつ病に向き合う手がかりとして、宗教・哲学・心理学など多くの本に触れているのですが、その多くで「他者に関心を持つこと」「他者と関わること」「他者のためにはたらくこと」が幸せへの道として説かれていました。仏教においても、「利他」は大切な考えだと思います。 しかし、今の私には「他者のためにはたらくこと」はおろか、「他者と関わること」も考えられません。他者とつながりを持つことを恐ろしいと感じてしまいますし、他者のことを考える余力自体も不足しているように思われます。毎日念仏をお唱えするときも、自分の身体のことや心のことばかりを考えてしまいます。 自分でも「利他の心」を持てたらとは思うのですが、負のループに入ってしまっているような気がしております。 勿論、日々の中で「他者を傷つけないように」「他者を不快にさせないように」と心がけているつもりではおりますが、それだけで良いのか、と自問自答してしまいます。 どのような心がけで日々を過ごせば良いのか、ご助言を賜りたく思います。どうぞ、よろしくお願いいたします。

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瞑想とは

ブッダは入滅する際に深い瞑想状態に入りながら入滅したと見ました。 私も肉体や精神などが極限の苦痛に達した際や死ぬ際には瞑想を使用したいとおもっておりますが、そこまで深い瞑想をするには相当な瞑想の日々の熟練が必要かと思っております。 ところが精神疾患を持つものが瞑想をするとどうやら副作用が生じ、むしろ悪影響が発生することがわかりました。 以下質問となります: この矛盾は何でしょうか?座禅・瞑想とは人類全てが実践できる安全なメンタルケアでなければならず、そのため仏教修行の多くの部分を座禅・瞑想に使用するのではないのでしょうか。 それとも仏教の座禅・瞑想は修行の一部にすぎずそれが全てではないということでしょうか。 有名なキサーゴータミーの物語では明らかに精神疾患状態にある婦人を救っているような記述がありますが、これはどのようなプロセスを経て「治して」、「さらに悟りにまで到達した」のでしょうか。 個人的に思うのはまず前提として仏道の実践と修行者の身の回りの環境を整えてから瞑想を熟練していくのだと思いますが、その「環境の充実」の基準とはどこから情報を引っ張ってくれば良いのでしょうか。 よろしければ真なるお言葉をくださいませ。なければご対応不要です。よろしくお願い致します。

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マインドフルネスについて

瞑想を2週間ほど前から朝の日課にしています。欲を少しでも手放せたらと思い、始めました。 そして、昨日仕事中にふっと目の前の仕事に全意識が向いている心地よさを体験しました。これがマインドフルネス?と思いました。15分くらいしか持ちませんでしたが。 どうしても自分で自分を苦しい状態にしてしまうので、どうしたらもう少し楽に生きれるだろうと思い、このマインドフルネス状態が長く続けばいいのでは?と考えています。 そして、大人になると生活の7割くらいが仕事なので、仕事中にマインドフルネス状態が続けば毎日がもう少し楽になると考えました。 しかし、仕事内容が慣れているものであったり、どう進めるか想像つくものであればマインドフルネス状態になりやすいと思ったのですが、仕事内容によっては難問にぶつかったり、やったことないことをやらないといけないことだってあります。クリエイティブ系の職種のため、アイディア出しなどはいつも苦しいんでいます。今思うと、まだこの職種の経験も浅いこともあり、8割ほどの仕事内容にいつも苦しめられています。難問にぶつかった場合もただ難問に向き合うだけでマインドフルネスなのでしょうか。 マインドフルネスについては本などを読んで、自分なりに解釈しているところもあるので間違いがあれば訂正していただきたいです。 仕事中あっちこっち気持ちが散らかるので、マインドフルネスの実践ができたらなと思います。

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