お金を稼いでまで生きる意味はあるのでしょうか?
こんにちは。
1週間程前から新しい仕事を始めたのですが、私の仕事の覚えが悪く、シフトを急遽変更したり、職場の人には迷惑だと煙たがられています。
3ヶ月の短期の仕事なので、割り切ってやろう、とも思うのですが、やはり周りの人に悪く言われていると思うと居心地が悪いです。
生きる為に仕事をしますよね?
ご飯を食べる為、住む所を確保する為など。
私は以前、何度か自殺未遂をしています。
辛くなると死んでしまいたくなります。
でも何を試しても、人の命というのはそう簡単には消えませんでした。自分の力で死ぬことは不可能だと私は思っているので、もう自殺未遂はしません。
生きたくもないのに、死にたくなる仕事をして、その仕事で稼いだお金でご飯を食べて、また死にたくなる仕事へ行く。
こんな毎日に意味はあるのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
お金のためではなく、自分のために。
こんにちは。
とかく浮世は住みにくしですね。
合わない環境で生活するのはしんどいものです。
自分よりも他人を優先してしまう人は良い人ではありますが、職場などでは損をすることも多いのではないでしょうか。
生活のため、お金のためという気持ちで働いていると(働いていても、かな)自覚するしないに関わらず魂を削るような生き方になってしまいがちです。
恐らく多くの人がそうした生き方を余儀なくされていると思います。
しかし皆が皆心身ともにタフじゃありません。
私も娑婆での生活はあまり合うとは言い難く、気付けば人生折り返し地点に差し掛かりふと「このままの生き方でいいのかなぁ?」と思うようになりました。
そんな折ふと立ち寄った田舎の不便な山奥の人々が実に生き生きとしていらっしゃるんですね。
まさに「生きる」ということをありのままに、自然体に、それでいて全力で。
おいしい水と空気、自分たちが食べていけるだけの作物が作れる少しの土地。
ホントに原点を見せられた気がしました。
人間も少ないので自然と助け合える環境なんですよね。
みつき様は田舎はお嫌いですか?
娑婆での生活に疲れたら早々に贅沢な隠居生活も良いかもしれませんよ。
「地域おこし協力隊」制度などは各自治体がバックアップしていて、多少の不便が気にならない人には住居もお仕事も検討できるなかなか良い制度です。
死ぬくらいなら自然と人から求められ、なおかつ自分のペースで生きていくことができる場所を探してみてはいかがでしょう?
ご興味があれば検索してみて下さい。
たいした意味はないが、人はそれに納得でいない
仏教では、執着をなくしたら輪廻転生のくりかえしから卒業できると考えます。
私達生き物は、生まれながらに、苦しくて辛い生に執着しています。
生きていたいというエネルギーに支配されています。
自殺する人も、ほとんどは、実は執着があるのです。
辛い人生だから自殺したいが、もっと良い人生だったらいくらでも生きていたかったのに、というのが本心なのです。
一方、仏教の悟りは、心の底から生への執着を消すことでもあります。
「こんな人生嫌だ、死にたい!」という怒りは伴わずに、「生きていたい」が自然消滅する感じでしょうか。
しかし、それが簡単ではないのです。
生への執着があるから、私達は生き続けるために右往左往し、死んでもすぐに別の生き物に転生して、また生きてしまうのです。
執着に値しないのだと心底納得できたら成仏できるのですが、それが難しいのです。
転職。
思い通りになる人生に意味があり、
思い通りにならない人生には意味がない。
一理あると思います。
お金の稼ぎ方、使い方で人生を過ごす環境はつくられてきます。
人生の意味を考えなきゃいけないくらい深刻な辛さならば、転職も1つですよ。