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日本人の食べるということに対する意識

回答数回答 1
有り難し有り難し 18

私の食べ物に対する感覚は日本的な考えなんでしょうか?
仏教的な考え方なのでしょうか?
それとも少数派なんでしょうか?
世界共通の認識だと思っていたのですが、そうではないようだと思うようになりました。

一般的に日本人の食べ物に対する感謝はいくつかの意味があると思います。
①命を頂くことに対する感謝
②食材を育ててくださった農家の方に対する感謝
③食材を育んだ地球の恵みに対する感謝
④調理人の方に対する感謝
⑤食材を入手するための代金を稼ぐ労働に対する感謝
これらが一言で表されるのが「いただきます」という言葉だと思っていますが、特に①を強く意識していると思います。
そして食べ残すことは、奪った命をないがしろにすることだとして、食べ残さないようにします。
動物だけでなく植物に対しても同様に命を頂いていると考え、米粒一つでも無駄にしてはいけないと子供のころに教わりました。

私は「殺すのは出来るだけ少なく。食べ残すことは死ぬ必要のない生物まで殺す行為だ」「食べるために命を奪ったのだから、食べなくては無駄死にだ。」と考え、
そして動物はもちろん、植物も命を頂くと考えています。

欧米諸国では、日本とは比べ物にならないほど家畜の福祉に対する意識が高いです。
可能な限り家畜の苦しみを軽減しなければならないと考え、苦痛の少ない方法で飼育し、苦痛の少ない方法で屠殺しなければならないと考えています。
ですが、どうもそれは生きている時だけのようなのです。
食肉を食べ残すことに対しての意識がとても違うと感じています。
もちろん、もったいないとは思っているようですが、「死ななくていい分まで殺した」という風には思ってないようです。
「食べても食べなくても、いずれにしろもう死んでいる。」と考えているようです。
動物福祉に熱心な方でもです。

大乗仏教には精進料理がありますよね?
出来る限り殺生を避けるために動物性のものは取らず、植物にも命があるが感謝して無駄にしない、という考え方だと思います。
そして上座部仏教では「托鉢で頂いたら肉魚も食べてよい。食べ残してはいけない。」と聞きました。
このことから私の考え方は仏教的なのかな?と感じたのですが、仏教的でもなければ日本人の共通認識でもない、という意見の人がいて、疑問に感じ質問いたしました。

どうぞよろしくお願い致します。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

仏教をバックボーンとした日本的な考え方だと思います。

五観の偈(ゴカンのゲ)という食前のお唱え言にご質問文の項目が集約されています。こちらをご覧ください。
http://www.higan.net/shojin/2009/02/post-40.html
日本人はこのような食への意識を大昔から持っていました。

「食べ残すことは、奪った命をないがしろにすること」。これは禅的な不殺生の考え方です。上座部仏教では間接殺は殺生ではなく、自ら手を下す直接殺と直接的な教唆のみが殺生だったのですが、大乗仏教になってから殺生の範囲が広まりました。上座部仏教で肉食がO.K.で(厳密には三種の浄肉がO.K.)で、大乗仏教に精進料理があるのも間接殺の是非が理由の1つです。

その結果、『自分が生きている限り、完全な不殺生は不可能』という状況が生まれました。では不殺生をどう目指すか?食べてしまえば生命をいただくことになり、食べなければ自分の生命を殺生してしまう…それなら、生命をいただくということを誠実に全うし、いただいた生命を『活かし切る』ことでしか修行の方向性はあり得ない…この『活かし切る』の発想が「食べ残すことは…」という考え方に繋がっているのでしょう。

禅の修行道場では米粒1つ残さないどころか、器にこびりついたお米の粒とも言えない残りをお湯でふやかし、専用の道具やお漬物でこそぎ落とし、飲み切りますよ。

さて、大学で習ったのですが、植物も生命と見るのは日本の特色だそうです。日本だけと言うと語弊があるでしょうが。
まず、インド文化圏では植物は生命と見られなかったそうです。生命の有無は『意識の有無』だったようです。次に中国仏教では問題提起はされましたが、答えを言い切っていないそうです。仏教圏で植物も生命と言い切ったのは、万物に八百万の神々が宿っていると考えていた日本からなのだそうです。

不殺生は相手を傷付けたかどうかの結果論の問題ではなく、悪意を捨て、慈悲を持ちましょうという『自分の心』へのアプローチです。ゆえに相手が生きていても死んでいても、自分の心の問題として適用されます。ここが西洋の動物愛護との違いかなという気はします。

まぁ、ただですね、仏教にも様々な立場がありますし、日本にも欧米にも色んな人がいます。世界は多様です。どの区切りの中にも色々な認識な人がいますよ。

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曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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質問者からのお礼

大慈様、丁寧で分かりやすいご回答ありがとうございました。
このようなウェブサイトが存在することにも感謝します。
この質問をして本当に良かったです。
色々な文化圏の人たちと食に関するお話をすることが多いので、自分の考え方が仏教をもとにした日本の考え方であるということがわかり、これからは説明不足や誤解を少なく出来ると思います。
もちろんどの文化圏にも一様でない色々な考えの人がいて、それぞれの意見を聞くのも非常に勉強になります。
五観の偈、リンク拝読いたしました。
このような美しい食に対する考え方が古くからあり、そのほんの一部でも私のような勉強不足の者にも行き届いている日本の文化を嬉しく思います。
私にこの文の意味がまだまだ本当に理解できているとは思いませんが、2と5が特に心に響きました。
そのお食事をいただくのにふさわしい自分であるように、そのお食事で生かされている自分が良い生き方ができるよう努めていきたいと思います。
ありがとうございました。

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