生きる意味
私は今まで苦しいことがあったら必ずいいことが
あると思って生きてきました。でも、最近は嫌なこと
ばっかりだし、友達関係では自分はここにいて意味が
あるのだろうかと思うようにもなりました。
必要とされない人間の生きる意味とはなんなんで
しょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
辛い気持ちを聴かせてくれてありがとうございます。
こんにちは。
今いる場所と時間という条件の中での生きる意味について悩まれている様子。
お察しします。
私も悩んだし、多くの人が通る疑問だと思います。
世間には名言、感動フレーズあふれていると思うので、あまり多くは語れませんが、
いきる意味についての答えは学校の授業で覚える公式や単語のように、覚えて使って価値が見出される類のものではないです。
今いる環境の中で憧れを持てる何かや、やさしい誰かの存在により、そんなこと考えずに済むならいいのですが、、、。
そうでない場合は生きる意味よりも辛さのもとになっている原因を、まなさんだけで抱えていらっしゃることの方が私は気になります。
人生山あり谷ありの連続かもしれませんが、苦しいことの先にある「いいこと」とは、苦しいことを乗り越える経験を手に入れる。私にとってはその程度です。
いいことあって当たり前のレベルをどこに設定するかで、報われたい気持ちの大きさも変わってきます。
余談ですが、今日は42回目の誕生日です。
そんなに他人に必要ともされず、確固たる生きる意味も持たないまま生き長らえてくると、当たり前と思っていた今までの人生が、多くの偶然の積み重ねで生き延びてきたいのちだったんだなと思うのが最近の気持ちです。
環境を変えること、歳を重ねることで生きる意味が見つかるかもしれません。
生きる意味がなくても、死んでないことに意味がある場合もあります。
まな様の、おかれている状況が十分わからない状況での回答ゆえ、ピントがずれていたら申し訳ないのですが、hasunohaに書いてくれてありがとうございました。
因果の流れ
まな様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
「生きる意味」の「意味」は、その必要性や理由のこととなりますが、生きていくためには、そのための原因や条件が欠かせないものとなります。その原因や条件のことを「因縁」と申しますが、私たちのこの世界は、全て、因縁果、因果の理において成り立っています。
そのため、因果の理を無視して成り立っているものは実は何もない世界とも言えます。
例えば、まな様も突然に何もないところからポンといきなり現れたわけではないでしょう。生まれたのも、今、そのように生きていられるのにも様々な無数の因縁が関わっている次第であります。
そして、この度は、hasunohaに辿り着かれて、「生きる意味」とは何かを問われました。それもいきなり何も無いところから現れた問いではないでしょう。迷い苦しみや悲嘆、虚無感、絶望感から、「生きる意味など無いのではないだろうか」というややネガティブな気持ちとなられて、その気持ちから発せられた疑問ではないかと察します。そして、その疑問の発せれる場としてhasunohaをご選択頂いた次第でございます。
このように少しのことだけを考えても全て因果の法により成り立っています。そして、そのネガティブな気持ちとなられている結果にも当然にその因縁があります。ネガティブな気持ちの前には、苦しいこと、嫌なこと、期待が裏切られたこと、必要とされていないこと・・などやはりそのような気持ちとなる因縁があるのであります。
大雑把に言いますと、この因果の流れをより善くすることにより、より善い結果へと導いていこうとする考え方が仏教・仏道にはございます。
まな様も因縁の流れをより善いものへと変えてやれれば、もっと前向きに、明るく、元気になれることだって可能になるはずです。その変えていくためのヒントが仏教にはたくさんございます。是非、この機会から更に仏教に興味をもって学んで頂ければ幸いに存じます。
また、これまでにも「生きる意味」に関しましては、下記の各問いにて扱わせて頂いておりますので、ご参照下さいませ。
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/cat_318924.html
善処を祈念申し上げます。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
ありがとうございます。