hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
そらノート 亡くなった人やペットに思いを伝えよう hasunoha姉妹サイト登場

『産まない』ことが子供にとって一番なのでは?

回答数回答 3
有り難し有り難し 119

私は仏教徒ではありません。しかし、1つの生きる智慧としての仏教に興味をもち、色々と小さな脳ミソを使い調べてきました。

それで思ったのが、仏教は私に「生きることは思い通りにならないことばっかだけど、残念ながら諦めるしかないよ」と言ってるのではないか?ということです。

私のような若造でもこれは理解できます。うまくいくことよりもうまくいかないことの方が圧倒的に多いですし、楽しいことより辛いことの方がたくさんあります。

そこで私の中に「ならば、生まれさえしなければいいのでは?」「辛いと分かってるのになぜ子どもを産むのか?」という疑問が生まれました。

言うなれば、辛い世界に「送り込んだ」親は加害者、「勝手に送り込まれた」子供は被害者という構図です。

そこで質問なのですが
・この考えは正しいのか間違っているのか
・間違っているなら、どう違ってるか
・正しいなら、なぜ人間は子どもを産むのか

教えていただきたいと思います。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

心安らかに生きる道

こんにちは。

まず狐の婿入さんのおっしゃっていることに関して仏教の教えで考えると、前提はその通りですが結果が違います。
そのことを仏教の特徴をあらわす「四法印(しほういん)」で確認していきたいと思います。

>「生きることは思い通りにならないことばっかだけど、残念ながら諦めるしかないよ」
は、おっしゃる通りです。
この世は「一切皆苦(いっさいかいく)」ですので、そのことは諦めなければなりません。

では、なぜ「苦しい」のでしょうか。
それを仏教では「諸行無常(しょぎょうむじょう)」「諸法無我(しょほうむが)」であるからとします。
 「諸行無常」とは、「あらゆる物事は移りかわっていき、そのままで留まることができない」ということです。
世の中ではうまくいかないことも多々ありますし、たとえうまくいったとしてもそのことがまた苦しみを生みだしていきます。
例えばJリーガーになりたくてなれたからうまくいったというわけではありません。今度はもっと認められたいなど様々な困難に出会っていきます。
けして終わりがないのです。
 そしてその原因が「あらゆる物事はそれ自体で成り立っているわけではなく関係性によってのみ成り立っている」(諸法無我)からです。
「自分」の中に起こってくる「うまくいく・いかない」「楽しい・つらい」も「以前の状態よりはうまくいって楽しいが、そのままではうまくいかず辛くなってくる」という移りかわっていくなかの比較の感情に一生惑わされなければなりません。
それが「苦しい」のです。

しかし、以上のことをきちんと自覚し、他人のせいにせずに「自分」で引き受けることができたならば「心安らかに生きていくことができる」(「涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)」)と教えられています。

みんな「苦しい」のです。
しかし、それをきちんと自覚すればだれでも「心安らかに生きていくことができます」

この世に「自分」として生まれたのは、親のせいではありません。
子が親を選べないように、親も子を選べません。
そしてそのこと自体が「尊い」のです。
すべてが「自分」の思いどおりに選べる世界ほど醜いものはありません。

「自分」というものに縛られる「苦しみ」を自覚しながら、ものを食べ・働き・子を生み育て・喜び・悲しみ「心安らかに生きて」いってください。

{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが子供達の笑顔になりました


平松理薫(釈理薫)
真宗大谷派(東本願寺)僧侶 東京品川 日夜山正徳寺 住職 主な活動...

私的見解があなたを苦しめている事に気づこう

引用回答にて。
Q仏教は「諦めるしかないよ」と言ってる?
A⇒良い質問ですねぇ。違います。
お釈迦様のいう「苦」とは★この世というものが、こちらの願いや要求とはまるで無縁なありかたとして存在しているから人間の私的感情の介入できない世界であるよ、ということです。
これを漢字で表すと「苦」という言葉が一番近いであろうから中國や日本では❝苦❞という一字で示しているだけで、OH、この世はクルシィぜ、というチープな教えではありません。
その法則の川の流れの中であらがうような行為=物事を※「自分の都合を立てて取り扱うことを止めよ」という教えであって「諦めろ」じゃありません。自分の都合を立てるべきではない、ということです。

親は加害者、子供のは被害者か?
⇒そういう悲しい被害者的なものの見方を持っている=この世をそのように※私的に自己解釈で枉げて観ている姿では?。幸せに生きて親に感謝して生きている人もワンサカいますでしょうに。
どんな不運な中でも元気に生きる人もいる。
どんなに恵まれた環境の中でも不幸に沈む人もいる。要は自分。
問題は環境、親の方ではなく、それに対してどういう思い・見解を人生の主人公であるあなたが起こすか。それこそを、あなた自身が養い、成長させてゆくべき人間性なのです。
その人間性をより良く変えていくことが、あらゆる人間の使命と言えます。
そうすることによって誰でも幸せになれるのですから。

Qこの考え~間違っている?
Aうん、もうちょっと幸せ幸せになれるものの見方があることを知るきっかけになったね
Q間違っているなら、どう違ってる?
A現にアナタ、モヤモヤしてるでしょ?あなたがもし教祖サマだとしてそんな矛盾や苦しみの教えを世間の人が聴いても誰も救われないでしょうに。
Q正しいなら、なぜ人間は子どもを産むのか
A正しい・間違いというのは禅では「是非の見を起こす」というボンノーです。
たとえばネットは良いか悪いか?
ネットがあるから便利、あなたも成長できる、使い方が悪ければ人を狂気に導く。
⇒ものの方に善悪があるのではなく、使うあなたが正邪を超えて、良いものとして使える力を持っているかどうか、でしょ?
物事に対する、私的見解、コメント、悪く思うことが自分を苦しめるということがありますから、まずは、そこに気づいてみましょう。

{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが子供達の笑顔になりました


丹下覚元(たんげかくげん)
☎お悩み相談 質問 📞08020659278 どなたでも。

とても的を得ていますが、人間に生まれたことは大チャンスです。

「苦」とは単純にいう苦しみではありません。
「苦」とは思い通りにならないという意味です。
私達は思い通りにならない人生を思い通りにしたいと願っています。
「こうすれば思い通りになりますよ」という宗教はたくさんありますが、それは仏教の教えではありません。
仏教とは仏になる教えです。
端的に言えば、仏になれば「苦」はなくなるとお釈迦様はおっしゃるのです。

お釈迦様のおっしゃるに、私達は前世があって、その前世にはそのまた前世があって・・・と、遥か遠い過去から輪廻を繰り返してきたいのちなのです。
『天』『人間』『地獄』『餓鬼』『畜生』『修羅』の6種類のいのちの有り様を経巡っていのちを繰り返してきたのだとおっしゃるのです。
これを六道輪廻と言います。
お釈迦様はこの六道を迷いながら生まれ変わり死に変わりしている様も含めて「苦」と表現してくださるのです。

今はその六道の一つ「人間」だということです。
しかし、人間として生まれてきたことには大きなチャンスがあるのです。
それは仏法を聞くことができるという最大のチャンスなのです。
仏になるチャンスが今あるということです。
確かに人生は苦しくて思い通りにできません。
しかし、人間に生まれるということは仏になるチャンスがあるので、この機会を逃してはいけません。
人間に生まれることは極めて稀なことです。
そしてその人間に生まれて仏教に出遭うことは、これまた極めて稀なことなのです。

人間に生まれ仏法にであう確立を例えた話で「盲亀浮木」という例え話が雑阿含経というお経に説かれています。
大海の底に住む盲目の亀いて、その亀は百年に一度海面に浮き上がるのだそうです。
その亀が百年に一度浮き上がった時、たまたまそこに漂う穴の開いた流木があり、その浮木に開いている穴に頭がすっぽり入る確率。
この確立が人間に生まれ仏教に出遭う確立だとおっしゃるのです。

浄土真宗の蓮如上人は、人間に生まれたのに仏法を聞かない事を「宝の山に入りて手を空しくして帰る」とお示しくださいます。

人間に生まれてきたことはとても尊いのです。
是非、このいのちで仏法を聞かせて頂きましょう。

{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが子供達の笑顔になりました


始めまして、釈心誓と申します。 浄土真宗本願寺派の僧侶です。 若輩浅学...

質問者からのお礼

ありがとうございます。ご回答を読みながら心がポカポカしてきた気がします。いただいた言葉を心に刻み、これからも頑張ろうと思います。

「仏教全般」問答一覧

三毒の瞋恚について

少し、仏教(日本の仏教、大乗仏教?かわかりませんが)を調べてみたのですが、三毒という概念が出てきました。そこの怒り、瞋は世の中を悪くする毒だという考え方に触れました。 ですが、私が思うにこの毒こそ、今の世の中に必要な薬ではないのでしょうか? 今のしらけきっている世の中では本当に救われる存在に対して別に心動かさない。私と関係ないという愛のない空気が漂っています。そんな中だからこそ、ちゃんと憎むべきだと思うのです。不正や、不義を見つけ、恨み、ほかの不正、不義に怒り、徳をかざすもの(徳の騎士)達の闘いこそが、この世の中に血を通わせると思うのです。確かに多くの人達が死ぬでしょう、正義もみつからないでしょう。ですが、不毛なものではないと思うのです。その痛みを知ったからこそ愛を求め、与えることができるのではないのでしょうか。転じて、少し仏教ディスをしますが、なぜそういった熱い魂を毒と切り捨て、平穏という退廃を望むのですか?それは持っているもののみ、自身の苦しみに気づかずに他人を傷つける愚者を増やすだけではないのでしょうか?それでは真に救うべき絶望に抗い、戦う者達に失礼ではないですか?そのものらは心の安寧のために戦っていると?一度、絶望したものは死ぬまで安寧とは無縁の人生を送るでしょう。そんな者達に安寧は残されていると?彼らはただ絶望と戦い、苛烈に人生という闘争の中、死ぬことだけが救いだと思うのですが、どうでしょうか?

有り難し有り難し 22
回答数回答 2

学ぶ方法が知りたい

仏教をもっと知りたくて、ネットを活用していたところ、 hasunohaさんを知りました。 過去のQ&Aを拝見させて頂くと、 実際の僧侶の方々のお答えの方が難しい言葉を並べた活字より、 私には馴染みやすいような気がします。 (以下はプロフィールと重複しますが) 縁あって(しかもまったく別件で2度)、真言宗に関わるようになり 30年近くになります。 その頃は少しずつ、作法等を教わったのですが、 2年ほどで絶縁したため、基本を知らず、現在に至ります。 昨年、不思議なご縁の下で ホントに自分がやりたい事は何か?を 時間を掛けて自分に問い、 やはりご縁のあった仏道を進みたい。 今世に生まれた意味を知りたい。 そして少しでも人様のお役に立つのなら・・・ まずは 読んでるお経の意味を知るべきよね、 仏教用語的な言葉の意味も知るべきよね、 と、ネットで検索三昧。 そうなるとどんどん拡大してしまって、 真言宗ってそもそも・・・ 父方は浄土真宗でお寺さんもすぐ近く。 浄土真宗ってどんな考え方なの? 大日如来、阿弥陀様やお釈迦様って? などいろいろと知りたいことが増えてしまいました。 言葉が適切かはわかりませんが、 効率的な学び方を教えて頂きたくてこの場をお借り致しました。

有り難し有り難し 43
回答数回答 2

お金を積まないと成仏しないのでしょうか

先日同居していた独身の伯母が亡くなり、甥姪に遺産が分配されることになりました。 その相続人の中にMという従姉がいます。 Mは3年前に亡くなった伯母の一人娘なので600万円、私は姉と2人姉妹なので300万円ずつ分配される予定です。 私と姉は父が遺した莫大な借金のせいで自己破産して苦しい生活をしていたので伯母の遺産は生活を立て直す最後のチャンスだと思っています。 ところがMはある新興宗教にハマっていて(ネットで検索すると○○寺詐欺と出てくる有名な新興宗教です)、伯母と私の両親の供養をするから私と姉に600万払えと言ってきました。 Mが傾倒しているお寺の住職さんが 「伯母と私の両親が私と姉がお金を出さないので成仏できずに苦しんでいる」 と霊視で言われたと言うのです。 私の両親は檀那寺のお坊さまにきちんと供養していただいています。 なのでそれを断ると私たち全員地獄に堕ちると脅してきました。 そもそも亡くなった伯母はその宗教を嫌っていたのに、Mが勝手に自分が傾倒しているお寺で永代供養をすると言って遺産の中から800万払えとも言っています。 お骨もそのお寺(かなり遠方です)に持って行くと言っていて、私は伯母が何の縁もない土地に葬られるのが気の毒です。 伯母は祖父母が入っている納骨堂に入るものだと信じていたはずなのに、Mが勝手にお骨まで持って行くのが伯母に申し訳なく思います。 何百万円とお金を払わないと死者は成仏できないのでしょうか。 Mは生活費を削って借金をしてでも払えと言っています。 私の家は浄土真宗本願寺派でMがハマっているのは真言宗系の新興宗教です。 地獄の沙汰も金次第なのでしょうか。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 36
回答数回答 2

発菩提心について。

先日のご回答、ありがとうございました。 お陰様で、今の生活を充実させて楽しく暮らせています。 次の質問をお願い致します。 私は仏教が好きですが、ひとつ、モヤっとしていることがあります。 それは、仏になることを目指さなければいけないのか?!という点です。 悟ってしまったら楽しく無いんじゃないかなぁ?と今の私は思ってしまうんです。たとえば、素敵な異性に素敵だと思われたい欲、仲良くしたい欲、 そういうのも無くなるだろうなと。 現状は、そういう明るい欲が、生きている中での楽しみや張り合いになってる気がします。 そのようなわけで、仏教に興味持っていながら申し訳ないのですが、如来になるのを目指すということにコミットできていません。うやむやにしたまま、仏教ライフ送っています。 私が用いている勤行用の作法本に発菩提心真言も載っているので唱えていますが、 菩提心を本心から起こせていないのに 唱えてて良いのかな?とも思います。害はないのではと思うので、そのまま唱えていますが。  さんまや戒も唱えています。 如来を目指す決心はついてないよ、、だけどおつとめは好きだからするよ、という私に 何かアドバイスやヒントがありましたら、ご回答お願い致します。

有り難し有り難し 11
回答数回答 1

密教や色々な事にアドバイスをください

前の質問に回答くださったお坊さんにはとても感謝しています有難うございます 前に密教関係の別の方の質問の回答に 罪にはなりませんとか書かれていたのにそれを分かった上で質問してしまって 嘘をついたのではないかと不安になりました 仏様は罰を与える存在ではないことと知っていますしこの質問も前に聞いた質問を見て安心したのですがまた不安が出てきました、仏具屋さんの広告なども怖く感じてしまいます敬意を出来るだけ持ちたいのですが 回答を頂いた言葉をスクリーンショットして不安な時に見ているのですが駅などで見られたと不安になりました 私は毎日母の亡くなってしまった家族に水を渡して祈っているのですが不安で密教の事について助けてくださいと言ってしまいました、家族は仏教徒ではありません その密教道具の名前が頭にいきなり浮かび話したら駄目という気持ちが強く辛いです 歌を歌っている時にその道具の名前が浮かんできてその名前を言ってしまったかもしれません 喋っている時でもその道具の名前が出てきて言ってしまうんじゃないかもと不安になります もしかしたらもう言ってしまったかもしれません 前に管理人さんのブログに密教と検索したのですが全ての記事の写真や記事は見ても大丈夫ですか? 質問に書かれた情報とハスノハに出てきたお経の写真があったのですが大丈夫ですか? 検索などしてしまうかもしれないです 次に雑念についてです 私は教科書などで仏教などを見ていると くだらないとかニートじゃんとかくそとか綺麗事じゃんとか言葉が出てきます 車で神社かお寺に通りかかった時その頃は不安で不安でいきなり密教はクソとか汚い言葉が出てきてしまいました本心かもしれません 私は最終的には仏教を貶す気持ちは有りませんが どうしてもポロっと出てしまいます 私の祖母のことを考えた時ずっと元気でいてほしいと思っているのにお葬式の時を想像してしまいます他の人もあります 仏様の首が切れてしまう想像をしたりしてしまいます 寝る前に活発になるので「もし明日晴れたら仏様が言ったみたいなことだから○さんに会いに行く」 と言っても会いに行けず裏切ってしまったのではないかと不安になりました ご飯のお米一粒や机に落ちたものも食べないといけないと思ってしまいました 生活習慣の乱れもあり様々なことが不安になります病院にも通っています よろしくお願いします

有り難し有り難し 8
回答数回答 1

関連する問答

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ

相談カテゴリ
-四苦八苦 SickHack!▼ 全カテゴリを見る