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子供の育て方への後悔

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子供達への後悔でいっぱいです。愛情を持って接することができず、自分と同じ自己否定感の強い子にしてしまいました。

子供が乳幼児期の頃から、子供といると苦痛と不安しか感じませんでした。今思えば自分が精神的に大人になれてなかったのでしょう。
周囲へ助けを求めればよかったものを、助けの求め方も知ろうともせず、夫には出来ない自分を見せるのが怖く、子供の気持ちに寄り添う事をせず、管理コントロールするのが育児だ思い込んでいました。

思春期になり子供達に問題が出てきだして、今までの自分の行いが間違えであったこと、また今まで本音では子供に無関心だった事に気がつき、子供達への申し訳なさで胸が潰れる思いです。
もう時間を戻す事は出来ないのはわかっているのですが、後悔ばかりが募り気持ちが前向きになれません。

頭ではこれから出来る事をやっていこうと分かっているのですが、気持ちがついていきません。まるで不安を感じることが趣味のような感じで、気分が上向いてもまたすぐ不安にかられてしまいます。
どうすれば不安と後悔を手放せますか?


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたの採点がその子なのでしょうか?

既に自分の子供や自分にダメ出ししている事が一番アウトっす。
そういう評価越しにわが子を観ているから、心も同期してネガティブモードになるんスよ。
親の表情や態度が子供には一番影響があります。
ダメなら、ダメを今の真実として、そこからスタート・アゲインすればいいのです。
というより、ダメとかマイナス評価をされていること自体が、お子さんに一番失礼っす。
(/・ω・)/
あなたの評価なんぞはぶっちゃけどうでもいいのです。
お子さんを判断評価する人間はあなただけなのでしょうか?
あなたの個人的な、独断的な判断・評価がその子の全てでしょうか?否。
その子はその子の人生を生きる他ないのですから。過干渉にならんことです。自由にしてあげることです。
親は親の人生、お嬢さんはお嬢さんの人生、息子さんは息子さんの人生。
あなたが生まれたにせよ、生命体としても「アナタ」ではないのです。
あなたも、親御さんとは独立分離しているはずです。
その子の人生なのですから、今まで、自分でコントロール、私的な扱いをしてきたという自覚が本当にあるのなら、明日から一切、ワタクシ化しないことです。
後悔は過去を思う姿である
不安は未来を想う姿である
共に現実のお嬢さんをみていない生き方をしている、ということをあなたが自覚することです。
お子さんに出会う時、いつでも、新しく出会うことです。
新しく出会うという事は、自分の思いを重ねずに出会うという事です。
お子さんの事実はいつでも一つ。
あなたの思い方や評価は無限にある。
だからこそ、自分の思い方や評価以前のお子さんにきちんと出会うことです。
過去のお子さんはもういない。
未来のお子さんもあなたの妄想に過ぎない。
キチンと現実のお子さんに出会っていないことが後悔と不安の正体です。
今から、新しい愛をこの現在において生み出すことの他に、過去や未来で何かできることなどありましょうか。(^<^)
評価や、判断なしに、キチンとお子さんに、いま、そこで、リアルタイムで出会うことです。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

大丈夫。安心して下さい。

ーーー追記のため前文割愛ーーー
始めっから100%愛情で関心を持って子育てが出来る方はそんなにいないのではないかと思います。

親も人間、子も人間、それぞれに相性もあるかもしれません。
時には相性が悪く、喋れば喧嘩ばかりする親子だっているんですよ。

でもね、それは小さな問題だと思うのです。

この世に家族として、親として、子として、存在している……と言う事実こそが本質だと思うのです。

親子と言う事実、そして親子の縁は決して消えませんし切れる事は無いのです。
ーーー追記のため中文割愛ーーー
親子と言う絶対的な関係から、何を学ぶかはその人次第なのですが、
もしかして、この世に生まれて最高の心の学びなのかもしれません。
しかもきんぎょさんは自分の至らなかったと思える部分に気がつかれたとの事、これは本当に素晴らしいと思います。

悪かったと気がついたら、素直に子供さんに謝ってみても良いかもしれません。
自分に気がつき自分を良い方向に少しづつ行けるように自分に素直になってみるのも良いかもしれません。

今出来る事だけを考えて下さい。

管理コントロールは子供が小さい時は安全のために仕方がない事も多いと思います。
でも、子供はいくら管理コントロールしようとしても、大きくなって来ると反発してそこから飛び出すものです。それこそが成長のあかしかもしれません。
もしも、反発できずに抑圧されてしまったとしても、人生のどこかで必ずや乗り越えてくれると…その子の人生自体を信じてあげてほしいと思います。

そして、今、一番大事なのはきんぎょさんが自分の事をもう少し好きになる事だと思います。
自分の中で、自分の事を少しずつ褒めてみてはいかがでしょうか?

自分の事が褒められるようになれば、自然と子供の事も受け入れて褒める事が出来るようになるのではないかと思います。

追記書き換え版:きんぎょさん、気持ちを楽に持ってみて下さい。もしかしてきんぎょさんも親御さんとの関係で自分が辛いと感じている部分があるのではないですか?もし、そうであったら、お子さんとの関係を考える前にご自分の親御さんと正直に子供の頃の辛かった事を話してみてはいかがでしょうか?一方通行になるやもですが、まずはきんぎょさんの親御さんと話す事からはじめてみるのも良いかもしれません…

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おきもち

個別相談可能
仏道に入門して40年が経ちました。 死ぬまで修行を続けるのがお坊さんだと思っております。 法昌という法名で、和歌山県の高野山の西禅院が所属寺院ですが、 普段は東京都町田市のマンションで手作りの密壇でひたすら修行を続けている  はぐれ行者です。 伝法灌頂も中院流の一流伝授も授了させていただいております。 娘を持つ母であり、一家の主婦でもあり、親の介護もあったりします。 エッセイや文章、そして漫画家として漫画も描いております。 イーハトーブクリニック萩原医師の指導をいただきヒプノセラピスト(催眠療法士)でもあります。 基本的に隣のおばちゃん的な、でも変わった尼僧です。
ご相談可能な時間はその日ごとに違うので、いくつかご都合を書いてくださいね。 人生で悩んだ時に、最善の答えを与えてくださるご神仏と、あなたは心の奥で必ず繋がっています。ご自身の心の中からご神仏のお答えが受けられるようにアドバイスをさせて頂きます。 ◆著書:「神さま仏さまがこっそり教えてくれたこと」「迷いをすっきり消す方法」「幸せを呼ぶ仏像巡り」

愛情は言葉と行動で伝えましょう

きんぎょさま

子育ての悩み。子を持つ親であればみなさん共感してくれるのではないでしょうか。

子供が何か、問題だとされる行動をしたときに、親は、すべて子育ての仕方が悪かったと感じます。時には、自分の子育てを正当化しようと、自分は悪くなかったと一生懸命にその理由を考える人もいます。

どちらにしても、まったくそんなことを考える必要はありません。
「責任がどこにあるのか」を考え、それが親にあるという根拠はどこにもありません。子育ての仕方が正しかったのか間違っていたのか。それは、頭の中できんぎょさまが勝手に考えて、つなぎ合わせてしまっているだけなのではないでしょうか。
 
 今、もしお子さんがきんぎょさんに何か否定的な言葉で訴えてきたとしても、きんぎょさまはそれを全て自分が悪かったなんて考える必要はありません。きんぎょさまが、お子さんに対して愛情を持って接していることは、文面からよく伝わってきます。
自信を持ってください。そしてその愛情を言葉と行動で示してあげてください。

いいところをたくさん褒めて、自信をつけさせてあげてください。(わざとらしくならないように、悪いところはあえて口にせず、注意は少なく、他人と比べずが大切です)

お子さんもきっと悩んでいて自分の自我が育つ時期に入ってきているのではないでしょうか。子供にとって、親が自分を認めてくれているということは何よりも安心感につながります。
誰が敵になっても、親だけは自分の味方でいてくれる。そんな安心感がほしいのかもしれませんね。

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おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

質問者からのお礼

暖かい回答ありがとうございます。
自分自身が嫌いな人間に褒められても嬉しくはないですよね。私が自分で自分を受け入れられれば、心の余裕が出てきて子供達のいい所へも目が向けられるようになれるでしょうか。

「責任がどこにあるのか」という言葉にまさにそれが私の苦しさの原因だと気付きました。
子供は、発達の仕方に凸凹があり配慮が必要だ、と指摘された事があったのに、その事を私が一番理解できず、対応を怠ったのです。そしてそれが身体に症状を出すほど子供を追い込んでしまいました。そこに私は責任を感じ、過去を悔いる事にとりつかれてしまってます。

自信がないのでまたご相談させてもらうかもしれませんが、まず自分を受け入れて褒めることを心がけてみます。

悟東あすか様
追記への返答ありがとうございます。

自分を受け入れる、褒めると申しましたが、いまもまだ受け入れるどころか、これから私は子供への贖罪をしなくてはならないのかと、絶望感にうちひしがれております。どうやって受け入れればいいのか…。
過去の行いの結果である、今の子供と向き合うのが怖い、これからの将来が怖い、逃げ出したい気持ちにしかなれません。どこまで自分勝手な人間なのかと、受け入れるなんてできそうにありません。
またマイナスな言葉ばかり。申し訳ありません。

回答ありがとうございます。
悟東あすか様
私自身が母親に対して凝り固まった負の感情を持ってます。最近やっとそれを人に話す事ができるようになりましたが、自分の中で母親から分離独立できていないと感じます。自分という軸がないため、自分の言動に自信がなくて後悔してしまうのでしょう。
またその時その時を懸命に生きてないから、過去を振り返って悔いてしまうのですね。子供が大変な今だけでも
後から悔いる事がないよう日々を送りたいと思います。
丹下覚元さま
目の前の現在の娘に向き合ってないというお言葉、ズバリです。いつも何かのフィルターを通して彼女を見ていました。
他人を見る時ほど冷静に我が子を見れないのは何故でしょう?何かの欲?距離が近すぎる?
自分の思いを重ねずに見る、簡単そうで難しそうですが、心掛けたいです。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ