障害者差別でしょうか?
先月末に出たニュースです。大筋を記載させて頂きますが、詳細はネットで検索出来るかと思います。
兵庫県の飲食店に予約を入れたお客様全員(7名)が聴覚障害者という理由から予約を断られたというニュースです。正しくは拒否されたとありました。
記事によると手話の出来るスタッフがいない又筆談での対応もしていないとの返答だったようです。更に通訳がいなければ予約を受けることは出来ないとの記述もあったようです。
この対応に、ろうあ協会よりクレームがあり店長が謝罪した。と…
クレームの内容は特にありませんでしたが、聴覚障害者だから断った=差別というような内容なのだろうと推測出来ます。
昼食の予約をしたかったという事から、飲食店にとっては一番忙しい時間だと思われます。又90分という時間制限の中では…という店長のコメントがありますからバイキング形式ではない食べ放題と推測すると対応が困難というのも理解出来ます。
私は『通訳がいなければ予約を受けることは出来ない』という飲食店側の返答が差別的な発言だとは思えません。
仮に私がイタリア人夫婦だけで経営するレストランに行こうと思った場合、事前に日本語が出来るか確認します(困るのは自分なので)出来ないと言われたら通訳してくれる人を探すか諦めるかのどちらかです。
飲食店側は通訳がいなければ…と言っているので通訳がいればいつでも歓迎しますという事ですよね?全てを健常者側が準備しなければいけないのでしょうか?自分達も社会の一員として健常者と同じ様に暮らしたいと本気で思っているのであれば、時には健常者と同じ様に自分から準備をする或は諦める事も必要だと思います。
対応出来ないので通訳をというのは飲食店側のお願いだと思います。時にはその願いをきくという対応があっても良いと思うのですが…
手話の出来る人が何処にでもいる、それは理想です。だからといって手話の出来る人がいて当たり前どんな事情かあろうと対応してもらって当たり前というのはエゴだと思います。
弱者だからという甘え、おもてなしボケしているのでは?
お互い出来る事をしなければバリアフリーには成らない!
お坊様方はどう思われるでしょうか?
その様な方々への行動は気持ちで行うもの強制されて行えば良い事はありません。
障害者側も強制するものではないと思います。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
弱者こそが安心できる世の中であってほしい
縁あって、駆け出しですが手話を学んでいる僧侶です。檀家さんにも聴覚障害者の方がいらっしゃいます。
・店側が手話通訳者等の専門家を用意する必要はない。
・身振り手振りや表情、筆談で健聴者とのコミニケーションは可能。
・飲食店ならメニューを指さし、数量を指で提示してもらう。あとはOKかNGか確認。
で対応が可能だったと思います。今年4月から「障害者差別解消法」が施行されていますので、設備投資等の負担のない上記のような形で対応をしていただきたかった。
店側にはその知識がなく「聴覚障害者には手話通訳者がいないと全く対応できない」という先入観だけで断ってしまったのでしょうか。この「知らない」ことが先入観や偏見で判断することになり、それが差別を生む原因になります。是非とも今回の件で「知って」いただきたいと思います。
障害者=弱者ではありません。「人間はみんな、弱者」です。弱者同士が支えあって生きているのが人間社会です。「お互いにできることをする」のも大事ですが「できる人ができない人を支える」のも大事ですよ。
それを「おもてなしボケ」というのはあまりにも酷い…。障害者の方は「甘え」ているのではありません!健常者と一緒に生活ができるように「努力」しているのです。あなたにも是非、そのことを知っていただきたいと思います。
誰しも誰かのお世話になりながら生きている。それを「甘えるな」と叱責する世の中と「自分も色んな人のおかげさまで生きている。お互い様だよね」と許しあえる世の中、どちらが生きやすい社会でしょうか。
理想と現実は違う? そうですね。ですから私は「理想に近づくように努力できる世の中であってほしい」と思いますし、自分もできる範囲でそうあろうと思っています。
責任の所在より、お互いを思いやることのできる生まれ持った仏心
あゆみさん
障がい者差別、男女差別、年齢による差別、学歴差別、容姿による差別、貧富による差別・・・
言い出したらキリのないほどの差別があるのでしょう。しかし、本当にそれはあるのかないのか、偏見を持っている人は確かにいるのでしょう。そしてその偏見を心配して、イラっと腹を立てたり、逆に小さくなって我慢していたりそんな人もいるでしょう。
仏教では生まれながらにみんな平等なわけです。違いはあれど、平等。出来ること出来ないことがあってもそれはそれ。
そうしたことをネガティヴにとらえたり、馬鹿にしたりそんな物事の捉え方をしてしまうことそのものが、問題なのです。
社会のルールはルールとして守らなければならない。しかし、その前にみんな平等で初めから救われている存在であるということ。つまりお互いに相手を思い、補い合い支え合う姿が望ましい社会の様子なのでしょう。どちらがよくてどちらが悪いということではなく、お互いの立場をよく理解し合うことがまずは大切なのでしょう。そうした仏心を大切にしていきたいものですね。
障害者差別解消法という法律が今年から。
あまりテレビのニュースではやっていなかったかもしれませんが、今年4月から、障害者差別解消法が施行されました。
国際的には、日本の障害者への対応はまだまだ遅れているようで、日本も国際水準に近づけるための法律みたいです。
その法律に照らして違法かどうかは私にもわかりませんが、お店側はかなり配慮が求められる時代になったのです。たった4ヶ月前から。
質問の例だと、筆談くらいなら素人の店員にも可能なはずです。
コミュニケーションに時間がかかるなら、この団体だけ時間を120分に延長してあげれば済んだ話かもしれません。
通訳がいないとダメと断るのは、合理的配慮に欠けていると言えるかもしれません。
少なくともホテルとかのレベルのお店になると、お店側が通訳を用意すべき時代になってきています。
前もって予約してるんだから、通訳とまではいかなくても、何らかの準備をできるチャンスがお店に与えられていたのです。
それをしなかったのはお店の怠慢かもしれません。
この件について怒りたい場合、障害者に怒るのではなく、このような法律を作った国会議員と、その国会議員を選んだ国民と、選挙にすら行かなかった国民とに怒るべきでしょうね。
国を動かす戦略では、障害者団体の方が勝っていたのかもしれません。
法律で決まったことは、「知らなかった」では済まされないのです。
質問者からのお礼
渡辺様 ありがとうございます。
予約したお店が普通のレストランなら私も渡辺様がおっしゃる対応が出来るでしょう?と思います。
ですが90分という時間制限という事から食べ放題だとすれば、何度も店員を呼ぶと思います。お昼の混雑時7人という人数を考えても飲み物を含めれば何度店長を呼ぶでしょう?…又その際、上手く伝わらず一度で店員を呼べないと思う様に食事さえ出来ないのではないかと思いました(店員を呼ぶベルはあるでしょうね。ですが私が行く焼肉屋では声を掛けて呼ばなければならないので)今回の飲食店にはあった事でしょうキット!中にははっきり話せる方もいたのでしょう。だからこそ差別だと思った。
私は質問の中に書いています。そして渡辺様もご自分でおっしゃっていますね『お互いに出来る事』と。だからこそ『飲食店側がダメなら自分達でその方法を取っても良かったのではないか』と。
それともそれも出来ない様な方々だったのでしょうか?そうではないですよね。
通訳してくれる人がみつからなかったのならの別ですが探す事はどうですか?
もし仮に私がここに記したような理由からの断りだとしたらどうでしょう?(最もここにも聴覚障害者の言葉は聞き取り難いという偏見はありますが、私も沢山の方を知っているわけではなく知る限り聞き取り難いので申し訳ありません)
それでも差別的な対応なのでしょうか?私はその様な理由で断ったと考えましたので、通訳として誰かに同伴してもらえば昼時の忙しい時間であっても十分な対応をしてもらえ、満足のいく食事も出来ただろうとそれだけの事です。
健常者だろうと障害者だろうと同じです。状況はつねに同じではありません。お互いが臨機応変に対応しなければいけないのではないでしょうか?断る理由も様々だと思います。
今回の本音はわかりません。聴覚障害者だったからかもしれません。
が、もし本音で十分に食事をしてほしいからという理由だったのなら差別と受け止めた当事者又、聴覚障害者だから断ったんだろうと考える方々こそ偏見があるのではないでしょうか。
そんな事を考えるわけがないという又障害者だからだろうという穿った見方。
そうだとしても(十分に)断り方にも問題はありますが。
訂正 変換を間違えたようです!何度店長をではなく店員をですね。
邦元様 ありがとうございます。
私も普通のレストランなら何故断る?と思います。
が、食べ放題らしきお店なので少し様子が違ってくるのではないかと思い、もし本音で十分な対応をし満足して頂きたいからという理由で断り、結果『通訳がいなければお受けできません』だったとしたら差別と受け止められたことでその誠意は踏みにじられたなではないかと感じてしまいました。
本音はわかりませんからイヤだったのかもしれません。面倒だったのかもしれません。
でも、お昼時でも十分満足して頂く為に断り通訳をということなら予約を入れる方も通訳を同伴する事を考える必要があるなではないかと思います。
お互いに妥協というかお互い様?
それを断り=差別という思考が悲しいです。
この質問をしたことで新しい法律が出来た事を知りました。
この法律が出来た事によって新たなクレームが生まれなければ良いですが…対応が十分でないとか
互いに満足できるためにはお互いに多少の妥協と歩みよりが必要ではないでしょうか。
それは人間同士ならどんな相手でもと思います。
お互いの立場そうですね。この質問は飲食店側に立ってとなってしまったでしょうか。でも反対の立場に立っても通訳してくれる方を探すと思います。
手話が出来ない。筆談も対応しない。それのみなら差別と受け止めるでしょうが
自分の常識は他人の非常識なので
願誉様 ありがとうございます。
そうですね。この団体だけ120分にすれば良いですよね。
只、満足していただくのは他のお客様も同じと思います。コミュニケーションに時間がかかると言うことは他のお客様への対応が遅くなる可能性があるという事です。他の全てのお客様が自分達への対応に満足されるでしょうか?
逆にあいつらがいたからという反感が生まれないと断言出来ますでしょうか?
その様な方を心が狭い、もっと思いやりの気持ちでとか思われるかもしれませんが人間本音を言えばそんなものでしょう。全てのお客様を満足させてこそだと思います。もちろん十分やっても満足して頂いけない事もあるでしょうが
予約がいつ入れられたかはわかりませんので、飲食店側に準備する時間があったかどうかは不明です。もしかしたら当日の朝或は前夜遅くかもしれません。今時はネット予約なんてモノをやっている所もあるので、そんな時間だったなら休みの従業員を入れる事も無理があるでしょうから。
とにかく障害者側にこのようにしてほしいとお願いする事がダメなんですね。
車椅子の方は一人では無理だと思えばヘルパーなりを同伴し介助を頼む。
盲目の方は盲導犬を同伴する方もいる。
聴覚障害者は手話を練習するでしょう。ですがどこでも使える訳ではない。筆談も相手が対応しきれない時もある。それを言い訳の様に捉えるのが理解できません。何故そういう時もあるよなって思えないのでしょう?何故そういう時はどうするかと考えないのでしょう?
常にではない時と場合によってはなんだけどそれも無理とか
選挙に行って投票したとしても投票した方が当選したとは限らず、また当選したとしても採決で勝てるだけの人数を確保している政党かもありますしね。
健常者同士ならそういう事もあるよなわかった。
じゃあお前こうして俺こうするからで済むのに
複雑過ぎてめんどくさいですね。
当日予約で休み返上で呼び出される方はたまりませんよね。休みだからといっておちおち出かける約束もできない。それはあり得ないと思いますが、さすがにそこまでとなったら片手落ちですね。