生徒よりも自分
地元の公民館にて、毎週末、こども将棋教室を主宰しております。
昨年に教室を発足させて、ちょうど1年くらいが経ちます。
7名の子たちでスタートした教室ですが、
今では15名ほどの子たちが来てくれる教室となりました。
当初は初心者として入って来てくれた子も
今では大会に出場するまでになった子もおり、
こども達の成長を日々喜び、
私自身も楽しんで教室運営を行っておりました。
しかし、先日、ある出来事が起きました。
ひょんなことから、教室に通ってくれているA君が
隣町にある他の将棋教室に通っていることが分かりました。
そのことを知った私は、A君に対して
「こっちの教室に不満があるの?」、
「こっちの教室に通っていれば十分でしょ?」などと
言ってしまいました。
後でわかったことですが、
A君とは別のB君(当教室と隣町教室と掛け持ちしている子)の
お母さんがA君を勧誘したようなのです。
ちなみに、B君のお母さんは、過去にも、当教室通っていたC君を
やはりそちらの教室に勧誘して、今では、C君はこちらに来なくなりました。
(隣町教室は、ボランティア(無料)でやっている教室のようです。
当教室は有料です)
後日、A君のお母さんとB君のお母さんが揃って教室にやって来て、
話し合いをすることになりました。
結局、私としては、
「他の教室との掛け持ちを禁止することまでできません。
だから、他の教室に行っていただくのは自由です。
ですが、今後は、当教室の生徒を他の教室に
勧誘することはご遠慮ください。」
旨を説明いたしました。
すると、「先生は、こどものことを優先して考えていない。」、
「将棋が強くなりたいという意欲ある子を尊重していない。」
旨のご指摘をいただきました。
正直ショックでした。
自分の教室の生徒を取られるのは嫌だ
将来有望な子の将来の手柄を他の教室に取られるのは嫌だ
など自分本位な考えが根底にあるのは確かだと気付かされました。
自分は何が目的で、こども将棋教室を始めたのだろう?
本当にこども達の成長を願っているのだろうか?
自問自答すると、やはり自分が指導者として認められたいとか
教室の実績を上げたいという「自分のため」に
教室をやっているのだと思います。
そんな自分が嫌な奴に思えて苦しいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「私は今、取り敢えず」という接頭辞
こんにちは。私も習い事関係は関わっているので、共感しながら読ませて戴きました。
「子どものため〜」は、お母さんのワガママの常套句です。「あっそ」と言うよりありません。その方は、自分が発した言葉で、先生がいかに嫌な気持ちになるのか想像せずに、自分を正当化しただけだと見えます。
貴方から「他に行くのは自由です」と言っているのですから、向こうはそれだけで済むはずです。彼女が言っているのは明らかに「自分の勧誘を責められて」のことです。
残念ながら、世の中にはそんな人がゴマンといます。「去る者は追わず、来る者は拒まず」がご縁の基本。私も昔は随分引き留めようとして、悉く苦汁を飲んできました。
そうして学んだのは、「私はこう思いますよ」という言い方です。「世の中の常識はこうでしょう」ではない。「どちらが正しいのか」という議論にしないことです。
人間どんな事を言ったって、所詮「私は今こう思う」しか言えないのです。そのお母さんだって、子どもが「受験よりも奨励会に行きたい」と言ったらすんなりと応援はしないでしょう。そんなもんです。
「縁有る方が残る」そう思って、一期一会と思って指導する。その真剣さが伝わる方が、貴方の弟子になっていくと思います。応援しています。
そうそう、追記します。
ですから、もし今後似たことがあれば、こう言ってみて下さい。「それは、子ども本人が希望しているのですか?」と。きっと勇気のいる質問ですが、その答えはどう出ても貴方の教室の今後に役立つ意見となるでしょう。
もっと自分の指導に自信をもっていいですよ
回答としては、佐藤師のもので過不足無いと思います。但し、竜馬さんはもっと自分の仕事に自信を持って良いと思いますし、恥ずべき必要は無いと思います。蛇足ながら、2点ほど。
第一点、将棋教室運営に自信と自負心を持つこと
生徒の将棋教室の父兄から、「先生は、こどものことを優先して考えていない。」「将棋が強くなりたいという意欲ある子を尊重していない。」 と言われれば、焦るし慌てるのも無理ないかもしれません。でもね、竜馬さんの質問文を読む限りでは、これは見当外れの批判であり。声を大にして反論してよろしいと思います。
質問文にある「初心者として入って来てくれた子も 今では大会に出場するまでになった子もおり、こども達の成長を日々喜び、 私自身も楽しんで教室運営を行っておりました。」という一文を以て反論できると思います。以下のABのように反論できると思います。
A、「こども達の成長を日々喜び」、こども達の成長を何よりも優先している
B、「初心者として入って来てくれた子も 今では大会に出場するまでになった子もおり」、強くなりたいという気持ちも尊重しており、実際に大会に出場している。
将棋が好きだから、将棋を教えてあげたい。教えた結果、こども達が成長することが喜びとなる。そういう原点を今後も大事にし、頑張ってください。有望な生徒を輩出したり大会で好成績をあげたりすることは、竜馬さんが指導した成果です。目的ではないと思います。自分が指導した成果は成果として、素直に喜んで良いと思います。
第二点、妨害行為には毅然として立ち向かう
B君の母親の行為は明らかに「妨害行為」だと思います。自分の子を他の教室を行かせるのはまあ良いでしょう。竜馬さんの教室の生徒であるAくんCくんを他の教室に連れていくのは、妨害行為にほかなりません。竜馬さんの教室と他の教室とで明らかに指導力の差があるというのなら、「子供の成長を優先」という言葉も正当な理由になるでしょうけど、実際はそんなこと無いでしょう。「他の教室に行かせる方が良い。」というのは、B君の母親の勝手の理屈です。詭弁です。無理して争う必要はありませんが、自分に自信を持って指導に励んでください。
質問者からのお礼
ご回答をいただきましてありがとうございました。
「縁ある方が残る」というお言葉をいただき、
自分は、今まで教室の生徒を集めること・生徒が辞めないことに
肩肘を張り過ぎていたかもと感じました。
きっと周囲にもそういった変なオーラを与えてしまっていたのかもしれません。
一期一会と思って指導を真摯に継続していれば、生徒は後から付いて来る。
本当にそのとおりだと気付かせていただきました。
これからの教室運営する上で、そのことを念頭に置いていこうと思います。
ありがとうございました。
吉田様
ご回答をいただきありがとうございました。
目的と成果のお話、心に響きました。自分は目的と成果を混同したかもしれません。
シンプルに、将棋教室の本来の目的は、「こども達に将棋を教えること」であるはずです。
その目的を愚直に継続し遂行した成果が「強い子の輩出」や「大会実績」なのですね。
そういう考えを持っているか否かで、これまでとは違った教室運営ができそうです。
ありがとうございました。