hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
そらノート 亡くなった人やペットに思いを伝えよう hasunoha姉妹サイト登場

各宗派での僧侶の呼称について

回答数回答 3
有り難し有り難し 35

日本には多くの宗派がありますよね。いままで私はお坊さんに対して、「おしょうさん」と呼んでいたのですが、全宗派の全部のお坊さん・・には使えないことを最近になり知りました。

和尚-Wikipediaによりますと・・・
1.和上(わじょう) 律宗・浄土真宗(儀式指導者に対してのみ)
2.和尚(わじょう) 法相宗・真言宗など
3.和尚(かしょう) 華厳宗・天台宗など
4.和尚(おしょう) 禅宗・浄土宗・天台宗など
5.和闍(わじゃ)

さらにさらに、
6.上人
7.聖人
8.そのた

調べれば調べるほどゴチャゴチャしてきました。
みなさんの宗派では、上記1~8のどれをお使いになりますか?祖師にだけ、宗祖にだけ、始祖にだけ、ふつうの僧侶に対して・・などお教えねがえればと思います。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

真宗大谷派(浄土真宗 東本願寺)では、

聖人は、親鸞聖人(宗祖・祖師・御開山)だけで、以降は〇〇上人(蓮如上人など)になります。

御門徒(檀家)さんがお寺の住職を呼ぶ時は、「御住職」や「御院さん」、「〇〇寺さん」が多いです。文章中に名前を出す時は「〇〇〇〇師」と記します。

ちなみに、住職の配偶者は、「坊守」と呼びます。

和上や和尚は使わないですね。

追伸  私も「和田上人」とか「和田和上」、「和田和尚」とは呼ばれたことはなく、「超覚寺さん」がほとんどです。同業者からは「和田さん」ですね。

{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが子供達の笑顔になりました


和田隆恩
 1967年京都市生まれ。山形大学理学部卒業後、証券会社で勤務。30歳で脱...

和尚(おしょう)さんまでは4つの段階を経て後

これは曹洞宗の公式見解ではありませんが、曹洞宗ではおおよそ「和尚(おしょう)さん」が一般的です。僧堂ではなまって、「おっさん」と言われます。(本当)

⓪「沙弥」…お小僧さん
①「上 座(じょうざ)」…受業師(じゅごうし)のもとで得度の式を終えて
②「座 元(ざげん)」…法幢師(ほうどうし)のもとで立身、立職といい90日間の結制(けっせい)修行を終えて
③「力 生(りきしょう)」…本師(ほんし)より禅僧として一人前になったことを認められ、色のついた袈裟をつけることを許可されて後(本来は悟りを認められ、印可を得て後)
④「和 尚(おしょう)」…人々の悩み苦しみを取り除き、安楽を与え(抜苦与楽)、人心をして無畏安穏の
心に導き得る人天の大導師たる資質をそなえ、さらに両本山で禅師様に代わって一夜の住職を勤め、瑞世(ずいせ)という釈迦の出山にならった世に出ずる儀式を得てのち はじめて 「和尚」と言われます。
⑤「大和尚(だいおしょう)」…仏法を宣揚す(ひろめ)るために弟子をとって90日間の結制修行を終えて
⑥「老師」…修行道場で修行僧を悟らせ得る「師家分上の資質」をそなえた師家、はじめて「老師」といわれます。現代では安易に30~40代から尊称として用いられてしまっていることは残念です。
年を重ねれば老師であると思っている僧侶や、安易に老師、老師と用いる輩はモグリだと思っていただいて結構です。本来は本当に悟りを得て、さらには学人をして正覚に導き得る力をそなえた僧侶でなければ❝老師❞ではありません、と曹洞宗の中でキチンとした方々の中では言われています。

ちなみに曹洞宗では両祖様といい道元禅師さまと瑩山禅師さまを崇めています。
道元禅師 …高祖承陽大師 永平道元大和尚 
瑩山禅師 …太祖常濟大師 瑩山紹瑾大和尚 

{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが子供達の笑顔になりました


丹下覚元(たんげかくげん)
☎お悩み相談 質問 📞08020659278 どなたでも。

方言のようなもの

よく調べられましたね。
尊敬、敬愛をもって呼べば、どんな呼称でも失礼ではありませんのでご安心ください。
今までどおり「おしょうさん」でよろしいかと存じます。

ちなみに私は真言宗僧侶ですが、3の和尚(かしょう)は真言宗でも用います。
使用例:我が宗祖、弘法大師は空海上人(くうかいしょうにん)であり、恵果和尚(けいかかしょう)の弟子です。

そして、世の中に〇〇大師という大師号を授かった僧侶は大勢おりますが、「大師は弘法にとられ、祖師は日蓮にとられ」と俗に言われるように、単に大師と言ったら我が宗派では弘法大師空海上人の事です。

また、お寺の和尚さんをお坊さん、方丈(ほうじょう)さん、御前(ごぜん)様、おっさん、あんじゅ、ご院下、などなど地方によって様々な呼称で呼びますが、これらは宗派によってというより方言のようなものです。“おっさん”などはお師匠さんやおしょうさんがなまったものではないでしょうか。

ちなみに、住職というのは職業上の役職名です。そういった役職名には長者、猊下、管主、などなどあります。僧侶であっても住職でない方は大勢いますので、ご注意を。

※方丈、坊主、庵主、御前、猊下などは住んでいる場所や、その建物の門、その方を象徴するものなどを差しています。
かつて、高貴な方の名前を呼ぶ時に、その人の名前を直接呼んだり、指し示すことの無いよう、足元しか見ないよう、に敢えてその方の足元を指したりしたそうです。殿下、閣下、陛下、御門(みかど→帝)などと一緒です。言葉には魂が宿るという言霊信仰や呪術が関係していると思われます。

{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが子供達の笑顔になりました


住職のかたわら、大道芸人PRINCOちゃんとして幼稚園保育園など各種施設、...

質問者からのお礼

和田隆恩さま、回答ありがとうございます!
では真宗大谷派(浄土真宗 東本願寺)である御院さまである貴方にたいし、和田隆恩上人とはお呼びしないのでしょうか・・・。

増田俊康さま、回答ありがとうございます!
さらにくわしくご説明いただき、感謝感謝です。これからも自信をもって尊敬の念から「おしょうさん」とお呼びしたいと思います。

また、和田隆恩さま、追記ありがとうございます!

「お坊さん・僧侶全般」問答一覧

嫁ぎ先がお坊さん便を使うこと

死後の世界はわからないものだとこちらでも他質問でいくつか拝読いたしました。 現代では亡き親族の供養の仕方は様々かと思います。いろんな考え方があって当たり前だと思うのに、いざ自分のことになると気持ちがついていきません。 私は名家出身とかでは全くないですが、両親はあるお寺の檀家として必要だと思うことはやってきておりました。父は亡くなっております。 私自身、それが普通だと思って生きてきまして、嫁いだら私の実家のお墓に入れなくても、宗派は違えども、嫁ぎ先のお墓・御先祖を大切にし、供養や法要等やるものだと思っていました。 しかし、主人の実家では檀家などの概念がありません。そのような考えがない方も現代にはいらっしゃると分かってはいます。 こちらでも、葬儀は必要なのか、法要は必要なのか、お墓は必要なのか、、、などと、類似の質問はあるかと思います。 ただ、義祖父の亡き後、葬儀はお坊さん宅配便…法要は最低限…。なんだか寂しいような、理解できない気持ちになってしまいました。 ですが、そのときに来ていただいた和尚さまには私としては感謝しかありません。 私自身、正直仏教について詳しく存じている訳では全くありませんのでこのような質問をさせていただくこともどうかとは思うところもあります。 ただ、気持ちの置き所をどうしたら良いのかわかりません。厳しいお言葉でも構いません。何かお示しいただけたら幸いと思い、質問をさせていただいました。よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 15
回答数回答 2

乞食と喜捨に関する考え方

こんにちは、托鉢や乞食に関して、周囲の理解を得たいです。 私は地方都市に住んでいるのですが、街中でよく托鉢を行う人を見かけます。 お財布にゆとりのある時には小銭程度ですが、托鉢を行う方にお分けする事もあります。 …しかし、基本的に一緒に居る連れにはいい顔をされません。 「仏教には喜捨という概念があって、捨て去る事を有り難いと思う、そういった機会を与えてくれる事に感謝するっていう考えがあるんだよ」と説明はするのですが、あまり納得してもらえません。 私は小額で人の為になれれば嬉しい、そんな程度の考えで托鉢をなさる方に施しをします。 ですが、連れには大体の場合、「ああいうのはホームレスとかが僧侶などに変装してやっている。何も知らない人の善意を踏みにじる行為だからそんなものに手を貸すなんて」という具合の反応を返されてしまいます。 連れの言いたいことはわかります。ですがそもそも喜捨に関しては相手が誰だろうと関係ないものと認識しています。 しかし、それを連れに言ってしまうのまるで大事な連れを分からず屋扱いしてるような言葉になってしまいそうな為、いつも「小銭でも喜ぶんだからいいだろ」と終わらせます。しかしその言葉もまた托鉢をしてる方を、私が悦に入るための道具扱いしてるようであまりいい気分ではありません。 ところで私は敬虔な仏教徒ではありません。 人の為にどうのというのも、昔やっていたボーイスカウト活動にて「困っている人を助ける機会は善行を積む機会を頂ける」という考えを持っているからです。(この辺りは喜捨と似ているかもしれませんね) そのせいもあって、あまり詳しい仏教的な教えなどは語れなくもあるのです。 長文乱文になってしまいましたが、要は人は助け合うべきものであり、自分もいつホームレスの方々のようにモグリの托鉢や乞食をせねばならなくなるかわからない以上、誰かに何か出来る時はしておくべきだと思うのです。 こういった考え、仏教的な価値観を持たぬ身近な人に、角を立てずにわかってもらうにはどうしたらいいでしょう? わがままな話ですが、友人は大切なので「アイツは変わり者だ」と思われて距離を置かれるのも、「なんだか面倒くさいヤツだ」と思われて距離を置かれるのも嫌なんです。 支え合いこそ人類の本質にして美徳、そして自己のためでもあるのだとただわかってもらいたいのですが……

有り難し有り難し 19
回答数回答 2

坊さんなのにこれからの将来が見えない

実家が寺で、仏教系の大学に通っている僧侶見習いです。 僧侶が社会システムにおいて必要とされる意義が「人に仮初の夢を見せて心のケアをする」以外しか見いだせなくてこれからの将来に絶望しています。 僧侶は、昔みたいに医者の代わりや教員の代わりをする訳でもなく、月回向や葬儀関連で人々の心を慰めるくらいしかしていません。 僧侶が利益(りえき)を得ることを人々は否定します。実際、聖職であるが故に本来は金銭を対価に何かをするというのはあまりに俗に塗れているような気がします。布施はそれ自体が神聖なものであることは分かっています。 しかし結局のところ、(観光という商売をしている寺は除いて)寺やそこにある僧侶という存在は「嘘をついて金を檀家さんや信者さんから貰う」ものに過ぎないのではないか?と思ってしまっているのです。 道徳を説くならそれはカウンセラーでも哲学者でも構わないわけです。 では僧侶が持つ他とは違うアイデンティティとは何かと言ってしまえば「仏教という仏になる為の指針」なのですが、結局のところ今の今まで人の身で完全に釈尊(応身)と同じステージに立った者もいない訳で。 本当に仏となることが出来るかも分からない教え、しかも数多の偽典があるであろう経典の内容を引いてきて、悩める人々に滔々とそれを説く。自分の中ではこれから自分がなる僧侶という職は、そんなもののように思えてしまいます。 私よりも遥かに経験を積み、たくさんの経典を読んだここにいらっしゃるお坊さんの方々に、私の悩みをただ、聞いて欲しいです。そして願わくは、自分の中の仏教に対する、僧侶に対する悪感情を解く何かを教えて欲しいです。 散文的になってしまい、申し訳ありません。宜しくお願いします。

有り難し有り難し 73
回答数回答 6

関連する問答

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ

相談カテゴリ
-四苦八苦 SickHack!▼ 全カテゴリを見る