急な父の死
3年前の6月に父が急死して、近親のみで、葬儀をしたのですが、父の実の兄のみが母が連絡したにも関わらず、通夜にも、葬儀にも出席せず、私達は、ショックで父の事を思うと涙が、出てきました。
私は、たとえ過去に何かあったとしても、兄弟の最期くらい来るのが当然だと思うのですが、私の考えは、間違いなのでしょうか?どうかこの先どうすればいいか教えて下さい。よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
それは実はあなたの問題
ゆるせない、理解不能、なぜ?などと相手に対して想う気持ちで自分が苦しくなるのなら、それは辞めた方がいいでしょう。
それもあなたのルールを相手に押し売りしている姿であったりします。
仏教というのは、自分が自分のこの身の上で全て他人の事も我が身の上でやっていることを悟り、相手の非をどうこう責めるのではなく、自分が自分の中の煩悩ガス工場を自己責任で管理する道でもあります。
相手がどうしたこうしたと言っておられるあなた自身の不信や悩み、モクモクは相手にありますか?無いはずです。すべてあなたの中で起こっていることだと分かりますか?
それをわかること(問題は相手ではなく自分の問題であったと気づくこと)が今日の学びです。
ご兄弟の間で何かがあったのでしょう。
その事情は色々です。
お兄さんも御高齢でしょうから、それなりの事情もあったのかもしれません。
兄弟というものは結婚すれば変わるものです。
それぞれそれぞれを生きている、という在り方もあるものです。
穏やかであられますよう。
なつかなさん達ご家族のお気持ちは当然のお気持ちだと思います。
やはり、生前に不仲であっても、兄弟や親のお別れには顔を出すほうがいいのはもちろんのことです。
しかし、そこで理想通りに、思った通りに動けないのが人間ではないでしょうか?
お兄さんの心の内は、
すごく葛藤があったのではないでしょうか?
最後くらいと思う自分、でも行けない自分、行きにくい自分、素直になれない自分、あの時のことが忘れられない自分、みなさんと顔を合わせにくい自分。
こんな思いの中で葛藤されて行けなかったのかもしれません。
もしかすれば、今誰よりも悔いておられるのはお兄さんかもしれません。
人はこの世では、わかりあえないことがあります。
しかし、あの世(お浄土)ではわかりあえるのです。
自然とみんなが素直になれるのです。
ゆえに(浄らかなところ)浄土といいます。
お父様はお浄土からご覧になってそんなお兄さんの後悔や葛藤を誰よりもわかっておられることと思います。
お兄さんが遅れてあちらに行ったとき、自然に素直になって、お二人は仲直りされることでしょう。
質問者からのお礼
ありがとうございました。そうなる事を願ってます。