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母といると苦しい、親不孝でしょうか

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私は母と二人暮らしなのですが、とても苦しいです。少し冷たい態度をすると、ろくでもない人間だ、そんな風に育てた覚えはない、口論になればすぐに出て行け縁を切ると言われます。普段はなんの変哲もない仲のいい親子だとは思うのですが、それは仮面なのではないかと感じます。
大学を卒業し、仮面部分な仲良しな面はもうなく、いままで以上に関係は険悪になってしまっています。そんななか、自分を変えて成長したく、初めて自分から家を出ると話をしました。ですが金銭的な問題があり、今お付き合いしている彼の部屋へ同棲する形になってしまうことも伝えました。母はやりたいならやってみなさい、でも縁は切る。そう言って聞きません。離れて暮らす父にも、いままでの恩返しの気持ちがないのか、親不孝だ、家を出るな、今まで通り家のことをやって母を支えろと言います。
自分でも、人として間違っていることをしていることはわかっています。今まで育ててくれていた両親を裏切る行為だと、親不孝だと。でもこうでもしないと家から出ることは今後できないのではないかと感じてしまい、素直に家に戻ると言えませんでした。
家庭環境の問題なので、言葉でうまく説明できませんが私は今のこの状況から抜け出して、離れて暮らすことによって今まで見えてこなかったものを自分の体で経験したいと思っています。事あるごとにでていけと言われるのはとても疲れてしまいました。
私はこれからも我慢をし、父の助言を聞き入れ家を出ることを辞めるべきでしょうか。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

どうすべきかではなく どうしたいかで考える

harukaさんに
苦しみを感じさせ、家を出たい、
この状況から抜け出したいと思わせているのは
お母様の攻撃的な言動と
支配的な関わりではないかと思います。

あなたは日常的に傷つけられている
そのため親から離れたい

しかし離れようとすると
離れようとする姿勢を
親不孝、恩知らず、裏切りだと否定され
「育てた」という言葉で
罪悪感を植えつけられている。

そしてまたお父様も親を大事にしろと
常識でharukaさんを傷つけているのだと思います。

また周りの人も気持ちは分かるけど、
親は大切にしたらと言うかもしれません。

親への感謝の気持ち
大切にしたいという気持ちは

親との関わりの中で自然と芽生えるものだと思います。

あなたは親不孝ではありません。

どうすべきかではなく
どうしたいかで考えてはいかがでしょうか。

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おきもち

子は親の所有物に非ず。されど親を説得できる度量も必要。

  結論から言えば、御両親とはちょっと距離を置くことが必要ではないかと思います。子供は親があってこそ、この世に生を受け、育まれてきております。それ故、「父母の恩は山よりも高く、海よりも深し」という諺も有るのだと思います。でも、だからと言って、親が子供を支配し子供の人生を指図することを正当化し得るものではありません。親として子供の幸せを願っているのだとは思いますが、子供のことを心配するあまり過度の干渉をするのは却って子供の現在と未来をスポイルしかねないと思います。
 「親孝行」という看板を前面に立てて、親の権利を振りかざすというか、子供に義務を押し付けるというか、そういう親を時折見かけることが有ります。haruka さんの御両親にもそういう傾向があるようですね。子供に干渉することが生きがいになっているのかもしれませんが、いわゆる「子離れできない親」という症状であるとも言えます。
  実際の対策としては、家を出て一人暮らしをすることだと思います。一人前の社会人として自活することも、育ててくれた親への御恩返しです。家を出て自活することが直ちに「親不孝」にはなりません。

但し、ご質問で気になる点があります。

自分を変えて成長したく、初めて自分から家を出ると話をしました。ですが金銭的な問題があり、今お付き合いしている彼の部屋へ同棲する形になってしまうことも伝えました。

「自分を変えて成長したく」とはどういうことなのかわかりません。環境を変えることで自分を成長させたい、ということのようですが、具体的な目標と目標に向かうための方法論が有るんだか無いんだか、わかりません。私の子供がそんなこと言ってたら、「そんな甘い考えで何が出来る。」と一蹴してしまうでしょう。失礼ながら、質問の文章からは「危うさ」を感じてしまいます。

  私が抱いた危惧が杞憂なら、それに越したことはありません。ちゃんと将来を見据えて目標を持ち計画性と実践が伴うのなら、それを御両親に示すことです。親が何と言おうと、あなたの人生はあなたのものです。お母様に一生縛られる必要は有りません。たとえ反対されても、自分の人生をしっかりと歩んで行くという決意を固め、そのための方向性と実践を示せれば、いつかお父様とお母様もあなたの行動を理解してくれる時が来ると思います。

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おきもち

個別相談可能
 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努めております。決して容易いことでは有りませんが、一期一会の気持ちで相談に、葬儀法事に励みたいと思います。    最初法学部部にで学び、4年間ほど公務員をしていました。(税務署勤務)その当時の学びと経験を終活相談に活かしたいと思います。                                              昭和63年5月に住職となってから、30年が過ぎてしまいました。仏教学・禅学もそこそこ真面目に学んだつもりですが、宗教学・宗教民俗学に力を入れて学びました。そういう分野については丁寧な回答が出来るかも。
一人一人の気持ちに寄り添い、傾聴に徹して、心をほぐしてあげられるよう、努めたいと思います。 それと同時に、完璧に出来るとは限りませんが、其の人が歩むべき方向を一緒に考えてあげたり、次の一歩を踏み出せるよう背中をおしてあげられるよう、努めたいと思っております。

解釈ではなく、事実をきちんとみる習慣をもてばよい。

「事実は一つ 解釈だけが 人の数だけ存在する。人は解釈を眺めた時、偏りが生じる。だが事実は一つであり、解釈は無限にある。」了叡和尚
あなたは、ただ、家を出ていくというだけ。
その事実は一つ。
誰も傷つきません。
仕事や買い物で、家にいない時はどのみちいません。
それは一方から観れば、独立であり、自主性を持った生き方であり、親と距離をとる事であり、自立面もあります。母親が、親離れをできない執着タイプの母親なら、ちょうどいい刺激にもなると思います。それによって、子供というものは自分の所有物ではないという事を次第に気づいていく効果もあるでしょう。
お母様は悪い一面ばかり観ている。
それは一面的な観点です。
それは、考えの上で❝観ている❞のであって、❝見ている❞のではない。
観るという事は、考えの上で眺める事。
見るという事は、実際の事実を見届ける事。
これがあなたの家で求められている修行です。
それが仏道だからです。
別に出ていくからって、根性の終わりにする必要はありません。
そういうことをちゃんと伝えるべきです。
条件付きの愛は、愛ではありません。
拘束、執着、自己愛です。
これを機会により高い愛に目覚めるというのも良いでしょう。
人は今ある安定した生活が変わろうとするとき、抵抗が生まれるのです。
母親を安心させながら、上手に家を離れていくことです。
さて、これまではお母さんの事として話を聞いてもらいましたが、実はあなたのことを言っていたのです。あなたも、そういう一面的なものの見方しかできない状態から離れて、考えの世界から抜け出し、事実の世界に忠実に生きることです。
そういうことも、ちゃんと親にお伝えして、一面的なものの見方しかできない親御さんを救ってあげてください。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

結局、お母様はどうしたいんでしょうね

一緒に住んでてもすぐ怒る、出ていくと言っても怒る、では、お母様が求めている「理想」はいったいどのような形なのでしょうか?
逆に、お母様にとって最も起きて欲しくない最悪の事態は何でしょうか?
また、あなたにとっての理想の母子関係、最悪の母子関係は?
お母様とあなたの理想はまったく食い違ってるのでしょうか?少しは共通項もあるのでしょうか?
まずはお互いの最悪を避けたほうがよいかも。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

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