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座禅を組みたいのですが

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有り難し有り難し 15

こんにちわ 今年で20歳になる学生です。

僕は落ち着きがないというか、心が弱いというか、とにかく心が乱れやすく、ちょっとしたことですぐに怒ったり悲しんだり動揺したりしてしまいます。

こういった心の乱れを少なくするために、これから時間を見つけて座禅を組みたいと思うのですが、先生をつけづに独学で組んでも、効果を得ることが出来ますか?

やはり、近場で座禅を組むことが出来る寺などを見つけて、基本だけでもしっかりと教えてもらってから始めたほうがいいのでしょうか?

ご回答お待ちしております


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

お寺を探そう

 禅宗のひとつ、曹洞宗の者です。

 坐禅をはじめたいとのこと。良いことだと思います。
 坐禅を始めるに当たりまず気をつけなくてはならないのは、坐禅によって精神力を鍛えようとか、集中力を高めようとか、そのような欲求は、断ち切った上で坐禅をしていただきたい、ということです。確かに坐禅の功徳として、そのような効用が得られるもしれない。でもそれを求めてはいけない。まずそれを心得てください。「坐禅やっても全然集中力つかないじゃん!やーめた」ってならないためにも、求めない方が気持ちが楽ですよ。

 少し固い事も書きましたが、坐禅については、なかなかひとりでは長続きしないものです。仲間がいた方が楽しいですね。また、本などで学んでも、独学ですと分からないことを聞く人がいないので、結局不安になる事になると思います。だから是非近くで坐禅を指導してくださるお寺を探して、そこに行ってみましょう。
曹洞宗ですと、以下のサイトで検索できます。
http://www.sotozen-net.or.jp/zensearch/
よいお寺が見つかるといいですね。

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有り難し
おきもち

・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoh...
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坐禅を通じて、仏教の学びも

綿谷真様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

坐禅へのご関心、誠に有り難く尊いことでございます。

もちろん、心の安定のためにも役立つこともありますが、坐禅を通じて、是非、仏教についても関心を高く持って頂きまして、学ばれて頂けましたらと存じます。よりよく生きるため、実生活のための良い智慧もたくさんございますので。

そうですね。。hasunohaでも坐禅会を開かれているお寺がいくつかございますが、隣の県になりますが、丹下覚元師のところなどいかがでしょうか。一度、是非、ご参加ご検討なされて下さいませ。

丹下 覚元(たんげ かくげん)師
http://hasunoha.jp/users/109

<日曜坐禅会>
毎週日曜日 午後3:00から
どなたでも参加可能です。
3:00 坐 禅 (イスあり)
3:30 おはなし(法話・提唱・仏教の勉強会)
4:00 しつもん(紙に書いて来ても)
毎週内容が変わります。 
平均参加人数5~6名の会です。
参加費用 1000円程度のお布施をお願いいたしております。

安穏寺 (天岑寺)
http://hasunoha.jp/temples/26

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

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有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

お二方、丁寧な回答ありがとうございました。
確かに、何かを求めて座禅を組むという考えから間違っていたかもしれません。

一先ず、近場で坐禅会をやっている曹洞宗のお寺を探して、そこで一度体験してみて、坐禅とは何なのか、何のためにあるのかということへの理解を深めたいと思います。

改めて、回答をくれたお二方、今回は時間を割いていただき本当にありがとうございました。

「坐禅について」問答一覧

アドラー心理学と禅

法律事務所を経営しています。 顧客も案件もたくさんあるのですが、儲からず忙しいばかり。儲からない案件もお金を取らないで受けてしまうからです。 結果、大量の仕事に追われ、催促の電話に怯え、無力感や罪悪感で死にたくなる毎日です。月に1~2回、本当に自殺しそうになって思いとどまるようなことが1年くらい続いててかなりツラいです。 そんなときに、ベストセラーになった「嫌われる勇気」(アドラー心理学の本)を読みました。そのなかに、 「自分がした善行に相手の配慮を期待するのは筋違い」 「受けた善行に返報しないことに罪悪感を覚えるのも筋違い」 「助けを求められてそれに応えないことに、罪悪感を覚えるのも筋違い」 「自分が何をすべきかは「自分の課題」であり、それを相手がどう感じてどう対応するかは「相手の課題」だから」 「自分の課題と相手の課題を混同してはいけない。相手の課題を勝手に自分の課題にするから苦しくなる」 というようなことが書かれてました。 自分は誰かの役に立つことは好きなのですが、そのことでお金を請求するのが苦手です。一方で、役に立つことをしてるのに相手から配慮して貰えないと苛立ったりします。また、何かを頼まれて断ることに罪悪感を覚えます。断ったら「嫌なヤツ」と思われるかもしれないという恐怖もあります。 アドラーの指摘するように、自分の課題と相手の課題を切り分け、「お金を請求して、支払うかどうかは相手の課題だから、気にせず請求すればいい」「相手の役に立つことをしても、それにどう応じるかは相手の課題だから、相手の配慮を期待するほうがおかしい」「頼まれ事を断ったとして、それをどう感じるかは相手の課題だから、どう思われようと気にすることはない」と考えれば確かに楽なんですが、お坊さん的にはこうした考え方ってどうなんでしょうか? そう考えると楽なのは分かるんですが、なんとなく腑に落ちないのです。 以前聞きかじった禅の思想(教え?)で、「一時の結果や他人の評価など気にしても仕方ない(どうせ本来無一物/諸行無常)」「自分は自分。他人は他人(主人公)」みたいなのがあった気がします。うろ覚えですが。 禅にも似ている考え方があるんじゃないかと思い質問してみました。 実は人に相談するのもとても苦手です。 ご回答頂ければとても嬉しいです。

有り難し有り難し 34
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ