hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

死にたいと言いながら治療にくる高齢者

回答数回答 3
有り難し有り難し 135

看護師をしています
『もう死にたい 死ねる薬ないか 』と 治療にせっせと通われる患者さんが 多くいます。それなら薬も飲まず治療に来なければいいのに。医療費がもったいないと常々思います。笑顔で点滴やお話しを伺ってはいますが、心の中では もう早く死んじゃえ と酷いことを思ってしまいます。患者さんの言葉は本心でなく生に執着してることの裏返しだとは思うのですが、死んでしまえ と思う自分の腹黒さと傲慢さを 治したいのです。方法はありますか?


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

<死への恐怖感と不安感>

随分前の事ですが、私が毎月檀家様を周っていおりましてその中で一人暮らしの婆ちゃんが居られ、最後は94歳でお亡くなりになられました。その婆ちゃんがまだ元気で居られた時の事です。お経を挙げに毎月伺って10年以上もなり私を孫の様に可愛がって頂きました。
その婆ちゃんは若くして戦争で御主人を亡くされ一男、二女の3人の子供様を育てられましたが不運にも一人息子様を若くして突然亡くされ、二人の娘さん達は嫁がれており、それから一人暮らしが始まったと聞いていました。
混乱の世の中を女一人で子供を育て、生き抜いて来られ方で大変気丈でしっかりした方でしたが、唯一、一つだけ口癖が有り話す人度に「もういつ死んでもよか!早く迎えが来てくれんかな」と言われる事を近所の方も良く御存じでして、私がお付き合いをして10数年経ったある日、いつもの様に伺いまして月経を終えお茶をのんで話していると又、いつもの様に「もういつ死んでもよか!早く迎えが来てくれんかな」と言われるんです、この頃は随分打ち解けて慣れもあり試しにワザと思い切って「婆ちゃん!心配せんでもよか。ここに生きて居る限り皆必ずお迎えが来るから」」と言ってみたらお婆ちゃんは笑っていましたが目は怒って私の背中をポンと叩き一言「ま~、和尚さんだろうか」と言われたのですがその時の婆ちゃんの心は「和尚さんは何てことを言うんだ」と言わんばかりでした。その後私も笑ってお茶をすすり何気ない会話をして帰りました。
この時感じたのは、人はどんなに年をとっても、どんなに若くても誰も死に対しての恐怖感、不安感がある限り死にたくないのが本音で、お婆ちゃんは年を重ね老いて行き自分が死に近ずくことの恐怖感と死ぬ時は痛いのだろうか?死んだ後はどこへ行くのだろうか?と不安で不安でしょうがなかったんですネ。だからつい口に出して「もういつ死んでもよか!早く迎えが来てくれんかな」と言われてたのは死にたくないまだ死にたくないという気持ちの現れだったんです。
私も貴女もこの世の皆が生きる上で決して逃げる事の出来ない苦しみが八つあります。それが良く知っている「四苦八苦」(生、老、病、死、)四苦(愛別離苦、怨憎絵苦、求不得苦、五陰盛苦)四苦を合わせた八つの苦です。
お年寄りになる時までの宿題です。

{{count}}
有り難し
おきもち

無執着を意識されては

看護師をなされているので、四苦の生老病死は日々体感されていることでしょう。だから、貴方様の言葉には正直さがあると思います。

そんな貴方様が、患者様に対して心の底で思うことに嫌気が差し、自分の腹黒さと傲慢さを治したいと訴えてられるのは、清浄な心を持って接したいからなのでしょう。恐らくは、それは表面的には可能なので是非そうしてください。しかしながら、心の奥底で思うものと言うのはなかなか変えるのが難しいと思います。自分のなかの汚いところを理解しているだけでも正常だと思いますし、いわゆる本音を殺すと、逆にしんどいと思います。ただでさえ大変な仕事をやってられるのですから、自分に無理がないように、「こうあらねばならない。」という執着、「清らかな心をもっていなければならない」という執着は横に置いといてもいいと思いますよ。

現場には現場の大変さがあると思います。我儘な患者さん達を相手に、八面六臂のような性格を持ってもいいと思います。大事なのは、貴方様が正直な気持ちを保って、患者さんには、丁寧に対応してあげたらいいと思うわけであります。私は貴方様が書かれているところの腹黒さと傲慢さは、しかたのないものだと思っています。どうぞ、これからも患者様達を安心させてください。

{{count}}
有り難し
おきもち

あなたもそのおばあさんも同じ人である

ぴかままさま

本当は人間誰でも死にます。分かっているつもりでも、向き合わない人が多い。逃げたくなるのです。
あなた自身も明日の命は保証されてないのです。もちろん私も。
自分も死ぬと思えば、不安な気持ちも理解できるでしょう。強がり言っちゃうお年寄りの気持ちもわかるでしょう。

そして仏教はそうした恐怖から救われる道なのです。そのためにも自分自身と向き合い、死ぬ前に本当の自分という事を知る必要があります。つまりお釈迦さまが見つけた道です。そこに気づければ、死も恐れる事なく、そのお年寄りにも早やく死んでしまえばいい何て思わなくなるでしょう。

まずは年齢関係なく、誰もが必ず死ぬという事。そして明日の命すらわからないという事。そこを知るだけでも人に対しての接し方が変わるのではないでしょうか。

{{count}}
有り難し
おきもち

禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺副住職。 悩みを吐き出す事で、ちょ...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

お返事 何度も何度も拝読させていただきました。誰にも相談できずにいたので聴いていただきご回答いただき感謝しております。旅立ちをみすぎてきてしまったからでしょうか、死への恐怖が私には無いのです。少しでも患者さんの気持ちに寄り添えるよう本当の自分に気付き、丁寧に対応し四苦八苦の課題をこなしてまいりたいと思います。

「死について」問答一覧

死別シングルマザー

夫と死別し、半年経ちました。 死後の手続きなどでバタバタと、忙しくしていましたが、この頃PTSDの症状がでて、とうとう仕事にいくこともできなくなりました。 一ヶ月の休職ですが、休んでる間に収入の不安、子どもたちのこと…色々と考え過ぎてよけいに具合が悪くなっている気がします。 職場からは、また笑顔で戻ってくることを待ってますと温かい言葉を掛けてもらっているのですが、夫を看取った病院が職場の直ぐ側であることや、救急車が頻繁に通ることなどから、正直一ヶ月休んだところで復帰する元気があるかわかりません。何も前に進めない自分に自己嫌悪の毎日です。お金の不安と、パートナーを失くしたことから『風俗』で働いて少しでもお金を…と浅はかな考えも拭えません。時間が長く感じます。こんな姿を夫が見たらなんて思うだろう。夫じゃなくて、不器用な私が先に亡くなればよかったのにとまで考え込んでしまいます。周りには自分のように30代で配偶者を亡くした人はおらず、まるで腫れ物のように感じます。他の家庭を見ると、赤ちゃんが生まれた…家を建てる…夫婦仲良く子育てできてて自分にないものばかり目に映り、生きづらいです。

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

「周りの人間の死」への向き合い方

「周りの人間の死」への向き合い方が分からず、恐らく変な方向に価値観が向かってしまい、常に一定の苦しみを抱えてしまっています。 無理やり挙げるとすれば、恐らく一番大きなきっかけは、2年前に母の母である祖母が急死されたことだと思います。大きな病気やケガもなく元気に畑で過ごしていた祖母の急死に頭が追い付かず、又様々な状況を理由にしばらく会えなかったことや、恩返しなども出来なかったと感じたことによる後悔と主に、「人は急に死ぬこともある」といった至極当然のことに恐怖を覚える様になりました。 その"急死"は脳内で"事故死"等に変換されたようで、現在は「自分が何か人に頼むことで事故死するかも」といった恐怖をもってしまっています。私が親に頼んだ買い物の道中で死ぬかも、私が選んだ待合場所のせいで、指定した時間のせいで友人が死ぬかも、と思うと、所謂"普通の価値観"で人に頼る事、あまつさえ意見や提案事の提示も難しくなってしまいました。 正直自分の死は大して怖くはありません。ただ、もしそういった状況で知人が亡くなってしまえば、仮に明らかに自分のせいではなくとも「自分がこの人を殺した」と思ってしまうに違いないと感じています。又そういった気持ちを抱えてその後の人生を全うできるとは到底思えません。 バタフライエフェクトのレベルで「人の死に関与したくない」といった気持ちが大きくなってしまい、生き苦しさを感じてしまっています。 この価値観が、俗にいう「変・ずれている・間違っている・過剰」ということは頭では理解できているつもりです。ただ、どうにも心がこういった考えを除いてくれません。 もし仏教などを用いて少しでも楽に生きることが出来るのであれば、と思い、相談させていただいている次第であります。ご意見をお伺いできますと幸いです。よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 2
回答数回答 1

病気になって死を考えるようになった

現在,一人暮らしをしている中年男性です。 先日から病気をしています。病気になって,一人暮らしなので,闘病しながら食事,洗濯の家事をしないといけません。また,食事のための買い出しも必要で,誰か助けてくれないかと,常に考えています。 知り合いに食事を作って持ってきてください,といった厚かましいお願いはできないもので,そういったお願いができる知り合いがいるわけではありません。 闘病を続けながら,食欲もなく,痩せていくし,気力も失ってきています。 また,コロナ禍で,一人亡くなっていった方もこのようなつらい状況であっただろうと想像し,そのため可能であれば入院させていただいて,看病していただけないかと,勝手な思いが巡ります。 そして,こんなに苦しい状況なのに,これを乗り越えて「生きる理由」はあるのだろうかという考えが頭をよぎっています。 ある程度の人生は送ってきました。これから先もいろいろと楽しみもあると思いますが,生老病死は,四苦なので,病気を克服するのも,その後,克服した後に生きていくのも苦しいのだろうと,勝手に解釈をしたりします。 だったら,もうここでいいや,と思ったときは,死ぬことができたらいいなぁ,眠るときにこのまま目覚めなければいいな,と考えるようになっています。 自死については,以前は否定的ではありましたが,闘病の中で,それは個人個人の自由でいいのではないかと思うようになりました。 自死していった方は,苦しい中,生きることに耐えられなかったのだろうなと,共感できる心持になっています。 病気をして,手厚く看病してくれる人がいる状況であれば,それはそれで,心配してくれる人のために生きる理由があっていいのですが,そうでない私は,一人で非常に苦しい,不安です。そんな私が,命尽きるまで闘病するかもしれないという選択をして,生きる理由はなんでしょうか。 誰も助けてくれる人もいない,ただ病気と闘って,死を待つだけかもしれない。 最後は,一人,孤独死を迎えるのかもしれないと思うと,寂しく,不安です。 そういった中で,このサイトに行き当たりました。 取り留めない文章になりました。 回答をいただければ幸いです。

有り難し有り難し 13
回答数回答 2

死んではいけない理由を教えてください

駄文につき失礼致します。 私は大学生です。 様々なストレスが重なりうつ病を発症しました。目下治療中です。 薬を飲み始めてからは落ち着きましたが、昔は希死念慮がよくありました。漠然と死んでしまいたいと思うことがよくありました。 投薬による治療や、様々な死生観等に関する書籍を読むうちに次のような価値観が形成されました。 死んでしまっては選択肢がなくなる。 生きているうちは選択肢が無数にある。 生きる事に行き詰まって選択肢がなくなってしまったと思ったら、死ぬことを考えよう。 これは今私が生きている理由の一つですが、この考えは一見生きることに前向きなようで死ぬことを否定していないのです。 言い換えれば、いつでも死ねると言う風にも捉えられます。 私は今のところ死ぬことは勿体無いと考え自殺を踏みとどまっていますが、自殺を否定する理由は未だに見つけられていません。 生きている限りいつかは死が訪れるものであり、やがては受け入れなくてはいけないものだと考えていますが、自ら死に近づく行為はいけない事なのでしょうか? 確かに、人が皆自殺を礼讃するようになれば人間社会は成り立たなくなってしまいます。 しかしながら生きることが権利ならば死ぬこともまた同様なのではないかとも考えてしまいます。 どなたかお力添え頂ければ幸いです。

有り難し有り難し 14
回答数回答 3

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ