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輪廻転生があるならば・・

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生の先に肉体の死があり、その先に輪廻転生があるならば、また生の前に戻り、その先に生がある。
ならば、肉体の死を自然に任せなくとも良いのではないでしょうか。

辛い生を送り続けるより、早く新しい先へ進んだ方が良い。
それが逃げであっても。

2017年3月8日 0:04

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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

忍の徳を積む

お釈迦様は言いました。
「忍の徳は持戒苦行の徳より優れています」
生きることは辛いことです。だからこそ耐え忍ぶという徳をたくさん積めるのです。
そしてこの徳はあらゆる仏道修行の中でも優れた徳があるのです。

この世は因果応報です。良い行いをすれば良い結果を得られます。ですから、良い徳を積めば積むほど、この世と、さらには来世も、より良い結果を生むのです。

どうか、そのように思って耐え忍んでくれることを願っています。

追記
あなたはたくさんの人に支えられています。
そのことを迷惑をかけていると思わなくていいのです。ただ感謝すればいいのです。
あなたが居るお陰で、周りの人はあなたを支えることで良い徳を積むことができるのです。
あなた達はお互いに支えられているのです。

また、耐え忍ぶというのは何もしない事ではありません。今できる事をする、今すべきことをする、という意味もあるのですよ。

もしまた死を思い浮べたら、しっかり南無阿弥陀仏と念仏を唱えてくださいね。

追記その二
先日子供と映画を見ました。「ファインディング ドリー」、という題名の魚のアニメです。ドリーというのはの魚の女の子の名前です。彼女には生まれつき記憶障害があるのですが、彼女はその障害を少しも欠点と見ていない、むしろ自分の個性と見ているのです。是非一度、見てみて元気を貰って欲しいと思いました。

2017年3月8日 0:37
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おきもち

私は浄土宗の坊さんをしています。 なかなか良い回答はできませんが、少しで...

仏法を学び修せる稀有貴重なる機会として

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

いずれにしても、輪廻の赴きを決めていくのは、心の連続体(微細なる心の相続)における業・カルマのありよう次第となります。

これから先において、人や動物に生まれて肉体を何度も持とうが、心相続における業・カルマがそのまま悪い状態、あるいは、無明・煩悩によって更に悪い業・カルマも積んでしまっていては、結局は、迷い苦しみの世界(輪廻)を彷徨い続けることになってしまいかねません。

心をより善くに陶冶せずに過ごしてしまえば、どの輪廻であっても、つらく、しんどく、苦しくなるのもやはり結局は同じことに・・

しかし、今生においては、この迷い苦しみの輪廻を超えるための有り難い仏法を学び修せれる人としての稀有貴重なる境涯として生まれられました。それは、前世、過去世における善き因縁(原因と条件)があってのことであるからだと存じます。「因縁無くして結果無しです。」

この機会に、できましたら更により善き赴き(更に仏法を修行できる天界や浄土など)へと向けて、是非、今生においてもできる限りに仏法を学び修して頂けましたら有り難いことであると存じております。

川口英俊 合掌

2017年3月8日 13:40
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おきもち

川口 英俊
「僧侶は、悩む人に正しいくすりを調剤できる薬剤師であれ」 http:...

気持ちを抑え込んでいませんか。

ひかり様
こんにちは。拝見させていただきました。

さて輪廻転生のお話とお伺いしました。これはあくまで「仏教徒」が考えるものですので、極端な話をすれば仏教を信じない人には関係なく、仏様の教えを信仰する人にとっての輪廻転生というお話です。

まず仏教は輪廻転生を「止める」教えです。輪廻とは苦しみの連鎖です。そしてそれを止められない。ですから輪廻を止める(解脱と言います)のが仏様の道です。ひかりさんが人生を苦しいと考えておられるのはごく自然な事でこの世の全ての人間は多かれ少なかれ悩み苦しみの中に生きていると言えます。その苦しみをとめる道が仏様がお説きになられた教えとなります。人間として生まれた事が稀な事、尊い事として説かれるのは、仏様のみ教えを聞くことが出来るからです。仏教徒から見れば、ひかりさんは仏様との御縁を持たれたわけですから、過去世において尊い善行を行われたからだと思います。

難しい話は置いておきまして極端な言い方をすれば苦しみの原因は「思い込み」と「勘違い」です。私たちは「こうあるべき」という価値観を知らず知らずに信じてしまって自分を縛ってしまいます。特に優しい人は自分で自分を裁判にかけて断罪してしまう。もちろんうつなどの病気の場合は、脳の病気でありますから感覚器官が鈍くなったり思考が固くなったりという症状がみられる場合があるので投薬が必要な場合もあります。

「みにくいアヒルの子」の童話をご存知でしょうか?読んでいる私たちにはみにくいアヒルの子は白鳥の子だとわかりますが、当の本人は「アヒル」としての価値観の中で育てられたために疑いを持つことすらないのです。

「ひょっとしてつらいと思っていたのも、何かを思い込んでしまっていたのかもしれないなぁ」とつぶやいてみる。それだけでも変わると思います。また遠慮無くハスノハへ投稿してくださいね。お待ちしております。合掌

追記 お返事有り難うございます。嬉しいです。言葉足らずな私ですみません。字数制限のため少しだけ補足します。苦しみを感じているのは事実です。感じている事は本物です。ただ、それ生み出している原因の「解釈」には差がありますという事です。私の友人は車の事故で入院しそこで会った看護師と結婚しました。不幸でしょうか幸福でしょうか。ポストイットは接着剤の失敗作から出来ました。これは失敗でしょうか。不思議ですよね

2017年3月11日 14:23
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有り難し
おきもち

御縁があって一般人からお坊さんになりました。現在は小さなお寺の住職をさせて...

質問者からのお礼

聖章 様
ご回答ありがとうございます。
いつまで耐え続ければ良いのでしょう。
この世が因果応報と言うならば、前世での私はどんな悪行をしてきたのでしょう。
もうこれ以上、私の時代に背負わなくとも良いのではないかと考えます。
そろそろ次の者に渡しても良いのかと‥考える日々です。



********
聖章 様
追記ありがとうございます。
生きているだけで迷惑です。
でもそれで周りが徳を積むと考えたことありませんでした。
ごめんなさいの毎日は辛いです。
輪廻転生より無と思える方が良かった。



********
川口 英俊 様
ありがとうございます。
輪廻転生があるならば、悪いカルマを残しました。
無が良いです。
そうなれないなら、次はペットの犬や猫が良いです。
人間はしんどいです。
極楽浄土は暖かくて眩いです。



********
聖章 様
再度の追記、私に良いと思われた映画、ありがとうございます。見てみます。
ディズニー、グラフィック映画苦手ですが、頑張ります。

私は解離性障害(健忘、離人、同一性)です。
生まれたときからなら良かったです。
子供の頃から他者が原因で障害者になっていたと、悪夢とPTSDで知りました。
悔しさ辛さ惨めさです。

何度も個性と考える様にしたけど、勝てません。
ごめんなさい。



********
けんじゅ 様
わかりやすいご回答、ありがとうございます。

最初に書いておきます。
私は診断名「PTSDに伴う解離性障害とうつ病」です。
原因は、幼少期の性的いじめ、小3~実兄から繰り返された性的虐待、母親の躾と言う名の虐待、貧困、両親の不仲、などです。
7歳頃から、他者といるときは別人格が生きてきました。
現在もそうです。

記憶の共有が出来ないため、私には殆どの記憶がありません。
家族との思い出、学生時代の出来事など、全てです。

しかしながら、これが生き辛さと言うより、“根底に刻まれた”『人間厭悪』、『人間は裏切る動物』の方が、影響が大きいと思います。

なるほど、この普通とは思えない出来事、別格だと感じる辛さが苦しさが思い込みだとすると、人生殆ど全てが楽に感じますね。

こんな目に合いながらも、仏様との御縁をいただいたから、前世は良い行いをしてきたと言うことですね。


私は自身が醜い(辛い)と思っているけれど、周りから見たら白鳥(楽)なのですね。


・・と、とりあえずこの様に呟いてみると、何か変わってくるかも知れないということですね?


・・・・何でも良いです 変われるならば。


(何でも良いです とはとても失礼な言い方でした。ごめんなさい)



********
けんじゅ 様
追記をありがとうございます。

けんじゅ様は私の様な者の痛みを理解できますか。

私が病気から得たものは、そういうものです。
精神的に辛い思いをされている方を理解すること…確かに得ることは出来ました。
しかし、無くしたものの方が大き過ぎました。

人と触れ合う自分は別の人格だと。
家族との絆は脆くも崩れ。
仲間と思っていた友人たちは皆離れて行く。
健康から病気へ。
楽しいことがなくなり。
気力も体力も奪われ。
人生後半の希望も捨てて。
全てを無くしました。

そういう者が輪廻転生を考えるとき、早めの肉体の死を望むことが悪いことだと言えますか。

まさしく解釈の差ですね。
ありがとうございました。

「輪廻転生」問答一覧

輪廻があるなら、私は天界も地獄も見て来たのでしょうか?

こんにちは。 前回質問で、輪廻思想がどうも腑に落ちない、と主張した者です。 ただ、輪廻に限らず、事物が「ある」とも「無い」とも断定するのは中道の教えに反すると感じるので、輪廻思想の側からも質問させてください。 輪廻転生があるなら、私は六道あらゆる世界を見て、生きて来た事になりますよね。何しろ仏教の宇宙観は無数劫の時間スケールで成り立ってるのですから。 また、私は、いわゆる地球外生命というものも、必ずどこかの惑星で誕生し生を営んでいると信じています。 そうなると、私の魂(?)は天上界のめくるめく壮麗な世界も体験して来たし、地獄の底の恐ろしい責め苦も受けて来た事になりますよね? また想像を絶するような異星の光景も目の当たりにしてきたのではないでしょうか? 輪廻転生が教えているものって、 「そういう一切合切の有情は、別個に生きているのでなく、過去、現在通して、物質から魂のレベルまで、密接に繋がって生きてるんや。天人も地獄の衆生も、あらゆる命も決して他人事じゃおまへんで。なにせアンタがそれ自身だったんだからな。」 と言っているようにも思えるんです。なぜか関西弁ですが。 そういう所から、いわゆる慈悲って生まれるのでは無いでしょうか? 生前や死後を無記とするのは「智慧」ですが、また輪廻をわが事として受け止めるのは「慈悲」の根源なのかな?とも思います。 この2つの考えは矛盾するものではないとも、私には思えます。 お坊様方は輪廻と言うものをどのように受け止めてるのか、気になったので再び質問させて頂きます。 お考えを聞かせて頂ければ嬉しいです。

有り難し有り難し 13
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有り難し有り難し 36
回答数回答 3

輪廻からの解脱

回転寿司が大好きで週に一度は食べに行っています。 そこで、hasunohaの左上のロゴの類似であるホッキ貝より、味は赤にし貝、歯ごたえはつぶ貝が好きだなと気づきました。 気付いたんですが、ホッキ貝も食べますし、赤にし貝やつぶ貝のみ食べるという事をしませんでした。 そして回転するベルトコンベアを見て、自分の輪廻からの解脱は本当に難しいなと感じました。 今回の『輪廻』の定義は死んだ後の話ではなく、 『執着する限り何度でも苦が繰り返される、因果応報としての輪廻』です。 (本を見たりネットで調べたり人に聞いたりしたわけではなく、毎日自問自答しているうちに『生きているうちにも輪廻している』と気づきましたので、これは仏教やブッディズムでいう輪廻ではない、というご意見もあろうかと思いますが、その場合は正しい言葉を教えていただければ有り難いです) 気付いてもなかなかやめられない、そして心に余裕がなくなったら外的要因のせいにしている自分の心がいます。 ダンマパダや七仏通誡偈の中に、 諸悪莫作(サッバパーパッサアカラナン) 衆善奉行(クサラッサウパサンパダー) 自浄其意(サチッタパリヨーダパナン) 是諸仏教(エータンブッダーナサーサナン) がありますが、白楽天に言った道林禅師の『3歳の子供でも分かるが80歳の老人にもできない』という偈に自分の経験を当てはめて痛感しております。 僧侶の皆様は忘れてしまったらしょうがないのですが、忘れてしまいそうなときはどのようにして忘れないようにしていますか。 (忘れてしまいそうなときは忘れていないから、忘れることはない、という答えもあるでしょうが) 苦の輪廻を寿司で例えると味にアクセントを与えるワサビ(たまに多くつけすぎたり少なくつけたりして苦しむがちょうどよい辛さを探している)だと、勘違いしている自分がいるのかな? と迷ってしまっています。 いや、違う。ただ何も考えてないだけですね。

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