両親と妻が不仲です。どう対処していくといい方向にいきますか
未熟児で生まれ妻の必死な子育てもあり子供は健やかに育っています。
息子は出生後長く入院。その間に転勤があり新居選びの時間無く、実家から歩いて数分の両親が買っていた家を借りました。両親の勧めもありました。「大変だったら母の助けも借りられるか」の考えは今思えば甘かった。妻はこの時は同意していました(が無論嫌だったはず)
息子が家に来た後から、後で知ったのですが、母のアポ無し訪問・冷蔵庫の確認(ご飯がなければ作ってきたものを置いていく)、部屋に上がって息子(母にとって孫)の顔を見る、などが重なって妻が休めずうつ状態に。
「義母の突然の訪問で寝られず辛い」と妻から話があったので母に連絡後来るよう伝えましたが「家族なので連絡を入れる必要ない」と変わらず。妻は気が滅入り喧嘩も度々でした。
このため転勤の話を機に車で20分の所に転居することで妻の同意を貰いましたが両親、特に母はこれに納得できずかなり怒りました。
その後数ヶ月毎の実家訪問は妻の強い拒否で息子と私で行くも、道中息子が泣く(母親と離れるから当然)のが辛くその間の妻を思うと落ち着かず、その回数をへらしました
ある正月に家族で行った際妻は家事を実家で手伝ってくれましたが母は「私がやるからやらなくて良い」といい、これも私の実家を妻が嫌になった状況です。
妻を子供と妻実家に帰ることを勧め帰していましたが妻は帰ってもゆっくりできないようで帰るに帰れなくなっていて辛く感じます。
この最中先日母から「こんな嫁はいらない。離婚しなさい」と怒鳴りつつ電話ありました。母が妻実家の雰囲気が好きでない事も一因かもしれません。むっとしますが行来たくなくなる自分にも非があり複雑です。
先日妻から「私は私の家であなたを守っている。あなたは私をあなたの家で守ってくれてない」と言われました。妻と私の両親は他人だから真底仲良くせずとも仕方なし、年末年始や盆にそつない会話するだけでいい、と思います。
が、嫁を含め皆が笑顔の風景も望むのです、自己満足ですが。
嫁を守ることはどういうことか、両親と妻の間をどう取り持つか、私の望みをどう叶えるか。これらを考えると暗闇に入る感じがします。
いっそのこと私が死んでしまえば解放されるとも考えもしますが無論その気は微塵もない。
ただどうにかしたい。
叱り、指針、助言 などが頂きたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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天上天下唯我独尊
お釈迦さまが、お生まれになった時に、おっしゃったお言葉だそうです。お釈迦さまはお母さまである、摩耶夫人の右脇から生まれ。その直後に七歩歩いて右手で天を指し、左手で地をさして「天上天下唯我独尊」(てんじょうてんげゆいがどくそん)と宣言されました。そのまま、読めばこの世で私ほど尊いものはないとなりますが、まさか、お釈迦さまがそんなことを言うわけがありませんよね。この世において、各々がそのあるがままで尊いのだと読ませていただくべきなんでしょうね。大変失礼とは存じますが、ご両親さま、特にお母さま限度を超えられています。まさに前者の独尊ですよ。母であり妻であり、家庭におけるすべての管理者ですよね。アパートでも大家さんが勝手に部屋に入れば犯罪ですよ。お子さんに、貸したんだから、絶対に勝手に上がり込む、ましてや冷蔵庫を開ける、勝手に料理を作る。論外です。
こんなことをされたら誰でもノイローゼになりますよ。心も身体も休まりません。奥様のご心労お察し申し上げます。また、離婚しなさい!とはいっいなんでしょうか?自分の思い通りにならないだけで、子どもの幸せまで踏み躙ろうとする。閉口しますね。天下天下唯我独尊の本当の意味、原点に帰って誰でもがそのままで尊い。お互いに等しく尊重されるべきというのが、仏さまの慈悲でございます。お母さまは、いまのままでは、我執が強く何を言っても無駄だと思います。親として将来お困りの時は誠心誠意、支援するとして、お付き合いを毅然と断ちましょう。いまのお母さまは説得に応じるような状況ではないように思えます。要らぬ仲介は問題を複雑にし感情をより激化させます。家族3人で当面やっていくので一切干渉しないで欲しい。と伝えてあとは連絡を当分の間断ちましょう。それしか、いまはないように思えます。何年かすれば気持ちも落ち着き、自らを省みる時が必ず参ります。お母さまからそのような話があった時は全てを水に流してくださいね。許しとは、人を許すのではなく、そうした自分を許すことです。どうかみなさまお幸せに!浄光寺
質問者からのお礼
すぐに全てを解決できないため、今は距離を開けて対応、時間がたって母の対応が変わったように見えたら、許して過去にはさほど触れず話をする。母がこのような行動をとるようになったのに自分が一因かもしれないからその自分も許す。ということでしょうか。
自分自身は今の状況が幸せ。時々(最低限の機会)は孫の顔を見ることが私の親の幸せ、と思って今は行動してみます。
互いに互いの存在をありのままに認め尊重し合い許し合う、これが私の望んでいることかもしれません。まずは自分からそうあるようにしていきたいと思います ありがとうございました。