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お釈迦様を知りたいです。

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今月の頭に、有名な神社に行って、家の間取りや、家族の原因を見てもらいました。今は良い方向に向かっているので、本当に感謝しています。

お釈迦様のお話を聞き、すごく知りたくなったのですが、
生き方について学びたいなと思っております。

お釈迦様を深く知りたいのですが、どうやったら知ることができるのか教えてください。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

お経はお釈迦様の説法です。

お経は八万四千種類あると言われます。
現在、実在するのは1万種類強とも言われます。
これらのお経は、お釈迦様が説かれたもの、またお釈迦様と同じ悟りを得た仏様が説かれたものです。

お釈迦様の生涯はネットでも簡単に見つけることができるでしょう。
大切なのはお釈迦様がどんな事をお説法なさったかです。
お経によって内容は様々です。
難しい論理や真理を説かれたものや、昼ドラに出てきそうなサスペンスの物語なんかもあります。

「お釈迦様を知る」ということは=「仏教を知る」ということです。
本屋さんで気になった仏教の本を読んでみてもいいと思います。
私は釈徹宗先生の著作をオススメします。
お寺に参って法話を聞いてもいいしょう。

そして一番いいのは信仰することです。
仏教は学問ではありません。
宗教は信仰から始まります。
私は『「私は仏教徒です」と言える人が少しでも増えたらいいな』と思って僧侶をしています。

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始めまして、釈心誓と申します。 浄土真宗本願寺派の僧侶です。 若輩浅学...

自らが覚者になる事

参禅だの、坐禅って結局、なにするの?
ハイ、お釈迦様の体験をズバリ自分で味わう事なんです。
仏を知りたきゃ、自分がなればいいのです。
具体的には、静かにすわって自分に向き合い、坐っていると次々ぽんぽんと出てくる思いを更に別視点でホッタラケにしておきます。そしてそこに自分の判断や評価をくわえずに過ごす。
そうすっと、ある時から、ノーミソが左半球から右半球に切り替わって、モノは見えながらも考えを絶した状態になります。
モノは見えても聞こえても、思いが出てきても、その思いに影響されないから縛られない。涅槃、悟り、ホトケ状態になりますです。
通常これを悟りと言いますが、禅では悟りがスタート地点。(皆ここを勘違いしている)
この状態をキープしながら生きる事が修行ならぬ、修証ですわいの。
その状態になることこそ宗教宗派、年齢性別、県民性問わずに、本当のお釈迦様を知るということです。
だって、そうでない絵空事のホトケさん勉強したってしょうもないも-ん。
歴史学んだり仏教知識学んでも知識貯めただけで役に立たないもーん。
仏教は「仏サマとかいうアイドルに会いに行くスタンス」ではないのです。
むしろ自分がアイドルになってしまおう、なのです。外から眺めていたって力にはなりません。
自分が仏と言う神格化して祀り上げてしまって「ほとけさま化」してきたナゾの存在の精神状態をじかに味わう教えです。
あなたの求めとは違うでしょうが、心の片隅に置いておいてください。いつかきっと力になります。

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丹下覚元(たんげかくげん)
☎お悩み相談 📞08020659278 法話禅会 毎週日曜3時より...

質問者からのお礼

ありがとうございます。

自分と向き合ってみたいので、深く知りたいと思います(^^)

「お釈迦様・ブッダ」問答一覧

真言宗と浄土真宗の中のお釈迦様

はじめて質問させて頂きます。 プロフィールに記載しておりますが、家族の問題を抱える中、昨年暮れに仏教の教えに出会い、本当に心が穏やかになれた体験を得る事ができました。 それまでの私は、実家が高野山真言宗のお寺とご縁があり、結婚後も実家の仏壇を預かり、月参りや納骨堂のお参りをはじめ、いろんな関わりを持ってきて、仏教と深く関わってきたつもりでした。 しかし昨年暮れ、心身共に行き詰まり疲れ果てた時に出会った教えは浄土真宗(真宗大谷派)の教えだったのです。 その時はじめて、今までずっとお寺に関わってきたつもりだったのに、「仏教の教え」についてほとんど何も知らなかった事がわかったのでした。 それから改めて今求道中なのですが、今まで聴いてきた真言宗のお経と、浄土真宗のお経がまったく違うのにびっくりして、元は同じお釈迦様なのに、どうしてこうも違うのか。 両派ともご本尊がお釈迦様ではないとはどういう事なんだろう。 両派の中の、お釈迦様の教えと、各ご本尊様(大日如来様と阿弥陀様)の関係性って何なのだろうと、今切実に知りたく質問させて頂きました。 私にとって真言宗は小さな頃からずっとずっと触れてきた大切な宗派であり、また浄土真宗は昨年暮れ、本当に行き詰まってどうしようもなくなっていた時に、私の心を救っていただいた大切な宗派なのです。 どちらも私にとっては大切な宗派なので、どうしたらいいのかわからない状況になってしまいました。 ただその中で、元はどちらもはじめはお釈迦様だったのでは?と思い至り、タイトルにある質問をさせて頂きました。 どうぞよいお導きがあればよろしくお願いいたします。

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漫画 聖☆おにいさん

私は「聖☆おにいさん」というブッダが出てくる漫画が大好きなのですが、愛読されているお坊さんいらっしゃったらこの質問に目を通して頂けたら嬉しいです。 作中で梵天と帝釈天が出てきますがブッダに対して「シッダールタ」と悟る前の名前で呼び、ブッダは敬語を使っています。シッダールタ時代に苦行している時にも「おー、頑張れよー!」とか言っていますよね。ブッダをプロデュースしてるみたいな場面も沢山出てきます。 私は手塚治虫の「ブッダ」も読んだのですが(フィクションもだいぶ盛り込まれているようですが)、その中で梵天はシッダールタの前にここぞという時に現れるので(迷っている時や悟った時など)、シッダールタの背中を押す師匠のような存在、と思っているのですが、 梵天や帝釈天はそもそも人間ではない存在なのですか? シッダールタが誕生する前から存在してるという事ですか? この漫画は私の仏教への興味を広げてくれた大好きな作品です。 初歩的な事と思いますし、ネットで調べればすぐ出てくるのでしょうが、ハスノハという場所があるのでお坊さんに質問してみようと思いました。 (帝釈天のスーツはアルマーニ、梵天のスーツはコナカというのはツボです)

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 釈尊の言行その2

大忍貫道 様 釈尊の言行(その1)で追記 を見逃して大変失礼致しました。  回答の締め切り通知を変更通知と間違えて調べて、追記があったのを知りました。申し訳ありません。  重要な問題なので、再度質問を立てます。  我々の出来ない体験を、釈尊が代わりになさって伝えて下さったのが仏教です。  「輪廻転生について」のお礼欄で、私は 「如来(釈尊)は真実を語るものであり、如来は真理を説くもの、ありのままに語るもの、誤りなく説くものだからである。如来は虚偽りを語るものではない。」  との金剛般若経の引用をしています。  輪廻は信じる信じないのレベルではなく、真実か虚偽かの問題なのです。  そこが仏教が宗教か否かの判断になると思います。  金剛般若経の続きで「前世、現世」が出てきます。  釈尊の語りですから、これは真実なのです。  これが輪廻転生に他ならないのではないでしょうか?  因みに仏教が信でなく真実であることは、仏教の基盤である「般若心経」が科学的真実を語っているので明白です。  詳細は省略しますが、ヒントは「諸法」の「空」が「不増不減」であるのは、諸法が自然界の中で唯一「閉じられた系」であるからです。

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釈尊の言行

 厚かましく、非宗教説を続けます。  釈尊の言行については、立川武蔵先生の「ブッダをたずねて」の受け売りですから、皆様先刻ご承知と思いますが、信仰について言及したいと思います。  先ず釈尊は、偶像崇拝を禁止したとのことですが、釈尊の死後、舎利を分配して、早速信仰の対象にしました。  仏像も信仰の対象として作成され、祇園精舎での説教で済むところを、巨大な寺院を建築し、仏像を納めて 荘厳さを競いました。  これは中国の仏教を模倣したのでしょう。  釈尊の言行からはまったく不要なものであるはずです。  次に釈尊の死が近づいたときに、近隣の村人たちが釈尊の葬儀の支度を始めているのを見て、弟子にあそこに参加してはならないと戒めたそうです。  元々葬儀には無関係だったようです。  確か応仁の乱で加茂川に死体が放置されていたのを、僧侶が荼毘に付したのが始まりだったようです。  釈尊の言行に従って、これらの行事を無くせば、仏教はただ説教と修行に励むことだけが残ることにはなりませんか?  仏教は信仰とは無縁だと思います。これが非宗教説です。  蛇足ですが、通常寺院の参道に仁王門がありますが、これが参道の入り口ではなく中ほどに建てられいます。  これは参道が、輪廻転生を示したと考えられます。  参道の入り口は娑婆です。参詣者は参道を通って本堂に向かいます。  本堂は娑婆から切り離された死の世界です。  本堂に居続ければ平穏ですが、娑婆に還るときは仁王門で苦しめられます。  「チベットの死者の書」によれば、丁度3週目に怒りの神々に遭遇します。  仁王門が中途にあるのはそれを模したものと考えられます。    従って輪廻転生は仏教にとってそれ程重要なものです。  現在仁王門の像は参道を向いていて外敵を防ぐと言われていますが、参道の中途にあるのも不自然だしその必然性が考えられません。  像は本堂を向くべきだと思います。  さびれたお寺の仁王門がその向きになっているとの記事も見かけました。

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