未来のない世の中でどうしたら子育てができるのでしょうか
何度も助けていただきありがとうございます。
今回は、残された子供たちの将来について、不安に思うことでご相談させていただきたいと思いました。
先日の障害者への事件や、世の中のショッキングな出来事に、毎日辛くなります。
私は主人と結婚してから、すぐに子供がほしいと思えませんでした。なぜなら、こんな未来も見えない寂しい世の中に、子供を育てる自信がなかったからです。私たちの子供の時代とは取り巻く環境が全く違います。
それでも、子供が欲しいと思えたのは、主人と2人なら守ってあげられると段々と思えたからです。
なのに、主人はいなくなってしまいました。
私はどうしたらこんな未来のない不安な世の中で子供たちを育てていけるのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
諸行無常の世にこそ 真実の光が届いているのです!
ゆこさん、おはようございます。ご主人様とのお別れを経験され、その悲しみや不安を抱えながら、これまで一生懸命に歩んでこられました。まず、ゆこさんにねぎらいの言葉をかけさせていただきます。少なくとも1年程度は、親子共に心や体の変化が出やすく、周囲の出来事にも敏感に反応する時期だと思いますが、それはおかしいことではありません。強い悲嘆(=グリーフ)を抱えたごく自然な反応だと知っておいてください。もし、可能なら、お葬式をあげてくださったお寺さまに月参りをお願いされると良いと思います。私自身は、月参り・法事が一番のグリーフケアだととらえて、参らせていただいております。
さて、「未来のない不安な世の中」ということですが、私自身も2~3年前までは同じことを考えており、暗澹たる思いを抱えて生きておりました。仏教では八正道を説き、その中で「正見=物事を正しく見る」と教えますが、私自身、辛く苦しい出来事の表層だけに心奪われ、その出来事の背景をじっくり知ることがありませんでした。また、その反対のうれしいことや楽しいこと、尊いことや明るいことに、眼と心が向いていなかったのです。実際、テレビや新聞で報道されることのほとんどは、悲しい事件や事故・争いの話題です。だから、なんて「未来のない不安な世の中」であろうかと思うのは、ある意味自然なことです。でも実際は、悲しい事件や事故・争いを経験した人々が、そのことを人生の糧にして雄々しく立ち上がっていく日々や、その日々を地道に支援する人々の取り組み(=その後)はほとんど取り上げられません。私は、これらの人とのリアルな出会いによってようやく勇気づけられ、この世を「諸行無常だからこそ」と腹を据えて歩めるようになりました。実は、このハスノハの取り組みも私に勇気を与えた大きな出来事なのです。悲しみや苦しみがあるからこそ、人間は真剣に物事を考え、真実を求め、正直に生きようとする人を支えるつながりが生まれてきたようです。仏教が伝えられ受け継がれてきたのも、そこに理由があるようです。
金子みすゞの詩「明るい方へ」もぜひご覧になり、声に出して親子で毎日読んでみてください。仏と成られたご主人様も光となって、ゆこさん親子を照らし護り、導き続けてくださっています。そして、私たちハスノハ・メンバー僧侶が、これからもゆこさん親子を応援しています。ご縁に感謝!!合掌
子ども達が未来であると同時に、お子さんにはお母さんが未来
拝見しました。
子ども達はコミュニケーションの術が拙く、何も感じていないようでいて、実は色々なことにアンテナを張り巡らせては、興奮したり落ち込んだりしていますよね。心も身体も自分たちより大きい大人から、たくさんのことを吸収し、幼い頃は「お父さん(お母さん)になりたい」「お嫁さんになりたい」と夢見ながら、親の一挙手一投足を観察したりもしています。
確かに、現代社会においては目を覆いたくなるような災害や事件が多発し、希望や未来を語ることさえ憚られる時もありますね。日々様々な情報で溢れ、ひと昔前には到底知り得なかった事実まで白日の下に晒されます。
かつての日本では、希望を持つことを許されなかった時代がありました。そして、現代においても世界各地で紛争やテロ、飢餓、虐殺などが発生しており、多くの子ども達が犠牲になっています。毎日毎日、人が殺し合っているのです。パワーバランスの下での疑似平和ゆえに、そう遠くない未来に我が国で起きても何ら不思議はないでしょう。一部の凶悪犯だけが脅威なのではなく、狂気は誰の心にも存在し、国家が人を殺す世の中に我々はずっと身を置いているのです。
私が病院のリハ科で働いていた数十年の間にも、無念の思いで亡くなった方を多数見てきました。「どうして?!」って思えるようなことばかり。人が一歩踏み出そうとする瞬間にも、容赦なく命が潰えます。
それでも、人が前に進めるのは、「誰かのために生きる」ことが出来たり、「絶望の淵に差し伸べられる手」のように、そんな希望や善意を人間が持てるからだと思うのです。
そこには夢も希望もないのかもしれない。けれど、そこから自分自身が少しでも歩き出せば、きっと何か変わり始めるんじゃないか?もしかしたら、希望や善意に触れる事が出来るのかも?
私が50年、貴方が〇〇年生きて来て、未来の見えない世の中だと経験的に感じてしまうのでしょうが、我々の価値観だけで「夢も希望もない、未来の見えない世の中」だと決めつけてしまうのはどうでしょうね。
これからの未来は、子ども達が作り上げていくもの。その時の世の中をどう感じているのか、それを我が子と一緒に確かめる旅に出られては如何でしょう。
そして、「2人で見守るって約束したから、お父さんの一度も死んではいない細胞を受け継いだ貴方がここにいる。」と伝えて下さればと思います。
質問者からのお礼
お返事ありがとうございました。
子供たちを信じていけばいいんですね。
私は怖がってばかりでした。
子供たちはまだまだ小さくて、毎日生き抜くだけで、気持ちは精一杯です。
今すぐ悲観しないで、毎日を一緒に生きてみようと思いました。