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「生きること・生きるとは」問答(Q&A)一覧

生きる力とは

子供が2人とも不登校を経験して、苦しんだ1年半。それでも、何とか進学しました。本当嬉しかった。幸せなきもちになれました。 それぞれのペースで頑張れば良いと心から思います。 上の子は、優しい子ですが、自分がいっぱい一杯になると、周りが見えなくなり、自分のことが嫌いで、出来ない事が不安を煽って、授業も頭に入らず余計に分からない。そんなで、友達も話しかけてこない。自分からいけない。また、彼女がせっかく出来たのに、自分の余裕のなさから、失いかけてるのに、どうして良いのか分からず。そんなことを親に話してくる息子に、相当自身が無くなってるんだなあと思います。 自分を変えたい。けど、変えられない。彼女を手放したくないのに、言葉書き浮かばない。反応が怖い。 臆病になっているなあと思います。 学校辞めたいということもあり、本心では無いと思うけど、不登校だった頃の、フトンに潜るあの姿が、思いだされ心が締め付けられます。 もっと強くなって欲しいし、不安に飲まれなくなって欲しい。 まず。1番自分がやろうと決めたことこれだけはすると、それを貫いて欲しいなあと願う。 下の子は、中学2年途中からの不登校。大変だった。今はそれも、必然的だったと思える。でも、体力がなく、学校に通うようになり、やれやれだけど、何分体力がない。 ここまで!ということはやるけれど、それ以上ことはやらない。 それでも中学校の頃を思うと、前進している。 意欲が、沸いてこないのかなあと感じる事がしばしば。心配だ。 主人は、心の病。 もう、うちはどうなってるんだろうなあ。

有り難し有り難し 10
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生きていていいことあるのでしょうか?

ここ半年ほど仕事すらしていません 人とコミュニケーションをとるのが怖いのです 今までずっと頑張ってきました 20代の時に両親が死にました はじめは父が末期のガンにかかり その看病中に母が突然死しました 地元でも有名なほどガンコな父親の病気の面倒も見つつ 借金もたくさんあって 昼間は仕事を 夜は看病をしながら必死になって働きました 父はもって5年というところ 8年間も頑張って生きてくれました それでも借金は残り それを今でも返す日々です いっこうに減りません 家を売っても返せそうにありません そんな貧乏なオレを どんなに頑張っても みんなが笑っているように感じてしまいます 周りを見渡すと みんな自分の車を買ったり 時計や 家やうまい食事をしています 頑張って働いても借金も減らず 待ってもらったり 迷惑かけるばかりで 半年前に突然 緊張の糸が切れたように 何も動きたくなくなりました やらねばいけないこともわかっています 人と向き合うと怖くなってしまいます 「助けてほしい」と声に出せません もう何もかも捨てて死んでしまいたい気持ちがあります 全部身から出たサビだとも思います きっと努力が足りなかったのでしょう もっと努力すれば 変えれるのでしょうか? 私は 怖いです

有り難し有り難し 8
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話を聞いてくれるだけで十分です。もう生きたくない。

18日の今日、大学の卒業式を迎えます。 本当はわくわくして眠れないはずですが、現実は悲しくて不安で絶望をひとり心の奥に抱えて眠れません。どうか乱文になりますが、お付き合い願えればと思います。 実は内定を取り消すことになりました。取り消すという表現が適切なのかも判断がつきません。 というのも生まれつき重い持病があり、運動をすることができません。夏場は10分も外を歩けず、浴槽も5分しかつかれません。病院には通っていますが年々酷くなる一方でなんとか付き合っています。 ですが2月に外を歩く研修をしてもらうという通告を受け、単純にその研修だけを考慮してもらうつもりで会社側に相談したところ、つい一昨日、事実上内定取り消しの告知をされました。会社からは「あなたの体の安全を確保できる保証もなくその配慮が100%できる業務もない」と言われました。 内定を頂いたのは7月ごろ。その時に言えばよかったと分かっています。でも就活がどれほど苦か、それを考えると内定を取り消されてしまうんじゃないかという不安で言い出せませんでした。 去年1年間、自分の中の自分と闘って掴みとった未来を自分の手で潰すのが、本当に、本当に苦しいです。意図的に隠してた訳じゃないし会社に指定されたように健康診断書も出しました。ですが私の持病は健康診断書には表記されません。そのことを誰よりも私自身が知っているはずなのに、正直に生きてきたつもりなのに、ひとりになると必ず泣いて、踏み切りの警報音が心地いいと感じるくらい苦しいです。 就職のために引っ越しをし、その費用に約60万円かかり、業者も頼まなかったので何から何まで手伝ってくれた両親には謝罪の言葉しか出ません。両親にはもう全て話してあり「お前は悪くない。再スタートだよ。」と言ってくれましたが、自分があからさまに迷惑をかけているとしか思えず、就活をもう一度すること以上に両親に顔を合わせるのが辛いです。 こんな体なら生んでほしくなかったとは言いません。でも言葉を変えるなら、こんな体なら自分の手でも終わらせてしまいたい。もう嫌です。ずっと苦しんできたのに。体育の授業もみんなの楽しんでる姿を見ることしか出来ず、ただの旅行、運動、散歩すら楽しめない。 誰でもいいです。どんな言葉でもいいです。何かお願いします。稚拙な文章ですみません。

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生きていくにあたっての考え方

私は「とても真面目で冗談が通じない」とよく言われました。 私には、生まれて間もない弟がいました。 当時小学5年生だった私は、弟をあやしたり、おむつを替えたり、 時には夜泣きに気づいて親を起こしたりと、子供ながらではありますが一生懸命育児(?)に協力していました。 ところが、4ヶ月になった頃に、原因不明のまま亡くなりました。 とても悲かったのですが、それと同時に怒りが こみ上げてきてました。 「なぜ生まれて間もない弟が死ななければならなかったのか 神や仏がいるのならば、なぜ弟を選んだのか。 弟を殺したのは神や仏だ、私は絶対に信じない」 それから神や仏・宗教を一切信じなくなりました。 学生時代は性格が仇となって友だちもできず、 いじめの対象になることもありました。 社会人になる頃にはだいぶ和らいで、それなりにコミュニケーションを取れるようになりましたがうつ病を発症。心療内科に通いながらも 「この世界はとても生きにくい」 「死んだほうが楽になれる」 「生まれてきた意味が分からない」 と常に考えながら生きてきました。 しばらくしてから、某動画サイトで般若心経を 聞く機会がありました。 最初はネタ動画として見ていたのですが、 現代語訳がコメントされていました 「超すげぇ楽になれる方法を知りたいか?」 「生き方は何も変わらねぇ、ただ受け止め方が変わるのさ」 それらを何気なく見ていると、涙が止まらなくなりました。 物事が良くも悪くも転んだ時は、それが運命だと 半ば諦めながら生きてきました。 今まで思ってきた宗教観は間違いではないのか?今まで否定してきたけど、こんな私でも信じていいのか・・・? 神や仏を崇めるだけが宗教ではなく、もっと身近なところに「答え」みたいなものがあったのではないか?と考えるようになりました。 しかし、神や仏・宗教を信じないと思い二十数年経ちます。 今更考えを改めるのは、侮辱することになるのではないかと思い 申し訳ない気持ちで一杯でいます。 この世に神や仏がいるのかは分かりません。 しかし、般若心経を聞く(読む)と少しだけ見えるような 気がしました。 知恵も知識もない私ですが、少しだけ信じても 良いのでしょうか? わかりにくい長文になりましたが、 説教していただければ心がとても救われるような気がします。 何卒よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 48
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大切な家族の命を奪った自分に、生きる資格はあるのでしょうか

我が子のように可愛いくて仕方のなかった小鳥を、自分の手で殺めてしまいました。 とても人懐こい子で、家にいるときは肌身離さずくっついているような子でした。 この子は人の手の中が暖かいのを知っていて、その日もいつも通り私の手の中で小鳥は眠り、私もそのまま眠りについてしまいました。 朝起きると小鳥は布団の中で息を引き取っていました。 昨日まで病気ひとつせず元気な姿をみせてくれていた子が、全く動かないことがしばらく信じられませんでした。 しばらく手の中であたため、心臓をマッサージをしてみても、一度失われた命は戻ってくることはありませんでした。 悲しみと、自分への怒りで涙が止まりません。 とても優しくて可愛い子だったのに、もっと長く一緒にいられたのに、私の手で終わらせてしまったのが悔しくてたまりません。 そして、更に許せないのが、その子が死んでしまった苦しみから、同じような容姿の子をまた飼い始めてしまった自分の責任感のなさです。 その子にも同じ名前を付け、また同じように可愛がろうとしているのです。 まだ、先立った子への悲しみから立ち直れず、毎日墓前で手を合わせごめんなさいと言葉を交わして、涙を流しているにも関わらず、次の子は大切に大切にしてあげようと、可愛がろうとしているのです。 次の子は先立った子とは見た目は似ていてもやはり違う子なのに、なんて馬鹿なことをしているんだろうと、本当に自分が嫌で嫌でしょうがありません。 今の子は人にはあまり慣れておらず、ゆっくりと時間をかけて接して可愛がっていますが、同じ名前、似ている容姿の先立った可愛い可愛い小鳥が頭を過ぎり、すぐに涙が止まらなくなってしまいます。 このままでは、何ものにも代え難い小さな命を、大切に育ててあげることが、もう自分には出来ないのではないかと思えてきます。 自分の命を分け与えることができるなら、今すぐにでも与えてあげたいという、本当に馬鹿なことしか考えられなくなってしまいました。 このまま生き続けても、不幸な小鳥が増えてしまう、そう思うと自分はなぜ今も生きているのか、分かりません。 幸せな時間を、与えてくれた子たちに、どうしたら報いることができるでしょうか。

有り難し有り難し 25
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