来月、母の一周忌です。
来月、母の一周忌です。
浄土真宗 大谷派ですが、
お坊さんを呼びお経を唱えていただいた方が母のためには良いのでしょうか?
一周忌には弟、祖母、私のみでお参り予定です。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ご供養はおもてなしの心です。
1年ではまだまだ、お母さまのことが、頭を離れず、思い出しては、
お辛い気持ちになる日もあると、
思います。
四十九日や年忌法要で、お勤めさせていただくことがございますが、
ご遺族のお気持ちは千差万別です。
ただ、はっきりと言えることは、
たとえ、それが天寿を全うした大往生であっても、お別れは寂しく、辛いと
いうことです。
できるだけのことをしたいというのが、人の情だと思います。
供養とは、おもてなしです。
今まで、お世話になりました。
ありがとうございました。
感謝してもしきれない、
その気持ちを、
坊さんにお経をあげていただくと、
いうことなのではないでしょうか。
いまは亡きお母さまも、
わざわざ呼んでくれてありがとうと、
必ずや、極楽浄土から、感謝されるでしょう。
また、ご家族の皆さんも、一周忌法要を営むことで、お心のけじめがつくのではないでしょうか。
阿弥陀さまが全て救ってくださり、
極楽浄土に連れて行ってくださいますが、それはそれで、
お気持ちにポッカリと空いた穴は、
なかなか埋まらないのが、
私たち人間でございます。
私も大好きだった、祖父が、
亡くなった時、泣きじゃくって、
何でもっと長生きしてくれなかったんだ!寂しいじゃないか!
と、騒いだことを思い出しました。
祖父は、87歳でしたから仕方がないのですが、歳など関係ありません。
阿弥陀さまの救いがあうとも、
私は祖父を始め先亡の方々のために、
阿弥陀さまに、毎日祈っています。
供養はおもてなしです。
お母さまが生きていらしたら、
どう思われるか、
相手の立場でお考えいただけたら、
宜しいかと思います。
少なくとも、お母さまを偲んで、
皆さまで思い出話に花を咲かせて
くださいね。
お母さまもお浄土で、
感謝しながらはにかんでいらっしゃると思いますよ。
どうか皆さま、お幸せに。
年忌法要を縁として
はじめまして、ご相談拝見しました。
私は真宗大谷派の僧侶です。
さて、お母さまの一周忌法要どうおつとめになるか、それはヒロ様が思うように、あるいはみなで相談して決めた通りでかまいません。
まず申し上げたいのは
年忌法要をつとめた方が良いことがある(家内安全・商売繁盛・無病息災、等)
年忌法要をつとめないと悪いことがある(祟り、怨みなど)
僧侶を呼んで読経をすると故人があの世でより良いところにいける
僧侶を呼んで読経をしないと故人が成仏しない
といったことはございません。
ですから、お坊さんを呼ぶかどうかは自由です。
ただ私ども僧侶からお願いしているのは、よろしければ年忌法要を縁として仏法に出遇ってほしいということです。
仏法に出遇うということは故人に出遇うことでもあり、残された者が自らのただ今の生のあり方を見つめることでもあります。
あくまでも僧侶はその出遇いの場のお取次ぎをさせていただきたいということです。
皆様だけで十分に供養の場がととのい、お母さまからの願いを受け止め、お母さまが命をかけて教えてくださった仏法という真実の教えを聞いていく場が開けるのあればそれでかまいません。
身内だけで語り合いたいという場合もあるでしょう。
一方、身内だけだと日常との区別がない、しまりがない、これでよかったのかという不安が残るということもあるでしょう。
私は年忌法要という場において、読経という儀式があり、法話があるということは大きな意義がある事だと思い僧侶をさせていただいております。
どんな形であれ、是非とも仏法に出遇う場となることを念じております。