我唯足るを知る
よろしければご教示ください。
いつも何かが足りないという欠乏感を抱えています。
例えば、欲しかった洋服を手に入れるとすぐ次が欲しくなる。自分にないものを持っている人ばかり目について、嫉妬し、持っていない人を探して安心したりする。といったことです。
親しい人が元気で、自身も健康で仕事もあり満たされているはずなのにいつも足りないものを数えてしまいます。
どうすれば、今持っているもので満足する、幸せを感じることができるのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
全部死んだらなくなります
人間は慢性的欲求不満症なんです。
何を手に入れてもそれが世間のものである限り満足しません。
お釈迦様は王子でした。将来の王という地位も名誉も財産も約束され、そして若くしてお妃も与えられていました。
しかしお釈迦様は満足しませんでした。
このエピソードがよく表していますね。お釈迦様は全てを捨てて、出家しました。生老病死を超える法(教え)を求められたのです。
そうです。結局全部死んだらなくなっちゃいます。世間のものでは死を超えられないのです。
だから人間は世間を超えたもの、無限のものに出会わなければ満足しません。
アンパンマンのマーチ的な感じです。
「なんのために生まれて なにをして生きるのか こたえられないなんて そんなのはいやだ!」
「なにが君のしあわせ なにをしてよろこぶ わからないままおわる そんなのはいやだ!」
さあ、何がその答えでしょうか。
愛と勇気ではないでしょう。
上手く表現できませんが。
「私が私でよかった」
という本当の満足感だと思います。
有限なる私たちが生死を超える教え。それが仏法です。
仏法に聞いてみましょう。満足できない我が身の姿を照らされ、「ありのまま」で「足るを知る」道がそこに待っているかもしれません。
すべて大差ない、おんなじ価値だと気付く
たとえば、あなたが死ぬ間際に死神が現れて、こう言ったとします。
「今から人生のオマケに10分間時間をさしあげます。10分間何をしてもよいです。必要なものは飴玉からジェット機まで、何でもご用意いたしましょう。10分間、楽しんでください。」
あなたは、人生最後の10分間、何をしますか?
何をしてもよいのです。
10分間楽しめれば、死神の魔法で宇宙旅行してもよいし、美少女に大変身してアイドルのスカウトを待ってもよい、豪華ディナーを食べてもよいし、温泉でうたた寝してもよい、タイムマシンで自分の産声と両親の笑い声を聞きに帰ってもよいし、破れた障子を張り替えたり、車にワックスをかけたり、銀行強盗してみたり、好きな曲をダウンロードしたり、思い出走馬灯をリクエストしたり、瞑想したり念仏したり、けん玉を練習したり。
いずれにせよ、死にゆくあなたにとって、10分間楽しめれば、全て、ぜんぶ、その価値に差はないでしょう。
その10分間が、80年になっても同じなのです。
息を吸ったら吐きたくなり、息を吐いたら吸いたくなる、ただただ刺激と苦しみと衝動に、ちょっぴりの理性がくっついているだけの命なのです。
一切を捨離すべし
「本来無一物なれば、諸事において実有・我物の思いを成すべからず、一切を捨離すべし。」
(人間は本来何ももってないのだから、なにかにつけて「これは自分の所有物だ」と考えてはいけない、すべてを捨て去りなさい)
これはウチの宗派「時宗」の宗祖・一遍上人の言葉です。
物がどんどん増えていくってものすごく快感ですよね。
増えれば増えるほど欲が出てしまいます。
しかし今のままじゃ、永遠に満足することはできないでしょう。
一度自分の身の回りを見回してください。
きっと何かしらいらないものがあるはずです。
思い切って捨ててみましょう。
いらない物を捨てることによって、物に対する執着が徐々になくなっていきます。
すると、物欲から心が離れ、新たな価値観がうまれます。
その先には心の安定が待っているというのです。
私はもともと服マニアでした。
新しいのが出るとどんどん買い物にいきました。
もう欲のかたまりだったんですね。
しかしある時、一遍上人の言葉を実践して、いらないものから捨てだしました。
すると、徐々に2年くらいかけて価値観がかわっていきました。
今では、普段着はジャージです。
あとは梅田や三宮に行くこともあるのでスーツをワンセット所有しているのみです。
しかし、服の呪縛から解放されました。
まずは思い切って捨ててください。幸せを感じる第一歩かもしれません。
今から750年前の一遍上人の言葉、実践してみてはいかがですか?
万物流転
拝読させて頂きました。持たないから満たされることもあるんですよ。全て手に入れてしまったらこの世は空虚です。
お互いないからこそ共有しようと思えるのかとも思えます。
物のない時代が本当に不幸だったでしょうか?今物に満たされて生きる時代が本当に幸せでしょうか?
物も私の身体も私の所有物のようでそうではありません。幻想です。
つまり幻想を求めているのです。
ゆっくりとお考えなさってみてくださいね。
合間にお寺めぐりなさってもくださいね。きっと様々な発見があるはずです。
あなたがこれから心満たされて幸多かれと祈ってますね。
質問者からのお礼
ありがとうございました。
今後の糧にしたいと思います。