死にたいと言いながら治療にくる高齢者
看護師をしています
『もう死にたい 死ねる薬ないか 』と 治療にせっせと通われる患者さんが 多くいます。それなら薬も飲まず治療に来なければいいのに。医療費がもったいないと常々思います。笑顔で点滴やお話しを伺ってはいますが、心の中では もう早く死んじゃえ と酷いことを思ってしまいます。患者さんの言葉は本心でなく生に執着してることの裏返しだとは思うのですが、死んでしまえ と思う自分の腹黒さと傲慢さを 治したいのです。方法はありますか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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<死への恐怖感と不安感>
随分前の事ですが、私が毎月檀家様を周っていおりましてその中で一人暮らしの婆ちゃんが居られ、最後は94歳でお亡くなりになられました。その婆ちゃんがまだ元気で居られた時の事です。お経を挙げに毎月伺って10年以上もなり私を孫の様に可愛がって頂きました。
その婆ちゃんは若くして戦争で御主人を亡くされ一男、二女の3人の子供様を育てられましたが不運にも一人息子様を若くして突然亡くされ、二人の娘さん達は嫁がれており、それから一人暮らしが始まったと聞いていました。
混乱の世の中を女一人で子供を育て、生き抜いて来られ方で大変気丈でしっかりした方でしたが、唯一、一つだけ口癖が有り話す人度に「もういつ死んでもよか!早く迎えが来てくれんかな」と言われる事を近所の方も良く御存じでして、私がお付き合いをして10数年経ったある日、いつもの様に伺いまして月経を終えお茶をのんで話していると又、いつもの様に「もういつ死んでもよか!早く迎えが来てくれんかな」と言われるんです、この頃は随分打ち解けて慣れもあり試しにワザと思い切って「婆ちゃん!心配せんでもよか。ここに生きて居る限り皆必ずお迎えが来るから」」と言ってみたらお婆ちゃんは笑っていましたが目は怒って私の背中をポンと叩き一言「ま~、和尚さんだろうか」と言われたのですがその時の婆ちゃんの心は「和尚さんは何てことを言うんだ」と言わんばかりでした。その後私も笑ってお茶をすすり何気ない会話をして帰りました。
この時感じたのは、人はどんなに年をとっても、どんなに若くても誰も死に対しての恐怖感、不安感がある限り死にたくないのが本音で、お婆ちゃんは年を重ね老いて行き自分が死に近ずくことの恐怖感と死ぬ時は痛いのだろうか?死んだ後はどこへ行くのだろうか?と不安で不安でしょうがなかったんですネ。だからつい口に出して「もういつ死んでもよか!早く迎えが来てくれんかな」と言われてたのは死にたくないまだ死にたくないという気持ちの現れだったんです。
私も貴女もこの世の皆が生きる上で決して逃げる事の出来ない苦しみが八つあります。それが良く知っている「四苦八苦」(生、老、病、死、)四苦(愛別離苦、怨憎絵苦、求不得苦、五陰盛苦)四苦を合わせた八つの苦です。
お年寄りになる時までの宿題です。
無執着を意識されては
看護師をなされているので、四苦の生老病死は日々体感されていることでしょう。だから、貴方様の言葉には正直さがあると思います。
そんな貴方様が、患者様に対して心の底で思うことに嫌気が差し、自分の腹黒さと傲慢さを治したいと訴えてられるのは、清浄な心を持って接したいからなのでしょう。恐らくは、それは表面的には可能なので是非そうしてください。しかしながら、心の奥底で思うものと言うのはなかなか変えるのが難しいと思います。自分のなかの汚いところを理解しているだけでも正常だと思いますし、いわゆる本音を殺すと、逆にしんどいと思います。ただでさえ大変な仕事をやってられるのですから、自分に無理がないように、「こうあらねばならない。」という執着、「清らかな心をもっていなければならない」という執着は横に置いといてもいいと思いますよ。
現場には現場の大変さがあると思います。我儘な患者さん達を相手に、八面六臂のような性格を持ってもいいと思います。大事なのは、貴方様が正直な気持ちを保って、患者さんには、丁寧に対応してあげたらいいと思うわけであります。私は貴方様が書かれているところの腹黒さと傲慢さは、しかたのないものだと思っています。どうぞ、これからも患者様達を安心させてください。
あなたもそのおばあさんも同じ人である
ぴかままさま
本当は人間誰でも死にます。分かっているつもりでも、向き合わない人が多い。逃げたくなるのです。
あなた自身も明日の命は保証されてないのです。もちろん私も。
自分も死ぬと思えば、不安な気持ちも理解できるでしょう。強がり言っちゃうお年寄りの気持ちもわかるでしょう。
そして仏教はそうした恐怖から救われる道なのです。そのためにも自分自身と向き合い、死ぬ前に本当の自分という事を知る必要があります。つまりお釈迦さまが見つけた道です。そこに気づければ、死も恐れる事なく、そのお年寄りにも早やく死んでしまえばいい何て思わなくなるでしょう。
まずは年齢関係なく、誰もが必ず死ぬという事。そして明日の命すらわからないという事。そこを知るだけでも人に対しての接し方が変わるのではないでしょうか。
質問者からのお礼
お返事 何度も何度も拝読させていただきました。誰にも相談できずにいたので聴いていただきご回答いただき感謝しております。旅立ちをみすぎてきてしまったからでしょうか、死への恐怖が私には無いのです。少しでも患者さんの気持ちに寄り添えるよう本当の自分に気付き、丁寧に対応し四苦八苦の課題をこなしてまいりたいと思います。