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急な父の死

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3年前の6月に父が急死して、近親のみで、葬儀をしたのですが、父の実の兄のみが母が連絡したにも関わらず、通夜にも、葬儀にも出席せず、私達は、ショックで父の事を思うと涙が、出てきました。
私は、たとえ過去に何かあったとしても、兄弟の最期くらい来るのが当然だと思うのですが、私の考えは、間違いなのでしょうか?どうかこの先どうすればいいか教えて下さい。よろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

それは実はあなたの問題

ゆるせない、理解不能、なぜ?などと相手に対して想う気持ちで自分が苦しくなるのなら、それは辞めた方がいいでしょう。
それもあなたのルールを相手に押し売りしている姿であったりします。
仏教というのは、自分が自分のこの身の上で全て他人の事も我が身の上でやっていることを悟り、相手の非をどうこう責めるのではなく、自分が自分の中の煩悩ガス工場を自己責任で管理する道でもあります。
相手がどうしたこうしたと言っておられるあなた自身の不信や悩み、モクモクは相手にありますか?無いはずです。すべてあなたの中で起こっていることだと分かりますか?
それをわかること(問題は相手ではなく自分の問題であったと気づくこと)が今日の学びです。
ご兄弟の間で何かがあったのでしょう。
その事情は色々です。
お兄さんも御高齢でしょうから、それなりの事情もあったのかもしれません。
兄弟というものは結婚すれば変わるものです。
それぞれそれぞれを生きている、という在り方もあるものです。
穏やかであられますよう。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

なつかなさん達ご家族のお気持ちは当然のお気持ちだと思います。

やはり、生前に不仲であっても、兄弟や親のお別れには顔を出すほうがいいのはもちろんのことです。

しかし、そこで理想通りに、思った通りに動けないのが人間ではないでしょうか?

お兄さんの心の内は、
すごく葛藤があったのではないでしょうか?
最後くらいと思う自分、でも行けない自分、行きにくい自分、素直になれない自分、あの時のことが忘れられない自分、みなさんと顔を合わせにくい自分。

こんな思いの中で葛藤されて行けなかったのかもしれません。
もしかすれば、今誰よりも悔いておられるのはお兄さんかもしれません。

人はこの世では、わかりあえないことがあります。

しかし、あの世(お浄土)ではわかりあえるのです。
自然とみんなが素直になれるのです。
ゆえに(浄らかなところ)浄土といいます。

お父様はお浄土からご覧になってそんなお兄さんの後悔や葛藤を誰よりもわかっておられることと思います。

お兄さんが遅れてあちらに行ったとき、自然に素直になって、お二人は仲直りされることでしょう。

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生きるための仏教 生身の私達のための仏教 私たちが人生を歩む上でかかせない杖となる教えが仏教です。 そんな、「生きるため」の仏教をお伝えできたらと思います。 Instagramにて 2.3日に一度のペースで門前掲示板の一言を掲載しています。宜しければそちらもご覧になってくださいね。 asuka_yuishoji で検索してください。

質問者からのお礼

ありがとうございました。そうなる事を願ってます。

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