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動物について

回答数回答 7
有り難し有り難し 108

殺処分や、動物実験、その他諸々について心を痛めてます。
罪のない動物の恐怖や悲しみ、苦しみは、彼らにとっての進化の過程で、必要な意味や理由があるのでしょうか?
とても感情移入をしてしまい、どうすれば傷つかず考えることが出来ますか?


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お坊さんからの回答 7件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

それでも、それはアナタではない。

道徳、倫理上、そして動物愛護の精神からすれば、動物とて私たちと同じ命です。
その生命を軽んずるようなことは無いに越したことはありません。殺処分を食い止める活動をなされている方の活動に加わるという方法もありましょう。
ですが、その以前にこれは我々人間の心の働きの一つとしてお考えいただきたいのでありますが、
「過干渉をしない」という事、これに尽きます。
感情移入、相手の気持ちになる、投影する、同情する、思い入れを深める、というと良いことのように感じられますが、それによって自分の心が情報に、染まる、毒されている面にもお気づきください。
人間は、情報から影響を受けてしまうことで心が痛むのです。
仏教でいう所の涅槃、悟り、遠離とは、それらに処してもそれらに心が毒されない心のありかたを見出しなさい、というものです。すこし冷静になれるよう、あえて距離を置かれる視線も大切に。
今日もどこかでどなたかが亡くなり、沢山の命が殺処分されてしまっている現状は確かです。
ですが、それらすべてを自分一人で背負いこみ、それらの負のエネルギーに影響を受け、心が毒されますと精神衛生上もよろしくありません。人が一人でできることには限りがあるのです。
そのものから受ける負のイメージを打ち捨てて、そのものを、そのまま受け取るあり方。情報に毒されない心。
具体的に動物たちの命を救わんとする行動や解決策は、それができてからであると思います。

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有り難し
おきもち

丹下覚元(たんげかくげん)
☎お悩み相談 📞08020659278 法話禅会 毎週日曜3時より...

私は、せめて、傷つきたい

makiさん

動物実験の残酷さについて、私も思い悩み、調べたことがあります。

日本の法律では、新成分配合の薬品・化粧品等を販売する際、厚生省に動物実験のデータを提出しなければならず、そのため毎年30万頭(匹)以上の動物が、極度の苦痛を味わいながら「殺されて」います。

欧米各国では動物愛護の観点から動物実験を禁止している国も増え、代替として培養細胞を用いた方法も開発されています。日本でも資生堂が動物実験廃止を廃止すると発表した事はニュースとして報じられました。

科学の進歩と共に、動物実験を伴わずに人間への安全性を保証する方法が確立されつつあるのだと思います。ぜひ多くの企業に、多少コストがかかったとしても動物実験を減らし、あるいは廃止する方向に進んで頂くことを念じています。

厳しい言い方をしますが、makiさんの仰る「どうすれば傷つかずに考えることが出来ますか?」という問いは、「どうすれば現実から目を背けることができますか?」「どうすれば罪悪感を感じないで済みますか?」という問いとして、私は受けとめました。

私はそうではなく、今までの現実を受け入れ、今日まで人類の安全に寄与してくれた命に対し、深く哀悼の意を表するしか道はないと思います。

そして今後、苦しみのうちに最期を迎える命が少しでも減ることを念じ行動すること。
ひとりひとりが生き方の選択をすることによって、それは実現に近づいていくのではないでしょうか。

〜追伸〜
makiさん
「お礼」拝読。そこまでの苦悩とは読み切れなかった事をご容赦下さい。
それほどまでに深くお考えであれば、食事をすることも、薬を使うことも、何もかも辛く感じるのではないかと心配になってしまいます。

本文の繰り返しになりますが、深く哀悼の意を表し、生物たちの苦が減ることを念じ行動する。全てを救うことが出来ない以上、出来ることはそれしか無いのでは、と考えています。

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有り難し
おきもち

浦上 哲也
横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗...

makiさん

殺処分や、動物実験、その他諸々について心を痛めてます。 。。。。

こんにちは。
そうですね〜 どんなものにも、命があり 尊い。

命を尊ぶ一方で、私たちは、 他の命を 犠牲にして、我が命を保っています。
そうして、私たちは 生かされている。なんとも、罪深い私たちなのです。

心を痛め 悲しむことが出来る makiさんは、とても素敵な方だと思います。
報謝の気持ちを忘れずいることが、今 出来ることでは ないでしょうか。

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有り難し
おきもち

はじめまして(*^^*) 中田みえです。 住職として、中学生の息子の母親...

私は昔、昆虫が大好きでした。

 私は子供のころ昆虫が大好きでした。しかし、いつの日にか昆虫が急に触れなくなり、カブトムシやクワガタなど珍しい昆虫以外は触れなくなり、害虫と呼ばれるものは殺生しています。
 そんな私ですが生き物に関しては、早川いくを先生著『変な生き物』を読み、『飛び出せ!科学君』が放映されるようになり、人知れず生き物に関して興味が湧き起こりました。
 私は特に絶滅危惧種、絶滅した動物についてmaki様と同じような感情が湧きます。
 最近、日本カワウソが絶滅しましたが、この事実、皆さんはどう受け止めてらっしゃるのでしょう。「日本カワウソいなくなって、私たちの生活にどう影響するの?何にも変わんないじゃん。」と思っている人が多いと思います。「地球温暖化防止のため、木を植えて緑を増やそう。でも、木を食べるカミキリムシの幼虫は退治しよう。」私には意味が解りません。「養殖のフナや鯉などが大量に食われるから、タガメを退治していたら、今や絶滅危惧種。今度はビオトープなどを作り、保護しよう。・・・。」挙げればキリがありません。まさしく、エゴの塊ですわ。
 こんな時は傷ついてばかりいないで、験を担ごう。「朝の蜘蛛は縁起がいい。」「蛇の脱皮の皮はお金が溜まる。」「百足は軍神。勝利を導く。」「鰯の大群を見たら、大物がかかる予感(笑)」などなど。挙げればキリがありません。生き物を粗末に扱うと験を担ぐことすら出来なくなります。
 地球上にいる人間たちよ。いつか「窮鼠猫を噛む。」されますよ。

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有り難し
おきもち

ちょい悪坊主を目指しています。尊敬する人は一休さん。

多くの命に支えられて

意味の無い生命は無いと思います。
全ての生命にその生存する意味があると思います。
しかしその生命を元に今我々が快適な生活を送ることが出来る。
そう思って亡くなった生き物の生命に感謝をして
今自分を今以上に良く生きていこうという様に
考えていけば良いのではないでしょうか?
全ての生命に感謝をして今を生きていく。

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有り難し
おきもち

50代、妻と娘2人。 若い頃はタイやインドなどアジアを中心に10年程旅行...

自然界のものたちへの感謝と報恩

maki様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えとなります。

この自然界においては、大いなる縁起としての営みがある中で、当然に動物たちが存在しなければ、もちろん人間も存在し得ないことは自明の理でございます。私たち人間においては、助け合い、支え合い、分かち合いの心を持って、自然界のものたちへの感謝と報恩が求められるものであるのではないかと存じております。

人間の傲慢さ、強欲さなどの煩悩によって引き起こされている悪い行為は、もちろん必ず悪い結果を招くこととなります。足るべきを知らずに必要以上までの自然界のものたちへの「傷つけ」もできるだけ避けれるようにしなければならないことであるかと存じております。

また、過去問におきましては、殺処分されてしまう動物のことに関して拙生も回答をさせて頂いております。皆様のご回答も少しくでも参考となるのではないかと存じます。

問い「私が殺したのでしょうか」
http://hasunoha.jp/questions/128

『・・皆、それぞれ、この縁起なる世界において精一杯に生きています。そのものたちにも少しばかりでも思いを寄せて、大事に大切に思い、頂いた「いのち」にも感謝して報恩を持って応えていくこと、例えば、少しでも自然環境のことを考えて、保護やエコを心掛けたり、ふと水におぼれて困っている生き物たちがいれば、そっと助けてあげたり、あるいは地面を気にして歩いて、生き物たちを踏み殺さないようにしたりと、ほんの少しでも気遣いができていけるようになれば、優しい、思いやりの心も育めていけるのではないだろうかと存じております。・・』

「罪のない動物の恐怖や悲しみ、苦しみは、彼らにとっての進化の過程で、必要な意味や理由があるのでしょうか?」・・この問いにつきましては、畜生として生まれてくることについての「縁」に依るところ、また輪廻のありようを深く考える必要もございますので、少しここでは詳しくは述べれませんが、自然界の助け合い、支え合い、分かち合いにおいての営みにおける役割は、各々にあると言えるのは確かでございます。私たちにおいては、動物たちへもできうる限りに無為なる「傷つけ」はこれからも避けて参りたいものでございます。

川口英俊 合掌

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有り難し
おきもち

maki様へ。

貴女様には、動物(一括りにしてご免なさい)に対し色々と思いめぐらす事も大事では有りますが、先ずは現実を受け入れ、
全ての生命の安全に寄与してくれた尊い命に対して、
深く感謝の意を持ち続ける事が其れらの命の供養と成るのでは有りますまいか。
私はそう思います。

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有り難し
おきもち

色々の悩み事がこの世には沢山有ります。 大学の卒論で密教天文暦法を研究致...

質問者からのお礼

浦上様、ご回答ありがとうございます。「どうすれば現実から目を背けることができますか?」「どうすれば罪悪感を感じないで済みますか?」そんな風には思ってないですよ。充分病気になるほど苦しみましたし、それでも想像の世界でしかなく私には彼らに代われる勇気もない、ガス室に入ることも麻酔も使われずに実験をされることも生きたまま皮を剥がれることも殺される恐怖を逃れられないことも自分には絶対無理なことが絶望的で、何の衣も纏わず痛々しい身体と、素直で疑うことすら知らない純粋無垢な心で引き受けている。想像するだけでも恐ろしい現実にへし折れますし、自分も動物を飼っていて心癒されて、そういった話から一時は、こんな柔らかい身体がと思うと触れるのすら躊躇したり、一緒に眠れなくなったこともあります。ただ動物の立場からして、彼らに取ったら理不尽な苦しみや痛みに納得のいく答えや理由を少しでもここで見出したかったのです。真に純粋な者は報われると教わりましたが、でも実際は弱く一番もの言えない逆らえない立場で、命の権利や生存やの自由がないかの様に扱われ、彼らに取って一体何の為の意味のある酷い経験なのかと疑問に思ったのです。

中田様、ご回答ありがとうございます。 報恩の気持ち大切にして、人として逆に動物たちに出来ることをしていければ良いですね!

沙門様、ご回答ありがとうございます。少しでも供養になるように毎日祈りを捧げたいです。

水上様、ご回答ありがとうございます。頑張ります。

川口様、ご回答ありがとうございます。「私が殺したのでしょうか」も、読ませて頂きました。本当に命にまつわることはとても深く、難しいテーマですね。生き物についての心がけ、大事にして生きて行きたく思います。『畜生として生まれてくることについての「縁」に依るところ、また輪廻のありようを深く考える必要』に、ヒントがある様な気がしました。

大鐵様、ご回答ありがとうございました。少し明るい気持ちになれました!カミキリ虫は、子供の頃お庭の木にいてとても大人しいのでよく腕に乗せて遊んでいたのがある日いなくて探すと地面で死んでいて、子供心に悲しくて大事に埋めたことがあります。キンチョールの影響も考えられます。人には人権があり、生き物にはないというのが腑に落ちないし、地球を一番痛めつけているのは人ではないかと思います。「窮鼠猫を噛む。」の日が訪れるかも知れませんね。全てを操れる人間だからこそ心してそうしないという生き方、命を大切に想う生き方を一人一人が意識していければ本当に変わりますね☆

浦上様、ありがとうございます。心配おかけしてしまい、申し訳ありませんでした。それまで言い切れなかったこと、自分の中で伝えたかった想いを聴いて頂けたこと、意見をして頂けたこと、ここで大分整理がついて来て心の落ち着きが少しづつ取り戻せて来ました。そうゆう明るい明日が来ることを、祈って生きますね。。

丹下様、ご回答ありがとうございます。何かそう仰って頂けたことで、心の錘が取れ少し軽くなりました。自分自身どうして良いか解らなかったので、自分の今の心の状態、それが今どうゆう状態であるのか、これからどうしていけば良いのか、気づかせて頂けました。そんな現実があるのに、自分は楽しく生きてはいけないとか、幸せになることは許されないと、どこかでいつも重い暗雲がかかっていたように思います。あまり感情移入し過ぎた日には、寝てるときに犬や猫が何匹か(多分その日殺された)部屋を横切ったりはしゃぎまわっていたこともあり、死んで苦しみから今は少しは解放されてるのだなとは感じたけど実態がないので悲しかったり、辛いことでも考えなくてはいけないと束縛をずっとしていた様に思います。色んな方に打ち明けても、私自身に対して元気出してとか言われるけどそれでは動物は浮かばれないと思って、今回追い詰められた末こちらに導かれたことがきっと今後の転機になると思えましたし、本当にここへ来て良かったと思います。

「動物・ペットについて」問答一覧

野良猫を放置したことを後悔

8年ほど前、家に寄り付いた野良猫が子猫を生み、里親を探しましたが見つからず、山に放しました。 その時は家では犬と猫を飼っていたのでこれ以上は保護できませんでした。いけないことと思いながらも見捨てられず、餌を与えてしまったら庭に住み着いてしまったようで、最初は人間を警戒していましたが私たちには心を開き、子猫を連れて戻ってきたのだと思います。可愛いので庭にいてくれることも嬉しく、しばらくの間見守っていました。 しかし近所の方にも迷惑になるし、これ以上子猫を産んだら良くないと思いましたがどうすることもできず悩んでいました。すると親が、野良猫がたくさん住んでいる山に放せば、生きていけるだろうと言いました。(餌をやりにくる人たちもいる山です。) 今から思えば不法遺棄になるのでやってはいけないことですが、その当時は猫のためにも私たちのためにもそうするしかないと思いました。 捕まえて車で連れて行きましたが、捕まえる時に逃げ惑った猫の姿があまりに可哀想で、ごめんねと泣きながら連れて行きました。山に放した途端猫たちは怯えて母猫と子猫はバラバラに走って逃げました。母と子猫は一緒に暮らせると思っていた私は、初めて酷いことをしてしまった、これでは生きられないかもしれないと思いました。 人間に裏切られた猫の気持ちや、怖くて寒くて寂しい思いをした子猫たちの気持ちを考えると今でも自分を強く責めてしまいます。 もっとよく考えて懸命な行動をすればよかった、猫を見殺しにしてしまったも同然だと後悔の念に苛まれています。 家族みんな動物が大好きですが動物を愛する資格もないと思います。こんな私はこれからどのような思いでどんな償いをして生きていけばいいでしょうか。

有り難し有り難し 15
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友達のペットを殺したかもしれない。

当時、私は小学校中学年でした。 友達の家はペットにフェレットを飼っていて みんなでよく遊んでました。 ある日 私がゴム製の星の形をしたおもちゃ(フェレットではなく友達のもの)をフェレットにひきつけて遊んでいたら 角の先っぽ部分1cmほど食べてしまいました。 私はびっくりして遊ぶのをやめました。 おもちゃを欠けさせてしまった事で 嫌われるのが怖くてその事を全て友達に黙っていました。 それから期間は曖昧ですが しばらくしてフェレットは亡くなりました。 死因は聞いていません。 あれから10年も経った最近になって初めて フェレットの誤飲が命に関わる事だと知りました。 今更になって私が殺してしまった可能性が高いんじゃないかと疑っています。 もし誤飲なら想像を絶するほど苦しく痛かっただろうし むごい事をしてしまったと申し訳なくやりきれない気持ちでいっぱいになります。 我が身可愛さに黙っていなければ 助かってたんじゃないかと考えてしまいます。 そうすると眠れなくなります。 罪の意識で潰れそうでとても苦しく 私は生きている価値がない人間に思えてきます。 嬉しい事があっても幸せになるべきではないないと当時がよぎり 心から喜べません。 故意ではなくても人の家のペットは殺してしまったかもしれないくせに 自分の家のペットは大事にしているのも最低だと思います。 疎遠になっているので友達の連絡先は知りませんが まだ地元にいるはずなので頑張れば連絡を取れる状況です。 死の真相かもしれない事を黙っているのは フェレットを2度殺していることになりますか? 一生恨まれる覚悟で打ち明け、もしかしたら自分の誤飲のせいで亡くなってしまったかもしれないと謝罪するべきですか? それとも墓場までこの話は持ってくべきですか? あと、私がフェレットにしてあげられる償いはなんでしょうか? 罪悪感に潰されそうで 心から笑いたいけど笑ったら 友達とフェレットの事が頭に浮かび 苦しくなります。 殺したくせに楽しく生きたいと思うのは傲慢で最低だと感じ、 生きている心地がしません。 とりかえしがつかないことをしてしまった自分が憎いです。 フェレットと友達家族に申し訳ない気持ちでいっぱいです。 長い文を読んでくださってありがとうございました。

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亡くなったペットの気持ちと生まれ変わり

先日ご相談させていただいたものです。 3月のはじめに愛猫を亡くし、生まれ変わってまた再会できることを信じて、毎日自分なりに供養をしながら過ごしています。 いまだ気持ちが追い付いてきません。嘘ならいいのにと何度も考えてしまいます。 私は普段から野良猫のお世話や避妊などもしています。 その子たちはまた別の可愛さがありますが、不思議と連れて帰ろうという気持ちにはなりません。 ところが、あるペットショップのサイトを見ていたらなんとそっくりな子猫がいたのです。どの写真を見ても似ていて、愛猫が撮った写真と同じポーズの写真まであり驚きました。 はじめは、猫を「買う」ということに抵抗があったのと、まだあの子が亡くなって2週間ほどでしたのでそんな気持ちにはなれませんでした。 でもつい毎日その子の写真を見に行ってしまいます。 まだ写真しか見ていないのに、その子に愛猫の面影を重ねてしまいます。 その子も愛猫と同じく体が弱いようでした。結局、気になって仕方がないので家族と話し合いおうちへ迎えることにしました。 実は写真を見たとき(もしかして生まれ変わりなんじゃ?)と思いました。 でも愛猫が亡くなるより3か月も前に生まれた子です。 生まれ変わりに時間軸はないとどこかのサイトに書いてあったのですが、同時にこの世界に存在しているのはさすがに混乱します。やっぱり違う子ですよね… 生まれ変わりであればどんなに嬉しいか…でもそれを確かめる術はないですし、その子はその子として迎えるべきですよね… 主人には、もっと自然な出会いを待ってもいいんじゃない?と言われました。特に反対はしていませんが、あの子の生まれ変わりではないと思っているようです。 私自身、あの子の生まれ変わりを信じて待つといいながら、亡くなるより3か月も前に生まれ生まれ変わりではないと思いながらその子を飼うと決めたことに罪悪感があり、愛猫に申し訳ないです。 ただ似ているから家に来てほしかったという私の我儘ですよね… これから先、もしピンとくる出会いがあればまた迎え入れることもあると思います。 勝手な想像ですが、四十九日前で、暗くて長い天国までの道を一人で歩いているかもしれないあの子は新しい子を迎えることをどんな気持ちで見ているのでしょうか? 僕は一人なのに、こんなに早く新しい子を迎えるなんてと、寂しく思っているのではないかと心配です。

有り難し有り難し 9
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飼い猫を事故死させて生きる意味がみえない

自分はなぜ生きてしまっているのか、飼い猫を事故死させてからなんの為に生きているのかわからなくなりました 自分は独身で怠惰、なんの取り柄もない人間ですが、せめて自分の両親と飼っている兄妹猫2匹の最後を看取る、寿命がくるまで家族楽しく生きていければそれでいいと思っていました 昨日、いつものように早朝だけ猫を外に出すといつものように朝方には戻ってくると思っていましたが、その日オスの猫だけは帰ってきませんでした 母親はその日休みなので自分は母親に猫の捜索を託して仕事にいきましたが、見つからないと聞き、午前中で仕事を切り上げ、早退して家に戻り徒歩で捜索を開始しました 創作開始して20分程度経って家から約50メートル先の道路に遠目で横たわる猫を見つけました、それは紛れもなく自分の飼っていたオス猫でした すでに死後硬直し外傷がほとんど見られないので、そのまま手で抱えて家に向かいました、申し訳ない気持ち、悲しい気持ちでいっぱいになり、ごめんねごめんねとつぶやきながら家に戻りました オス猫の生前お腹を撫でると、猫が両手で自分の手を抱えようとしながらゴロゴロする光景が目に焼き付いています、そのときに自分は「俺が君たちを守るからねー」と言っていたのですが、それがこのようなことになり、口だけでしかなかった自分の言葉が悲しくて仕方がありません 元々室内飼いだったのですが、オス猫だけある時粗相したり餌を食べなくなってやせ細って病院にいっても何も異常はなかったことから、ストレスが原因であり外に出せばストレスがある程度解消できると思い、放し飼いをするようになりました、実際それからは元の食欲に戻り、粗相もなくなりました それでも危険なことには変わりないことはわかっていたつもりでした、なのに軽率にも放し飼いを続け、結果として最低限守りたかった家族を失いました、自分の浅はかさ、見通しのなさが悔しく、いつものオス猫との日々がもう戻らないことの悲しみに何度も涙を流しながら過ごしています せめて生前のオス猫の過ごしやすい家の雰囲気を守っていこうと家族と仲良く、雌猫は室内飼い徹底しようと決意し、明るく振る舞おうとするのですが、ふいに悲しくて仕方なくなり、泣いてしまいます 自分は本当に家族を守るだけの資格があるのでしょうか、家族すら守れない自分は生きていても仕方なく、オス猫の後を追ってやるべきなのでしょうか

有り難し有り難し 10
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動物を殺した

41年位前の高校生になる少し前の事です。 母と二人暮らしでセキセインコを飼っていました。その折に子猫を貰えることになりまして狭い家でしたが、子猫とインコを同時に飼うことになりました。 インコしかいなかった時はたまにカゴから出して手に乗せたりしていましたが子猫が来てからはカゴから出すこともせず、猫可愛さに段々とインコの存在そののもが邪魔に感じるようになりました。(両方のお世話があるのと、猫がインコを襲わないかも心配で可愛い猫がインコを襲うシーンが想像でも怖かった) インコのお世話が雑になり(意図的だと)、掃除や水やエサの補充が適当になり結局恐らく病死なのか餓死なのか死なせてしまいました。(殺しました) その時から徐々に罪悪感は薄れていき今に至ります。 今になり時々この時の事を思い出します。 お腹がすけば食事もしますし、ゴルフなどの遊興もします、友人と良からぬ店で遊興したりもします、こういう身勝手な癖にインコが可哀想だったと思うのは都合が良すぎるのでしょうか。 今更ながらですが、時が戻せないことも承知していますが、インコ(ピコちゃん)に謝りたいです。謝るには私も死んで同じ世界に行かなければ行けないと思っていますが、妻もおり死ぬ勇気もありません。 死ぬ気も無い癖に、明日になればまた好きな事をして忘れる癖に・・・ こんな身勝手な自分はやはりダメな人間なんでしょう どうすればインコ(ピコちゃん)に許して貰えるのでしょうか 許して欲しい事自体がやはり身勝手なんでしょうね 最近は毎日のように思い出します 辛いです

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猫好きとは

子猫を飼い始めました。はじめての子猫で色々戸惑う事が多く、可愛いよりも、大変が上回っていますが その子の大人になった姿を想像しながら、日々一緒に過ごしてます。 育てるにあたって、ネットで色々調べます。 みんながみんなそういう訳ではないと思うのですが 猫好きの方々の、いき過ぎた発言がとても目につき、自分はそういう風にはなれないと、思い詰めたりします。 質問箱などで、同じく猫飼いの初心者の方が疑問に思った事を質問してるに対して 猫なら当然、我慢しましょう、だったり 簡単に、猫を飼う資格ないんじゃないですか?と、飼い主さんを追い詰めるような事を言っていたり。 改善策を回答してる方も勿論いらっしゃいますが 素人判断で強気で回答してる方が殆どだとも感じます。 1番引っかかったのは、飼い主さんが故意ではなく、猫を死なせてしまい、 懺悔の書き込みをしているに対し、 許せない、信じられない、ずっと背負ってくださいなど 糾弾するような言葉が多く 見ててとても不快になりました。 猫が助かれば、人間はどうでもいいんでしょうか。 ネットを観覧、質問する方が悪いんだと言われればそれまでですが。 今世間では、保護猫活動を呼びかけて 猫を助ける団体や、個人で行ってる方などいらっしゃり、 その行為自体はとても立派だと思うのですが 猫をお猫様扱いするのが当然というなら、私には無理だし そういった信念をもつかもしれない方、純粋に猫飼いさんに強い偏見や、恐怖を感じてしまうようになりました。 子猫って凄く大変です。でも、可愛いからって理由で飼い始める方が殆どだと思います。 そんな方が思いつめて、相談して、 猫はそんなもんです、覚悟が足りないと冷たい言葉を返すような方々は 猫は救っても、人間は救わないんだろうなと思いました。 他にぶつけられなかったので 此処でぶつけました。 1匹を幸せにするなら、1人も幸せにならないといけないと思います。 お坊様のご意見をお聞かせ下さい。

有り難し有り難し 10
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苦しんで死んだ猫に今何と声をかけて良いか

猫の事で申し訳ありません。 大事にしていた猫が先日亡くなりました。 しかも苦しんで死にました。 2年ほど前に腎臓が悪くなった時は、月に5.6万かかってでも、何とか助けたくて病院に通ったり、獣医さんに教えていただき、自宅で自分で点滴をしたりしましたが、先日急激に具合が悪くなり病院ではこれ以上出来ることはないのでお家で見てあげてください。と返され、そこからはずっと側に居ました。 ただ弱っていくのを観ているだけで一週間が過ぎ、そして亡くなりました。 最後の2日程は苦しくてうめき声を上げるほどでしたが、苦しんでいるのに薬をあげることもできず、ただただ側にいることしか出来ず助けてあげることもできずにいました。 人間なら痛み止めなど何かしらできたのでは無いかと思い、亡くなった猫が可哀想で、そして申し訳ない気持ちでいっぱいです。 火葬をして骨壺に入っているその子にいつも声をかけます。 おはよう。いってきます。ただいま。おやすみ。など、でも、今までありがとう、とか天国に行ってねとか、お母ちゃんこれから頑張るよとか、大好きだよ、とか、言いたいけど、あんな苦しい思いさせておいて、何のんきなこと言ってるんだって、そんな事苦しんだ子に言えるのか?と、その子に思われるのではないかと感じて、言葉が出てきません。 確かにそうだと思います。何もしてあげられなかったから。 10年しか生きられなかった子に罪悪感でいっぱいです。 でも毎日何回も声をかけたい。 この子との思い出を幸せだった事もちゃんと思い出して話せるようにしたい。 私はどう考え方を変えていけば良いか。 何と声をかけてあげたら良いのか。 そしてこの子が成仏できるようにするにはどうしたら良いのか、お言葉をください。 よろしくお願いします。

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自分の過失で愛犬を殺した

2匹の愛犬を飼っていましたが、先日1匹を自分が起こした交通事故で死なせてしまいました。 2つの過ちをしてしまいました。 1つは愛犬を膝の上に乗せて車を運転してしまった事です。 膝の上がとても大好きな子で、痛いのがとても嫌いな子でした。 その日は動物病院の帰りで、注射を打たれてキャンキャン鳴くほど痛がっていて、可哀想で、車の中で膝の上に乗せてしまったのです。(後部座席に繋いでいてもどうにか自分でハーネスを抜け出して前に来てしまう事があるほど、膝の上が大好きな子でした。)後部座席にいたもう1匹の愛犬は元気で助かりました。 2つは、運転中に鞄を漁ってしまい、そのことに気を取られてきちんと前を見ていなかったことです。 一瞬でした。気付いてブレーキを踏んだと同時にガードレールに衝突していました。膝の上で愛犬はグッタリしていました。 動物病院を出てすぐのことだったので、抱いて走って病院まで連れて行ったのですが、獣医さんにもう助からないと言われ、人工呼吸器を外してもらいました。 人として飼い主として車を運転する者として、1番やってはいけない最低な事をしてしまいました。 まだまだ一緒にいたかったのに、4歳半という若さで、自分のせいで死なせてしまいました。手がかかる子でしたが、本当に大好きでした。 絶望し、自分なんて生きる意味も価値もない人間だと思い、自殺も考えました。ですが、ペットロスカウンセラーや住職さんの言葉に救われ、もう1匹の愛犬の為にも生きていこうと誓いました。 許されるのなら、また犬を飼いたいと思っています。それとももう、私にペットを飼う資格はないでしょうか。

有り難し有り難し 4
回答数回答 1

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