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死に意味はあるのでしょうか

回答数回答 2
有り難し有り難し 25

とても死は友人とは思えません。死が美しいとは思えません
死が怖いんです。人が死ぬことに意味はあるのですか?死に意味はあるのですか?

2018年2月1日 23:31

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

みんな、死ぬのは怖い

やまとさんはじめまして。

死が怖い、確かに。
私も怖いよ^^
私は今月50歳になります、年々、身体は確実に衰えていますし、自分の父と祖父はどちらも50代前半で亡くなっているので、自分も心のどこかで死が近いのかなと、ぼんやり考えております。

死に意味はありません。
生も死も自然現象ですから。
様々なご縁の繋がりによって命が生まれるし、ご縁の繋がりが切れたらその生は滅びます。
それを因縁説といいます。
全ての物事は常に変化し続けています、これを仏教では「諸行無常」と説きます。
生や死に意味を見出そうとするのは人間の悲しい性ですね。

死は回避できないし、なかなか自分の思い通りにはできません、
なのに、どうにかしたいと執着するほどに、苦しくなってしまうのです。

私は思います。
死は苦しいことではあるけれど、決して不幸なことではない。
幸か不幸かは、今この瞬間をどう生きるかで変わってくるし、何か意味らしきものが見いだせれば、これほど幸福なことはないと思います。
人生は常に死と隣り合わせ、なにごともなく天寿を全うできれば万々歳ですが、それもまた難しいですよね。
結局は、今ある命を精一杯生きるのみ、なんですよね。

悲観することはないよ。
考えてもどうにもならないことは「えいっ」と放り投げちゃえばいいんだ。
人生を楽しめ(・∀・)

2018年2月2日 0:46
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有り難し
おきもち

様々なつらい別れや痛みを、私も経験しながら今日を生きています。 あなたの...

「不死の境地」

やまと様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「死」に関して、仏教では、よく「不死の境地」というようなことで悟りを表わすことがございます。

同じく「不生」とも。

般若心経に出て参ります「不生不滅」もそうです。

全ては、縁起し空である。

確かに、生も死もあります。ありますが、それは林浩道様もおっしゃられておりますように、縁起として、つまり、因縁(原因と条件)によって成り立っているものとなります。

しかし、そのものをそのたらしめている何か独立自存としての実体的なものはあるのかと申しましたら、そのようなものは無いとして「空」と申すことになります。

生も死も、自分というものも実体としてあり得ているものではないけれども縁起としてはあり得ているものということになります。

まあ、難しいことですので、今はあまり深くは考えなくても。。

とにかく、「死」により、全てが「無」になるわけではないとお考え下さいましたら。

肉体は、あたかも衣服のようなもの、死は、今の衣服を捨てて、また、次に心・意識が宿る衣服に新しく交換するようなものであります。

問題は、存続していく心・意識のありようが大切となって参ります。

仏教により、善き心・意識を清らかに調えて、行い・業をより善きものに調えることで、善き赴きへと向かって参りたいものとなります。

幾ら新しい衣服に着替えても、その中身が変わっていなければ、また迷い苦しみの中に存在し続けてしまうというところであります。

川口英俊 合掌

2018年2月2日 14:23
{{count}}
有り難し
おきもち

川口 英俊
「僧侶は、悩む人に正しいくすりを調剤できる薬剤師であれ」 http:...

「死ぬのが怖い」問答一覧

死ぬのが怖い

30代女です。 小さい頃に母を病気で亡くし、そこから死に対しての恐怖心が生まれました。小学生の時に死ぬのが怖いと感じるようになり、死ぬのは嫌だと泣いたことがありました。 そこから中学高校大学、仕事と、小学生のときのように泣くほど怖がったことはないですがうっすら漠然と死ぬのは怖いなと考えることもありました。色々と忙しかったこともあり、考える時間も少なくなってきていました。 しかし、30代になり、ずっと続けていた仕事を人間関係で揉めて、中途半端な時期に辞めました。辞めたことに後悔はなく、ずっと続いていた人間関係でのストレスも一気になくなり、最初は楽しく考えていました。しかし、暇でずっとゲームをする日々、そして自分が30代という年齢に突入したこと、周りの人は結婚をして落ち着いている中恋人もいない、次の仕事もまだ探し中、親も父のみ、そして一般的な私の年代の親よりも歳をとっていますので、父の死についても考えるようになり、父が死んだあと自分は生きていけないという考えからまた、小学生の時のような自分が死ぬことへの恐怖心が再び芽生えました。 ネットで色々調べましたがタナトフォビアだと思います、身近な人が死ぬのも恐怖ですが、自分が死ぬことへの怖さ、無になることへの恐怖が強く、突然発作のように発症し、過呼吸になったり涙が出たりととてもしんどい思いをしています。生きたくないとは思いません。死にたくないのです。しかし、不老不死のように永遠に生き続けるのも怖いです。矛盾していますが...。1度考え出すと恐怖が止まらず、夜も眠れません。今の自分の状況がこの先不安でしかなく、30代にもなってこのタイミングで結婚もしないまま死んでいくという考えしかできず、ずっと怖いです。タナトフォビアの克服など検索しましたが、読むだけで怖いです。助けてください。

有り難し有り難し 18
回答数回答 1

死への恐怖

母は私が幼いころに癌を患い、その後治療を続けていたものの半年ほど前に再発しました。今すぐに命に関わるという病状ではないのですが、身近な人間の死に関わりうる病気を通して死というものを考えることが増え、もうどうしていいかわかりません。 私と母とは30ほど歳が離れています。つまり、一般的な寿命を迎えることができても、私はいつか母がいない時間を30年も過ごさなければいけない。そのことが私には耐えられないことに思えます。私には妹弟はおりませんので、私は家族の中で最も長く生きる可能性が高いわけですが、自分の大切な人が皆亡くなってもなお生きていかなくてはいけないのでしょうか。頭ではそんなことわかっているのです。死は避けられない、身近な人の死も受け入れなくてはいけないし、皆そうやって受け入れて乗り越えて生きていると思うのですが、わたしにはそのことができないように思えます。親不孝の極みですが、母が死ぬ前に死ねたら幸せだなとすら思ってしまいます。 私が中学3年の時に祖父が亡くなった時のことを未だに忘れることができません。少し前まで生きていた、人が、生きてはいないということが受け入れられず、その恐怖を忘れることができません。昔見たドラマで、大量殺人を犯した犯人が、人をモノにするのが好きなんだと言っているものがありました。祖父の葬式の時に感じた、人がモノになったということが、私の中に恐ろしい記憶として残っています。祖父の死以来、刑事ドラマも不愉快で見ることができません。人の死を面白がって作っているように思えてしまうのです。私はどうしたらいいのでしょうか。受験期に入り、ストレスや疲れもも溜まっているのか、死ぬこと、母のこと、いつか大切な人が皆亡くなってしまった時のことなどばかりかんがえてしまいます。

有り難し有り難し 5
回答数回答 1

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