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生きるとは

回答数回答 3
有り難し有り難し 25

夢と希望がなくなり
生きる望みがなくなった時
人は死を選ぶべきでしょうか

生きるとはなんですか

人生の修行ですか
だとしたらなのん為の修行ですか

2015年1月19日 22:13

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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

最小のなにかを務める

夢も希望も叶ったらまたそこでも終わりです。
夢や希望はかなわないから尊い。小生はそう思います。

生きること。

答えは誰かに与えられるものではないと存じます。
苦しんで苦しんで、時に喜んで、時に楽しんで、時に憂いて、
ふっとした瞬間に垣間見えるものであると思います。

小生は、尊敬する師の「人生とは物語のページをめくること」という
言葉を抱きながら生きています。
死もまた、そのページをめくることなのです。

いま、なにか目標となるものを見失ったのだとしたら、
いま、自分に出来る最小のことを、懸命に務めることです。
掃除、洗濯、散歩、それもできないなら、
笑ったり、泣いたり、変な顔してみたり、
こうして考えたり、それを懸命にするのです。
「懸命に務めるものは、不死の者である。」
つまり「いま、あなたは生きているのだ」と、おしゃかさまは
わたしたちひとりひとりに指さし伝えておられます。
どうか、あなた様が安らかに、さいわいとならんことを
わたしも出来る祈りのなかで務めます。
さちあれさちあれ。合掌

2015年1月19日 23:34
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有り難し
おきもち

安楽、安穏になるのが修行。苦しみは修行ではない。

何かの為に生きる と いう事をやめてみませんか。
人間知らず知らずのうちに考えに考えを塗り重ねて本来の自分を見失っているものです。
「なぜ」「なんのために」「なにの価値があろうか」
そういう考えの上に考えというファブ〇ーズを塗り固めても、考えの上塗りです。
哲学者や文学者で自ら命を絶ってしまった人たちはみな知の限界に行きついて、死を選択してしまうのです。
仏道とは、一言で他の角度から申し上げれば、
・考えから離れる事
・自分のものの見方から、仏の見方になる事
・考える以前、思考以前
・考えペダルではなく、事実のペダルをこぐこと
なのです。(一言じゃねーじゃん(-_-;))
あなたはおそらく望ましくないことが連発、頻発してしまったのかもしれません。
その事に心を留めて、悪しき考えを上塗りしているのではないでしょうか。
もし、それをして楽になれるようであれば、誰もがそれを選択します。
それでは救われない、とハッキリした方がお釈迦様や祖師方です。
知の洞穴から抜け出し、知の暴風雨の届かぬ所に処し、知に知を上塗り、重ね塗るそのハケを手放すことが修行なのです。
あなたの思う修行は、修行ではありません。苦行です。
修行とは、こころが楽になる、心の在り方を実践することです。
心で以って、心をみて、心をより良くするこころを培いましょう。
心で以って思いの正体を見破り、思いから自由になりましょう。
愛知でしたら、静岡の掛川、少林寺様の参禅会がおススメです。

2015年1月31日 9:01
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有り難し
おきもち

丹下覚元(たんげかくげん)
☎お悩み相談 📞08020659278 法話禅会 毎週日曜3時より...

仏法を聞きませんか?

仏教は仏になる教えです。
仏になることが最終目的であり、仏教にそれ以上の目的はありません。
言うなれば、「夢=仏になること」であり、「希望=仏になることができる可能性がある」ということです。

>夢と希望がなくなり
>生きる望みがなくなった時
>人は死を選ぶべきでしょうか

仏になることが決まればいつ死んでもいいです。
仏教はキリスト教と違い自殺を悪いことだと言いませんので、自由に死を選んだらいいのです。
ただ死んだその先が地獄であるならば、それはただの死に損です。
来世で仏になれることが確定したなら、いつ死んでも安心です。
逆に好きなだけ生きていたらいいとも言えます。

>生きるとはなんですか

「生きる」とは、仏に向かって歩むこと。
浄土真宗では「生かされている」とよく言います。
それは仏様の方から私に向かって来てくれたことを喜んでいるからです。
「私が生きる」ではなく「私が生かされている」と言うのが、私の人生です。

「生きる意味がわからない」というのは、ある意味当然です。
仏法を聞かないと自分のいのちの有り様はわかりません。
私のいのちには、過去世があって今があって来世があるんだと知らないと、今の人生が何かなんてわかりません。
朝NHKの連ドラの一話だけみて、「このドラマの意味がわからない」と言っているのと同じです。

中国の故事に「蟪蛄(ケイコ)春秋を知らず 」という言葉があります。
中国の高僧のお書物にも引用されている有名な言葉です。
蟪蛄とはセミのことで、セミは春も秋も知らないという意味です。
夏に生まれ夏に死ぬセミは、春も秋も知らず、生まれた時が夏であることも知らないのです。

私たち人間もこのセミと同じで何も知らないのです。
だから知っている仏様に教えてもらわないと、人生の意味が分かるはずがないのです。

カノンさん、是非仏法を聞いてみてください。
仏様はとても大きな支えになってくださいます。

2015年1月19日 23:25
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有り難し
おきもち

始めまして、釈心誓と申します。 浄土真宗本願寺派の僧侶です。 若輩浅学...

「生きること・生きるとは」問答一覧

働く、生きる姿勢について教えてください

先日、自他に厳しすぎると言われることについて相談させていただいた者です。 あれから、自分の振る舞いに気をつけようと意識しています。(冬休みで実践の機会がまだありませんが) その内容と少し関わることについて、ご相談させてください。 私はかつて、仕事を時給で計算し、給料分の仕事しかしないと、手を抜いて働いていた時期がありました。 そういう働き方が嫌になり、今の仕事をメインにしてから、小さくても自分に回ってきた仕事は断らず、丁寧にやるようにしてきました。 その頃に仏教の教えに出会って、今はこれを人生の指針にしていこうと思っています。 中には、名前が大きく出ない仕事は手を抜いたり他人に押し付けたりして、華やかに名を売り、出世している人もいます。 でも私の幸せはそういうことにはないんだと、たとえ出世しても中身が伴わなければ自分は納得できないんだと思って、気にしないようにしてきました。 幸い私の仕事ぶりが少しずつ評価していただけるようになり、同業者で最も活躍し、ずっと敬愛してきた方と、親しくお付き合いさせていただくようになりました。 その方からも、仕事ぶりが誠実で丁寧だと、とても褒めていただけています。 でも同時に、もっと手を抜いて良い、仕事を断らない人には仕事を回しづらいとも言われ、よく知るうちにその方もずるい面があると分かり、私のためを思って忠告してくれているのかも知れないのですが、どうすべきかわからなくなりました。 今でも多くの面で尊敬していますし、その方に評価していただけるのが嬉しくて、今日まで頑張ってきました。 でも、これは自燈明ということに反するのでは、とも思うようになりました。 今でも、上手に立ち回って良いポジションを手に入れている人を見ると、不器用で、世間では負け組と言われる境遇の自分と比べてしまい、心が揺らぐことがあります。 その度に禅の言葉を読んで気持ちを沈めています。 私がただ迷っているだけでしょうか。 もしそうなら、喝を入れていただきたいです。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 23
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色々考えてしまいます…

 約2年前に海外から帰国しました。ただ、その帰国は自分の望んだ物ではありませんでした。学生でしたが、パートで保育の仕事をしていました。卒業後も、卒業ビザと言う物でフルタイムで働きました。6年間そこで働き生き甲斐も感じていました。園長先生からも「ずっと働いて欲しい。」と言われました。しかし、卒業ビザが切れたのち、ビザの更新をしようとしましたが、その職種では就労ビザが出ないと言う事で、泣く泣く帰国しました。帰国後も「戻れるならもう一度行きたい。」と何度思った事でしょう。  1ヶ月前、気になったヨガのコースが以前いた都市で来年から始まると言う事を見つけ、その時は凄く嬉しく思いました。ただ、その後嬉しさが落ち着いた頃、色々な考えや質問が次々と浮かびました。 人生とは? 人生の目的とは? どうやったら、人生が楽しく、ハッピーになるの? 何を本当にしたいの? 私のいるべき所どこ? 等など、次々と出てきます。  帰国後、家族と過ごし2年が経ち、どこかで気持ちが落ち着いてしまったかもしれません。 また行くと2年は会えなくなって、一緒に出掛ける事も出来なくなり、次回帰国した時にそれが出来るのか、両親の年齢を考えると、出来る間にした方がいいのかと考えたり、祖母ももうすぐ100歳、後何回会えるのかと考えたり…その一方で、今行かなければ、自分のやりたい事がどんどん遅れてしまいます。 行く事で、ポジティブな事もあります。向こうでやっていた事がまたやれたり、やりたいと思っている事ができます。  ただ、コースに2年参加する事が真の目的かと言うと、何か違う気もします。今までやってきた事を取り戻したり、新しくやりたい事の為に参加するのかもと言う事が気持ちのどこかにある気がします。  今までの海外での生活が充実していて、その反動がきています。 今はロボットの様に、仕事と家の行き来し、1日1日が過ぎて行く日々…  自分への質問が次々と湧く中、答えも出る事なく悶々としています。 答えを出すのは最終的には自分だと解っています。 しかし、そこに到達する前に、質問の沼にはまっています。 どの様にしたらこの沼から抜け出せるのでしょう…  何か良いお話が聞けたらと思い、長々と書き込みしてしまいました。 よろしくお願いします…

有り難し有り難し 5
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一度失敗したら人生終わりなのですか?

最近、テレビで謝罪会見を見かける度に、「一度失敗したら終わりなのか」と考えてしまいます。 例えば最近の芸能界では、スーパー銭湯のアイドルの謝罪会見、芸人の闇営業、所得隠し・申告漏れなどでしょうか。 たった一度の過ちで引退や活動停止に追い込まれるのを見ると、人生は一度でも失敗したら終わりなのかなぁ、と思ってしまいます。 ついには、教師の激辛カレーいじめですら、なぜか加害者に対して「これで人生終わってしまったらかわいそう」とさえ思ってしまう自分がいます。 先の質問にもありますが、自分自身も、たった一度の失敗で信頼を失ったり、降格させられたり、ドン底に落とされした経験が何度もあります。 一度内定が出た企業を辞退したあと、やっぱり就職したいと、何度懇願しても叶わなかった経験もあります。 その度に、「もう少し寛大な心を持ってくれても良いじゃないか」と思ってしまいます。 しかし、現実は残酷で、一度失敗したら終わりなんでしょう。それが現実なのでしょう。 もちろん、被害者の気持ちやトラウマもありますし…。 そんな「一度失敗したら終わり」と世の中で、失敗しないようにするには、どうすれば良いのでしょう? アドバイスがあれば、お願いいたします。

有り難し有り難し 6
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自分は何者か

私は大学生です。 生きる事がしんどく、生きる意味がわかりません。また、自分が何者か、何なのか、全くわかりません。どうして生命として存在しているのでしょうか。その自分自身に当てはまる意義はなんなのでしょうか。 どのように生きたいか、考えても考えても分かりません。 しかし、どう生きたいか、これには答えが出ました。 残りの人生、毎日が楽しく、悩みこむ事もなく、今生きている事に満足でき、幸せを感じれる人生がいいです。 まるでユートピアです。 誰に相談しても、精神科に行っても、なんの答えも見つかりません。しかし、お坊さんの言葉には何か不思議な力を感じ、質問させて頂きました。 今の自分には悩み事しかなく、どんな答えを聞いても自分自身を変えることに諦めている自分がいます。 以下、僕の悩みを挙げさせて頂きます。 深く考えすぎてしまうところがあり、常に悩み事が絶えません。自分から積極的に悩み事を拾ってきて悩むことに安心しきっている自分がいます。けれども、もうしんどいです。 私は自分に自信がありません。自分が何者かわからなくて、信じるものが無いのです。 幼少期より楽器をしており、今現在も大学で学んでいて留学を考えています。楽器のことになると不思議と自信があるのを感じます。自信を信じている訳ではないのですが、他の人とは違う、自分にしか持っていない唯一のセンスを無意識の中で感じています。それは、幼少期から様々な人に才能があると言われてきたからかもしれません。 しかし、楽器を離れ一人の人間として振る舞う時には自分が何者かわかりません。楽器抜きの自分は、まるでぽっかりと穴が空いた中身が抜けている人間に思えます。 最近、どうして楽器をしているのかわかりません。冷めた気持ちがあります。これまで1日10時間していた練習も半分以下になりました。意欲がありません。いい演奏をしようとする気持ちが湧きません。自分の為ではなく、他人のために楽器をやっていると感じます。才能を捨てるのはもったいない、君の演奏が好きなど言われてきました。自分を犠牲にしてまでそれに応える必要はあるのかと考えるようになりました。 また、初めて彼女ができ、付き合って半年ですが彼女に対しても不満、悩みが絶えません。相性が良くないと感じながらもどこか好きな自分がいます。今の自分がどうしたいのかわかりません。

有り難し有り難し 5
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『僕』質問ではありません。

40代半ば。19才頃から友人0人できちゃった。恋愛経験0回もある。転職歴約70ほど…。こんな人生あるんだなぁ。面白いもんだなぁ、人生は。変人でも、苦しくても、ただただ周りの人のお陰と、運と勘と感覚で40数年、生きちゃった。 『人生』ってなんだろう?とは 考えない。どんな人生であろうと、 『人が』『生きれば』、それが人生だから。ただそれだけ。 人生の節目的な、イベント的な 『人並みの幸せ』 青春…とか、結婚…とか、子供…とか、経済的に…とか、……とか、とか。 オレにはないな!と思って生きよう。 『人並み』って…なんだか、あやしいなぁ。 産まれて1秒で亡くなった『幸せだったかもしれない』命。 産まれて1秒で亡くなった『不幸だったかもしれない』命。 産まれて90年で亡くなった『幸せだったかもしれない』命。 産まれて90年で亡くなった『不幸だったかもしれない』命。 10代~20代、しんどさの種類は、ここには書かないけど、しんどかった。 あっ、今もしんどいんだっけ!。 当時、ノートに色々書きなぐっていた。 想い浮かんだ事を書いていた。 ふっと、浮かんだ言葉があった 『許す』『認める』『受け入れる』 この言葉を、 自分自身の全てを『許し認め受け入れる』ために使っていた。 ダメな自分、苦しい自分、もがく自分、『許し認め受け入れる』なんてできねぇよって思ってる自分、諦めた自分、自暴自棄な自分……きりがない。全ての全ての 自分、心の動きと現状…全ての自分を受け入れる為に。 今は、『許す』『認める』『受け入れる』だけではなくなった。 『噛み砕いて飲み込む』 『吐き出すか留めるかはオレ次第』 この2つが加えられた。 こんな僕でも、小さな小さな小さな 幸せ、喜びは確かにあって。 長々書いてしまいました。

有り難し有り難し 12
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