hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

人が怖いです

回答数回答 3
有り難し有り難し 16

前回はとても心に響く丁寧な回答をいただき、とても感謝しております。
今回のご質問なのですが、私は人が怖いです。数年前までは全くこのような事はなく、人と話し、人と触れ合い、人と接することがとても好きでした。しかし、歳を重ねると共に世の中の裏を見てしまい、人を恐れ、人を避けて生きるようになりました。外に出る事ですら怖いと感じ始めるようになりました。この世の中の、通り魔殺人や、たちの悪い一部の人間の存在が自分をこのようにしてしまったのだと思います。友達にしても、この人は信用できるという人が1人もいません。女性に関しても、結婚詐欺や金目的の接触には合いたくないですし、良い人と悪い人のはっきりとした判断基準がないため信用したこともなく、恋愛経験も皆無です。常に人を恐れ、疑い、時には耳を貸さずに1人で生きています。でも、これから生きて行く上で必ず人と関わりながら、生きて行く必要があります。そして、自分の目指す仕事場は必ず人と関わりがあります。ですが、突然その職場にコワイ人達が入ってきて、金をゆすられたらどうしよう、などと、常に恐怖心と持っています。どうすれば、人を信じ、以前のように人と関われるようになるでしょうか。また、世の中の全ての人が悪い人でない事は分かってます。しかし、一部の人間がとても怖いんです。普通の人を装って近づいてくる一部の人がとても怖いんです。そんな人がたくさんいるこの世の中で、どう生きて行けばいいのでしょう。人間不信を治したいです。
よろしくお願いします。

2015年4月1日 17:59

この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

思いの上塗りをしないで、そのままを受け取る。

どうせ疑うのなら、不幸せにさせてしまう考え方やものの見方こそ疑うべきです。
自分の考えを通して物事を取り扱う事は、物事を枉(ま)げて観ている姿であることを知りましょう。
疑いのタレの上塗りをせず、白焼き状態で観てみましょう。
人間というのは元々まっさらな焼き鳥、ウナギの白焼きに、タレを塗り重ねるように、素材そのものの味ではなく思いタレの味に変えているのです。
素材そのもの(真如)を味わうのは塩味、白焼きが一番です。
(あ、食事に関しては私はタレ派ですが(^

2015年4月5日 10:04
{{count}}
有り難し
おきもち

丹下覚元(たんげかくげん)
☎お悩み相談 📞08020659278 坐禅会 法話・提唱会 毎週...

人を見る目を養うのは実際の経験から

梨男様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

この世では様々な営みの中、社会生活の中で生かされている以上、人とも否応がなく関わっていかなければなりません。もちろん様々な人がおられるだけに、自分にとって良い人、好きな人、嫌いな人、そのどちらでもない人と、時々の状況や捉え方次第でも色々と変わってしまうのではないかと存じます。

仏教におきましては、代表的な苦しみの一つとして「怨憎会苦」がございますが、これは、私たちは、憎しみ怨むほどに嫌な者、嫌な事にも出会っていかなければならないという苦しみのこととなります。

「怨憎会苦」 に関しましては、これまでにも下記の各問いにてお答えさせて頂いております。

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/tag/怨憎会苦

この世では、無明(根本的な無知・愚かさ)・煩悩により悪い行いをしてしまう人が多くございます。そのため、自分が純真で、素直で、無垢な心をもっておりますと、より鮮明にそのような悪い行いをしてしまう人々のことを嫌悪してしまうのも当然のこととなります。

梨男様は、誠に純真で、素直で、無垢な心をお持ちであるのではないかと存じます。どうしても、大抵の場合、やがて社会で色々と良くも悪くも経験し、揉まれる中で、そのような善き心を失ってしまうことになってしまいますが、どうかそのまま大切に育んで頂けましたら有り難くに存じております。

とにかく、社会生活を営んで、人と関係していく上において、恐怖心や不信をもってしまうのもある程度は仕方のないことでありますが、あくまでも人は人、自分は自分として、もしも、怖いことがあったとしても、跳ね返していけるだけの強さと自信を兼ね備えられるように調えられていかれると良いのではないかと存じます。

そして、失敗をあまり恐れ過ぎないことです。拙生もこれまで色々と人間関係での失敗がございましたが、何とか都度に反省して活かせてこられたのではないかと存じます。その実際の経験が、人を見る目として徐々に養われ、少しずつ良いもの、悪いものを見抜いていける力にもなるのではないかと思います。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

2015年4月7日 14:51
{{count}}
有り難し
おきもち

川口 英俊
「僧侶は、悩む人に正しいくすりを調剤できる薬剤師であれ」 http:...

そのままのあなたを救う仏様

あなたはあなたのそのままに救われていく教えが浄土真宗です。
別に人間不信でもいい。
私達人間は決して完璧ではありません。
私達は凡夫であり、愚かなものです。
裏切り、嘘をつき、当たり前に他の命を食らって生きています。
そんな私を必ず救うとおっしゃる仏様がおられます。
変わりなさいとはおっしゃいません。

>どう生きて行けばいいのでしょう。人間不信を治したいです。

それならば仏法を聴聞することです。
もしかしたら変わることができるかもしれません。
また変わらなくてもよかったと思えるかもしれません。
そのままに救わていくのが浄土真宗の教えです。

2015年4月7日 18:29
{{count}}
有り難し
おきもち

始めまして、釈心誓と申します。 浄土真宗本願寺派の僧侶です。 若輩浅学...

「人が嫌い・怖い・苦手」問答一覧

他人に興味を持てない、怖い

見てくださりありがとうございます。 自分は他人に興味が無い(もしくは人嫌い?)かもと思っています。 他人に興味が無いのは恐らく中学生くらいのときからで、これは両親の離婚と引越しによる環境の変化で心に余裕がなくなったせいかなと考えています。 人嫌いのきっかけは、大学の卒業研究のペアの人と上手くいかず、思い詰めてしまい社会不安障害になってしまったことだと考えています。 ペアの人は私の都合を気にせず勝手に研究を進めたり(共同でやるべきものでした)、私がほとんど研究を手伝わないなど共通の友達に言いふらしたり、私が先に就活を終えたことを知るとその日から完全に無視したりと、当時の私にはキツいものでした。社会不安障害は医者曰く治りやすいタイプだったそうで、良くなっております。 現在職場での休憩時間中や勤務中のたわいもない雑談、飲み会での話題に興味を持てず、話を終わらせてしまうことが多々あります。 話しかけてくれている相手に気まずい思いをさせたり、気を使わせてしまい、それがしんどいです。 また医療関係の職に就いているので他職種との連携が必須です。医者や看護師など他職種の方と仕事以外の会話が弾まないためか、相手から信頼してもらいにくいのも悩みです。人間関係を広げたり深めたりすることができず、人として医療関係者として成長できないのではという怖さもあります。 書いているうちに、人に興味がない、嫌いというより、人への恐怖感を持っているのかもと思ってきました。 人に興味を持ちたいです。嫌い、怖いという気持ちを少なくしたいです。 医療関係者としてこのままだとまずい気がします。 前回の質問で頂いた回答の通り、これもしっかり休んだり充実した生活を送ればなんとかなるものでしょうか。 お坊さんの考えを教えていただけないでしょうか? 支離滅裂になってしまいましたが、よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

人間は怖いけど繋がりたい欲とのつきあい方

・中学生くらいの頃から、自然性(身体)と人間性(脳)のことで葛藤をかかえています。 主訴は、人間社会や人間関係などの人間性から生まれる生活(慣習など)がたまらなくしんどいことです。 ・30代前半ではじめて、自我が人間性の部分にがんじがらめになっていたことにたくさん気づくきっかけがあり(わかりやすい例だと、他者からの言動をうけとって性の自己認識が歪んでいたことなど)、 ここ1年ほどそれとどうつき合うか、心理面と肉体的な作用の観点から勉強しています。 ただどうしても、人間性に向き合うとこじれた部分は垣間見るし、人間的な生き方ってしんどいと感じてしまいます。 脳の特性上否応なくわく精神的な欲とずっと折り合いをつける途方のなさに人間しんどい、、のような気持ちになります。 ・仏教的には、人間関係性や人間社会性から離れたいと願うことは、人間の生き方としてどう捉えられるのでしょうか?? ・現実的には、これだけ人間社会にどっぷり浸かって生きてきたので その恩恵からは逃れられないだろうと思いつつ(人間性や人間社会の仕組みのおかげで生きてこれていることもわかる)、 山と里の境のような物理的距離で、人里から離れて自然8割くらいの環境で暮らしたいと夢想してしまいます。 ・だけれど、人間性に傷つきながら、人間関係欲のようなものが強いです。 精神的にしようがない欲だと見ながら、人間はこわいけど人間と繋がりたいのような欲とどのように折り合いをつけていればよいでしょうか? うまくまとめられませんでしたが、アドバイス頂ければうれしいです。

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

人の集まりが苦手です、親戚の人やいとこ達が苦手です

私は、親戚の人達や、いとこの人達の集まりが苦手です。集まりの中にいても、話はうまくできないし、私が話すとシーンとなってしまって、私はいないほうがいいかなと思ってしまって、自分から集まりにも行かないです。 お正月やお盆や、兄が県外から帰って来る時など、よく家に集まって、バーベキューをしたり、ご飯食べたり、話をしに集まるので、毎回、皆が集まる時はその場にいないといけないのに、だめだなと思うんやけど、なかなか直せません。小さい時からやから。 私は皆が集まる所から、だいたい離れています。ご飯は一緒に食べるけど、食べるとだいたいいつも離れて別の部屋に行きます。気まずい空気になるのが怖いから。 皆がわちゃわちゃ楽しそうに話をしてるのを遠くから聞いてて、いいなぁて思います。孤独感を感じます。もう30になるから、しかたないかなぁ… 親戚の人やいとこの人達など、久しぶりに会っても何を話せばいいのか分からないから、あまり話さないし、気まずくなるから、なるべく避けてしまいます。いけないなぁと思うけど、小さい時からやから、やっぱり、しょうがないかなぁ… 私はダメやなぁと思います。誰かが来ると、嫌やなぁとか、早く帰ってほしいとか、せっかく休みやのにゆっくりできんとか、そんな事考えたらいかんけど、考えてしまいます。 誰と話す時も、会話がうまく続かなくて、自分が言いたい事もうまく言えなくて、だから、周りの人達が、楽しそうに話してるのがうらやましいです。でも、私はやっぱりできません。

有り難し有り難し 11
回答数回答 1

傷ついた体験から臆病になりました。

現状問題としては、自他共に無職であることだと認識しています。きっかけは不登校からひきこもりです。どれだけ駄々を捏ねても、他人が人の為に出来ることなど人生においては無くて、自らが動く他はないのでしょう。それを分かっておきながら、他人を責め、自分も責め、何もかもを嫌だと泣き喚いて、日々を無為に過ごし、その過去ですら足枷になる中、真綿で首を絞められるような生活を送っています。 人から指摘されるであろうあらゆる非難や中傷や叱咤激励は、私の中からいつだって私に向けて放たれます、もはや何を言われてもそこに胸を打たれる鮮やかさも無く、ただ心のささくれかの如く事ある毎に引き攣るよう痛むだけです。 しかし、もはやどれほどの痛みを以てしても私は変われないのでしょう、そうすると私を変えてしまうのが肉親の喪失ではないかと思い、恐ろしいです。 そうまでしないと変われないのか、どこまでも怠惰で臆病で卑屈で救いようのない者なんだと。 自らを責めても何のメリットもないことは承知です、でも人に身の上話をする中で自らを痛めつけることを交えなければ、他者からの傷つく言葉が殊更目立つでしょうから、そうして自分を守る癖がついてしまいました。 自分を守るために自分を傷つける、最悪な防衛ですね。そういった手段でしか自分を労われません。 このような性根のねじ曲がった己がただただ口惜しいです。 両親は私の有様を嘆きこそすれ親身に寄り添うことはありません、嘆くことに治めることで精一杯なのでしょう、そうでもしないと私を追い出してしまいたくなるでしょうから(普段からその片鱗は見受けられます)。 過去に深く傷つきました、未だに癒えた気はしません、何かにつけ傷口に塩を塗りこまれ、おかしな癒着をして、もう以前の私には戻れなくなった。 しかし傷つくのは誰しもが日常茶飯事のはず。 ただ私は運がなかったのでしょう、車に轢かれ誰も通りがからず、雨風に晒され血は流れ傷口が塞がっても折れた骨はそのままに、見た目だけやや不格好ながらも立ち上がれた、しかし轢かれたことを知られていない私は誰からも手を差し伸べられずに途方もなく立ちすくむことしか出来ない、歩こうとすれば足は激しく痛み、また轢かれるのではないか今度も誰も助けてくれやしない、こわいこわいこわい。 今の私はおおよそこんな感じでしょうか。

有り難し有り難し 11
回答数回答 2

関連する問答

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ

相談カテゴリ
-四苦八苦 SickHack!▼ 全カテゴリを見る