hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

ヘビが潰されていたことが自分の中で消化できません。

回答数回答 3
有り難し有り難し 47

先日、道端でヘビが潰されていました。
虫に食べられたり日光で干からびたりしてます。
私は最初潰されてるヘビを見たとき、かわいそうだと思って悲しくなりました。でも、虫に食べられて、生まれ変わって、別の人生を生きるのだと考えました。

まだヘビは道端にいて、殆ど無くなっています。

ヘビがこのままなくなったら、ヘビのことは忘れます。

ヘビはこれからどこに行くのですか?
ヘビが潰されたことは悲しいことですか?

自分の中でうまく消化できません。
まだ、ヘビが潰されたことが悲しいです。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ありがたや!蛇から教えて頂いた仏教!

大事なところに気付かれました!
この世に生まれて来た全てのものは形となり生まれ眼に見える姿が「色」であり、生まれる前から目に見えない常に変転してやまないエネルギーで色んなものに関わっている状態を「空」と表します。
この世で死ねば見る事は出来なくなり「空」へと戻って行きます。
「色即是空」とはこの世に姿、形を持って生まれこの世の存在を肉体で確認しやがて誰もが訪れる生者必滅を迎え消え去って行き生まれる前の世界「空」へと戻るのです。
「空即是色」は、正しくその逆の事となり「空」の世界より「色」の世界へ生まれて来ます。
佛の世界では何時如何なる時にも目に見える事、見えない事は別の世界でなく一つの世界として捉え真実の在り方を突き進んで説かれています。
今見て感じておられる事は,この世でお別れの死は諸行無常の出来事でありまた死は終わりでなく始まりでもあると言う事を蛇が教えてくれたのです。

{{count}}
有り難し
おきもち

エビせんべい。

http://ljinoie.jugem.jp/?eid=91
まずこちらの画像をご覧ください。
こんなにうまいエビせんべい…と仰っておられます。
これを残酷だと思う人はいません。かっぱえびせんなら無心に食べとったでしょう。
「そこに思い入れがあまりにも強すぎる」と、心が締め付けられるように苦しい。そういうことがあります。
同調、同情し過ぎるとノイローゼになってしまうことだってあるのが人間です。
心の距離感、車間距離を上手にとってください。
私は、小さい頃風呂場で虫がワンサカいる中、素足で便所コオロギを踏んて発狂しそうになりました。ギャー。しかも右足左足ダブルで。ギャー もう一度言いますが、素足で。ウギャー
実物を見ない様ティッシュで片づけましたわ、わたし。エビならまだしも、虫。
死ぬかと思いました。(海老蔵風)
「別物をそこに観ている」これがあなたを救うキーワードです。
虫とか、動物って、デカければデカいほど、生々しい生命感をそこに感じるものですよね。
シラス軍艦やいくらを残酷と思わんのって面白いと思いませんか。
食材になると平気。
蛇だって、マムシ酒、蛇の蒲焼き料理だってあります。
結構うまいそうです。
車の運転をしていると沢山の猫せんべいちゃんに遭遇します。片手ハンドル、片手合掌にて、黙然しまう。でないと、車の事故を起こしてしまいますので。
無心にエビせんべいを食べる時。
そこに殺生だ、残酷だ、気持ち悪いなんていう思いを添えたら食べられません。
ここにヒントがあります。
「不識」という禅語があります。
フシキ…知らずに、深く考えずに、あれこれ余分な思いを持ち込まずに、自分の価値観を入れずに、実物通りに。
そこに蛇や猫ちゃんがつぶれていたことは真実。
だけど、人間サマはそこに瞬時に無意識・無自覚に「べつのもの」を持ってくる。「べつのもの」を観ているのです。
あなたがその蛇せんべいに添えた「べつのもの」「べつの負のイメージ」があったことが自覚されればその蛇の縛りから抜け出せることでしょう。
その蛇さんが安らかならんことを祈ります。
蛇さんに対して、過剰に負の思いを注ぎ過ぎない様に祈ります。
そこに殺、不殺の思い、私見を持ち込まないこと。それを不殺生戒といいます。

{{count}}
有り難し
おきもち

生まれかわる。遺体は遺品。念仏で極楽へ。

回答の前置き…
悲しみなどの「嫌だ」と現実を拒否したくなる感情は、怒りの一種であり、煩悩です。
煩悩は悩み苦しみの原因なので、あなたは、蛇について、悲しみ(怒り)を解消できるような考え方をするほうが良いのです。

本題…
蛇は、死んだ瞬間にどこかで別の生き物に生まれ変わっていると思われます。
遺された遺体は、遺品であって蛇そのものではありません。
ですから、蛇の亡骸を虫が食べたからといって
悲しむ必要はありません。髪の毛や爪が切られたのと同じです。
蛇の死因が潰されたことなのか、死んだ後に遺体が潰されたのかわかりませんが、どんな生き物もいつかは何らかの形で死ぬのです。
それが普通です。夏が暑いのも普通、食べ物を食べたら無くなるのも普通。普通のことで悲しむ必要はありません。

さて、浄土宗では、その蛇のために「南無阿弥陀仏」と念仏します。
蛇のために念仏をとなえれば、阿弥陀仏の放つ光明が蛇(の生まれ変わりの生き物)に届き、その生き物はやがて阿弥陀仏の力で極楽浄土に生まれ変わることができると考えます。
そして、あなた自身も念仏すれば極楽浄土に生まれかわれます。
極楽浄土では、みんな光り輝く菩薩の姿になります。
蛇も菩薩様、あなたも菩薩様になって、極楽浄土で再会できるかもしれません。

{{count}}
有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
このお坊さんを応援する

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ