hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

「動物・ペットについて」問答(Q&A)一覧

愛犬の将来への悲観

大事な大事な愛犬について、聞いてください。 私は主人と愛犬のチワワと三人暮らしです。子供のいない私たち夫婦にとっては、愛犬が子供の同然の存在で毎日、とてもかわいく愛おしく思っています。 主人も私も、わんちゃんを迎えたのは、初めてで、慣れないながらも、一生懸命、お世話をしてきました。 その愛犬についてですが小さい頃からよく、右の前足をあげる癖があります。 性格もおとなしく、どちらかというと怖がりな方で、わんちゃんは不安な時前足をあげる習性があることも知っていたので、癖なのかな?と思っていました。 しかし、よく上げている姿を見るので、ワクチンの時などに、かかりつけの先生に相談してみました。触診をしてもらい、大丈夫ですよ、痛がる様子もないし、走るなら、ただの癖ですよとのことでした。 それでも、やはり、前足をあげる姿を見るので、病院に行く度に相談したのですが、癖だからとの診断を受け、先生もそういうならと思っていました。 ある日、その愛犬が、咳をし出し、その先生の病院がお休みだっため、違う病院に行って診てもらいました。 その際、前足も併せて診てもらい、レントゲンをとってみましょうとのことで結果を聞くと… 肩関節の完全脱臼との診断でした。時期は生まれて間もなくくらいだろうとのことでした。 幸い、痛がる様子もないし、本人も、反対の前足とちょっと違うなってくらいとは思ってるんではないかとのことで もうすでに成長して、骨も筋肉も出来てるから、手術してもかなり、リスクが高いとのことでした。 早い話、脱臼してる肩に何にもする術がないという意味です。 頭が真っ白になりました。 私、情けなくて、悔しくて、愛犬に申し訳なくて、親失格…愛情を注いでいたつもりでいたのに 私は何を見てきたのだろうと 前足をあげる姿は、気づいていたのに、もっと強く先生に訴えてたら、違う病院にも早くに行っていれば、もっと何かできたかもしれないと思い悔しくて悲しくて仕方ありません。 今回どのように気持ちを持てばいいのだろうかと思い、質問させていただきました。 私が悲しんでいたら愛犬も悲しむと頭では分かってはいるのですが、心がついてきません。 脱臼している方だけではなく、もう片方の前足にも負担がかかるので、将来的に歩けなくなったりしたらと不安ばかり募ります。

有り難し有り難し 12
回答数回答 2

猫を轢いてしまいました

1月1日に親戚の家から帰る夜道で車で猫を轢いてしまいました。 運転していたのは母で他に私含めて3人いました。 いきなり横から出てきたので回避は不可能だったと思います。 でもその後車を停めることもなく走って行きました。 私と姉は停まらないのか等言いましたが結局そのまま家に帰宅してしまいました。当たった衝撃はありましたが、踏んだ感覚はありませんでした。生きていてくれればと都合のいい事を願ってしまうのですが、父は多分死んだと言います。 猫を轢いてしまった罪悪感の中、停まらなかった母と、仕方がないと言う父の言葉にショックを受けました。車の中で冷静になり、強く言えなかった事が辛かったのを覚えています。 あの時車を停めて病院に行けばよかったと後悔がありますが、もう遅いのは分かっています。 事故を起こした場所へ行き、花や線香でもあげられればいいのですが多分場所がわかりません。 遠いし場所で暗かったし轢いた時は皆パニックになってたので何処だったのか曖昧になっていると思います。 だから母と2人で神社かお寺で「猫が死んでいたら安らかに成仏してほしく、生きていたら傷が癒え元気になりますように」と気休めですが願いたいと思います。 乱文失礼しました。 私が質問したいのは、 ・猫の供養の為に神社とお寺どちらに行けばいいのか。 ・車はお祓いなどしなくてもいいのか。 成仏・供養と言っておきながらお祓いも聞いているのは猫に対して失礼だと分かっています。 でも私は家族が大切です。何もあってほしくありません。 本当に自分勝手だと思います。 猫にも失礼だと思います。 でも不安なんです。 どうか教えてください。

有り難し有り難し 57
回答数回答 1

動物の供養

私の知り合いにたくさんヴェジタリアンがいますが、私は菜食とは言えない部類です。 インドをはじめ世界の菜食主義者は、もちろん宗教上の理由からくるひとがほとんどだと思いますし、まわりもそうなんですが、 菜食主義者の方に “肉というのはやっぱり血なんだ、牛でも豚でも、屠殺場というのは、それはそれは悲壮な声が響き渡っていて、 殺されるときに生き物は、涙を流しながらものすごく負のエネルギーを発する。 そうした肉を体内に入れるということは、そうした負のエネルギーをも取り込むことになるのだ。それに加え現在の牛、豚、鶏の飼育状態というのはおぞましいものがあり、せまい家畜小屋に押し込まれて、ただ肉となるために生まれ、そして死んで(殺されて)いくのだ” ということを聞いて以来、私の生活の糧になる為に殺されたんだと、なんとも言えない哀しい気分になってしまいます。 やはり、動物が殺されるときは、負のエネルギーを発し、食することでその負のエネルギーを取り込むということは本当にあるんでしょうか? お坊さんの中には、四つ脚の動物は食さない方もたくさんいらっしゃると聞いた事があるんですが、お肉は食されますか? また、人間の生活の糧になる為に殺されていく動物への感謝や供養の仕方はどうすればいいのでしょうか。 お忙しいと思いますがご回答いただければ幸いです。よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 80
回答数回答 3

人と動物の違いを教えてください。

よろしくお願いいたします。 少しタイトルとは異なりますが。 お坊さんに聞いてみたい事があります。当たり前に心では理解していますが、理論的には解らないことがあります。 人は他の動物の命をいただいて生きています。動物でも植物でも人は他の命を自分に取り込んで生かされていただけている。と理解しています。 では、人が人を殺してしまう行為はなぜ悪だと言えるのでしょうか。憎悪のままに人の命をを手にかける事は当然いけない事だと解ります。では、それが人が生きていくこと。つまりは人が人を食すためだとしたらそれは魚や牛の命をいただくことと同等の正統的行為になるのでしょうか。 戦時中や遭難時など、緊急避難的な状況なら解りますが、それが今私たちの周りにある日常での出来事だとしたらどうお考えになられますか。 改めて申し上げますが、感覚的にそれは大罪であり、禁忌である事は解っております。 世の中には生まれながらに、なぜ人を傷つける事がいけないことであると理解できない脳を持って生れてしまう人間、学術的にいわゆる「サイコパス」という人間がおり、時に恐怖な事件を起こしますが、そのような方が上記のような質問をされた場合、どう説明されますか。 私も人の命の尊さを知る上で、言葉としても理解しておきたいと思います。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 73
回答数回答 5

動物虐待

こんにちは。 最近、未成年だから身元が割れないと思い未成年の子供達が力も無く生きる術も人間をたよわざる得ない小さな動物の虐待が増えて来ています。 今もSNSで安否確認して、レスキューしようとしている方が居ます。 絶対助けたい。 私は元々、動物が大好きで小さな頃から一緒に暮していました。 親達が 「犬は外!」 と捨て犬だった犬を庭に係留しようとした時に…。 私は家の中から、自分の枕とお気に入りの毛布を持って来ました。 「じゃあ、私も外!だって、この子は私の妹だもん!」 毒親の実父、初孫に甘い祖父、動物が好きではないが孫の言う事には従う祖母…絶句。 こんな行動を起こした物ですから、あの時代にミックス犬のお座敷犬になりました。 留守番が全く出来なかった私が、犬と一緒なら平気と留守番できるようになりました。 その犬も最後は、毒親の身勝手な再婚で何度も保健所行きになりましたが、私が全部阻止して親戚の叔母の家にお願いしました。 寿命を迎えて昇天してしまいましたが…。 今も私は沢山の犬猫、小動物に囲まれて暮らしております。 世話は大変ですが、それ以上に幸せと楽しみを浴びるように貰って居ます。 (たまに派手な悪戯されてしかる時も有りますが) 動物を虐待した愚者達の魂        と 動物を慈しみ可愛がり大事にして来た者の魂 これはどういう風になるのでしょうか? 天国と地獄、そんなありきたりな言葉では無く…。 詳細にどうなるかとか、魂の浄化?的な事はどうなるんでしょうか? 因果応報などと言う言葉も有るので、気になるんです。 私は動物保護(自分の出来る範囲)をしていますが、動物からの見返りなんて求めておりません。 一緒に居るだけで幸せです。 が、肉食をする人間と菜食主義の私。 色んなとこで、【殺生や虐待する他人】と違うはずと思ってお坊さんに質問を出させて頂きます。 宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 150
回答数回答 3

今回は猫を保護しましたが・・・

度々の質問、申し訳ありません・・・ 3週間前に、屋根裏で野良猫が出産をしました。 4匹ぐらい生まれたみたいなのですが、母猫が独り立ちをさせています。 そのうちの一匹が、突然、私の寝室の窓を叩いていました。 ずっとノックするので手を伸ばすと自然に抱っこされました。 とりあえず食事をと思い、ミルクを与えてみましたが、まだ自力で排尿や、ミルクも飲めない状態でした。 一旦保護し、昨夜の3時ごろ、啼いて起こされましたが、ようやく少し自分でミルクをお皿から飲んだところです。 正直言って、途方にくれています。私は、最後まで猫のお世話をすることは恐らくできないと思います。 前回は保護せず後悔しましたが、保護をした今も、自分のしたことの重大さに、後悔しています。 この国は野良猫が多く、また多産です。 そして、生まれたばかりの猫が次々死んでいっています。。 恐らく、猫だけではなくて、人間もそうなのでしょう。 発展途上国とは、そのような場所なのだと思います。 私は、基本的には自然の生態系に関わらない方針です。食事もヴィーガンで、できるだけ、生命体の大切な場所(根菜)を避け、再生可能な実(果物など)を、非加熱で可能な限り少量だけ食べて暮らすようにしています。 それは、私の生命を維持するために、犠牲をできるだけ少なくしたいという気持ちからなのです。 猫を助けるということは、他の生物(魚)を消費させることです。どちらの命が尊いということはなく、私が関わるべき事ではないと思うのです。 私はどうしたらいいのでしょうか? 今後、どのように生きていったら良いのでしょうか・・・

有り難し有り難し 11
回答数回答 2