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気持ちの切り替え方

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有り難し有り難し 19

こんにちは。支離滅裂な相談になってしまうかもしれませんがお許しください。

私は現在高校三年生の受験生で、志望校に合格するために受験勉強をしています。

ですがこの前に受けた模試の結果がとてもひどく、特に苦手な科目が前回の結果を大きく下回っているという状態で、かなりショックを受けてしまいました。

そんなときに、母親とちょっとしたことで口論になり、母親に「あなたはぜんぜん頑張ってないね。大丈夫なの?他の子はもっと頑張ってるでしょ」というようなことを言われました。

もちろん、母親もわたしの事が心配でそういう発言をしたというのも分かってますし、わたしの努力が足らないのも重々承知しています。しかし、自分で思っていたよりショックが大きかったようで、勉強しているとなぜだか途端に悲しくなり、泣いてしまいます。

そのせいでろくに勉強に集中できず、勉強に集中できないとさらに不安感でいっぱいになり、泣いて、また集中できない…というような負のスパイラルから抜け出せません。

気持ちの切り替え方を教えてください。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

母親の言葉を真に受け過ぎない

そんな傷つくようないい方しなくたって(´Д`)シュン…。ねぇ。と正直思います。
子を育てるのが上手な母親であれば
「大丈夫よ、あなたなら大丈夫。時々は私も点数が下がっちゃうことはあったわよ。大丈夫よ。あなたは立派なんだから。信じてるわよ。ダメでもいいから思い切ってやりなさい。」とか言ってくれるもんですが、うちの母もそんなんだったら良かったのになぁと思います。
そうすれば元気の力が沸いてくるものなのですが、まぁ、中々、子どもの心というものは世の中の母親というものは理解してくれていなようで。
ドラえもんのツワモノキャラのジャイアンでさえ母ちゃんには頭が上がりません。
のび太君もスネちゃまもしずかちゃんも母ちゃんには頭が上がりません。
子供にとって母親という存在は影響力、大です。
一言一言、影響力マジ、超、スンゲー、ガチ、ヤバいくらい影響力❝大❞です。
仕方ないんす。おふくろさんと言われるように、母親の体の中にいたわけですから。悪く言われると、それもまた影響力、大で❝💀DIE💀❞状態にすらなります。
しかも恐ろしいことに母親というものは、自分が子供にどれだけ影響を及ぼしているかという自覚ZEROです。
だから、母ちゃんとは上手に距離をたもつことが大事です。
あなたが母親の言葉によって傷つかない様に、あなた自身が冷静に距離を置くのです。
母親の期待に応えようとしなくていいです。
完全独立。あなたはあなたの人生。
一旦リセット、スタートアゲイン。
大丈夫です。あなたなら、これから大きく成長しますよ!

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

とにかくやってみる

たちさん

そんなに自分を追い込まないでください。やらなきゃやらなきゃと思えば思うほどできなくなるもの。

まず、受験勉強と思うと焦りもあるし、楽しさがなくなり、不安も出てくるでしょう。しかし、学ぶことの大切さを感じたいものですよね。点数以前に知識が増えることの楽しさが学びにはあるのでしょう。そこに気づきたいですが、そのためには一端自分を追い込むものを取り外し、すなおにものを見ることができるようになりたいですね。

そして、模試をやった時のあなたは、いまのあなたではないということです。すでに新しいあなたです。苦手意識もありません。人と比べて点数が取れなくても、苦手なんてレッテルをつけることはない。覚えてなかったことを覚えればいいだけです。わからないところを見つけるのがテストでしょう。直しが何より大切。ワザワザ自分を追い込まないでください。

なんとなく、世の中、頑張れば頑張った分成長する。とか、辛い経験をした方が良いのだ、みたいな変な感覚があります。ですから、ついつい追い込みたくなるのですよね(^_^)。そんなことは必要ないのです。下手に追い込み、なにも手につかなくなっては元も子もないでしょう。
お坊さんが坐禅するかの如く、ものに触れたらそのようにやる。学習するときは、他の情報を一切シャットアウトして、ただ学習のみで行うのです。模試のことも、苦手意識も、お母さんの言葉もそこにはない。ただ学習するものがあるのみ。追い込まれることもない。集中しなくちゃなんて焦りもない。ただ学習そのものになりきれる。
そんな態度で臨みたいですね。

学習前に5分から10分静かに坐禅するのはどうでしょう。足は組まなくてもいい。正座でも椅子でもいい。背筋を伸ばし、深呼吸を二、三回します。目は閉じず、考え事は追わないようにする。ただ目に映るもの聞こえるものその通りになる。受け流すなんて言ったりもします。
少しこんな入門編もやってみてください。効果はあるはずです。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

質問者からのお礼

回答ありがとうございます。

確かに勉強するということに模試の点数も母親の言葉も全く関係ありませんね。ハッとしました。

他のことを考えず勉強そのものと向き合ってみようと思います。

五分座禅試してみます!
ありがとうございました。

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