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動物を殺してしまいました。

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今から10年位前、夫の両親同居中、義父が室内犬を飼い始めました。その時2歳の娘がいて、お腹に赤ちゃん。環境的に室内では動物を飼いたくはないけれど、主人は単身赴任で留守、私も嫌だと言えず、我慢しました。けれどストレスをすべて犬に向けてしまい、殺してしまいました。今更後悔しても遅いのですか、苦しくて仕方有りません。
現在は家族だけで賃貸を借りて生活していますが、安定剤を飲みながらなんとか生活しています。
私のした事ですから、苦しむのは当然ですが、やはり苦しく助けて欲しいと思いメールしております。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

罪意識があなたを導こうとしている

マイルールが強いのでしょうね。事前設定、期待する自分を一生涯捨ててください。
そうすれば安定剤も卒業できます。ストレス、怒り、感情米を育てる心の土となっているのがあなたのエゴ、都合、マイルール。
本当に殺そうと思って殺す人間、事故を起こそうと思って起こす人はいないもんです。
罪は罪ですが、あなたも怒っていた原因があったでしょうに。
苦境、子育てからくる怒り、孤立感、大事にされていない感。
それが爆発してワンちゃんにぶつけてしまったのですね。どちらもかわいそうな事。
でも人のせいにしっぱなしでは人間向上しないし救われない。
幸せは人に求めるものじゃなく自分の心の田んぼの土づくりができてはじめて良いお米ができる。あなたの人間性向上の為にもう一度ワンちゃんを飼われるのはどうでしょうか。
また色々失敗もあると思います。その都度アナタは自分の「都合意識」に目を向ける功徳になる。動物を育てることの中で沢山の不都合な事が生まれてきます。
きっと子供も犬をイジメるでしょう。あなたにとって不都合がおこる。
そういう時、それを「ダメ!」と感情的に怒るようではあなたは自分の罪に向き合っていると言っているようでもやってることは結局同じレベルのまま。
飼っても飼わなくても、あなたの物事の行い方の一つ一つ。それがすべてに通じてしまっているのです。字を乱暴に書く人は、行いも乱暴。態度も乱暴。
自分が書いている字、食器の洗い方、一つ一つをみてください。
犬にあたった自分、子供にあたる自分、夫に向けられる怒り、子育てで表れている表情、態度。それらを一つ一つ改善する必要はありません。根本、心の根。性根。ねっことなる心の畑の土づくりからですね。
その為にはまず、心底、いい人間、真人間になろう!…と思い起こされることです。
過ちを犯して犯しっぱなしではあなたは何も成長しない。
でも今回の事であなたは何かを変えようとしています。
向上心にするべきです。人間、罪を犯してそれで終焉ではない。
償うことができます。

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丹下覚元(たんげかくげん)
☎お悩み相談 質問 📞08020659278 どなたでも。

教え続けてくれる存在

こうさま
なごみ庵の浦上哲也と申します。よろしくお願いします。

10年前に義父が飼っていたワンちゃんを「殺してしまいました」と書かれましたね。そしてその罪の意識が強く、今も苦しんでいらっしゃるのですね。
当時の細かい状況はわかりませんが、強い後悔の念に苛まされ、本当にお辛いのだと思います。

私の実家で、私が生まれる1年前から家族の一員になったチワワがいました。長生きをしたのですが、私が高校生ぐらいになるとボケてしまい、夜中にずっと鳴くのです。私の部屋の前がそのチワワのケージ置き場でした。

私はその鳴き声で寝られず、ケージを叩いたり怒鳴ったり、ずいぶんと辛く当たりました。今思えば、ケージから出して一緒の布団に入れてあげれば鳴き止んだのかもしれません。

私が16歳の時、そのチワワは亡くなりました。私はずっと泣きながら、もっと可愛がってあげれば良かったと後悔をしました。
20年以上経つ今になっても時々思い出します。そして私に「弱く小さい命の大切さ」を教え続け、また「私は弱く小さい命に冷たく当たる本性がある」と教え続けてくれています。

こうさん。
安定剤を飲む状況は望ましくありませんね。もしかするとワンちゃんを死に追いやって、そのことを打ち明けるべき方に打ち明けられていないのが、苦しみの原因になっているのではないでしょうか。
まずはワンちゃんのために手を合わせ、可能ならば打ち明けるべき方に懺悔の言葉を申し上げてみてはいかがでしょうか。

ご参考になれば幸いです。

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浦上 哲也
横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗...

身代わり

こう様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

この度は、まずその改悛のお気持ちが何より大切でございます。最初から完璧なる人、聖人君子はおりません。人間誰しも何らか大小拘わらず幾つかの過ちを必ず起こしてしまうものでございます。

問題は、過ちを犯したとしても、「慚愧」することにより、心の底から悔い改めて反省し、二度と同じ過ちは繰り返さないようにすることが求められることとなります。「慚愧」に関しましては下記の問いにても扱わせて頂いております。

問い「後悔の念から抜け出す方法?」
http://hasunoha.jp/questions/225

この度は、既に十分に慚愧されておいででございますので、どうか少しはご自身を許してあげて頂けましたらと存じております。

そして、できましたらその犬君の御供養をして頂けましたらと存じております。御供養の想いをその犬君へと向けて頂きまして、どうか安らかでありますように、良い境涯を得て、悟り・涅槃へと向かえていけますようにとお念じ賜れましたらと存じます。

以前にも下記問いにて動物御供養に関しましての拙回答をさせて頂いております。

問い「私が殺したのでしょうか」
http://hasunoha.jp/questions/128

問い「動物について」
http://hasunoha.jp/questions/170

御供養は、僧侶に相談して、正式に読経を頂いて回向致すのが良いですが、もちろん、やはりご自身にて読経、回向なさられたいとなりましたら、そうですね、畜生を救い導くとされる馬頭観音様のお力を賜れますようにとして、観音様に関する経典、例えば、般若心経や大悲心陀羅尼経、法華経普門品第二十五(観音経)、十句観音経などを誦経し、観音様のお力にて、どうかその犬君をお救い賜れますように、悟り涅槃へと導いて頂けますようにとして回向申し上げるのも宜しいのではないかとは存じます。

もしか致しましたら・・ストレスが子どもへの虐待へと向かわないために観音様がその犬君となって顕れて、身代わりとなって守ってくれたのかもしれませんね・・

拙生も少しく拙寺の草木禽獣沙巌供養塔前にてその犬君に想いを寄せての御供養させて頂きます。

どうか少しはお心が楽になられますように祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

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川口 英俊
チベット仏教 ツォンカパ大師中観思想・後期二諦説の研究

現在の気持ちを大切に!

こうさん
こんにちは、誕生院執事山口と申します。
どんなに苦しくても過去は消せません。いまどうしたいか!と思う時に、もし「馬鹿な事をした。申し訳なかった。ごめんない」という気持ちがあられるのでしたら、近くのお寺又は知っているお寺で殺してしまった事に対し懺悔し、動物の供養をなされた方がいいと思います。あとは、埋葬しているところで手を合わされる方法もあるでしょう。一回したから終わりではなく、自分の気持ちが落ち着くまで続ける事が大切だと思います。
実際、しかたなく殺さないといけない食肉業者や水産業者の方々でも一年に一回、供養をされている業者さんもいらっしゃいます。

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山口光玄
昭和39年9月14日生 新義真言宗大本山誕生院執事 社会福祉法人覚鑁会...

「動物・ペットについて」問答一覧

ペットを捨てた

去年の秋頃、犬を拾いました。 夜道を車で走っている際、不自然な歩きかたをしている犬を発見。 体中の毛がボロボロで、また怪我をしているようだったので、動物病院にて処置してもらい、そのまま持ち帰りました。 家に持ち帰ると、母は困ったような反応をしていましたが、 結局、翌日には名前をつけて可愛がっていました。 私は仕事でほとんど家にいないので、世話は母が行ってくれていました。 初日から、犬は異様に私達に懐き、依存的と感じるほどの振る舞いをしていました。その様子から、きっと捨てられた飼い犬なのだろうと予想していました。 半年経ったくらいに、母が円形脱毛症になっていることを発見しました。 犬は年老いており、過去の手術かなにかで下顎を失くしているため口が開きっぱなしで、部屋に染み付くほどの異臭を口から放ちます。 母は異臭や世話疲れから十分な睡眠がとれず、ストレスが溜まっていたようでした。 仕事で忙しい私に気を使い、文句を一つ言わず世話を続け、 症状が体に出るほどストレスを溜め込んでいた母に申し訳なく思い、 犬を捨てることにしました。 動物愛護団体に持っていけば殺処分になってしまうため、 悩んだ末、林に捨てようと考えました。 犬の異常な懐きかたが、「もう誰も僕を捨てないで」と言っているように感じていた私たちにとって、その犬を捨てることはとても残酷でした。 また、年老いて下顎が無く、本来は人間のもとでしか生きていけないであろう犬を林へ放ることは、殺すことと同じだと思います。 捨てる日、母は「ごめんね」とずっと泣いていました。 犬は、林に着くまでの車内で、ずっと私の膝の上から私の顔を見上げていました。 犬を林に放つも、犬はしばらく私についてきていました。 「最後まで面倒見れなくてごめん。幸せに生きてね。」 泣きながらそう伝えると、犬は草むらのほうに入っていき、私についてこなくなりました。 自分が拾ってきて、自分は何もせず、 母と犬に迷惑やら悲しさだけを味あわせ、結局犬を捨てたこと。 悲しい、切ない、罪悪、苛立ちなど 色んな感情や想いがとっ散らかっています。 まとまらない文章でつらつらと長文に仕上げてしまい申し訳ありません。 この出来事を、どう捉え、何をすべきなんでしょうか。 お言葉をいただきたいです。 よろしくお願いいたします。

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猫が車にはねられてしまいました。

気分転換を兼ねて、いつもは車で行くスーパーへ、徒歩で向かいました。 途中で100均にもより、思ったより時間をかかってしまったので、一旦は家へ帰りかけましたが、Uターンしてスーパーへ向かう事にしました。 幹線道路から数本中に入った道なのですが、割と車が多い道です。 信号待ちをして、渡り始めると、建物の方から黒い猫が横切ってきました、多分私には気が付いていて、人間が来る前に通り過ぎようと思ったんじゃないかな、急いで車道に出て行きました、走ってくる車に全然気が付いていないようでした 「猫!危ないよ!」って言った瞬間、猫も車に気付いて身をひるがえしましたがドンッと鈍い音がしました。 車は走り去って行きましたが、猫は苦しそうにもがいて、のたうち回っていました もう、どうしてあげたらよいのか、パニック状態で、猫がバタバタするのを見ながら、日曜日の夜も診てくれる救急動物病院 を探そうと、携帯は手がゆう事効かずうまく扱えないし 血塗れの猫は、だんだん動かなくなり横たわって でも、 猫を抱き上げる事はできなくて、さすってあげる事しかできませんでした、暖かくて、フワフワなのに。 猫は亡くなってしまいました、目も閉じてあげられなかった。 私が歩いて通らなければ、猫が横切った時に足を止めてあげていれば もっと早く大きな声で危ないって言ってあげれば、 私がスーパーに車で行ってたら、 100均でのんびりしなければ、 そのまま家に帰っていれば、 この黒い猫は轢かれなかったかもしれない 。 子猫じゃないけど、大人猫でもない、中ぐらいの黒猫で、毛並みも綺麗だから、飼われていたんじゃないかな あまりにも、かわいそうで、道路に放っていけないと思っていたら、声を掛けてくれた女性がいて、その方に段ボールをもらって家の玄関まで連れてきました、もしかしたら気を失ってるだけなら、病院へ急ごうとおもって、何度か確認しましたが、もう体温が低くなってしまいました。 私のせいで亡くなった気持ちで、苦しくて 命を奪ってごめんなさい。

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亡くなったペットと新しいペットについて

いつもお答えをありがとうございます。 私には幼少期より共に過ごしていた猫がおりました。 猫は10年以上前に亡くなりましたが、20年の歳月を共に暮らした大切な家族でしたので今でも忘れられず、折に触れてお墓に手を合わせたりお線香や好きだった食べ物をあげたりして供養を続けています。写真や家に残る傷を眺めては懐かしく語ることも我が家の日常です。 物心つく前に犬と小鳥もいたそうですが、こんなに長い時間を共に過ごしたのは猫だけだそうです。 亡くなって10年以上経ち新しく動物を迎えたいと思うことも何度かありました。しかし思い出も家の傷も亡くなった猫だけのもので、新しい動物を迎えることを亡くなった猫は許してくれるのだろうか、嫉妬深かった猫でしたから猫に申し訳ないと思い迎えることができずにいます。 また、生きている以上必ず亡くなる日がきます。亡くなった猫とは長い時間を共に過ごしたこともあり家族一同心から悲しみ、受け入れるまでにも長い時間がかかりました。あの悲しみをまた抱えることへの抵抗が少なからずあり、総じて私たちにはまだ迎える準備ができていないのだと話し合ってきました。 前置きが長くなってしまいましたが、新しい動物を迎えるとしてそれを亡くなった猫はどう感じるのだろうか、許してくれるのだろうかと思っています。 また猫ばかり供養しているわけですから、犬や小鳥はどう思っているのだろうと申し訳なくなってきました。あまり思い出もお墓もなく伝え聞いているだけの犬と小鳥に、どう思えばいいのか正直わからないところです。 仏教にはこのような場合への教えはありますでしょうか。 お答えをいただけたら幸いです。

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愛猫の死期が近い

慢性腎不全の6歳の猫を飼っています。 慢性腎不全は老猫に多い病気ですが、うちの子は2歳で発症し、闘病生活を送っています。 病院に通いはじめてからは体調も安定していたのですが、ここ最近急に悪化してきました。もういつ天国に行ってしまってもおかしくないです。 病気が判明したとき、あと1年もたないかも、とお医者さんに言われ、それからもうずいぶん長い間頑張ってくれたと思っています。それは分かっているし、治らない病気なので死はいつかはくることですがどうしても心の準備ができません。毎日泣いてしまいます。 自分で調べたことなのですが、この病気は最後は痙攣したり発作が起こったりして苦しんで逝くことが多いみたいです。最後まで一緒にいたいとは思っていますが、愛猫のそんな姿を見るのがとてもこわいです。 わたしは学校に通っており、両親も共働きで昼間は猫は家に一人でいます。もしその間になにか起きたら、、と思うと心配で授業にも集中できません。アルバイトも休みがちになり、友人と笑い合うことも難しくなってしまいました。愛猫は病気と闘って苦しんでいるのに、自分が笑っていることに罪悪感すら感じます。 まだ生きているのに死ばかり考えて泣いてしまう自分が嫌です。最後の日が来るまで、どのような心持ちで生活したらよいのでしょうか。拙い文章で申し訳ありません。

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