広い心であるには
私は、ある団体サークルに所属しており、会員への連絡係りをしています。
最近は、会員も増えて様々な意見が出るようになりました。そんな中で言葉のやり取りに困惑しています。
会議をしていても、感情的になり人を責めるようないい方、人の気持ちを考えない配慮のない言葉が、私は大変気になるのです。
後から傷ついた人の気持ちを聞いては、結局言われた人が我慢しているのを感じます。
メールで会員への連絡をしていても、私の言葉の言い回しについて、指摘が入ってきます。
例えば、「いつもお世話様になります。は失礼です。いつもお世話になっております。にすべきです。」等ただ、その文面だけで送信されたりすると、ひと言付け加えて送って欲しいと思い心が折れます。
暫く考えて、教えてくれてるんだからと受け止め返信するようにしているのですが、度重なるとまた、心が苦しくなります。
私は気にし過ぎている。もっと、大きな広い心で気にしない性格に変わりたいと思う次第です。
もっと、おおらかに受け止める、いい方法はないでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
私ならサークル辞めます。
面倒ですね。私は、あなたが特段に心が狭いとか全く思いません。ごくごく普通の感性をもっていらっしゃる方ですよ。大丈夫!!誰でも、同じようなことを言われれば、不快です。特に、「いつもお世話様になります。は失礼です。いつもお世話になっております。にすべきです。」はちょっと、困りますね。この言葉で思いだしたのは、「脚下照顧(きゃっかしょうこ)」というです。「他に向かって悟りを追求せず、まず自分の本性をよく見つめよ。」という禅語から転じて、「他人に理屈を言う前に、まず自分のことをよく顧みましょう。」という意味で使われます。まさに、これにぴったりな言葉だと思いませんか?思わず笑ってしまいました。人に小言を呈する割には、唐突に相手に注意して、自らは礼を失する。「脚下照顧」だな~という感じです。まさに、この言葉には深い自戒が込められていますよ。今は言っていらっしゃるサークルですが、各々が勝手なことを言っている。言っても許されてしまう環境があるのです。だから、みなさん好き勝手を言うんですよ。どなたかリーダーになる方がいて、感情的議論は止めましょうとか、相手の気持ちに配慮して発言しましょうとか、サークルをいい方向にリードされる方がいないのではないかと想像します。また、反面教師という意味で、大人の勉強にはなりますね。「ああ、こういう言い方は、相手を傷つける。」「不快にさせる。」などなど。そういう視点で付き合っていくのもいいかもしれません。会社なら、お給料をもらえるので我慢しますが、任意団体で、ボランティアなら、私はとりあえず、連絡係をご遠慮させていただき、それでも嫌な思いが続くようなら辞めます。大げさな言い方ですが、人は幸せになるためにこの世に生を受けたと思います。幸せを目指しましょう。自らもそして、周りの方々の幸せのお役立ちをする。それこそが、仏さまの願いだと思うんですね。心が狭いとか、そういう視点ではなく、自分の気持ちをどのようにしたらいいのか?楽しくなるのか?そういう視点でお考えになったらどうでしょうか?我慢は辛いだけです(笑)どうか、お幸せに!!浄光寺
指摘と意見を分ける
青い鳥さん、はじめまして。
青い鳥さんは団体サークルの連絡係をしておられるのですね。きっと青い鳥さんの几帳面な性格が連絡係に向いていると判断されて任命されたのでしょう。
メールや文書では、相手の背景が分からない場合は事実だけがストレートに伝わってしまいます。その結果、心が傷ついたり、心が折れてしまったりすることがあります。
対策として、相手が言ってくることは2つあると心得ましょう。
1つは指摘です。間違っていることを直してほしいというものです。日本語の文法がおかしい、言葉の意味が違うように受け取れる、などです。この場合は、ごめんなさいと謝って訂正すればいいことです。
2つ目は、意見です。
自分の意見を通したいというわがままな場合と、建設的に相談したい場合があります。
わがままは放置しておいくのが得策でしょう。わがままな意見はかき消されていきます。建設的な意見は採り上げ、決定権のある人に伝えるといいでしょう。あくまで、青い鳥さんは連絡係なのですから。
仏教では、誰かの役に立つことを「菩薩行(ぼさつぎょう)」と言います。言い換えれば、徳を積むことです。青い鳥さんは連絡係をすることによって、徳を積んでいるのです。
青い鳥さんが、指摘と意見の狭間で混乱しなくなるよう祈念しております。
一度、原点に返りましょ
私も10年近く、お寺で阿字観という真言宗の座禅会を主宰してます。
檀家さん以外の参加者が99%、
サークル運営に似た状況ではあると思います。
座禅の後の茶話会では、
時として宗教論争染みたものになったり、
言いたいことを好きなように語られたり、
全体の雰囲気を保つのが困難な
どこか居心地の悪い雰囲気になることもしばしば
そんな時には、
①何のために開いている会なのか
②自分が何故、主宰(参加)したのか
に戻り、集中しなおします
それが世話役のつとめかと思います
どなたかが傷ついているようなら、
世話役は盾になって守ったり、
全然違う話題に振ったり
言いやすい人がいるでしょうから、
そのサークルの癒しキャラとして笑われ役になって頂きましょう。
ただし、常のフォローや感謝、尊敬の気持ちは表現しましょ
あとは、
簡単に訂正できることなら
イチイチ考えないでサクッと改める
メール等のやり取りをなるべく減らして、
意見は現場で交換、
メールは連絡事項中心のみになさる
きっとボランティアでなさってるんでしょうから、
しつこいようなら、
あなたがやって下さいよ
くらいの対応力で応戦する
あくまで、笑いを取りながらですね。これ重要。
そして、また①②に戻ります。
最終的にあなたが笑えばみんながつられて笑っちゃうくらいになれば、
皆幸せです。
広い心とか、あんまりたいそうなことに気をやらないほうが良いことも多いです。
それまでは修行、修行、おきばりやす、おきばりやす。
質問者からのお礼
觀音寺 中村様
ご返答有難うございます。
指摘と意見について。
指摘を素直に受け止める事。もう一度振り返ってみます。心の中に、ざわざわ…と音がしてないか、一呼吸してみます。
意見を受け身側が、採り間違えないようにしたいと思います。
誰かの役に立とうと思って、受けた役ではなく、自分がしたいから受けた役でした。子ども達が主役の団体なのです。
教えて頂いた菩薩行とは、私には、もったいない言葉の行ですが、仏様が傍にいて下さる気持ちになりました。
頑張ってみます。有難うございました。
浄光寺 三浦様
ご返答有難うございました。
お返事を読ませて頂いた直後、思わず自らの口を手でふさいでしまいました。笑
私の心の底にある部分を拾い上げられていました。
元々、子供達の為に楽しんで運営してきた団体です。長い付き合いの中、本音をストレートに言う人が出てきました。多くの人があんな発言は止めて欲しいと思いつつ、誰も注意出来ないのは何故なんだろうと思います。関わりたくない? 言っても変わらないと思っているから?
脚下照顧…。初めて知りました。覚えておきます。
振り返ってみれば、楽しいから役を引き受けたのに、いつしか、どうしたら楽しくなるのか?に変わってしまいました。幸せを目指す!
我慢で終わりたくない気持ちになりました。
有難うございます。もう一度、やるべき事がある。頑張ってみます。
西室院 田中様
ご返答有難うございました。
原点に返る。
①何のために、運営しているのか。
子供達の為の楽しい活動が目的です。
②何故参加したいと思ったか。
子供は、勿論のこと自分も参加して楽しかったからでした。
人の言葉に振り回されて、楽しむ気持ちを忘れるところでした。
修行、修行。いつの世代も変わらない。しんどくなったら原点に返る。大事な事を教えて頂きました。有難うございました。
沢山、ご返答頂いた事に大変感謝しています。
しんどさに、どっぷり浸かっておりましたが、何かしら自分は、やり遂げてない感にかられました。やる気が出てきました。もう一度、楽しみ、幸せを味わいたい気持ちに、させて頂きました。有難うございます。