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瞑想は健康な人じゃないとできないと思う

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有り難し有り難し 31

瞑想にとても興味が有ります。
しかし、
私はどうしても体の不調と同化してしまいます。
体の痛みは痛いだけ、
私がそれで苦しいのとは別物。
と、知っているのですが、

もう疲れちゃいました。

自律神経も乱れがある気がするし、
体の緊張がハンパないです。
自律神経が乱れている人は
本当に瞑想なんてできるでしょうか。

私は昔から落ち着きがなく、じっとしていることが苦手でそわそわしてしまいます。これは恥ずかしいことと知っているし、
私はそうしたくてそうしているわけじゃないのですが、
どうしたらいいのかわからないです。
瞑想がいいと言われても

それはあるていど
精神も肉体も健康な人が出来る技で
私にはできないのではないかと落ち込んでしまいます。
私の見解間違ってますか


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

瞑想ってそんなに難しいことではありませんよ

一口に瞑想と言っても数多の瞑想法があるものです
そしてのそれぞれの人にあった瞑想法があるといえましょう
共通している大事な事は「観る」という作業に集中するということ
さて、何を観るのでしょう?

人間は自分の頭で体の細部をコントロールしていると思い込んでいます。
例えば今目の前でキーボードを打っている今の私
恥ずかしいほどまったく「どんくさいレベル」のタイピングなのですが
それで手を止めてよく考えて見ると確かにタイピングは進んでますが
とにかく一本一本の指の動きがめちゃくちゃです
キーボードには最も効率的に打てるように
例えば左小指はa左薬指がsと決まっていますよね?
でも実際はそのホームポジションとやらもめちゃくちゃです
なんでだろう?と一度止めて考えて見ると

後ろでは構ってもらえない子供や家内が「早く終わらんないかな」となってて
それを背中で感じて呼吸も心も乱れたようです。
「焦り」ですね

ある意味、今の私の「気づき」自体も瞑想の一部といえます

私は今キーボードを打っているんだからじっとしてないでしょう?
ところがその動いている手を心をふと止めて考える訓練が「瞑想」なのですよ。

それにしてもゆかさまの抱える体調不良は大変なこと
交感神経が働いたままの状態が「じっとしていられない」「緊張で体が固くなる」と言った状態を
引き起こしているようで
おっしゃるとおり自律神経の不調なのでしょうね

でもじっとして無くても大丈夫!!
例えば動き続ける瞑想にはご存知「ヨガ」があったりします
しかし
習いに行くのも大変ですよね。

ですから普段の生活をしながら
夜寝る前の僅かな時間で結構ですのでこれらを試してみてください

1、意識して呼吸をゆっくり行う(一呼吸一呼吸しっかり吐ききることが大事)
2、歯磨き洗顔などするときも指一本一本の動きをしっかり観察しながら可能な限りゆっくり行う
3、とにかくゆっくり行うこと、そしてどこまでいっても基本は呼吸

緊張が始まったなと思った時は拳をぎゅっと握り締めてから
1,2,3を行って見てください

勿論自律神経が整いますのでこれを長く続けるだけできっとゆかさんも良くなりますよ。
(もし病院に行かれていないのならまず受診されてくださいね)
 
祈身体堅固祈願成就

合掌

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有り難し
おきもち

山形のそれは小さなお寺の住職です。 私は子供の頃いじめられ、社会からドロ...
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質問者からのお礼

ありがとうございます。
ヨガは体が硬くてできません。
普通の人と違う体と言われました。
深呼吸も
なんで
みんな普通にできるのですか。

リラックスと言われても、
それができないから悩んでいます

「仏教における瞑想」問答一覧

うつ病の中でも利他の心を持つためには

5年ほど心の病に苦しんでおります。最初は適応障害という診断でしたが症状が悪化し、3年前にうつ病と診断されました。 それでも昨年から始めた漢方の治療やカウンセリング等の効果で体調は良化しており、検査の数値も改善してきています。 しかしながら「ものを考える余裕」が生まれたこともあってか、生き方に対する苦悩は深まるばかりです。 うつ病に向き合う手がかりとして、宗教・哲学・心理学など多くの本に触れているのですが、その多くで「他者に関心を持つこと」「他者と関わること」「他者のためにはたらくこと」が幸せへの道として説かれていました。仏教においても、「利他」は大切な考えだと思います。 しかし、今の私には「他者のためにはたらくこと」はおろか、「他者と関わること」も考えられません。他者とつながりを持つことを恐ろしいと感じてしまいますし、他者のことを考える余力自体も不足しているように思われます。毎日念仏をお唱えするときも、自分の身体のことや心のことばかりを考えてしまいます。 自分でも「利他の心」を持てたらとは思うのですが、負のループに入ってしまっているような気がしております。 勿論、日々の中で「他者を傷つけないように」「他者を不快にさせないように」と心がけているつもりではおりますが、それだけで良いのか、と自問自答してしまいます。 どのような心がけで日々を過ごせば良いのか、ご助言を賜りたく思います。どうぞ、よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 9
回答数回答 1

瞑想とは

ブッダは入滅する際に深い瞑想状態に入りながら入滅したと見ました。 私も肉体や精神などが極限の苦痛に達した際や死ぬ際には瞑想を使用したいとおもっておりますが、そこまで深い瞑想をするには相当な瞑想の日々の熟練が必要かと思っております。 ところが精神疾患を持つものが瞑想をするとどうやら副作用が生じ、むしろ悪影響が発生することがわかりました。 以下質問となります: この矛盾は何でしょうか?座禅・瞑想とは人類全てが実践できる安全なメンタルケアでなければならず、そのため仏教修行の多くの部分を座禅・瞑想に使用するのではないのでしょうか。 それとも仏教の座禅・瞑想は修行の一部にすぎずそれが全てではないということでしょうか。 有名なキサーゴータミーの物語では明らかに精神疾患状態にある婦人を救っているような記述がありますが、これはどのようなプロセスを経て「治して」、「さらに悟りにまで到達した」のでしょうか。 個人的に思うのはまず前提として仏道の実践と修行者の身の回りの環境を整えてから瞑想を熟練していくのだと思いますが、その「環境の充実」の基準とはどこから情報を引っ張ってくれば良いのでしょうか。 よろしければ真なるお言葉をくださいませ。なければご対応不要です。よろしくお願い致します。

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マインドフルネスについて

瞑想を2週間ほど前から朝の日課にしています。欲を少しでも手放せたらと思い、始めました。 そして、昨日仕事中にふっと目の前の仕事に全意識が向いている心地よさを体験しました。これがマインドフルネス?と思いました。15分くらいしか持ちませんでしたが。 どうしても自分で自分を苦しい状態にしてしまうので、どうしたらもう少し楽に生きれるだろうと思い、このマインドフルネス状態が長く続けばいいのでは?と考えています。 そして、大人になると生活の7割くらいが仕事なので、仕事中にマインドフルネス状態が続けば毎日がもう少し楽になると考えました。 しかし、仕事内容が慣れているものであったり、どう進めるか想像つくものであればマインドフルネス状態になりやすいと思ったのですが、仕事内容によっては難問にぶつかったり、やったことないことをやらないといけないことだってあります。クリエイティブ系の職種のため、アイディア出しなどはいつも苦しいんでいます。今思うと、まだこの職種の経験も浅いこともあり、8割ほどの仕事内容にいつも苦しめられています。難問にぶつかった場合もただ難問に向き合うだけでマインドフルネスなのでしょうか。 マインドフルネスについては本などを読んで、自分なりに解釈しているところもあるので間違いがあれば訂正していただきたいです。 仕事中あっちこっち気持ちが散らかるので、マインドフルネスの実践ができたらなと思います。

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