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お釈迦様を知りたいです。

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有り難し有り難し 29

今月の頭に、有名な神社に行って、家の間取りや、家族の原因を見てもらいました。今は良い方向に向かっているので、本当に感謝しています。

お釈迦様のお話を聞き、すごく知りたくなったのですが、
生き方について学びたいなと思っております。

お釈迦様を深く知りたいのですが、どうやったら知ることができるのか教えてください。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自らが覚者になる事

参禅だの、坐禅って結局、なにするの?
ハイ、お釈迦様の体験をズバリ自分で味わう事なんです。
仏を知りたきゃ、自分がなればいいのです。
具体的には、静かにすわって自分に向き合い、坐っていると次々ぽんぽんと出てくる思いを更に別視点でホッタラケにしておきます。そしてそこに自分の判断や評価をくわえずに過ごす。
そうすっと、ある時から、ノーミソが左半球から右半球に切り替わって、モノは見えながらも考えを絶した状態になります。
モノは見えても聞こえても、思いが出てきても、その思いに影響されないから縛られない。涅槃、悟り、ホトケ状態になりますです。
通常これを悟りと言いますが、禅では悟りがスタート地点。(皆ここを勘違いしている)
この状態をキープしながら生きる事が修行ならぬ、修証ですわいの。
その状態になることこそ宗教宗派、年齢性別、県民性問わずに、本当のお釈迦様を知るということです。
だって、そうでない絵空事のホトケさん勉強したってしょうもないも-ん。
歴史学んだり仏教知識学んでも知識貯めただけで役に立たないもーん。
仏教は「仏サマとかいうアイドルに会いに行くスタンス」ではないのです。
むしろ自分がアイドルになってしまおう、なのです。外から眺めていたって力にはなりません。
自分が仏と言う神格化して祀り上げてしまって「ほとけさま化」してきたナゾの存在の精神状態をじかに味わう教えです。
あなたの求めとは違うでしょうが、心の片隅に置いておいてください。いつかきっと力になります。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

お経はお釈迦様の説法です。

お経は八万四千種類あると言われます。
現在、実在するのは1万種類強とも言われます。
これらのお経は、お釈迦様が説かれたもの、またお釈迦様と同じ悟りを得た仏様が説かれたものです。

お釈迦様の生涯はネットでも簡単に見つけることができるでしょう。
大切なのはお釈迦様がどんな事をお説法なさったかです。
お経によって内容は様々です。
難しい論理や真理を説かれたものや、昼ドラに出てきそうなサスペンスの物語なんかもあります。

「お釈迦様を知る」ということは=「仏教を知る」ということです。
本屋さんで気になった仏教の本を読んでみてもいいと思います。
私は釈徹宗先生の著作をオススメします。
お寺に参って法話を聞いてもいいしょう。

そして一番いいのは信仰することです。
仏教は学問ではありません。
宗教は信仰から始まります。
私は『「私は仏教徒です」と言える人が少しでも増えたらいいな』と思って僧侶をしています。

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おきもち

始めまして、釈心誓と申します。 浄土真宗本願寺派の僧侶です。 若輩浅学の身でありますが、多くの方のお支えの中で日々精進しております。 仏教には、「私が知らないことを仏様から聞かせて頂く」という大切な側面があります。 聞かせて頂くのは、仏様の智慧であります。 今まで仏様のご縁が遠いと感じておられた方が、少しでも仏法に触れるご縁になれば幸いです。

質問者からのお礼

ありがとうございます。

自分と向き合ってみたいので、深く知りたいと思います(^^)

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