私は人は死んだら無になると思っています。しかし無になるということを考えるだけで怖いです。私たちに生まれる前の記憶がないように、その頃の状態になるのかな?などと考えてしまいます。 私がまだ幼稚園か小学生低学年だった頃、NHKのニュースを見ていて「北朝鮮と日本がいつか戦争になるかも。そしたら自分も家族も死んでしまうかも。」などと幼いながらに考えてしまい、死が怖くなって、夜な夜な布団の中で泣いてしまい怖くて朝まで眠れなくなってしまったことがありました。それから月日が経ち、死を考えすぎてしまうことは無くなりました。 しかし最近夜になると死を考えて泣いてしまい眠れなくなってしまうことが再び増えてきました。1度考え出すと怖くて3時間は泣いてしまい気づくと眠れないまま朝を迎えています。 輪廻転生という考え方が好きで、その言葉を支えにしたいのですが、輪廻転生も所詮は生きている人が考えた言葉にすぎない。死んだら思考回路すら無くなるんだから、輪廻転生して再び自我が目覚めたとしても、それは新しい自分であって、昔の自分は消えてなくなる。結局人は無になるんだ。という結論にたどり着いてしまいます。 私の父は69歳、母は63歳、祖母は91歳。比較的高齢の家族ですが凄く元気です。ですがふと、この家族で過ごせる幸せな時間は永遠ではないんだと考え「あと何年?」と考え辛くなります。 最近は高齢な家族故に両親と過ごせる時間より、両親がいなくなった後の時間の方が長いのかもと考えて泣いてしまいます。私は両親のことが大好きなので、2人がいつかいなくなってしまう。「無」になってしまう。そんな日がくるのがとても怖いです。 そして今見ている景色、大切にしている物、現世で学んだ知識、死ぬ時は全て手放さなくてはならない、私も死んだら無になる、家族と家族だったことも無くなる、もうこの家族には会えない…どこまでもそのように突き詰めていってしまいます。 よく「(死を考えるくらいなら)今を楽しく生きよう」という言葉を聞きますが、そのような考え方に自分が対応できず、ただ死が怖いです。 本当に最近このような考え方に陥って泣いて眠れなくなることが多くて困っています。 何か少しでも心が軽くなるお言葉、そして仏教では「死」に対してどのような考え方を持っているのか、お話を聞かせていただきたいです。 よろしくお願いします。
長文で失礼いたします。はじめまして。 去年の8月頃から、死ぬということに対して過敏に恐怖を感じるようになりました。 ふと、母親がいなくなったら恐ろしいと感じ、そこから、いつか誰もが死を迎えるということに気がつき、自分もいつかそうなるのだと強く感じて、「死んだら自分はどうなってしまうの?」といった恐怖で常にいっぱいになるような状態になっていました。 怖がるだけではどうしようもないと感じ、友人や母に打ち明けて相談に乗ってもらい、一時的に恐怖から離れられることもありましたが、安心できる状態がしばらく続いた後、ふっと思い出し、どうにもならないという思考になってまた怖くなるような状態の繰り返しになってしまいました。 忙しくすれば忘れられるという親の意見を元にアルバイトを始めてみたりもしましたが、バイト中に恐怖心が押し寄せてくることもあります。 不安のあまり、SNSで同じような悩みを持つ人たちの投稿を見た時に、そこで「産まれなければよかった」など不安を掻き立てるような言葉ばかりの人を見てしまい、恐怖が押し寄せてくるような事もありました。 産まれることは自分の意思で選べないことであり、この世へ産まれた以上は死を迎えるまでは懸命に、楽しく生きたいと思っています。就職も迫っているので尚更この考え方が大事だと思います。それなのに、まだ死が恐ろしいと感じてしまう自分がいることが不甲斐ないです。 こんな状態が続いて苦しいです。私はどうすればいいのでしょうか?
大杉漣さんが急死されました。ご冥福をお祈りします。 突然のことで、ご家族の方や友人の方々はとても驚いておられることと思います。 こういうニュースを聞きますと、私は本当に怖くなります。心臓病の持病がありますので、自分にも起こりうることだと怯えてしまいます。 突然残していかなくてはならない家族の事を思うと、辛くて悲しいです。 今生きているうちに、私は何をしておけばよいでしょうか。
死が怖いです。大切な人や自分がこの世からいなくなる、どうなるか分からないことへの不安と恐怖で毎日ぐるぐる考えては1日を無為に過ごしてしまいます。 こんなに怖いなら生まれなきゃよかったと思うし、自我が芽生える前にしんでればよかったと考えてしまいます。 二十数年間生きてきて、大切なものも増えてしまいました。それらを失うことも怖いです。 朝目が覚めるだろうか、この車は私の元に突っ込んでこないだろうか、大きな事件や災害が数秒後に起きるかもしれない、目を離したとき愛犬が倒れたらなど不安が多くて、家から出られません。 事件事故のニュースを見ることも出来ませんが、何も知らずに生きることも怖いのでネットニュースを読むことはできるように頑張っています。 街中で妊婦さんやお子さんをお見かけすると、この人たちはとても幸せそうに見えるけど次の瞬間には…と恐ろしい事態を想像してしまい、素直に祝福できなくて自己嫌悪します。 50を過ぎた母が、「私はもう死んでもいい」「あと5年で逝くからあんたそろそろ自立しなさい」などと口にすることも私の不安を駆り立てます。(母は現時点で健康体です) 不安や恐怖を解消するまでにいかなくても、上手に向き合う?付き合っていく?方法はないのでしょうか
こんにちは。 お忙しいところ私の悩みをお読み下さること、心から感謝申し上げます。 私は8月に子供を産みました。 男の子です。 子供が4ヶ月になった頃、突然パニック発作のようなものに襲われました。 死ぬのではないかと恐怖でいっぱいになりました。 病院では血液検査をしましたが異常なしでした。 西洋医学的に異常は見当たらないと言われましたがそれをにわか信じきれずにいた数日後に今度は首から背中にかけて激痛が走りました。 たまらなく怖くなり病院へ受診、甲状腺の検査をしましたが異常なしでした。 西洋医学的に異常が無いということだったので、今は鍼灸治療を受けています。 受け始めて1ヶ月後、体調が徐々に良くなってきました。 ですがその頃に夫側の叔父さんが膵臓癌でお亡くなりになりました。 息子を産む前に余命宣告をされている話を聞き、産んだ後2ヶ月半くらいでお見舞いにも行ってその方とお話もしていました。 お話しできていた人が半年で亡くなってしまうことに恐怖を覚えました。 お亡くなりになった後、その方の闘病中の話とかを聞かされて更に恐怖で怯えました。 もし私も何か大病だったらどうしようと恐怖でいっぱいになり、また体調不良がぶり返しました。 今自分の体の痛みや体調不良が=大病なんじゃないかと思って不安で仕方ないです。 この恐怖にどう打ち勝てばいいかわかりません。 どうしたらいいでしょうか。
馬鹿げた質問だと思われるかもしれません。 愛猫の顔を見る度に「あぁ...この子は近い将来、私の前から消えてしまうのだ」と思うと、とてもこわいのです。 いつ最後の日が来ても後悔しないよう、毎日愛猫には感謝を「ありがとう」の言葉と頭を撫でるという行為で伝えています。 他に、愛猫が近い将来死んでしまうという絶対的な事実に対する恐怖心を和らげる有効な方法はあるでしょうか? ほぼ毎日この恐怖に襲われ、困っています。 知恵を貸していただけると助かります。 よろしくお願いします。
こんにちは、おはようございます いつも死に、ついて考えています。質問者の中に、自死されて深刻な質問もある中、こんな質問もなんだと思いますが、自分が死ぬことは、肯定は出来るのですが、死ぬことに、恐怖があります。人間は、何時か亡くなるときが来ます。恐怖を感じないようにするには、どうしたらいいと思われるでしょうか?
とても死は友人とは思えません。死が美しいとは思えません 死が怖いんです。人が死ぬことに意味はあるのですか?死に意味はあるのですか?
いずれ寿命、病気、事故で死ぬ時がきますが死後の世界は現世の人の想像でしかないので死ねばおわりとしか思えません。死ねばうまれる前と同じでこの世に存在せず無になるだけという人もいました。 何度か火葬場でたちあいしたことありますが遺骨みると本当にさっきまで肉体あった人だったのにと思え何ともいえない気持ちになりました。自分も死ねばいずれ骨になるとはわかっていても火葬は数千度の高温でやくし嫌だなと今も思います。 日本は国土面積狭いので火葬が一般的ですが土葬できる場所もあり探しましたが管理者の話では白骨化するまで土にうまってるから火葬ほど骨もきれいに残らず土の下は苦しいですよといわれ気分が暗くなりました。猫ぐらいの大きさの小動物を土葬した場合の経過画像が掲載されたサイトがありみましたが人間より小さいのできれいに土に帰っていました。人間はそうはいかないのだろうなと思いますが。家族は皆火葬でいいといってますが私だけ土葬希望した場合一人だけの墓になります。死ぬ時は皆一人といいますが死後墓に一人というのは普通ですか。欧米のように土葬が普通ならかぞくの墓ではなく個々の墓になるので当然ですが日本は家族の墓という考えが普通なので。 多分20年後気がわりして自分も火葬でいいとなれば家族と同じ墓ですがやっぱり土葬希望だと自分で場所探し墓地購入しなくてはならないので先の話とはいえ気が滅入ります。土葬より凍結があればそれがいいですがその制度自体今はないので。 なぜ皆、火葬でいいといいきれるんですか。死ねば感覚も神経も死んでるので熱いわけないんですが数千度で焼くというのが私には火あぶりの刑と同じ残酷なことにしか思えず子供の時からずっと嫌だなと思ってます。 子供の時初めて火葬場へいった時、寒気と恐怖を感じたのを今でも覚えてます。
祖父母を失うのが怖いのですが、心の整理の仕方を知りたいです。 離婚して父についていったが、揉め事で父が亡くなり、父の親である祖父母が私をずっと大切に育ててくれました。 5年ほど前から私は家を離れて婚約者と住んでるため、祖父母は実家で二人で暮らしてます。月1ペースで会いに行ってますが、そんな祖父母も85歳になり歳をとりました。若いときからとにかく苦労をしており、欲がまったく無く、本当に孫の私の為だけに生きてきた人です。しかし大人になった私に今まで話さなかった苦労話を全部教えてくれてとてもショックを受けました。若いときから兄弟など人の借金をかえすためにずっとタダ働きをしており、1日に貰える500円は息子の父にあげていたと。 こんなにも苦労しているのに全く甘えず、葬儀の準備やらは全て準備し、死んでも孫の私に迷惑かけないようにと徹底してます。最近は二人がひどい風邪をこじらせ会いに行きましたが、大丈夫だし気を使うから早く帰りなさいと...私はそれが辛いです。甘えかたを知らないんです。一番の親孝行は私が幸せになることだと分かってますが、あまりにも貰った愛情が大きすぎて、何も返せないまま祖父母が居なくなるのがとても怖いです。 そんなに長くないと覚悟はしています。長生きしても月1でしか会ってないならあとどれくらい共にできるのか、でも引っ越しは嫌だそうで、それを無理させるのも違うなと 感謝の気持ちなどは恥ずかしがらずに伝えるようになりましたが、それでも言葉がつまってとにかく敵わないのです、祖父母の愛が大きすぎて、本人たちは誰よりも誠実に生きてるのにお金も仕事も苦労して欲も知らず、そんな祖父母が私にも甘えることなく亡くなる事を想像するととても怖いです。人の死は残った者に強烈なものを植え付けるのを知ってます、愛が大きければ大きいほど。 こういうときはどうしたら良いのでしょうか?はっきりな答えはなくともアドバイスが欲しいです。
私は物心ついた頃から「死ぬのが怖い」とよく泣く子供でした。それは自分の死に対してではなく、家族の死に対してです。 せっかく家族で旅行をして楽しい気持ちになっているのに「でもいつかこんな事も出来なくなる…」など余計なことまで考えて気分を台無しにしてしまいます。楽しい事をただ楽しいと感じたいだけなのに、死への恐怖1つでいろんな事を台無しにされてる気がします。 私は今小さな喫茶店で働いており、喫茶店で働く事は好きなのですが、お客さんは本当にお年寄りばかりで、 お年寄りのする会話は基本『寿命』と『病気』の話で、昔から死への恐怖が人一倍な私には苦痛でしかない内容です。 さらにお客さんにはよく「若い人は良いわね、私なんかもう働く事すら出来ないわ」などと言う事をよく言われます、最初はそう言われても嫌な気分も何もしませんでしたが、最近はそんな言葉に怒りさえ覚えてしまいます。 今の私は若い事が嬉しくないんです。 早く歳をとって死んでしまいたいとさえ思ってしまいます。 大切な人が先にいなくなってしまうくらいなら長生きなんかしたくないです。 大切な人の死を見るくらいなら誰よりも先に死にたいです。 ですが自分がとても恵まれた環境にいて、幸せであるのに最終的に早死にを望んでいる弱くて自分を守る事しか考えてない自分もすごく嫌です。 申し訳なくて親には口が裂けても言えません。 少しでも命と向き合うにはどう考えていかなければならないのでしょうか。
ずっとじわじわ脅迫感に襲われてしまい息が苦しいこのまま気が遠くなってどうにかなってしうどうしようもないパニック状態怖い苦しい 夢の中でも苦しい悪夢ばかりで起きているのも寝るのも怖い 親や自分が死んでしまったらどうしよう死んだらどうなってしまうのか怖くて生きているのも死ぬのも怖い死ぬことはかりいつもどうしても考えてしまって辛い 助けて下さい
はじめまして。最近こちらのサイトを知った者です。 現在の悩み(のようなもの)について相談させていただきます。 昨年の10月頃、退職する少し前あたりから、「生きることが苦しい、つらい。開放されるために死にたい」そう考える時間が増えました。ふとしたときにそういった考えが浮かび、ぼろぼろと涙がこぼれ、早く死にたいという気持ちが強くなります。 でもいざ死ぬために高所に行くと怖くて足がすくみます。変に生き延びて痛みを感じたり後遺症が残ったりするかもしれないことを考えて躊躇してしまうのです。 結局柵を乗り越えてその先に行くことができない。こんなだから死にたい死にたいと思いながらも死ねないし死なない。 これを繰り返しています。 この気持ちは臆病さや甘えから来ているものなのかもしれません。やってみれば案外なんとかなるものなのかもしれません。でもそんな勇気も気力も湧かない。とはいえずっとこのままでいられないのも分かっています。 ここまで育ててくれた親やお世話になった方々のためにも、そして何より自分自身のためにもどうにかして変わりたいです。 そのための第一歩として、まずは心の持ちようといった精神的な面でのアドバイスをいただけませんか?特に「死にたい」といったようなマイナス方面の感情を紛らわすことができる考え方など教えていただけますと幸いです。 よろしくお願いします。
初めて投稿させて頂きます タイトル通り、たまに無性に死ぬのが怖くなる時があります 以前、働いていた職場によくご住職がいらして居たので、人間は死んだ後どうなるのですか? と聞いたことがあります そのご住職は、「生きている間の行いによって、何に生まれ変わるかが決まる。良い行いをすればまた人間になるかもしれない。悪い行いをすれば一週間しか生きられない蝉になるかもしれない。」と、仰っていました。 でも、やはり無性に死が怖くなる時があります。 自分が死ぬときはどんな風に死ぬのだろう 苦しみながら死ぬのだろうか 死んだ後、体は火葬して骨だけになりますね でも、今のこの気持ちや感情はどうなるのだろう そんな、誰にも分からない事が怖くてたまらない時があります 自分が死ぬ時の事を考えると怖くて眠れなくなったりもします それは今が幸せだからなんだなって、常に思っています 二児の母でありながらこんな質問をしてお恥ずかしいのですが、まだ分からない死への恐怖の取り除き方や死んだ後の自分の気持ちはどうなるのか 明確ではなくていいので、知りたいです
僕は母、父が死んでしまったりするのが怖いんです。 世界まる見えであった人を人工的によみがえらせる方法、日本にも来るでしょうか… お母さん、お父さん、僕の死ぬ前にその技術を使って死にたくないです 僕はどうすればいいですか? 怖くてお腹がいたいです…( ;´・ω・`) 回答をお願いします 火葬した人のされる前とされた後の違いを見て怖くなったからです
こんにちは。 私は現在19歳で、大学に通っています。両親は私が12歳のときに離婚したので、それからずっと母親と2人で住んでいます。 小さいころからこういう考えを持っていますが、先週くらいから死についてずっと考えてしまい、怖くてどうしようもできません。 忙しくしてても、ふと思い出し、本当につらいです。死んだらどうなるのとか、自分が存在してる意味、自分がどこからきたのかとか、本当に怖いです。でも中々他人に相談できることでもありません。 そして、そういうことを考えているとき、1番思い出すのは母親です。2人で住んでいるというのもあり、私を唯一支えてくれている、1番大切な人です。私たちは普通の親子よりも仲良しでお出かけもしますが、今までもっと仲良くしとけばよかったとか、ケンカとかを思い出すとつらくてたまりません。 私には家族以外母親しかありません。 死んでもずっと母親と一緒にいたいです。 こういう考えを持つのって普通じゃないですよね。 自分もなぜこんな考えを持っているのかもわかりません。でもとにかくつらくて、胸痛くなります。これからどうすればいいのかわかりません。いま人生やっと楽しくなったのに、これがすべて終わると思うと居ても立っても居られません。 誰かにこういう話を向き合って話してみたいです。 これからに向けてのアドバイスをいただければ嬉しいです。ありがとうございます。
この前、臓器移植に関する資料を貰い、家族と考えてみました。 私は死ぬのが怖いです。なので、脳死でもそれを死とは考えられないし、親がそんな状況になっても絶対に死んだとは認めないし、できる限りの延命治療をすると思います。 しかし、臓器移植を待つ方の立場になって考えてみると、それはもう死んでいるのに等しいから、脳死状態でしか手に入らない心臓なんかを譲ってほしいと考えてしまいます。 どっちの立場に立って考えるのもつらくて、頭がいっぱいになってそれ以上考えることができません。死にたくないから、誰かの心臓として生き続けるのもいいし、もしかしたら脳死から回復するかもしれない万一の可能性を信じて、心臓が止まるまで待つのもいい。自分がどうしたらいいのか分かりません。 なんか、脳死とか、死についての捉え方を変えたら自分が納得できる選択肢を選べるのでしょうか。 仏教ではどう死や脳死について捉えているのか、教えてください。
いつもありがとうございます。 考えても仕方のない事だとわかりながりも、 動悸や気持ち悪さが収まらないため、失礼します。 私は幼少期から死に対する恐怖がありました。 それはいつの間にか、よそへと追いやられていた恐怖だったのですが、 昨晩突然のように発作のように起こりました。 先日若くして突然死で亡くなられた親戚のことを考えていると、 私自身や、両親の死を考えてしまいます。 (昨晩まではだからこそ、毎日を精一杯過ごそう。 彼女の分もしっかり生きようと思っていた筈なのですが) 更にそこから波紋のように思考が広がって、 天災、事故、戦争。 更には数億年後に地球や太陽がなくなるですとか 宇宙でどうの。といった情報を見ると、 輪廻転生を繰り返し、いつか私の魂はその瞬間に 居合わせねばならないのかと思ってしまい、 このような恐怖は味わいたくない。 と、考えてしまいます。 全ては私の中の想像。 誰にもわからない世界の話だとわかっているのですが、 この思考が突如発作のように起こり 抜け出せず、自分自身の頭で刷り込んでいる イメージから抜け出せません。 特に最後に書いた終末の恐怖が強く 苦しくて仕方がありません。 頭に心が付いてきてくれません。
私は最近になって歳を取るのが怖くなりました。 日本人の多くが70から80まで生きますし、私の祖父、祖母もそのくらい生きています。家系としては長寿なほうで、 私が寿命を迎えるまで、あと50年から60年かかります。 人間の寿命が長すぎると感じるのは私だけではないみたいで、同じ年頃の同僚とも、4、50歳くらいで良いとか話したりします。 このまま健康でいられるわけでもないし、家族を先に無くすのも怖い。 生まれて来なければ楽だったのにと思ってしまう。 どうやって乗り越えたら良いのかまた分からなくなってきました。 人生楽しみたいけれど常に不安が付きまとう。生きてるのが辛い。 だけれど死ぬのも怖い。 本当かどうか分からないけれど、幽霊が見えるという友人が昔いて嘘をつくような子ではなかったから、そのときはああ、やっぱりいるのかなと思ったりもしたけれど、バカらしいけど死後も意識があるなら自分や周りの人間が死んだ後もどうなるとか。そんなことまで考えるようになりました。 完全におかしい。 おかしいんですが輪廻とか仏とかそういったものと日々接している僧侶の方の考えを聞きたいです。
まだ歳も若いですが、悩んでおります。 親戚の葬式に行くと焼かれる身体、死んで冷たくなった遺体、何度も見ました。 両親や姉、恋人、仲の良い人が次々と浮かび重なり、いつか目の前から消えてしまう事を考え1人になる寂しさ、苦しみに耐えられなくなります。 自分もいずれ死ぬ、人は必ずしも死を迎える。 暖かい思い出や楽しかった事を忘れてしまうのか、死んで自分はどうなってしまうのか。 好きな人達と離れたくない、執着ですが、忘れてしまいたくない。死への恐怖と、寂しさ、そして先への不安で食事も喉を通らず、夜も眠れません。 なるようになる、死は必ず訪れる、怖い事などない、余計な事は考えない。 何度も言い聞かせるように唱えました。 それでも不安からは逃れられず、今も震えながら文字を打っております。 こんなことばかりを考え、生活もままならず、心臓に毛を生やす程にどっしりと構えられたらと…… 趣味に没頭しようとも、気が晴れず手がつけられずじまい。 突然不安に襲われてしまいます、宥められ、不安になり、宥められ、不安になり。 この先自分は大丈夫なのか、死を迎え、耐えられるのか。 何にせよ先の話ですが、ぼんやりとした恐怖が払えません。 人に縋ってばかり居ますが、どうして良いか分からないのです。 良ければ、手を差し伸べて頂きたいです。