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申し訳ない

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有り難し有り難し 26

自分の周りの人間に対して、とても申し訳なさを感じてしまいます。
自分は、様々に人に支えられて生活しています。母親や、いとこ、知人などです。特に、母親は片親でありながら、今まで何一つ不自由のない生活をさせてくれました。ですが、最近周りの人に対して、申し訳ない気持ちいっぱいになってしまします。ぶっちゃけていうとお金のことが大半です。これから先も迷惑をかけると思うと、不安です。例えば、お金を出してもらって、試験などを受けて、不合格だったとき、とても申し訳ないと思います。
この不安はどうすれば解消するでしょうか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

こんにちは。

直接の結果を出すことだけが恩返しではないと思いますよ。
難しい試験やその他、毎回一発で合格なんていう方が難しいでしょう。
他の今の自分でできる範囲のお手伝いで返すとか、普通に真っ当に生きているだけでも親にとっては嬉しいものではないでしょうか。

今は特段の恩返しなど考えなくても、そういった良いお気持ちを持っておられることは周囲にもよく伝わっていると思います。
近い将来努力が実った時にでも、親子水入らずでちょっと贅沢な外食とかプレゼントしてあげて下さい(^-^)

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一般家庭から真言宗のお坊さんとなりました。 お寺はありませんので普段は普通に企業で働いております。 求めに応じて衣を纏い法を説いてます。 https://youtu.be/-k4oRLFXGSM https://youtu.be/02VnGUcldkI https://youtu.be/AM8z5xl1f8E

されていない期待に応えなくてよいのです

きっと親はこういう期待をしてくれているに違いない、と思い込んでいませんか。(^<^)
私が親ならば子供に頑張ってほしいとは思うもののできないことを期待しませんし、望みもしません。
親子の愛は条件付けはありません。
条件を要求する親もいますが、それは親の道を外れてしまった人間のすることです。
あなたがどんな状況であれ、安心して暮らしていってくれること。強く生きていってくれること。
世の中の不正や悪や苦に染まらずに生きていってくれること。
こう言ったことを望んでおられると思います。
多くの子供は親の期待に応えなければと、頑張りすぎて精神的に参ってしまうものですが、本当に親御さんがお子さんに期待されていることはあなたが思っていることではないと思います。
安心して、力を抜いてご自身のやれる限りのことを尽くしてください。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

暖かいお言葉ありがとうございます。自分はいらぬ心配を抱え込んでいたと気づくことができました。肩ひじ張らずに生活していきたいです。

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