愛というものがわかりません。
愛とはなんでしょう。
愛というものがわからないのです。
お恥ずかしながら、この歳にもなって、まともな恋愛をしたことがありません。
(不誠実な人を好きになってしまいます…)
周りはどんどん結婚していき、子供も生まれ、取り残されていると思う日々です。
両親や友人からは大事にしてもらえています。
それなのに、私は愛を知ることもなく、このまま、死ぬまで1人でいることになるのでは…
と苦しくなります。
この歳から、愛を知るために、何をしたらよいのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
愛とは・・
なー様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
「愛」、それはまさに字の如く、「心を真ん中で受けとめること」、愛し合うとは、お互いの心を真ん中で受けとめ合うこと」であると考えています。
お互いに相手のことを親身に思い合える仲になることが大切になるかと存じます。
仏教の実践における「四摂法」(ししょうぼう)の一つに「同事」(どうじ)ということがございますが、まさに、相手のことを自分のことと同じと考えて、相手の苦しみや迷いを取り除く行いに努めることを申します。
お互い同士が、相手の気持ち、相手のためを思って、お互いに心を真摯に向き合って受けとめ合える、そんなパートナーであれば、人生を幸せにより良く過ごすことができていけるのではないだろうかと思います。
どうぞ良きご縁を温めて頂きまして、上記のように愛し合える方と結ばれますことを祈念申し上げます。
川口英俊 合掌
愛とは煩悩なのです。
なーさん、こんにちは。
愛がわからないとのこと。不誠実な人でも好きになっているのですから、それが愛です。
でもそんな愛は幸せにはなりませんよね。なーさんはわかっているのです。
好き嫌いの感情は自分の理性とは関係なく起こります。本能だからです。本能は「走れ」「止まれ」という単純な行動原理なので、失敗が多いのです。暴走する本能を煩悩といいます。人間は理性を使って、本能をコントロールする方法を見つけました。それが仏教です。
愛という本能ははなーさんにはあるのですから、あとはその方向を理性でコントロールする力を身につけてください。一番は人のために生きる人生を送ることです。ボランティアでもいいし、お寺の奉仕でもいいのです。仕事を福祉関係でもいいでしょう。毎日の仕事で笑顔で挨拶することも人のために生きる生き方です。すると、すばらしい男性があなたを好きになるのは当然です。そこに愛をはぐくむと幸せな人生が送れますよ。
安心してください。必ず心を磨けばあなたを好きになる人は現れます。
暇だったらどうぞ私のお寺で心の修行をしてくださいね。大阪だったら2時間ですよ(笑)。
がんばって!合掌
愛の定義はむずかしい
愛は慈しむ気持だと思いますが、それには個人差があると思います。だから愛の定義は文面では難しいと思います。言葉で愛を表現するラブレターなどは愛の表現法のひとつですが、その表現と、書いた人の言動が一致するかといえば、それは実際をみてみないと分からない。「百聞は一見にしかず」と言いますが、愛とはそういった実際的なものではないかと思いますし、そうでなければ分からないものでもあると思います。
「事件は会議室で起きてるんじゃない!現場で起きてるんだ!」と、有名な台詞がありますが、愛もそういう性格が大きいと思います。机上の愛、現場の愛、それらは大いに異なるものがあり、結局、愛というものは、自分にしか分からない、もしくは自分でも分からないものかもしれません。
恐らくは、状況において分かったり分からなかったりするものが愛と思われます。そういう意味で、無常なものだとも思います。
のんびりかんがえましょうよ。
質問者からのお礼
お返事ありがとうございます。
不誠実ですが、この感情も愛だったんですね。
少しだけ、ホッとした自分がいると同時に、いままで野放しにしていた本能を知り恥ずかしさを感じています。
教えていただけたので、少しずつではありますが意識していきます。
ぜひ、時間を作り、心の修行に伺わせていただきます。
ありがとうございました。
お返事ありがとうございます。
心を真ん中で受け止める…頭で考えるのではなく、心で感じ、心から動くことが愛なのですね。
少々、頭でっかちなところがありますので、心から行動してみます。
相思相愛、そんな方と出会えるよう、心と向き合っていきます。
ありがとうございました。
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お返事ありがとうございます。
愛の定義は人の数ほどあってもおかしくないですね。
頭で考えるのを、控えてみます。
その時その時を心で感じ、焦るのをやめ、のんびり行くことにします。
ありがとうございました。