過去の殺生について
私は子供の頃から、虫達を苦しめ、残虐に殺してきました。
短大時代には、バルサンなどでゴキブリを大量に。
(おそらく数百~千以上?)
その後も、ドライブで無数の殺生をしてしまいました。
現在は心から懺悔し、不殺生、自然保護団体への寄付、
毎晩、虫達への謝罪と祈りを自分なりにしていますが、
果たして、こんなことに、意味などあるのでしょうか?
ほかに何か、できることがあるでしょうか?
正直、地獄が恐ろしくて、とても明るくなど
生きていられません。
こんな私に、救いはあるのでしょうか?
本当に苦しんでいます。
きびしいご意見でも構いません。
なにとぞよろしくお願いいたします。
過去に膨大な数(おそらく数千くらい?)の虫や昆虫を、ドライブやバルサン、庭の手入れ、子供の頃の虐殺などで殺生してしまいました。今は懺悔し、不殺生をしていますが、地獄への恐怖心がどうしても消えません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたは地獄の存在に救われた
現代の日本人は、失敗にキビシイですね。一度でも失敗すると、復帰しづらい社会。10年前の第一次安倍内閣もそこに着目し、「再チャレンジ」というスローガンを立て、「勝ち組」「負け組」を作らない社会を目指しました。
あなたも「一度やってしまった事は許されない」といったような現代の日本人的感覚におちいってしまっているようです。
地獄は怖いですねぇ。地獄絵図など見ると惨憺たるもので、全く救いがありません。とことん苦しみに徹しています。昔の人はなぜこんなに残酷な絵を描いたのでしょう?それは誰かを地獄に堕とそうとして描いたのではなく、これを見た人が「地獄はイヤだなぁ。悪い事はやめよう」と思わせるために描かれたものだと思います。抑止力です。
あなたも「地獄はイヤだなぁ」って気持ちになって反省したんですよね。地獄があなたを悪から救ったのです。
仏教は「一度やってしまった罪は、やりなおしがきかない」なんてことはないです。毎日何度でも「再チャレンジ」が可能です。反省し、もうしないように気をつけていれば救われます。失敗したらまた反省し、そこからやりなおせばいいのです。
今は反省して自然保護団体への寄付などをしているとの事。とても良いと思います。
これから夏になると、各お寺さんで「おせがき」や「お盆」などの法要が行われます。そのような無数の命に対する供養の法要です。是非積極的に参加しましょう。
あと、「懺悔文」という、過去の悪業を反省し、清浄心になるお唱えがあるので、貼っておきます。
http://hasunoha.jp/questions/4966
過去に興味深い問答があったのでこれも貼っておきます。
http://hasunoha.jp/questions/1648
殺しながらでしか、生きられないのが私達です。この先も。
mots様
釋 慧心と申します。
お悩み、拝見させて頂きました。
ご自身の殺生について、随分お心を痛めておいでですね。
我々は、自ら行う殺生以外にも沢山の殺生をし続けているのが実際のところです。
肉食や、目に見える虫を殺すだけが殺生では御座いません。
医療品や、革製品、着衣や家具に至るまで、多くのいのちの上にしか我々の営みは成り立ちません。
呼吸をしていても、小さなバクテリアや微生物を殺しているでしょう。
それが、人間です。
罪深いものですね。
虫さんにも我々同様に家族がいたことでしょう。
しかし、虫もこの世界を離れては存在出来ません。
なるべく殺生をしない心掛けはもちろん大事でしょうが、
それに留まらず、それ無しでは生きていけない存在であるということに、私の眼を開かせて頂くことが大切なことです。
ごめん!ありがとう!本当にありがとう!
というて恥ながら生きて行くしかありません。
我々は元々が罪深いものだと、気づかせて頂けます。
阿弥陀仏は、何よりもその罪深い、どこまで行っても精進を徹せないこの私一人を救いの対象と願いをおこし、
修行を修められ、必ず救うの誓いを建て、阿弥陀仏となられました。
そして、南無阿弥陀仏のお名前に仕上がって頂いておいでです。
この名を呼ぶもの、必ず私の国に生まれさすと誓われ、これが叶わぬなら、私は仏には成らぬと重ねて誓われました。
既に、仏さまにお成りでいらっしゃいます。
罪を捨てよ、強くあれ、煩悩を鎮めなさい、そして、ここまで来なさい、
そんな風には仰らないのが阿弥陀仏です。
お前が煩悩が捨てられないのはよく知っておるよ。
弱いのももう随所前から分かっておるよ。
だからこそ、代わって私が修行を修めたのです。
善行も功徳も1~100まで、こちらで全部準備しておるよ。
南無阿弥陀仏の響きとなって、その口まで私が行くからな。
安心してくれよ。
罪を持ったままの私、弱いままの私、煩悩に悩まされたままの私、そのままの私が阿弥陀様のお目当てで御座います。
阿弥陀の働きに心底気づき、罪深い私の姿を教えて頂いたときに、自ずと出てしまいます。
それが、南無阿弥陀仏
私を、必ず、必ず救うのお誓いです。
必ずとは、99のあとに9が幾つ並んでも、必ずにはなりません。
素直に、はい、と手を合わせましょう。
念仏すれば地獄に落ちない
南無阿弥陀仏と念仏をとなえ、極楽浄土に生まれたいと願うなら、阿弥陀仏の力によって、どんな悪人でも死後に極楽浄土に生まれる(往生する)ことができると伝えられています。
極楽浄土には地獄・餓鬼・畜生の三悪道が存在しないので、極楽に往生できれば地獄に落ちません。
善人は善人ながら、悪人は悪人ながら、生まれつきのままに、ただ「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と称(とな)えるだけでよいのです。
殺生はしないほうがよいですが、殺生をした悪い人でも、念仏すれば阿弥陀仏の力で往生できます。
阿弥陀仏は、善人を見たら喜び、悪人を見たら嘆きますが、嘆きながらも悪人を見捨てないのです。
質問者からのお礼
皆様のアドバイスのおかげで、少し心が楽になった気がします。
教えて頂いたように、色々自分にできることを実践して行こうと思います。
たいへんありがとうございました。