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宗教のことで迷っています。

回答数回答 3
有り難し有り難し 37

初めまして。
早速ですがご相談です。

お坊さんにこんなことをお尋ねするのも非常に申し訳ないのですが、私は最近仏教ではない宗教に興味を持ち、いずれ信仰したいと考えております。

ですが私は仏教的な考えである輪廻転生を信じております。その宗教では輪廻転生はないものとして考えているみたいなのです。

この点以外ではその宗教の考えに大変共感しているのですが、こんな私でもその宗教を信仰してもいいのでしょうか?
それとも、やめた方がいいのでしょうか?

誰にも相談できないことなので、是非お答えいただきたく存じます。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

疑いの目を持つことも必要

気をつけるべきは、現在の日本には三大宗教の名をかたったカルト仏教や、新興宗教系のキリスト教が多数存在していることです。三大宗教であるかのように見せかけて、実は中身は「三大宗教の名前を冠した新興宗教」であるものが多いです。
まぁ一旦、肩の力を抜いて冷静に考えましょう。
宗教の前にまずアナタがある。自分が先です。
あなたから何かを吸い上げるような宗教は結局ウマいことを言ってあなたを勧誘して入信という名の契約をさせるビジネスですからご用心。私ども既成仏教教団も疑って結構ですから、あなたが今入信しようとしているものも平等に疑ってみましょう。(^<^)サイショハミンナイイカオスルノヨネ
それによってやがて苦しみや煩いを生じさせたり拘束するような宗教であればあなたにとって肌に合わん、ということでしょう。
まず入信だの信仰だのの前に、まずそれを冷静に学ぶ事が大切です。
あなたが幸せになれるように学べばいいのです。
急いで入信させるものほど危険ですのでご注意を。
優れた政治家を輩出している松下政経塾という塾では「衆知を集める」という教えがあります。
物事を学ぶ上ではどれか一つ何か一つに傾倒するのではなく、どんな教えもへだてなく学び、世界中にあふれている良き智恵を集め、それを総合的に冷静に判断する❝自分❞が大切です。
どっぷりつかってしまっては、それを冷静に判断する自分を見失います。
仏教はこれに等しいものがあります。
あなたは何を学んだってイイのです。大いにすべてを学んできて下さい。
もしあなたがこれからいずれかの宗教宗派に所属するのであれば、そこの宗教宗派の寛容性のレベルをきちんと見極めた方が良いと思います。
キリスト教系のある信仰宗教では「聖書以外のものを学んではならない」という教義ならぬ狭義の名の下に信者を盲目的に拘束状態にさせています。
仏教は、ここであなたに申しあげているように、自分たちの宗教以外学んではいけないなどと狭く小さいことは申し上げません。
自分たちの宗派しか学ばせない訳ではありません。
よって色々学ばれた方こそ、拘束もなく狭義で縛る事も無く、偶像崇拝もない、自由なスタイルの仏教こそ世界を救う教えであると分かってくださいます。
他の宗教も色々冷静に学んでみましょう。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

信仰の要諦について

さくら様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

この度は、「信仰」に関するご質問を頂きまして、誠にありがとうございます。

まず、「宗教」に関しましては、少し下記の拙回答をご参照下さい。

問い「宗教とは」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1017725553.html

『・・本来の宗教の目的は、・・「幸せや安楽、安心を得るため、あるいは、より良い生き方、人生を歩むため」にあるものかと存じております。それが、不幸や迷い苦しみ、悲しみの原因となってしまっては誠に本末転倒となります。何故本末転倒なことが起こってしまうのか・・それは、全ての人たち、仏教的には衆生たちが、幸せ、安心、安楽となることを目的とせずに、自分、あるいは自分たちの集団さえ良ければいいというような、自己中心、自己満足、独善的な考え方がどこかにあるために生じる問題であるのではないかと思われます。そうではなく、いかに皆が幸せに、安楽、安心に過ごせていけるかを第一として、どの宗教でも、どの仏教の宗旨宗派においても考えていくことがまず大切になるのではないかと存じております。・・』

信仰の要諦は、「幸せや安楽、安心を得るため、あるいは、より良い生き方、人生を歩むため」ということと、もう一つは、「皆が幸せに、安楽、安心に過ごせていけるための良い生き方、人生にも繋がっているかどうかということ」が大切な判断基準になるのではないかと考えております。

「信教の自由」につきましては、これまでにも下記の各問いにて扱わせて頂いておりますのでご参考下さい。

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/tag/信教の自由

問い「創価学会」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1017330696.html

上記の拙回答にて、「伝統宗教であれ新宗教であれ、その考え方が正しいかどうかは常に合理的に十分に色々と検証していくことが大切である」と述べさせて頂いております。とにかく心の底から納得できるまではしっかりと合理的に批判的に検証を繰り返していくことも大切になるかと存じております。

川口英俊 合掌

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有り難し
おきもち

最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断しています。 https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k

当然、信仰は自由です。

宗教というのは信仰なので、合ってるとか間違ってるというものではないものです。
僧侶がそれを判断することもありません。
傍から見たらよくわからない宗教でも、それを信じ信仰している人からすれば、とても大切なものなのだと思います。
カルトであるならばまた話は変わってきますが、基本的にどんな宗教を信仰してもそれがいいと思うならいいのです。

ただ、私は浄土真宗の僧侶です。
他の宗教のことはわかりませんので、私がオススメできるのは浄土真宗だけです。

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有り難し
おきもち

始めまして、釈心誓と申します。 浄土真宗本願寺派の僧侶です。 若輩浅学の身でありますが、多くの方のお支えの中で日々精進しております。 仏教には、「私が知らないことを仏様から聞かせて頂く」という大切な側面があります。 聞かせて頂くのは、仏様の智慧であります。 今まで仏様のご縁が遠いと感じておられた方が、少しでも仏法に触れるご縁になれば幸いです。

質問者からのお礼

川口様

ご回答有難うございます。

焦らずじっくり考えてみたいと思います。
有難うございました。

釈心誓様

ご回答有難うございます。

カルトではなく、三大宗教のうちのひとつなので、大丈夫だと思います。
違う宗教のことなのに、ご回答して頂き大変助かりました。
有難うございました。

丹下様

ご回答有難うございます。
焦らず、じっくり見極めて、疑いの目を持って、それでも必要だと感じたら求めることにします。
ゆっくり考えてみます。有難うございました。

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