不殺生戒について
こんにちは。以前は失礼なご質問をして申し訳ありませんでした。再度こちらで質問させていただきます。
私は将来の進路として、自衛官になることを考えています。災害派遣や国の防衛など、社会の役にたつ機会が多いと考えたためです。
しかしながら、政府の集団的自衛権の行使容認などもあって、自衛隊は将来、戦闘地域に派遣される可能性が高くなっています。
そこでご質問なのですが、万が一戦闘となり人を殺めることになった場合は、仏教の立場からはやはり不殺生戒を犯す罪になるのでしょうか? 不殺生戒を犯すことになるかもしれないと思うと、応募するのに気が引けてしまうことも確かです。
僧侶の方のご意見を是非伺いたいと思います。どうぞよろしくお願いします。
論理的思考を重視する面があります。 考えすぎてしまうことが欠点だと思っています。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
戒を犯すことになります、追記
もちろん戒を犯すことになりますので、それによって現世で悟りに達するのも遠くなるでしょう。戒を守ることは悟りに至る為の修行である瞑想や禅の準備なのですから。
しかし、自らの命をかけて自国民、同盟国の国民を守ることは尊い行為だと思います。
それを否定はできません。
私が今生きているのも自衛官達の昼夜のお務めのお陰なのですから。
もしあなたが自衛官になったら、仏教を心の片隅に置いておき、引退してから再び仏教の実践に取り組んで悟りに至る努力をしてはどうでしょうか。
人を殺した武士や殺人鬼が仏教と出会って心が救われた話、本来の心を取り戻した話、改心して仏道に励んだ話は昔からたくさんあります。
また、人の能力や寿命には限りがありますから、もし、現世で悟りに至ることができそうにない時は、阿弥陀仏におすがりください。
阿弥陀仏の救いはセーフティーネットのようなものです。
自分の努力でどうにもならない時、他の道が全て閉ざされた時、もう阿弥陀仏に頼るしかないと思って頼るのです。
信じなくてもいいです。
疑う心のままでもいいのです。
ただ小さな声で一言、南無阿弥陀仏、と言ってください。その声を聞いて命が尽きた時に浄土から阿弥陀仏が迎えに来てくれるのです。
そして、浄土で悟りに至る修行を現世に引き続いてするのです。
なお、不殺生戒は全ての生き物や物が対象ですから、私たちは既に毎日犯しているのです。
なので、食事の時は、いただきます、ごちそうさま、と唱え、心の中ではいただいた命に感謝するのです。いただいた命を無駄にしないように生きていきますと誓うのです。
追記
なんとなくガス抜きという言葉には違和感を感じます。必要悪とも受け止めることができる言葉です。
戦争は仏教でいう貪瞋痴による悪業でしょう。
戦争を無くす為には一人一人が自らの貪瞋痴を制御し、他人の悪業を許すことが必要だと思います。
お釈迦様は、怨みは許すことでのみ静まると教えました。
イエスキリスト様は、右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ、と許すことを教えました。
許すことは宗教を超えて、人類の永遠の課題なのだと思います。
完全に許せる人になるには悟りに至る必要があるでしょうが、なかなか難しいことです。
ですから、自分にできる範囲で許す努力をするしかないのだと思います。
人だけが対象ではありません。
殺生は全てのいのちに対しての話ですから、人間だけに適用されるものではありません。
つまり仏教では人を殺すことと虫を殺すことが同等の罪に問われるということです。
※親を殺すことは更に厳しく戒められています。
ですから、すけのじさんの質問は仏教の話とは全く別次元の話だと考えた方がいいです。
仏法は自身の問題ですから、すけのじさんが不殺生戒を守ろうと思ってらっしゃるなら、是非実践なさってください。
尊いことだと思います。
戦闘態勢にならないよう心を配る
自衛官、大変ですが大切なお仕事だと思います。良いですね!
さてお問い合わせの件ですが、もちろんどのような状況においても、人間を含め生き物を殺すことは不殺生戒を破ることになります。
そのような戦闘態勢にならないように努力し工夫するのが、我々人類にとってとても大切なことですし、日本政府も自衛隊の方々もそれを誰よりも心得ていると思います。
※尚、「お礼」などにおいて、政治の問題を持ってこないように注意してください。規約違反になります。
人を殺めるのが嫌なら辞めればいいでよ。
自衛隊は自国の防衛のために設置された機関です。そのための活動の中に災害派遣があるのです。それをお忘れなく。自衛のための戦闘には参加しなくてはなりません。貴方にはその覚悟はありますか?もしなければ入隊するのは止めて、災害救助をしたければ消防官という道もあります。国の防衛なら犯罪やテロを未然に防ぐ警察官という道もあります。
いざとなれば国防の前線に行く自衛官は並大抵の精神力ではありません。そこを真摯に向き合って考えるべきです。残念ながら、戦争の知らない世代は戦争の惨さを安易に考えすぎです。いざ戦闘になったら不殺生戒を考える暇はありません。生きるか死ぬかです。しかも最近の戦闘はさらに過酷です。遠隔操作でロボットを操ります。要はゲーム感覚です。もう1度良く考えて下さい。
質問者からのお礼
釈心誓様 ご回答ありがとうございます。不殺生戒は全ての生物を含むとは知りませんでした。カテゴリエラーの質問をしてしまって申し訳ございませんでした。
光禪様 ご回答ありがとうございます。光禪様のおっしゃるように、そのような戦闘態勢にならないよう努力をするのが最優先であると思います。ただ、今後否応なしにそのような方向に進んでしまうような気がいたしましたので、気になって質問させていただきました。
聖章様 ご回答ありがとうございます。どんな仕事も矛盾に満ちていて、どの仕事が社会の役に立つのか疑問に思ったため、質問させていただきました。これから、なるべく仏道を歩んでいけるように努力していきたいと思います。
大鐵様 ご回答ありがとうございます。大鐵様のおっしゃるように、私は戦争を経験したことがないので、その悲惨さを十分理解できていないと思います。ただ、誰かがやらなければいけないことなので「それなら私が」と考えていました。消防士や警察官も考慮に入れて、もう一度考え直してみたいと思います。ありがとうございました。
以前、禅寺で修行体験をしていた時の和尚さんが「戦争とは、世界にたまった鬱憤のガス抜きだ」とおっしゃっていたのを覚えています。私も全人類が悟らない限り、戦争はなくならないと思っています。現代は、地球上の人口も過去最高となり人々の鬱屈した感情が溜まっている状態にあると思います。近い将来に大規模な「ガス抜き」が起こることを危惧しております。
聖章様 ご返信ありがとうございます。私もそのときは「それでは、戦争は人類がいる限りなくならないではないか」と失望してしまいました。今後は希望を持って、自分の出来る範囲で努力していこうと思います。