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輪廻転生について

 私が仏教の入門書で最初に目にしたのは「仏教の目的は輪廻転生からの解脱である」ということでした。

 外国の仏教では輪廻転生が信じられていますが、日本の仏教ではその話は殆どおこなわれていません。

 その理由を知りたいです。死に対する最も重要な事項だからです。

 

仏教
有り難し 27
回答 5

質問投稿日: 2018年11月2日 19:56

回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。
回答僧

鳳林寺

光禪

輪廻を解脱した教え

 お釈迦さまの生まれ育ったインドはカースト制度という厳格な差別制度がありました。過去の行いによって、そのカーストに生まれてきたという輪廻の思想とセットで信じられていたわけです。お釈迦さまは、その考え方を否定しました。そういう意味で、お釈迦さまは「輪廻(思想)」から「解脱」したのです。ですので仏教は、輪廻からの解脱を目的とした教えではなく、輪廻を解脱した教えが仏教といえます。
 一方で、輪廻の考えは、当時のインドでは「エジソンはえらい人」とか「キヨスクは駅の中」くらい常識とされていました。仕方がないのでお釈迦さまは輪廻を否定しながら、輪廻の考えを仏教に取り入れました。なので今でも仏教と輪廻はセットになってしまっています。でもホントは否定してるんですよ。

 日本の仏教で、現在あまり輪廻について語らないのは、仏教と輪廻はやっぱり矛盾しているからだと思います。それと、輪廻を語ると差別につながるからです。最初に書いた通り、差別のために輪廻思想があったわけですから、輪廻を語れば当然差別に繋がっちゃう訳です。お坊さんたちは差別をしません。だから輪廻を語らないのだと思います。

15日前
回答僧

願誉浄史

追記11月5日 往生極楽

「迷わず成仏してください」とかも、輪廻転生からの解脱のことを意味します。
たぶん、昨今の日本では、お坊さんの説法を聞く機会が少ないから、輪廻転生について話を聞くチャンスが少ないのだと思います。
輪廻転生からの解脱は仏教の基本なので、説かない理由はないと思います。
生への執着、渇愛、煩悩は、悩み苦しみの原因です。
煩悩をなくして生きることに完全に満足したら、もうそれ以上生きる必要がなくなるので、輪廻から解脱できます。

日本の仏教宗派で最も信徒が多いのが浄土真宗です。さらに、浄土宗や時宗、天台宗・真言宗も含めれば、極楽浄土への往生を説いているお寺はかなり多数になります。
極楽浄土への往生も、六道輪廻からの解脱と言えます。
ただし、極楽に往生しただけでは完全な解脱ではありません。極楽浄土には六道のうち三悪道(地獄・餓鬼・畜生)がないのです。
また、極楽浄土では不退転という悟りのランクに入ります。
不退転は、レベルダウンしなくなるという意味です。
極楽浄土に往生したら、輪廻転生からの解脱に向けてまっしぐらです。
ただし、浄土教では、
自分だけ悟ってさっさと輪廻から解脱するのではなく、極楽浄土で神通力を身につけたあと輪廻の世界に還って来て衆生を導く活動をしたい、と願う思想もあります。

追記11月5日
極楽浄土には三悪趣がないと説かれており、人がないとは説かれていないので、極楽浄土には天も人もいると思えます。
また阿弥陀経には「得与如是緒上善人倶会一処」というフレーズがあります。
極楽浄土に生まれることを願うべきである、その理由として、素晴らしい善人達と同じ場所で会えるからだ、と説明しています。
「諸上善天」ではなく「諸上善人」なので、極楽には人(聖者達)がたくさんいると思われます。

日本で浄土教が盛んになった背景には、末法思想があります。
現在の娑婆世界は末法の世であり、正しい修行も悟る者もなくなってしまった、もはやこの世で成仏するのは不可能だ、という時代認識は、厭離穢土に通じると思います。
また、阿弥陀経では、この世界を五濁悪世と表現しています。
五濁の世において最高の悟りを得た釈尊を、諸仏(他の世界の仏達)が称賛していると、阿弥陀経では説かれています。

追記11月6日
身体を観察することで苦・無常・無我に気付くことができ、悟ることができるのではないでしょうか。

15日前
回答僧

大慈

異教の輪廻と仏教の輪廻とあります

私は日本の禅と東南アジアの上座部とどちらも実際に見ましたが、南伝の上座部仏教でも『在家信者や短期出家者は現世利益・来世利益。本格的な出家修行僧は個人の輪廻を論ぜず』という二重構造になっております。必ずしも来世への輪廻転生が海外の仏教の中枢の教えに据えられているわけではありません。あくまで一般向けの教えです。(チベット密教は分かりません。)

では『出家修行僧は個人の輪廻を論ぜず』というのがどういうことかと申しますと、仏教は無我が大前提です。ゆえに仏教における輪廻転生は、私に来世が有るか無いか?という話ではなありません。
戦前戦後はお見合い結婚が普通でしたが、個人主義の流行と共に恋愛結婚が常識となりました。ところが恋愛結婚もいろいろ立ち行かず、婚活の時代になりました。
そのように精神性と物質面が様々に影響し合って続いていくことが仏教の輪廻です。

つまり入門編のころは「善い行いをしなさい。そうすればまずは現世で、やがて来世で楽を得るでしょう。」と説きます。そこから次第に「自分⇄他者や、過去世⇄現世⇄来世という我を立てて分類する発想そのものから解脱しなさい」とシフトするのです。

お釈迦さまが決して回答しなかった十の問い『無記』というものがあるのですが、その中に「如来は死後に存在するかしないか」という項目が含まれます。つまりお釈迦さまは「悟ったら生まれ変わらなくなるかどうか」についてお答えになりませんでした。解脱とは来世が有るか無いかという部類の話ではないということです。

ところで返信に引用しておられる一句は完全に差別を肯定し、助長する思想です。しかし金剛般若経に差別思想が含まれるから取り扱いに注意しろというのは聞いたことがありませんし、ググっても出てきませんでした。現代語訳にかなり問題があるように思われます。どなたの本で読まれたのでしょうか?

15日前

いくつか理由があるように思います。

ご質問を拝読させて頂きました。
確かに日本仏教は輪廻について語る事は少ないように感じます。
それは、まず輪廻思想を日本人が信じていないからでしょう。
それは日本仏教の僧侶にも言えます。
元々、輪廻思想は仏教独自のものではなく、インドの生活圏内に暮らす人々にとって伝統的な常識ですので、信じる信じない以前のものです。
また、思想はその土地の風土によって醸成されますので、気候も文化も違うインドの輪廻思想をそのまま日本人が受け容れられないのは仕方がありません。

次に、仏教が中国を経由して日本に入ってきたことです。
インドから中国に入った仏教ですが、先述した事と同様に中国人はそのまま受容することはしませんでした。
老荘思想などに見て分かるように、当時の中国人の思想に死後への興味は見られません。
そのような中国人が中国人のために作り直した仏教が禅宗です。
そして、日本では禅宗の一派である曹洞宗寺院が一番多いことは周知の通りです。
それに加えて、輪廻とは別次元の浄土を設定している浄土宗系が日本仏教の大勢を占めることを考えると、輪廻があまり触れられないことは自然なことのように思います。

釈尊は輪廻を説かなかったはずだという意見も日本仏教界には散見されますが、パーリ五部などを見るとその意見は無理があります。
しかし、同じくパーリ五部やスッタニパータなどを読んでも積極的に肯定したわけではないように感じます。

15日前

仏教の目的

来生様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

仏教の目的は、確かに輪廻からの解脱となりますが、それはあくまでも一過程としてであり、一番の目的は、悟りを開いて、衆生たちを導き救うこととなります。

輪廻というのは、迷い苦しみの繰り返しのことで、そんな存在に生じ続けることを転生というところとなります。

転生は、何も人としての存在だけではなく、畜生や餓鬼、あるいは天、修羅等、さらには、物質のカタチをとる者もあれば、物質のカタチをとらないものもあり、私たちには知覚できない意識のカラダを表わすこともあります。

しかし、悟りを開いて仏陀になったからといっても、世界に生じないということではなく、迷い苦しみの輪廻には生じないけれども、衆生の救済のために、報身や応身としてのお姿をとられて現れられることはあります。

とにかく、輪廻の中にある限りは、大なり小なりにも皆一様に迷い苦しみ続けるのは、過去世からの無明と煩悩による悪業の果報であり、その果報を仏道による善業によって、悟りへと向けて調えて参りたいものとなるのであります。

川口英俊 合掌

15日前

質問者からの有り難し - お礼

 早速のご回答有難うございます。

 輪廻転生からの解脱とは平たく言えば生まれ変わらないことだと思います。

 それが大変難しいから、修行が必要なのではないでしょうか?

 普通は生まれ変わるのが当たり前と言う前提があると思います。

  最近金剛般若経に目を通す機会があって、読み進んでみると、次のような記述に出会いました。

 引用開始

 説法の本質
 「それはなぜか。スプーティよ。如来(釈尊)は真実を語るものであり、如来は真理を説くもの、ありのままに語るもの、誤りなく説くものだからである。如来は虚偽りを語るものではない。」
  (後略)
 修行にはどのような作用(業)があるか
 (前略)
 (十六a)「しかしながらスプーイィよ、良家の子女たちが、このような経典を(自ら)把握し、記憶し、読誦し、理解し、さらに根底的に考察(如理作為)して、他の人にくわしく説明するとしても、彼はいやしめられ、ひどく軽蔑されるであろう。それはなぜか。スプーティよ、そのような人々は、悪趣に生まれる結果を招くさまざまな悪行を前世にしており、(彼らは)現世でいやしめられてることによってはじめて、その前世になしたさまざまな悪業が破棄されて、仏陀の悟りを得るからである」
 (後略)

 引用終了

 輪廻転生を真実としなければ、釈尊がこんなことを語らないと思います。

初めてなので、勝手が判らず。始めのお二人様にはまとめて御礼申し上げ、大変失礼致しました。

 以後個別に御礼申し上げますが、何しろ頭の回転が悪いものですから、時間が掛かることをご容赦ください。

 大慈 様 ご回答を有難うございます。

 早速ですが、私が読んだ金剛般若経は長尾雅人訳となっています。

 釈尊の説教は単純明快で、自身の断りが無ければ、言葉の本来の意味を語っていると思います。

 日本の仏教が多くの宗派に分かれているように、解脱のレベルは多岐にわたっているのではないでしょうか?

 釈尊の説教は主として弟子に対するものが多く、その会話には輪廻は出てこないと思いますし、弟子には「無記」と厳しく戒めています。「無記」は一般論には適用できないと思います。

 弟子にはあの世もこの世もない涅槃を求めて居ますから。

 しかし衆生に対しては、涅槃が不可能なために、浄土真宗のように人間界でなく天界(浄土)を勧めていると思います。それも生まれ変わらないという意味で解脱ではないでしょうか?

 すると解脱できない人は、輪廻転生になると思います。

 転生には前世、現世、来世があると思います。

 柳原貫道 様 ご回答を有難うございます。

 確かに風土や地域性あるいは伝播経路等で正しく伝わらなかった可能性もありますが、骨子は充分正確であるように思います。

 その受け止め方が、釈尊の説教通りではなく、解釈者の意思でゆがめられているように思います。

 仏教は神が存在しないために、宗教性が薄いと感じています。

 即ち真理(空性)と論理(縁起)によるこの宇宙の真実を語っていると思います。(般若心経)

 最初のお礼文のように釈尊(如来)は真実しか語っていないと断言しています。

 従って釈尊が意訳をしない限り、輪廻転生は文字通りの解釈でなければなりません。

 日本の仏教は、そこのところが歪められているように思います。

 従って日本では輪廻転生が話されないのではないでしょうか?

川口 英俊 様 ご回答を有難うございます。

 ちょっと理解に苦しみます。

 我々衆生は解脱すらおぼつかないのに、悟りを開いたのち、救済が第一の目的とは理解できません。

 先ず解脱のための心構えが第一ではないでしょうか?

 六道輪廻は「チベットの死者の書」でうすうす理解していますが、死後の様子についての関心は持たないようにしています。

 光禪 様 大変遅くなりましたが、改めて御礼申し上げます。

 「お釈迦さまは輪廻を否定しながら・・・・」とは初耳です。

 輪廻は、人が死んでも人体の一部、普通は心が生き続けるのが起因です。

 輪廻の解脱の究極は涅槃、即ち「心の死」です。

 涅槃は並み大抵の努力では到達できない境地です。

 幸いなことに心を清くして人生を終われば、死後心が生きていても輪廻から逃れる(浄土)幸運が得られることがあります。

 輪廻を否定することは、死後身体と共に心も死ぬことです。

 「心の死」は涅槃です。誰でも努力なしに涅槃を得ることが出来るということになります。

 即ち死後が無いという考えは、仏教は無用の長物という考えに等しいことになります。

 従って「お釈迦さまは輪廻を否定しながら・・・・」はあり得ないと思います。

 願誉浄史 様 大変遅くなりましたが、改めて御礼申し上げます。

 我々衆生には浄土教の説教はありがたいです。

 しかし極楽浄土は六道輪廻の天界の事ではないでしょうか?

 同じ迷界でもせめて人間界ではなく天界を目指せと教えているように思います。

 浄土真宗の集会で説教を受けたことがありますが、人間界に生まれたことの喜びを感謝するようにとの説話がありましたが、天界を目指すお話は何もありませんでした。

 浄土の位置付けが大事だと思います。人間界にまた生まれたのでは何もなりません。

 最も重要なのは「厭離穢土 欣求浄土」だと思います。

 欣求浄土は誰もが理解していますが、厭離穢土に触れている説教は寡聞ながら知りません。

 この世が穢土であるという認識が重要であります。

 それが解脱の第一歩だと思います。

 願誉浄史 様 追記を有難うございます。

 実は私は浄土教については全く何も知りません。

 ただ論理的にこうであろうと考えているだけです。

 なぜ浄土へと願うかについて考えてみます。。

 生老病死の四苦はすべて身体に依存しています。

 身体と共に心が死ぬなら、身体は重要な要素です。

 しかし心が死後も生き続けるなら、身体は心にとって有害無益です。

 心は身体の保全に大部分の労力を費やします。身体と共に心が死ぬと錯覚しているからです。

 身体の保全の基本は、空気と水と食料です。中でも食料の確保は大変な労力を必要とし、悪いことに他の動植物に対する殺生を強要します。

 それが人間同士の醜い争いを引き起こし、平和に過ごせることはあり得ません。

 飢餓状態の人間の行動を想像すれば、理解できるでしょう。

 これが穢土です。

 再び生まれ変わりたくないという、厭離穢土はここから発生します。

 それが浄土へのあこがれになると思います。

 願誉浄史 様 追記2を有難うございます。

 願誉浄史様の悟りがどんなものか存じませんが、もし釈尊のそれと同じであればすでに明確になって居ります。

 般若経では悟りは「智慧の完成」として語られ、それは空(正確には空性)であるとなっています。

 仏教は神が存在しないために、真理と論理による真実が語られています。

 従ってこの世の真実については、科学的合理性が求められます。

 釈尊の悟りについては、水野弘元先生の「釈尊の生涯」に詳しいです。

 それを引用しますと「成道と三明六通 (前略)そのうち初夜には、過去に関するすぐれた智慧としての宿命通(宿命明)を、中夜には未来に関する智慧としての死生智通(天眼明)を、後夜には世界人生の真理に関する智慧としての漏尽智通(漏尽明)を得たとせられる。

 (後略)」

 先ず過去世について悟りましたので、何代もの自分の過去を知ったのです。即ち輪廻転生を知ったのです。

 最後に「世界人生の真理に関する智慧としての漏尽智通(漏尽明)を得た」のです。

 世界人生と言うのは意味が分かりませんが、世界を宇宙に置き換えると、宇宙人生となります。

 宇宙は人生とは言いませんから宇宙生成の真理となります。

 空を科学的合理性に置き変えるとエネルギーとなります。

 悟りとは、心をエネルギーに戻すこと、即ち心の死(涅槃)です。

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