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「死ぬのが怖い・死恐怖症にお坊さん知恵袋」問答(Q&A)一覧

生きてるのが怖い

死ぬのは怖いです。 死は未知です、五億年という時を経っても意識は永久に無くまるで気絶した時のようです。 私はとても自殺願望が高いですが、私でもわかるようにこの世にいる人は誰も本来的には死にたくないと。 死はとても美しいものです、全てが虚無になります。 どんなにクローンが生まれたとしても、それは自分の意識でもなくクオリアもありません。 しかし同じように生きてるのも怖いです。 人生一回しかないという重い重い現実があります、そこにはどんな物理法則も変えられないという絶対的なルールがあるので一度でも足を切断やらしたら永久に手が生えてくる事もありません、誰かが死んだら永久に会えません、一度顔面に塩酸をかけられたら二度と顔は再生しません、一度ホームレスになると一生勝ち組になれません、一度HIVになると一生治りません。 悲惨な人生だったら一生悲惨なままです。離婚したら離婚したままで今後誰からも愛されることはありません。 そういうのが怖い。 人生は可塑性がありすぎて一度何かをやったらそこから変わる事がないです。 死と生は表裏一体です。 死があるから生が尊いものになります。一度しかないから一生とかいう言葉を使い自分の人生を有り難がります、死があるから身近な人が死ぬのを悲しみます。 私は、この物理法則が次々変わるのがこわいです。 現実が移り変わるのが怖い。 いまこの瞬間があるのが怖いです。 いつも恐怖や不安を抱えています。 私達は現実に金融資本で搾取されてます、労働で自分の貴重な人生の時間が搾取されています、二度と返ってこないです。 何処かで働いたら金になるだけでその時間は二度と返ってこない、私の親は底辺職に就いてたので何十年と人生を安く買い叩かれて人生という貴重な時間を費やしていました。 私は20代ですが私の貴重な時間を使用して作られた富を老人に吸われています。 また同じように過去の偉人や天才やらが貴重な人生を使用して発見、発明した数式や発明品やらなんやらを何の苦労もなく得ています。 そういうのが怖い。 いつか重い病気になったり、事故ったりして苦しみのが怖い。 来月の今頃は何か嫌な悩みが増えてると予想できるのが怖い 明日は口内炎で口が痛いかもしれない。 明後日は親友と仲違いするかもしれない。 生きるのが怖い。死ぬのが怖い。 恐怖から逃げたいです。

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死に対して敏感に反応してしまう

ここ一月、死に対して敏感に反応してしまうのが悩みです。 半年ほど前に心身のバランスを崩して退職しました。その後いろいろあって進学することになり、試験にも合格しました。 ただ大急ぎで詰め込みすぎたせいか、「あ、この勉強しんどい。これで身を立てていく自信がなくなった」と思うようになり、ボーッとする時間が増えました。 その際、本を読む時間が増えたのですが、その際死について寿命について書かれている文章を読むことが増えたせいなのか、自分の死に対して恐怖を感じてしまったり両親や家族がいつか死ぬと思うと無性にかなしくなったり、有名人の方が亡くなると「ああ、どんな人でもやっぱり死んでしまうんだなぁ」と虚しくなってしまったりすることが増えました。 今まで不幸ではありませんでしたが(学生の頃は当時の家庭環境を憎んだり、いじめにもあったりしていてツラい思いをしたこともありましたが)、幸福でもなかった人生だったので、幸福を掴みたいと努力してきたのですが、「どうせ死ぬ。自分の意識がなくなれば終わり」と思ってしまうと、もうしんどい思いをしてまで努力する必要はないんじゃないかなぁと考えてしまったりします。 こんな状態を見かねた友人が遊びに誘ってくれたりもしたんですが、全然楽しくなくてその友人には申し訳ないことをしたなぁと思ってしまったり、自分でも死に対して考えないようにしてはいるんですが、どうしても考えてしまって食欲が落ちたり胸が痛かったりしてコントロールできずに悩んでいます。 死を受け入れればいい話かもしれませんが、どうしても「死=自意識の消滅」と思ってしまうと受け入れられません。 毎日あの世はあるのかないのか、幽霊はいるのかいないのか、そんなことを考えて一日が過ぎていってしまい、どうせ死ぬのにもったいないなぁ、でも外に出て働いていたときのようなツラい目にもあいたくないから動きたくないなぁと思ってしまいグルグルグルしています。 一体どうしたらこの気持ちに決着をつけられるのか、よろしければご回答お願い致します。

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死について漠然とした不安があります

 またまた質問よろしくお願いします。 死について漠然とした不安があります。 最初は小学生のころでした。特に何かあったわけではありません。 ただふっとした時に「死にたくない~」と思い泣いていたのを記憶しています。 ヲタクなので、漫画やらアニメやらドラマやらメディアでは死について想像したり見たりします。 ですが、身近な親戚や、友人知人の死に直面したことはありません。 同級生がひとり自殺されたという話は聞いたのですが、同級生との関わりが縁遠くなってしまっているので、実感がありません。 両親の祖父母は健在ですし、自分の家で生活できています。 東北在住なのですが、近くにいる親しい人が震災で被害にあったということもありませんでした。 自身もですが、親戚、家族、友人知人が大病を患い入院しているということもありませんでした。それ自体はとても幸運なことだとは理解しています。 外にいて空の高さや雲の重なりなんかを見て地球や宇宙を感じるとき。 妊婦さんを見かけたりした時。自分が生きてたり生命があるという事を感じます。 今でもふとした時にとてつもなく死に恐怖を感じます。 これからさきどうなるんだろう?まだ20代なのですが、30代に差し掛かるし、求職中で独身です。 死より将来に漠然とした不安を感じているのかもしれません。 これから先も地球や日本は続いていくけど、私は死んだらどうなるんだろう?死んだら終わりだし真っ暗で何も感じられないんだろうと考えると怖くて怖くて堪りません。自分の人生がいつか終わるのが不安で恐怖に感じています。 別の質問で書きましたが、危ない運転をしてしまったことがあります。 それでも生きているけど、いつ死ぬかわからないよね。 と感じたことがあります。そして身近な人の死に耐えられるかわかりません。 自分でも身近な人でも死が怖くて堪りません。 死の恐怖とはどのように向き合っていったらいいのでしょうか? 20代後半でこんなことを考えているのは可笑しいでしょうか?ご教授よろしくお願いします。

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母方の祖母が亡くなるのが怖い。

理由は自分の母親が悲しむ姿を見たくないからです。 母方の祖母は遠い田舎に一人で住んでおり、自宅から祖母の家までは車で約6時間ほどかかります。 大型連休しか帰省出来ないため年に2回、多くて3回、父親は仕事のため母と私の二人で帰省します。 祖父は私の母親が生まれる前に亡くなっており、祖母は一人で家にいることが多いため、私たちが帰省すると嬉しそうにしてくれます。 祖母は90歳、今年卒寿のお祝いをしました。 母親はいつお迎えが来てもおかしくない、覚悟はしている、と言いますが帰省から戻る車の中で泣いていてその姿を見るのが辛かったです。 数年前、友人の祖父が亡くなりおじいちゃん子だった友人は見るに絶えないほどやつれました。 その時から、祖母が亡くなるという事も現実的で近いうちなんだ、と想像するようになり、ふと祖母が亡くなる悲しみ辛さよりも、私は母親が悲しむところを見るほうが悲しく辛いんだと思ってしまいました。 もし私自身、母親が亡くなってしまったらと、そういう事を考えるだけで涙がぼろぼろ出ます。 母親もそういう気持ちになるのではないかと思うと祖母が亡くなるのがより一層怖くなります。 祖母に亡くなって欲しくない、理由は母親が泣いて悲しむところを私は見たくないからと、そういう自己中心的な理由で祖母の健康を願ってよいものなのか。 そんな考えをしてしまう自分が嫌で嫌で、罪悪感を感じます。 祖母には良くしてもらい、良い思い出ばかりなので余計に自分の考えが嫌になります。 私は21歳ですが年齢的には母親離れが出来ていない方だと思います。 そのせいもあり、そういう考え方をしてしまうのだろうかと自問自答しています。 祖母に電話する度、会う度に申し訳なさや後ろめたさでいっぱいになります。 心の持ちよう、考えを改めたいです。 ご助言いただけることがあれば是非ともよろしくお願い致します。

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死も永遠も怖いのですがどう向き合えば良いですか

初めまして。 10代の頃から気持ちが落ちている時や寝る前に死や永遠について考えるようになりました。 そして先日祖母が老衰で近いうちに亡くなるかもしれない話を聞き最近では毎日考えています。 死んだら二度と会うことができないのがとてもとても悲しいです。 だから死後の世界が存在して欲しいと思います。 自分も死んだら亡くなった人と再会することができると考えれば少しは楽になるからです。 でも死後の世界で過ごすのもいつまで続くのかと怖くなります。 地球がなくなって太陽がなくなって宇宙がなくなってその後は…と。 そんな世界を見続けること、何もかもなくなってしまった後はどうなってしまうのか、わからなくて怖いです。 死んだら無になるという話を聞いたことがありますが、自分が消えるというのも怖いです。 亡くなった人と会えないことにもなります。 考えても考えても未知な世界なのでわからなくて、わからないから怖いのもあるかもしれません。 生きているからには必ず死が訪れるので、家族や友人、自分の死とも向き合わなければいけなくなります。 死は辛いです。 考えるだけで涙が出てきます。 だからといって永遠に生き続けるのも怖いです。 これから訪れるたくさんの死と生きている祖母の前で泣かない為にもどう向き合えば良いのか教えてください。 乱文失礼しました。

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死ぬのが怖い、身近な人にも相談できない 辛い

現在、大学4回生です 中学生の時、突然に「死んだらどうなるんだ?」ということに気が付いて恐怖のあまり嗚咽が止まらなくなったのを覚えています。親に相談しようにも、タブーに触れるようで出来ませんでした。 その時は考えに考えて結局わからないということで放置していたのですが、ここ最近になってまたその考えがまたやってきました。 地元の信仰が浄土真宗本願寺派だったのでその考えに基づき、死生観を考えていたのですが、納得できませんでした。 納得というか、信じきれてないというのが現状なのかもしれません。 真に信仰が出来ていたらそもそもこの質問が出ないことになりますから。 どうしても考え方に疑いを持ってしまうのです。「ホンマかいな」と。この「ホンマかいな」自体が信仰に対する冒涜、罪なんでしょうか。 化学に詳しいわけではないのですが、どうもその前提に結び付けてしまします。(無知なのは重々承知しています)生きている状態なのになぜ人の死後が説けるのか?とか。脳がないのに意識は死後存在し続けるのか?、お浄土は本当にあるの?などです 臨死体験も結局は死に切れてないですし、死後の見解が地域、信仰、人によってそれぞれ違うのも疑問です かといって「死後は無なんだよ」「意識はただの脳内の電気信号なんだよ」と言われればとんでもないくらいの恐怖にのたうち回ります。死後、体も感覚も思考も、自分自身も消えてなくなり、二度と目覚めることはない。そんな状態が永遠に続くと思うと... 様々な文献、記事を読み漁っても「そういう考え方もあるのか」程度にしかとれず合点がいきません。 今を生きることこそが大切、もっと他にすることがあるんじゃないの?と言われそうですが、そうではないんです。死後が知りたいのです。 利己的な見解ばかりで申し訳ありません 自分自身でも、どう質問してよいか漠然としててわからないのです 僕以上に、もっとつらい思いをしている人がいる中で... ここまでの人生、たった21年の短い人生ですが、何不自由なく生かされてきました。両親、祖父母そして周りの人々には感謝しきれません。これから、家族やお世話になる人達にいっぱい自分の受けたモノをお返ししていきたいです。 故に死の恐怖にここから先の人生を邪魔されたくありません。 どうか僕に納得できるようなお考えを教えてください。

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家族の死、自分の死が怖いです。

私は人は死んだら無になると思っています。しかし無になるということを考えるだけで怖いです。私たちに生まれる前の記憶がないように、その頃の状態になるのかな?などと考えてしまいます。 私がまだ幼稚園か小学生低学年だった頃、NHKのニュースを見ていて「北朝鮮と日本がいつか戦争になるかも。そしたら自分も家族も死んでしまうかも。」などと幼いながらに考えてしまい、死が怖くなって、夜な夜な布団の中で泣いてしまい怖くて朝まで眠れなくなってしまったことがありました。それから月日が経ち、死を考えすぎてしまうことは無くなりました。 しかし最近夜になると死を考えて泣いてしまい眠れなくなってしまうことが再び増えてきました。1度考え出すと怖くて3時間は泣いてしまい気づくと眠れないまま朝を迎えています。 輪廻転生という考え方が好きで、その言葉を支えにしたいのですが、輪廻転生も所詮は生きている人が考えた言葉にすぎない。死んだら思考回路すら無くなるんだから、輪廻転生して再び自我が目覚めたとしても、それは新しい自分であって、昔の自分は消えてなくなる。結局人は無になるんだ。という結論にたどり着いてしまいます。 私の父は69歳、母は63歳、祖母は91歳。比較的高齢の家族ですが凄く元気です。ですがふと、この家族で過ごせる幸せな時間は永遠ではないんだと考え「あと何年?」と考え辛くなります。 最近は高齢な家族故に両親と過ごせる時間より、両親がいなくなった後の時間の方が長いのかもと考えて泣いてしまいます。私は両親のことが大好きなので、2人がいつかいなくなってしまう。「無」になってしまう。そんな日がくるのがとても怖いです。 そして今見ている景色、大切にしている物、現世で学んだ知識、死ぬ時は全て手放さなくてはならない、私も死んだら無になる、家族と家族だったことも無くなる、もうこの家族には会えない…どこまでもそのように突き詰めていってしまいます。 よく「(死を考えるくらいなら)今を楽しく生きよう」という言葉を聞きますが、そのような考え方に自分が対応できず、ただ死が怖いです。 本当に最近このような考え方に陥って泣いて眠れなくなることが多くて困っています。 何か少しでも心が軽くなるお言葉、そして仏教では「死」に対してどのような考え方を持っているのか、お話を聞かせていただきたいです。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 70
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死が怖いと感じてしまいます

長文で失礼いたします。はじめまして。 去年の8月頃から、死ぬということに対して過敏に恐怖を感じるようになりました。 ふと、母親がいなくなったら恐ろしいと感じ、そこから、いつか誰もが死を迎えるということに気がつき、自分もいつかそうなるのだと強く感じて、「死んだら自分はどうなってしまうの?」といった恐怖で常にいっぱいになるような状態になっていました。 怖がるだけではどうしようもないと感じ、友人や母に打ち明けて相談に乗ってもらい、一時的に恐怖から離れられることもありましたが、安心できる状態がしばらく続いた後、ふっと思い出し、どうにもならないという思考になってまた怖くなるような状態の繰り返しになってしまいました。 忙しくすれば忘れられるという親の意見を元にアルバイトを始めてみたりもしましたが、バイト中に恐怖心が押し寄せてくることもあります。 不安のあまり、SNSで同じような悩みを持つ人たちの投稿を見た時に、そこで「産まれなければよかった」など不安を掻き立てるような言葉ばかりの人を見てしまい、恐怖が押し寄せてくるような事もありました。 産まれることは自分の意思で選べないことであり、この世へ産まれた以上は死を迎えるまでは懸命に、楽しく生きたいと思っています。就職も迫っているので尚更この考え方が大事だと思います。それなのに、まだ死が恐ろしいと感じてしまう自分がいることが不甲斐ないです。 こんな状態が続いて苦しいです。私はどうすればいいのでしょうか?

有り難し有り難し 106
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生きているのがこわい

死が怖いです。大切な人や自分がこの世からいなくなる、どうなるか分からないことへの不安と恐怖で毎日ぐるぐる考えては1日を無為に過ごしてしまいます。 こんなに怖いなら生まれなきゃよかったと思うし、自我が芽生える前にしんでればよかったと考えてしまいます。 二十数年間生きてきて、大切なものも増えてしまいました。それらを失うことも怖いです。 朝目が覚めるだろうか、この車は私の元に突っ込んでこないだろうか、大きな事件や災害が数秒後に起きるかもしれない、目を離したとき愛犬が倒れたらなど不安が多くて、家から出られません。 事件事故のニュースを見ることも出来ませんが、何も知らずに生きることも怖いのでネットニュースを読むことはできるように頑張っています。 街中で妊婦さんやお子さんをお見かけすると、この人たちはとても幸せそうに見えるけど次の瞬間には…と恐ろしい事態を想像してしまい、素直に祝福できなくて自己嫌悪します。 50を過ぎた母が、「私はもう死んでもいい」「あと5年で逝くからあんたそろそろ自立しなさい」などと口にすることも私の不安を駆り立てます。(母は現時点で健康体です) 不安や恐怖を解消するまでにいかなくても、上手に向き合う?付き合っていく?方法はないのでしょうか

有り難し有り難し 10
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