恨む気持ちが抑えられない
いつもお世話になっております。
先日の質問からなるべく親戚とは関わらないよう、父に任せるよう努めております。
ですが、例え関わらなくても父の兄弟や祖母に対する憎悪は消えることはありません。何気ない日常を過ごしていても、頭の片隅ではいなくなってしまえばいいのにという気持ちが湧いてきては消えていく、そんな日々です。
お経をあげている時も消えればいいのに、という思いがこみ上げてきてしまいます。
夢にも出てきます。最近は玄関のドアを無理やり開けようとしたり、土足で踏み込んでくるような夢も見ます。
勿論もうこれ以上余計なことに関わるつもりもありません。
が、どうすればこの憎しみや恨む気持ちを消化できるでしょうか。祖母たちが心の底から今までのことを詫び、母に謝ってさえしてくれれば少しは私の気持ちも楽になるのかな、と思ったのですがきっとそういう機会は訪れないでしょう。
いつも祖母は被害者面。話をしていても自分がいかに苦労し、母がダメだったかという話に切り替わってしまいます。もう年なので真に受けていませんし、受け流してはいるのですが…。
こんな憎しみまみれな日々を送っていることをきっと母は悲しんでいるのかなと思いますし、こんなことを考えても無駄、存在を忘れたほうが幸せなんだと頭でわかっていたとしても、祖母たちの不幸を願ってしまいます。
どうしたら私は変われるでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
当然です!縁を切りましょう。
あなたの前の2回のご質問を合わせて回答させていただきます。往生された方を愚弄する悪口雑言。失礼極まりないと思いました。また、朝晩1時間上げて供養がら足らない??ふざけるな!です。わかっているようで何もわかっていない。供養とは思いやり、まごころ、おもてなしです。お浄土でお健やかにお過ごしください。有難うございます!まごころがこもっていたらこれで十分です。逆に、恨みごとを思いながらのお経は止めなさい。仏さまに失礼です。
同居は物理的にも精神的にも相当な負担を強いるものです。そういう負担に考慮せず、一方的な暴言。他方、お父さまが優しすぎるから軽く見られていれのかもしれません。何を言っても大丈夫だと。この娑婆世界は、優しさや思いやりだけでは生きていけない場合があります。お父さまとお二人で毅然と、対応することです。怒ったり、憎んでもなんの解決策にもならないのです。冷静に解決する。必要とあらばお金がかかっても、弁護士等は専門家に介在してもらいましょう。任せたら一切付き合いを断つ!恨まない、憎まない。その情念という執着に身を焦がすのはあなた自身ですよ。心静かにお母さまのことを思い、優しく感謝の気持ちでお過ごしください。それが供養です。拙僧も祈ります。どうぞお幸せに!浄光寺
質問者からのお礼
三浦康昭様。遅くなって申し訳ありません。回答して頂きありがとうございました。
お経をあげる際恨み言を言うのは仏様に失礼とビシっと言って頂き目が覚めました。最近はなるべく考えないようにしながらあげれるようになり、いつもより心が軽く感じ、あっという間にお経をあげ終えることができました。
父は優しいという面もありながら、事なかれ主義なところもあるのもいけないと思っています。ですが父の兄弟の問題は私が関わるべきではないと思っていますので全てお任せする姿勢は変えません。
またこの間少し話した際、あまりにもしつこい場合は弁護士雇うという言葉も初めて聞いたので少し安心しております。
何より故人を愚弄する人間は信頼するに当たらない人間ですので、なるべく祖母含め危険人物たちとは会わないよう努めたいと思います。
これからは気持ちを切り替え、少しでも母が心安らかになるよう、私も前を向いて恨み続けないようしてきたいと思います。
この度は相談に乗って頂きありがとうございました。