子どもを産んでからホルモンバランスのせいか死ぬことが考えることが増え、老病死がとても怖くなりました。 最近ようやく落ち着いてきたとおもっていたのですが、終末時計や北朝鮮のニュースを見るたびに戦争や地球の滅亡が恐ろしくてたまらなくなります。 地球が滅亡することになればこどもの未来もなく、来世もなく、浄土も地獄もないのでないかと思うと生きている意味もわからなくなることさえあります。 今目の前にある子どもの笑顔を大切にするべきだと思っても青空の向こうからミサイルが降ってくるのでは、地震が起きてしまうのではと恐怖に囚われています。 心の待ち方を教えてください
高校生です 私は中学生の頃からずっと死ぬのが怖いです 私はこれまでの短い人生の中でも色々と悪いことをしてきました。嘘もつきましたし、人を傷つけたこともあります また、幼い頃(幼稚園生頃)にお店で量り売りとして売っていたチョコレートを一粒こっそり食べてしまったことがあります。あの事をずっと後悔しています 沢山悪いことをしてきたと思います 私はきっと、死んだら地獄に落ちてしまうことでしょう。祖母は「絶対天国に行けるからね」と言ってくれますが、それでも確証がありません いえ、地獄に落ちるかもしれない、それ以上に怖いことがあります それは、死んだら“私”が無くなってしまうのではないかということです 私は、私がこれまで積み上げてきた物を失うことが、自我が無くなってしまうことが怖いです 今、こうして悩み、悲しみ、笑い、怒り。そんな感情を抱いている私が消滅するかもしれないということが、本当に怖くてたまりません この恐怖は一年に五回程度湧き上がってきては私を悩ませます。怖くて怖くて、死後のことを思うと私は涙が止まらなくなります ですが、周りの大人は私のこの悩みを「くだらない」「大人になればそんな悩み薄れる」と言ってまともに取り合ってくれません。私は“今”の対策が知りたいのです。大人になってから、なんて待てません 死ぬのが怖いと言いながら、不老不死になりたいかと聞かれると困ります。永遠の命なんて寂しいですから この悩みの解決策がわからないままです 今も苦しみを堪えながらこの文をうっています 誰か、私を助けてください カテゴリー等、間違えていたら申し訳ありません
死ぬのが怖くて仕方ないんです。 毎日が辛い。 カウンセリングに行っても恐怖が消えない。 未知が怖い。生き続けるのもこわい。 家族がいなくなるの怖い。 寝る時に今寝たと、わからないのと同じと言われても怖い。 天国で永遠に楽しく生き続けると言われても怖い。どうしたら、いいのか。 この恐怖を少しでも減らしたい。 みんなみたいに考えてもしょうがないことは考えないようになりたい。 夜目を閉じるのも怖いんです
以前も質問させて頂いてのですが、 すみません。 カウンセラーとかにも行ったのですが、 死の恐怖が消えません。永遠に生きるのも怖いし、無とか、生まれ変わるとかも、怖いんです。 仏教やキリスト教の教えを信じれるようになりたいです。 心療内科は、薬をもらって一時的な気を紛らわすだけで、やはり性格を変えないと行けないと思いました。こんな性格で親になれるのか悩んでもいます。 お坊さんはどのように死と向き合い、穏やかに過ごされているのでしょうか?
こんにちは 何度か「死への恐怖」について質問させていただいてます。 あれから自分でも哲学書を読んだり宗教やオカルト、脳科学、神経科学などを調べてみましたが、自我や意識、記憶についてますますわからなくなって来ました。 死んで自我や意識が失われることが一番怖いです。 海外では死後蘇生のため遺体の冷凍保存や意識をネットワーク上にアップロードして不死を得るような試みがされています。 ただ、神経科学的には肉体と精神は不可分であり、死ねば意識が失われ、その意識自体も個体を生存させるための幻という説が出ています。 私はますます怖くなってしまいました。 「自分」というものを失いたくないです。日々変容していますが、確かにここに存在しているのです。死にたくない、滅びたくない、眠るのがこわい、と思ってしまいます。 病院で不安障害と診断されましたが、治ればそんなことを思わなくなるのでしょうか? 何度もしょうもない質問をしてしまってすみません。ただ、怖くて仕方がないのです。
死ぬのは怖いです。 死は未知です、五億年という時を経っても意識は永久に無くまるで気絶した時のようです。 私はとても自殺願望が高いですが、私でもわかるようにこの世にいる人は誰も本来的には死にたくないと。 死はとても美しいものです、全てが虚無になります。 どんなにクローンが生まれたとしても、それは自分の意識でもなくクオリアもありません。 しかし同じように生きてるのも怖いです。 人生一回しかないという重い重い現実があります、そこにはどんな物理法則も変えられないという絶対的なルールがあるので一度でも足を切断やらしたら永久に手が生えてくる事もありません、誰かが死んだら永久に会えません、一度顔面に塩酸をかけられたら二度と顔は再生しません、一度ホームレスになると一生勝ち組になれません、一度HIVになると一生治りません。 悲惨な人生だったら一生悲惨なままです。離婚したら離婚したままで今後誰からも愛されることはありません。 そういうのが怖い。 人生は可塑性がありすぎて一度何かをやったらそこから変わる事がないです。 死と生は表裏一体です。 死があるから生が尊いものになります。一度しかないから一生とかいう言葉を使い自分の人生を有り難がります、死があるから身近な人が死ぬのを悲しみます。 私は、この物理法則が次々変わるのがこわいです。 現実が移り変わるのが怖い。 いまこの瞬間があるのが怖いです。 いつも恐怖や不安を抱えています。 私達は現実に金融資本で搾取されてます、労働で自分の貴重な人生の時間が搾取されています、二度と返ってこないです。 何処かで働いたら金になるだけでその時間は二度と返ってこない、私の親は底辺職に就いてたので何十年と人生を安く買い叩かれて人生という貴重な時間を費やしていました。 私は20代ですが私の貴重な時間を使用して作られた富を老人に吸われています。 また同じように過去の偉人や天才やらが貴重な人生を使用して発見、発明した数式や発明品やらなんやらを何の苦労もなく得ています。 そういうのが怖い。 いつか重い病気になったり、事故ったりして苦しみのが怖い。 来月の今頃は何か嫌な悩みが増えてると予想できるのが怖い 明日は口内炎で口が痛いかもしれない。 明後日は親友と仲違いするかもしれない。 生きるのが怖い。死ぬのが怖い。 恐怖から逃げたいです。
ここ一月、死に対して敏感に反応してしまうのが悩みです。 半年ほど前に心身のバランスを崩して退職しました。その後いろいろあって進学することになり、試験にも合格しました。 ただ大急ぎで詰め込みすぎたせいか、「あ、この勉強しんどい。これで身を立てていく自信がなくなった」と思うようになり、ボーッとする時間が増えました。 その際、本を読む時間が増えたのですが、その際死について寿命について書かれている文章を読むことが増えたせいなのか、自分の死に対して恐怖を感じてしまったり両親や家族がいつか死ぬと思うと無性にかなしくなったり、有名人の方が亡くなると「ああ、どんな人でもやっぱり死んでしまうんだなぁ」と虚しくなってしまったりすることが増えました。 今まで不幸ではありませんでしたが(学生の頃は当時の家庭環境を憎んだり、いじめにもあったりしていてツラい思いをしたこともありましたが)、幸福でもなかった人生だったので、幸福を掴みたいと努力してきたのですが、「どうせ死ぬ。自分の意識がなくなれば終わり」と思ってしまうと、もうしんどい思いをしてまで努力する必要はないんじゃないかなぁと考えてしまったりします。 こんな状態を見かねた友人が遊びに誘ってくれたりもしたんですが、全然楽しくなくてその友人には申し訳ないことをしたなぁと思ってしまったり、自分でも死に対して考えないようにしてはいるんですが、どうしても考えてしまって食欲が落ちたり胸が痛かったりしてコントロールできずに悩んでいます。 死を受け入れればいい話かもしれませんが、どうしても「死=自意識の消滅」と思ってしまうと受け入れられません。 毎日あの世はあるのかないのか、幽霊はいるのかいないのか、そんなことを考えて一日が過ぎていってしまい、どうせ死ぬのにもったいないなぁ、でも外に出て働いていたときのようなツラい目にもあいたくないから動きたくないなぁと思ってしまいグルグルグルしています。 一体どうしたらこの気持ちに決着をつけられるのか、よろしければご回答お願い致します。
こんにちは。 私は父を亡くし、母と暮らしています。母はすでに80歳をこえて、持病もあります。 私は現在ひきこもりのようになっており、親しく話せる友達もいません。小さい頃から女ですがマザコンといえるくらい母が好きで、友達のようにいろいろ話したりしてきました。 親の年齢が年齢なのでどうしても最期を考えてしまい、毎日気が重く苦しくなっています。いざそのときが来たら私は気絶でもするのではないか、してももう誰も助けてくれる人はいない、などどんどん悲観的になってしまいます。 母は定期的に病院に通っており、本人は楽しく明るく毎日を過ごしています。こうして母が毎日楽しく過ごせるのは私にとっても嬉しいですし、親に私が先にいく不幸を絶対味わってほしくはないですが、こんな歳なのに親が死ぬのがとても恐ろしいです。 これからどういう心構えでいけば多少なりとも心が強くなれるでしょうか?
前に回答を頂いたのに 毎日死のことを考えてパニックになりそうです。 いろんなサイトとかで色んな方の考え方を聞いても怖さが消えず、怖いと思いながら亡くなられた方もたくさん、おられる事を知り、 心療内科とかに行った方がいいのか、今も手に汗が止まりません。 小さい頃は大人になったら、受け入れれるだろうと思って夜寝るようにしてたのですが、 30過ぎてもこんな、自分が辛いです。 何度もすみません。
死の恐怖が和らぐ事は出来るのでしょうか。 周りの方や、芸能人が亡くなる話、ニュースなどを見ると、考えてしまい、辛くなり、最近は毎日思ってしまいます。こちらで他の方の質問の回答を見ても前を向くことが出来ず。 何歳になってもこの気持ちは変わらないのかなと思うと自分が情けないし、怖くて。最近はずーと生き続けるのも怖いことなのかな。と思って見たり。生まれ変わって永遠に続くのも、怖いし、終わりがあるのも怖いと思ってしまい、こんな考え方を治したいのに、変わらないです。 子供ができても自分と同じような考え方になったら、どうしようと思い、子供が死ぬ事を意識しパニックになった時にどう言って伝えたらいいのかと、思うと妊活するのを、戸惑ってしまっています。主人の事はとても大好きなのに、赤ちゃんが欲しいのか欲しくないのかも、わからなくなっています。
死ぬのが怖いです。 死んで無になってしまったら(心は脳の電気信号の産物だと思っているので)、今まではなんだったのか、「私」とはなんだったのか、と思い途方にくれています。 無理とわかっていても、どうしても死にたくないです 今をがんばって生きたいのに、その事ばかりが頭をぐるぐる回って、集中できない、体に力が入らない、お腹がいたい、寝付きが悪いなどの症状に苦しんでいます。 ちょっとしたパニックになっていて、もうどうしていいかわかりません。 どうしたらよいでしょうか?
私は死ぬのが怖い、家族の死が怖いと、毎日一日中怯えているのですが、最近、死も老病と同じく人のある状態であるから、特別視しなくてもいい自然なことかなと思うようになりました。人間のある姿という点においては、死も老や病と変わらないと思うのです。ですがそう考えると、毎日のテレビなどのニュースで報道される、事故死、早死になどの死亡のニュースはセンセーショナルで、とても人間の自然な死に方とは考えられないのです。死に方に優劣はないと思いますが、そのような特殊な死に方について、どう考えたらよろしいでしょうか?自分なりに考えた死ぬことは自然という、論理に反しています。どうぞよろしくお願いします。
またまた質問よろしくお願いします。 死について漠然とした不安があります。 最初は小学生のころでした。特に何かあったわけではありません。 ただふっとした時に「死にたくない~」と思い泣いていたのを記憶しています。 ヲタクなので、漫画やらアニメやらドラマやらメディアでは死について想像したり見たりします。 ですが、身近な親戚や、友人知人の死に直面したことはありません。 同級生がひとり自殺されたという話は聞いたのですが、同級生との関わりが縁遠くなってしまっているので、実感がありません。 両親の祖父母は健在ですし、自分の家で生活できています。 東北在住なのですが、近くにいる親しい人が震災で被害にあったということもありませんでした。 自身もですが、親戚、家族、友人知人が大病を患い入院しているということもありませんでした。それ自体はとても幸運なことだとは理解しています。 外にいて空の高さや雲の重なりなんかを見て地球や宇宙を感じるとき。 妊婦さんを見かけたりした時。自分が生きてたり生命があるという事を感じます。 今でもふとした時にとてつもなく死に恐怖を感じます。 これからさきどうなるんだろう?まだ20代なのですが、30代に差し掛かるし、求職中で独身です。 死より将来に漠然とした不安を感じているのかもしれません。 これから先も地球や日本は続いていくけど、私は死んだらどうなるんだろう?死んだら終わりだし真っ暗で何も感じられないんだろうと考えると怖くて怖くて堪りません。自分の人生がいつか終わるのが不安で恐怖に感じています。 別の質問で書きましたが、危ない運転をしてしまったことがあります。 それでも生きているけど、いつ死ぬかわからないよね。 と感じたことがあります。そして身近な人の死に耐えられるかわかりません。 自分でも身近な人でも死が怖くて堪りません。 死の恐怖とはどのように向き合っていったらいいのでしょうか? 20代後半でこんなことを考えているのは可笑しいでしょうか?ご教授よろしくお願いします。
最近、祖父母の姿がだんだんと小さくなっているを見てとてつもない虚無感と恐怖に襲われます。 私はまだ身近な人の死というものを体験したことがなく、誰かが死ぬのが怖いです。 死が怖いというよりは、永遠に失ってしまう事。顔や声、温もりをもう感じることが出来ない事が嫌なんだと思います。 私が一日を過ごすと、祖父母と過ごせる時間が短くなっているのがとても悲しいです。あと何年一緒にいられるのだろう。今まで生きてきた時間もあっという間だったのに、確実に今生きてきた人生よりもこれから一緒にいられる時間の方が短い。 もう、時間が止まって欲しいです。私から時間を取らないで欲しい。 私は今を生きて時間が過ぎていく事が怖いです。どうすればいいですか。
23歳の男性です。 最近は、家族が死んで葬式をやる事を想像すると別れるのがとても辛くなります。 私は家族に長生きして欲しい、死なないで欲しいという気持ちが強いです。 私は感受性が人一倍強く、お葬式をやる気力がなくなり苦しみ辛くなります。 その辛い苦しい気持ちを抑えようと頑張るつもりが出来ないのです。 家族が死ぬって事を自分が分かってて生きているのに苦しみます。 どうやって生きて良いのかが分かりません、教えてください。
私は死ぬのが怖くてたまらないのです。病気にも神経質で、ちょっと具合が悪いところがあると、がんとか恐ろしい病気ではないかと、すぐ病院に行ってしまいます。始終死のことを心配していて不安になり、こんなに苦しいなら死んだほうがまし、と矛盾した考えに陥ってしまいます。死んだほうがまし、と考えるのなら、死ぬことは本当は怖くないのかなと、自分の気持ちがわからなくなります。精神的な病気を持っているので、そのせいかもしれませんが、こんな私に、心が平穏になるような、アドバイスを頂けたらと思います。どうしたら、死が怖くなくなるでしょうか?主人は死があまり怖くないといいます。50歳にもなると、死の恐怖は落ち着くと聞きます。それともみんな死が怖いのでしょうか?どうぞよろしくお願いいたします。
理由は自分の母親が悲しむ姿を見たくないからです。 母方の祖母は遠い田舎に一人で住んでおり、自宅から祖母の家までは車で約6時間ほどかかります。 大型連休しか帰省出来ないため年に2回、多くて3回、父親は仕事のため母と私の二人で帰省します。 祖父は私の母親が生まれる前に亡くなっており、祖母は一人で家にいることが多いため、私たちが帰省すると嬉しそうにしてくれます。 祖母は90歳、今年卒寿のお祝いをしました。 母親はいつお迎えが来てもおかしくない、覚悟はしている、と言いますが帰省から戻る車の中で泣いていてその姿を見るのが辛かったです。 数年前、友人の祖父が亡くなりおじいちゃん子だった友人は見るに絶えないほどやつれました。 その時から、祖母が亡くなるという事も現実的で近いうちなんだ、と想像するようになり、ふと祖母が亡くなる悲しみ辛さよりも、私は母親が悲しむところを見るほうが悲しく辛いんだと思ってしまいました。 もし私自身、母親が亡くなってしまったらと、そういう事を考えるだけで涙がぼろぼろ出ます。 母親もそういう気持ちになるのではないかと思うと祖母が亡くなるのがより一層怖くなります。 祖母に亡くなって欲しくない、理由は母親が泣いて悲しむところを私は見たくないからと、そういう自己中心的な理由で祖母の健康を願ってよいものなのか。 そんな考えをしてしまう自分が嫌で嫌で、罪悪感を感じます。 祖母には良くしてもらい、良い思い出ばかりなので余計に自分の考えが嫌になります。 私は21歳ですが年齢的には母親離れが出来ていない方だと思います。 そのせいもあり、そういう考え方をしてしまうのだろうかと自問自答しています。 祖母に電話する度、会う度に申し訳なさや後ろめたさでいっぱいになります。 心の持ちよう、考えを改めたいです。 ご助言いただけることがあれば是非ともよろしくお願い致します。
初めまして。 10代の頃から気持ちが落ちている時や寝る前に死や永遠について考えるようになりました。 そして先日祖母が老衰で近いうちに亡くなるかもしれない話を聞き最近では毎日考えています。 死んだら二度と会うことができないのがとてもとても悲しいです。 だから死後の世界が存在して欲しいと思います。 自分も死んだら亡くなった人と再会することができると考えれば少しは楽になるからです。 でも死後の世界で過ごすのもいつまで続くのかと怖くなります。 地球がなくなって太陽がなくなって宇宙がなくなってその後は…と。 そんな世界を見続けること、何もかもなくなってしまった後はどうなってしまうのか、わからなくて怖いです。 死んだら無になるという話を聞いたことがありますが、自分が消えるというのも怖いです。 亡くなった人と会えないことにもなります。 考えても考えても未知な世界なのでわからなくて、わからないから怖いのもあるかもしれません。 生きているからには必ず死が訪れるので、家族や友人、自分の死とも向き合わなければいけなくなります。 死は辛いです。 考えるだけで涙が出てきます。 だからといって永遠に生き続けるのも怖いです。 これから訪れるたくさんの死と生きている祖母の前で泣かない為にもどう向き合えば良いのか教えてください。 乱文失礼しました。
現在、大学4回生です 中学生の時、突然に「死んだらどうなるんだ?」ということに気が付いて恐怖のあまり嗚咽が止まらなくなったのを覚えています。親に相談しようにも、タブーに触れるようで出来ませんでした。 その時は考えに考えて結局わからないということで放置していたのですが、ここ最近になってまたその考えがまたやってきました。 地元の信仰が浄土真宗本願寺派だったのでその考えに基づき、死生観を考えていたのですが、納得できませんでした。 納得というか、信じきれてないというのが現状なのかもしれません。 真に信仰が出来ていたらそもそもこの質問が出ないことになりますから。 どうしても考え方に疑いを持ってしまうのです。「ホンマかいな」と。この「ホンマかいな」自体が信仰に対する冒涜、罪なんでしょうか。 化学に詳しいわけではないのですが、どうもその前提に結び付けてしまします。(無知なのは重々承知しています)生きている状態なのになぜ人の死後が説けるのか?とか。脳がないのに意識は死後存在し続けるのか?、お浄土は本当にあるの?などです 臨死体験も結局は死に切れてないですし、死後の見解が地域、信仰、人によってそれぞれ違うのも疑問です かといって「死後は無なんだよ」「意識はただの脳内の電気信号なんだよ」と言われればとんでもないくらいの恐怖にのたうち回ります。死後、体も感覚も思考も、自分自身も消えてなくなり、二度と目覚めることはない。そんな状態が永遠に続くと思うと... 様々な文献、記事を読み漁っても「そういう考え方もあるのか」程度にしかとれず合点がいきません。 今を生きることこそが大切、もっと他にすることがあるんじゃないの?と言われそうですが、そうではないんです。死後が知りたいのです。 利己的な見解ばかりで申し訳ありません 自分自身でも、どう質問してよいか漠然としててわからないのです 僕以上に、もっとつらい思いをしている人がいる中で... ここまでの人生、たった21年の短い人生ですが、何不自由なく生かされてきました。両親、祖父母そして周りの人々には感謝しきれません。これから、家族やお世話になる人達にいっぱい自分の受けたモノをお返ししていきたいです。 故に死の恐怖にここから先の人生を邪魔されたくありません。 どうか僕に納得できるようなお考えを教えてください。
現在二十代後半という年ですが、 25歳まで生きている事が辛くて、面倒で、価値がないと思っておりました。 なるべく若い内に自分の好きなタイミングで死にたいと思っておりました。 それがここ数年で未来に楽しみを感じる事が出来ました。 彼氏のおかげです。 彼氏の就職先も決まり2年以内には入籍も考えております。 子供が大好きな彼氏と将来子供が二人は欲しいねという話をしています。 彼氏と話している時は凄く楽しくて身籠ってすらいないのに名前を考える馬鹿っぷりです。 ですが、帰宅し一人になると 今まで怖くなかった死が凄く怖くなりました。 私が死ぬのも怖いし 彼氏が死ぬのも怖い 彼氏に依存してるのかと思いましたが、依存とは違う気もする 最近抱き始めた負の感情がすごく苦しいです。 自然災害、震災、交通事故、なども怖いです。 ふとしたときに、 今地震が起きるぞ!暴走車が来るぞ! と身構えてしまう時があります。 死を感じず日々を送りたいです。 怖くて眠れない日々もあり、心療内科にいくのも怖いので こちらで死への向き合い方、立ち向かい方、怖く思わない方法を教えて頂けたら嬉しいです。