人の優しさが恐いです
先日 こちらに初めて投稿させていただき 有難いお言葉を沢山いただきました。
お言葉を読んでいると 涙が止まりませんでした。
ただ 優しいお言葉の裏というのか 信じたいのですが そのまま素直に受け止める事が出来なくて 申し訳ない気持ちでいっぱいです。
人の言葉には裏があって 優しい言葉に惑わされると 傷ついてしまう 善からぬ罠では無いか いつの日からなのかそんな風に思うようになってしまっていました。
どう思えば また 素直に受け止める事が出来るのでしょう?
それとも 信頼してしまうのはバカなのでしょうか?
他の人は 人からの優しい言葉は素直に受け止めておられるのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
決めるのも、進むのも、そして信じるのも、貴方の心。
拝見しました。
ここで接点が生まれる方々との間には、キーボードなどで入力された文字しかありません。いただいた問いに対して、詳細な状況をお示しになる方もいれば、簡単な文面もあります。
そこから、一体どれだけのことが私たちに理解出来るのか。行間を読みながら、質問者さまの気持ちに踏み止まれるか。相談室などで、面と向かってお話を聴く訳でもありません。イマジネーションの中で、肉付けしていく作業です。(私自身の場合です)
また、質問も日々途切れることなく、あらゆる内容のご質問が届けられます。そんな種々雑多な質問に対して、私が全て理解出来ているかと問われれば、それは否です。
「何とかならないものだろうか…」
そんなことに考えを巡らせながら、質問者さまを理解しようと努めています。仏道を通して得た教えや知識をもとに発信し、そしてそのお心に寄り添うだけです。
決めるのも、進むのも、そして信じるのも、貴方の心。
恐らく、このような形態の相談サイトが成り立つのは、仏教だからだと思います。
仏道はトップダウンの啓示に従うのではなく、苦しみや悲しみを受け容れ、寄り添う宗教だからです
ところで、ことばに「葉」の文字がつくのは、万葉集にも代表されるように、和歌との関連性があるようです。
そして葉っぱには、木々を彩る「豊かさ」があります。
このサイトを豊かに彩る、様々な回答僧さまからの方便(手段)を通して、貴方が一条の光を見つけて下さればそれで良いのです。
確かに注意は必要。でも警戒しすぎる事もない
なんかわかるなぁ。その気持ち。
トルコの諺に、「人はあなたの為でなく 自分の利益のために忠告する」という言葉があります。
忠告、アドバイスと言いながら、自分の利益に持っていこうとする人が世の中にはいる。だから気を付けなくてはならない、って事です。
あなたも、「優しい言葉の裏に何かあるのでは?」なんて思ってしまうってことは、過去にそのような経験がったのかもしれませんね。確かに優しい言葉はある程度は気を付けた方がいい。でもあまり警戒しすぎる必要もないと思います。
少なくとも、ここhasunohaには、あなたを傷つけようとか、自分の利益にしよう、なんて人はいませんよ。なにしろ回答者はみんなお坊さん。そして、私たちは何の金銭的報酬をうけていませんから。
あとね、これは私自身の事なんだけど、後から自分の回答を読んで「これはきれいごとだよなぁ」って思う事もあります。でもね、苦しい思いをしている人たちの心を少しでも軽く、前向きになってもらうためには多少のきれいごとも必要じゃないのかなぁ、って思って答えてます。
あなたが疑った見方をする心を持ってしまうのは仕方がない。でも、私たちはボランティアであなたに真剣に向き合っている。これは信じてほしいです。
追記
「人はあなたの為でなく 自分の利益のために忠告する」は、私の寺の平成24年3月の門前掲示にて紹介しました。
ここに貼っておきます。もう少し詳しく書いてます。
http://holyji.com/monzen/H24.htm
私も怖いです。
こんばんは。
質問文拝見しました。
私も言葉に振り回される怖さを知っています。
信じて裏切られる悲しさも、辛いってこと知ってます。
本当はずっと優しい言葉に包まれていたいから、言葉の効果を永遠に求めてしまって傷つく。
自分の場合はそうでした。
自分にとって都合のいい言葉の効果は持続すると安易に思い込まない。
時の力を借りて、まだ自分に働き続けると実感してからでも言葉を信じるのは遅くない。
それが私なりに身についた知恵でした。
ご参考になれば。