回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
まずはからだに感謝の生活を。
生きる意味が今わかる人はそんなにいないのでは
ないでしょうか。わたし自身もわかりません。
ただ、いまあなたが生きていることが
のちに意味を成してくることはあります。
あなたがいま生きていることが、なにか別ないのちに
多大な影響を及ぼしていることがあるのです。
仏教ではそれを「因縁」といいます。
すべてのいのちは単体で存在していません。
あなたも大きないのちのなかで繋がっていきているのです。
あなたのこころとは真逆に、からだはあなたを活かす
為に、日々だれにも褒められもせず必死に心臓を
うごかし、血を廻らし、いつでもあなたがうごけるように
しております。
まずはそのお身体をいたわるところからはじめてみては
いかがでしょうか。
ゆっくりと深呼吸をし、「ありがとう」と手を胸にあてれば、
自然とじぶんのいのちと向き合えると思います。
そのときに、じぶんの生きるべき道も見えるかもしれません。
じぶんのからだだと思っているものは、すべて
じぶんという、心では制御できないおおきないのちの繋がりの
なかにあることが、深呼吸することでもわかってくることがあります。
それがわかるだけでも、一歩まえにすすむことができます。
からだに「ありがとう」という、それだけでも、多くのいのちへの
感謝につながります。その感謝の一歩こそが、
これからのあなたの一歩一歩になっていくのではないでしょうか。
あなたにさちあれ。さちあれ。合掌
モノ・コトのありようについて
はる様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
とにかく、全てのモノ・コトというものは、他に依存して成り立つことができております。このことを仏教では、「縁って起こっている」として「縁起」と申します。
「縁起」として成り立っているものは、はる様の「いのち」も、「生きる意味」も、「自己嫌悪」もそうです。
その依存しているものが変われば、「いのち」も「生きる意味」も、「自己嫌悪」も変わることにはなります。ですので、永久永遠に変わらない実体的な何かがあるわけではないのであります。
また、自分にとっての好ましいモノ・コトも、好ましくないモノ・コトも、その依存しているモノ・コト次第となります。
その依存しているモノ・コトをより良くに調えてやれば、もちろん、より良くに変えることだってできることになります。
是非、これを機会にもう少し柔軟にモノ・コトを全体で見れるようにしていくことで、見方を変えて、心も、そして行動、結果も、より良くに変えていけるように調えて参りたいものでございます。
善処を祈念申し上げます。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
ありがとうございます。
勉強なります。