生まれてこのかた
ろくな事ありません。
結婚してからは
より更にです。
生きてる意味ない人って
いると思います
居なくなっても誰も迷惑じゃないし
誰も悲しまない。
なのに何で
生きなきゃいけないの?
生きてくのか辞めるのかは
私の勝手?じゃないですかね
生きる事が体質に合わない人が
居てもおかしくないと思います。
何で生かされてるのか
本当にわかりません。
生かされてる事が
嫌がらせにしか思えない
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
死ぬこと以外かすり傷という多くの人を励ました座右の銘がありますが、その先があります。
私も昔死のうかと思いましたが、生きてます。
あの時、死なずに生きてて、あー、よかったーと思います。
最近手作りそばが美味くて自分で作ります。自分で生産的な事するって良いです。
今度、私の麻婆豆腐を食べてみてください。起死回生します。
あなたが苦しい、キツイ、イヤだというのは「わたし」が思う事。
いざ死のうとすると「わたし」がいないという体験になります。
この私が死んでもこの地球にとってはかすり傷ですらない。
ならばこそ、生きていてもかすり傷でもない。死にてぇ、死にてぇと長渕剛みたいな口調でハスに構えていた私がいざ血を吐くと、なんじゃこりゃァ!と松田優作になりました。ガタガタ震えて、あれ?おれ、死にたかったはずなのに?
身体が優作でも剛でも「わたし」ですらなかった。
私の意思とは無関係に震えたのです。
ガス自殺しようとして、最後の一服をしようと火を付けたらどーん!「死ぬかと思った」というコントみたいな話もありますように、かならずしも今考えていることが永遠の真実じゃないモンです。一度ウチのお寺に悩み相談に来てください。即日カイケツするかもしません。
私を信じて話だけでも20分ばかし聴いてみてください、全財産もって。(笑)
財産は要りませんが、上手い蕎麦屋が近くにありますから死ぬ前に一杯おごってくれませんか。(650円)そこで話を聞きましょう。
結婚がそんなにキツイなら離婚すりゃいいんです。
死ぬくらいの覚悟があるなら離婚を選択すれば人生晴れやか。
一人って気楽です。
同居していると、同居しながら相手の子とも常にあれこれ考えて疲れるでしょう。
お寺の坐禅会は人が居ても完全に一人になれます。
「わたし」以前の、自分に還れます。
死にたかったはずの「わたし」がふっとんで私が「本当のわたし」に目覚める。
その経験ができると思います。私も死のうかと思った経験者だからこそ、あなたに気づきを与えられると思います。昨日も死にたい、という人から電話相談がありましたがその場でケロリンでした。死にたい時って、考え方が一面的なのです。もっと助け、援けを求めてください。私みたいに死にたいとほざいていたはずが、人生生まれ変わって死にたい人すら手助けできる位になるのですから仏教って面白いと思いますよ。
生きてる意味がない人などいません。「生きているという事実」に既に意味が、深さが、尊さがあるのです。
私が死んでも誰も悲しまない。そうとしか思えなくともあなたはここで既に私に出会ってしまった。私はあなたが死んだら悲しい。この先にどうなったかもわかなければ不安である。
居なくなっても誰にも迷惑がかからない。そんなことはない。見つけた人は迷惑です。事を起こした場所付近の方にも迷惑はかかります。
でも迷惑をかけていいんです。これは死んでいいと言っているのではない。同じ迷惑をかけるなら生きましょうということ。生きるということは迷惑をかけるということです。みんな迷惑をかけあって支え合っているんです。自分がそうは思えなくてもそれは事実です。私たちは他のいのちを奪わなければ生きられないのだから。
生きてくのか辞めるのかは あなたの勝手なのかもしれない。実際もしそう決断するのなら私にはとめようがない。
生きることの苦しみから救われる方法がどうしても死にしか見い出せない。考えに考えて人生の何たるか、いのちの何たるかを問い続けた結果それでも死という選択に至ったのならそれも一つの道なのかもしれない。
しかしあなたは違うのではないか。死に逃げようとしている。他に苦しみから救われる道があるのに現状に満足できず、自暴自棄になり、安直に生を投げ捨てようとしている。
それでは取り返しがつかない。死ななきゃよかった、と言ってもやり直しはきかない。
本当は生きたいと思っているのではないか?そして幸せに生きたいと願っている。
そんなあなたは今生かされているという事実の上に立っている。その意味がわかるわからないにかかわらず生きているのです。
それがものすごく尊いことです。そこにすでに意味があるのです。
嫌がらせにしか思えない人生なら嫌がらせをし返してやりましょう。幸せになってやりましょう。これでもかと試してくる人生に立ち向かってそれでも生きてやりましょう。
私たちは自分で自分がわかない。自分の本当の思いがわかならい。
本当のものに触れた時にはじめて、私はこれを求めていたのかと知り満足するということがある。
あなたが死にたいというのは本当の思いではない。
本当は生きててよかった、私が私でよかったと心から叫びたい、満足したいという願いがあふれいる。
だから私はあなたに生きて欲しいです。