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縁起について教えて下さい

回答数回答 3
有り難し有り難し 12

仏教の縁起について教えて下さい。

2015年4月7日 2:06

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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

よりて起こる

人間の心はもともといつでもカラッポ、本来無一物。
そこに、一縁が加わると、はじめて思いが発生する。
❝縁りて起こる❞
「縁起する」「縁起ぜられる」のです。
この道理を知るために、本当に、思い=知・情・意やら、念・想・観のせわしない働きを休めてみましょう。
思いが起こる前、縁起ぜられる前を悟れば、あなたが常に安楽の境地、涅槃であるからです。

2015年4月7日 15:43
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有り難し
おきもち

丹下覚元(たんげかくげん)
お悩み相談 ❝あなたの悩みという荷物をおろしてみませんか?❞ 「お寺で...

縁起は最も根本的な仏教の思想です。

「縁起」は大きく分けて二種あります。
二種とは上座部仏教の縁起と大乗仏教の縁起です。
二つの縁起は少し質が異なります。
どちらが正しいということではなく、どちらも正しい縁起です。

上座部仏教の縁起は「因縁生起」です。
因と縁が和合して結果が現行するというもの。
種を蒔き(因)、そこに水や肥料や日光等が合わさり(縁)、植物が育つ(生起)という論理です。
原因だけでは結果は起こらないと考えます。
つまり、私達を包み込む全ての出来事には原因があり、そこに縁が合わさることで起こっているものなのだ、考えるのが上座部仏教の縁起論です。
今の私という存在は多くの縁によって成立しているものです。
「因縁生起」は「時間的経過が必要な縁起」とも言えます。

また大乗仏教の縁起は「空」と説かれます。
「空」は「因縁生起」のような時間的経過は必要がなく同時成立する縁起です。
例えば、母親とその母親の子どもがいたとします。
母親30歳、子ども5歳だとすれば、普通ならばその年の差は25歳です。
しかし「空」の観点から言えば、二人は同い年の5歳となります。
何故なら、母はその子が生まれると同時にその子の母になったのであり、母親と子は同時に成立した関係です。
母が子という存在を成立させ、子が母という存在を成立させています。
母と子は成立しあって5年。
だから二人は同い年の5歳と言えます。
つまり「空」では個と個が対峙して初めて互いの個が成立するのであって、個一つでその個体が成立することはないと説いているのです。
「私」を「私」と成立させるものは「他」であり、私の中には私を成立させるものは何もない(=無我)というのが「空」です。
ま空」は「時間的経過を必要としない縁起」と言えます。

2015年4月7日 18:18
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有り難し
おきもち

始めまして、釈心誓と申します。 浄土真宗本願寺派の僧侶です。 若輩浅学...

「縁起」をお説きになられましたお釈迦様に最敬礼申し上げます。

zensyu様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「縁起」という言葉を聞くだけで、誠に身の引き締まる思い、ある種の緊張感が走ります。

「縁起を見るものは法を見る。法をみるものは縁起を見る」「縁起を見るものは法を見る。法を見るものは仏を見る」と申しますように「縁起」の教えは「空」の教えと共に、まさに仏法の真髄の一つであり、しっかりと理解することが大切となります。

浅学の拙い未熟なる理解ではございますが、これまでにも「縁起」に関しまして、下記の各問いにて扱わせて頂いて参りました。

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/tag/縁起

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/tag/空と縁起

最近では下記問いにても扱わせて頂いております。

問い「「空」とはどういう意味でしょうか?」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1020870815.html

「縁起」とは、この世における全てのモノ・コトの成り立っているありようを説明する上において、誠に欠かせない考え方となります。

また、「縁起」は「空」と表裏一体・不可分の理解が求められるものであり、「縁起」=「空」、「空」=「縁起」、つまり、「色即是空 空即是色」の理解が必要となります。

「縁起」には、主に三段階の理解として、第一に、「原因・条件・結果における依存関係」、第二に「部分と全体とにおける依存関係」、第三に、「意識作用・概念作用・思惟分別作用により、仮名・仮説・仮設されることによるという依存関係」がございます。

そして、最終的には、あらゆるモノ・コトというものは、それ自体の側において、他に依存せずに独立自存として存在していない「無実体・無自性・無自相」という「空」の理解と共に、では、どのようなありようとして実際、現実に存在しているのかということにおける「縁起」を理解することが大切となります。

何とかしっかりと誤謬なく理解していけるように調えて参りたいものでございます。

改めまして深遠なる縁起の真実義をお説きになられましたお釈迦様に最敬礼申し上げます。

平成27年4月8日・釈尊降誕会によせて

川口英俊 合掌

2015年4月8日 16:44
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有り難し
おきもち

川口 英俊
「僧侶は、悩む人に正しいくすりを調剤できる薬剤師であれ」 http:...

質問者からのお礼

みなさん、回答ありがとうございました。

なにやらいろいろ解釈があるのですね。混乱してきました。

「仏教における縁起」問答一覧

十二因縁(縁起)を例えると…

日頃、宗教や哲学について、ネットあさりしています。 最近は仏教、特に原始仏教と呼ばれるものに興味を持っていますが、十二因縁(縁起)について、府に落ちたイメージを持つことができません。 そこで、難しい言葉や理論を使わず、現代でもわかりやすい具体的な例えを挙げていただきたいと思い、こちらに質問してみました。 なお、こういった知識(智恵でしょうか?)は、一言では語り難いものでしょうし、また言葉だけでわかったつもりになってはいけないとも思っています。でも、こうもイメージが湧かないと、日頃に意識することも難しい。 ぜひ、「なるほど💡 そんな感じなのね!」と感触を得られ、日常の中でさらに感触を深めていけるような例えを、いただきたいと思っています。 ちなみに、これまで私が掴んだ感触・知識は次の通りです。間違いや不足もあると思いますが、その部分こそ、例えで払拭したり補足したりしていただきたいです。 十二因縁(縁起)とは、 無明、行、識、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、老死の12個 「無明によって行が生じる」のように、前の物が次の因になる。 最後の「生、老死」については、「生まれることで、老いがあり死がある」ということ? では、「無明→行」「行→識」「識→名色」「名色→六処」「六処→触」「触→受」「受→愛」「愛→取」「取→有」「有→生」「老死→無明」はそれぞれ、どのような因果なのか。 現代でもわかりやすい例をあげるとすれば、どういう例が考えられるか。 仏教に疎い者でもわかりやすい例を、ぜひよろしくお願いしますm(_ _)m

有り難し有り難し 83
回答数回答 5

ダンマパダより!「愚か」「縁起や道理を理解」とは?

 いつもお世話になっております。  ビルクリーニング技能士と並行し、気分転換がてらダンマパダ を勉強しています。その中に、 「もし旅に出て、自分より尊い、または等しき人に出会うことが できなければ、むしろきっぱりと一人で行け。愚かな人を道連れ にしてはならぬ。」という文言がありました。  この他にも、「愚か」という言葉がたくさん出て来て、 お釈迦さまでもこんなこと言うんだ…wという感じです。  死んだジジィも、「バカはほっとけ!」(狙ってないわよ?) と言ってました。  調べてみましたが、このような解釈で間違いないでしょうか。  愚か=愚痴=無明。  愚痴、無明とは「縁起や道理をわきまえずに自己中心的な 理論や考え方で、同じくそのように振舞う様」とのこと。  例として、いきなり道端の人を挑発したりdisる奴と、 それにガチでキレる私。    反対に、縁起や道理をわきまえるというのは、 「原因と過程を察して冷静に対処する」ということでしょうか。  例えばあのお嬢様が睨んで来たら、「あぁこの人もなにか事情が あるんだな」と思ってほっといてあげる。  既に存在するルールに照らし合わせて合理的に判断し、 適宜そこから離れるか、管理者や知識ある方の指示を仰ぐ。  例としてお説教会のセクハラwww  お釈迦様が悟ったのは人間界を効率よく生き抜くための法則 だと聞きました。これらの見解で問題ないでしょうか。  ご意見お待ちしております。

有り難し有り難し 14
回答数回答 2

縁起論争

上山春平・梶山雄一編  「仏教の思想 その原型をさぐる」 より  縁起ということは相依性(idappaccayata)ということで、相依性とは「これがあるとき、かれがある。これが生ずるとき、かれが生ずる。これがないとき、かれがなく、これが滅びるから、かれが滅びる」ということであると説かれている。後の中観学派では、この相依性は交互因果・交互媒介の意味でAとBとが、AがあるときBがあり。BがあるときAがあるという、A⇔Bの関係を成立させることであるという。『中論』の立場は空すなわち無自性(自己原因としての実体概念の否定)ということを、一切の存在(法)の交互媒介性によって考えようとするのである。  原始仏教の縁起説で縁起支の相互の関係が一方的な基礎づけの系列であるか、あるいは交互媒介的であるかは、わが国の学者の間でも議論のあったところで、一方的基礎づけと考えるのは和辻哲郎説であり、交互媒介説は宇井伯寿説が代表的である。和辻説によると、縁起支の関係がもし全く相互的であるとすれば、根拠付けの系列に縁起支の全体を秩序付けることも、本来不可能なことになる。これに対して宇井説は、原始仏教の縁起では、それぞれの縁起死が自己の中に全系列を映じ、いわば世界とモナドのような互いに映じ合う関係にあるとする。その結果縁起支AとBとの間に予定調和に基づく相互融入の関係が成立する。要するに相即相入という華厳哲学の交互媒介を───一即一切の世界観を前提としながら───原始仏教の縁起説の相依性を及ぼそうとするのが宇井説の特色である。 宇井伯寿や和辻哲郎は共に十二支縁起を「相依性」と解釈していた筈ですが、これによると両者の縁起観に若干の違いが有ると見受けられます。 和辻の主張する「一方的基礎づけ」と宇井伯寿の主張する「交互媒介」にはどのような違いが有るのでしょうか? 両博士は縁起の「相依性」を主張していた筈ですが、私にはこれらの差異が何を意味しているのかさっぱりです。

有り難し有り難し 8
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