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死ぬことを考えてしまう友人を救いたいです

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初めて質問します、瀬戸秋月です

私の友人に最近元気のない人がいたので声をかけてみたところ
夜になると死ぬことを考えてしまう
自分が好きになれない
と、自傷行為に至るほど悩んでいます

私も以前自分が死んでしまうことをよく考えていたものなので気持ちはよくわかるのですが
具体的にどのようなアドバイスで彼を支えてあげたらいいのかがわかりません

傷つけたくはないけれど支えてあげたいのです
わたしにできることはあるでしょうか…


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

第三の家族

その子が、何が原因きっかけでそのようになってしまったのか。
家族が原因で、自分を愛せなくなってしまったのか。
他者からの被害で精神にダメージを負ってしまったのか。
誰かから否定・拒絶・非難されて、自分を愛せないのか。
いずれにせよ、悩む、ということは、自分が自分を苦しめる姿です。
自分を苦しめない生き方が仏教です。
「世間に悩みは無限にあると言えど、悩みをおこすのはいつでも今でしかない。過去はすでに過ぎ去ったが故に存在しない。未来もいまだ来らざるが故に存在しない。故に、悩みというのは、今現在を用いて悩むだけであるから、今現在において悩まないように導くことを救済というなり。」了叡語録
同年代の友人同士でも充分に支えになれる事はあります。
でも、限度もあると思います。
人は人との暖かな関わりがある事で、自分の存在意義を感じるようになります。
私は、そういう人を第三の家族と呼んでいます。
自分の血のつながりのある家族でもなく、結婚した相手との家族でもなく、それでいて親しい、自分を助けてくれる家族的な存在。あなたはそういう第三の家族になってあげている。
できる事に尽力してください。また、私どもも第三の家族です。
あなたが信頼できる僧侶を地元で探すことが一番です。
また、ネット社会でもありますから、佐賀から埼玉までは遠いですから、フェイスブックメールや、お電話などをお寄せ下されば、こちらからでも精神的なサポートができると思います。
わたしどもも、みな様と同じように悩んで、苦しんできた人間でもあります。
だからこそ、同じ目線で明るい方向へご案内することができると思っています。
困ったことがあったら、いつでもご連絡ください。 

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

その方は、誰にも認められない。自分は幸せではない。生きる意味がない。そのように考えているのだと思います

自分が存在している事に価値を見いだせないのでしょう。と一般的には言うのかもしれません。

元々、「人が今存在している」という事以外に何もないのだと思います。生きることが良いとか悪いとか、生きる価値や人より幸せかどうかなど考える必要がないのです。今、心臓が動き生きている。命が継承され自分が生かされているということだけです。この上ない幸せです。その事に気がつく事ができないほどにおいつめられているのですね。

人が死に向かっているときは、何を言っても悲観的に捉え、マイナスにしか働かないように感じます。励ましの言葉すら、否定し受け入れてくれないかもしれません。お友達を助けたいと、思っている瀬戸様の心はすばらしいと思います。しかし、自分が救おうとせず、カウンセリングのできる方にひきあわせる事が良いと思います。

死にたいと思うほど病んでいられる方に、どの言葉をかければ良いか。これは、相手に聞く耳があるかどうか。救われたいと思うかどうかにかかっていると思います。

与えら授かった命は、全うし、継承していくことが、自然の摂理のように感じます。

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おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

慈悲心

瀬戸秋月様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

この度は自殺企図の思いを持っておられるご友人をご心配なされて支えになられたいというお優しいお心、誠に有り難く尊いことでございます。

相手の苦しみを自分のことのように受け入れ、憐れみ、悲しみ、そして、何とかして救ってあげたい、苦しみを和らげてあげたいという思い、まさに仏教における大切な「慈悲」の心というものになります。

「わたしにできることはあるでしょうか・・」・・そうですね・・とにかく一つは「憐」というのは、「心を隣り合わせにする」という意味の漢字ですが、まさに寄り添ってあげることです。その気持ちに共感してあげて、その苦しい思いを少しずつでも吐き出させてあげることで、その気持ちを楽にしてあげることであります。

いわゆる「傾聴」というものでございますが、ただ、傾聴も無機質なメールやラインなどパソコンやスマートフォンのメッセージでのやりとりだけではなく、「聴」の漢字のように、「耳にプラス目と心」がありますように、実際に会って目で相手を見ながら耳で聞き、心をこめて聴いてあげるのがよいものとなります。

ただ、それも異性同士であれば、少しお互いに遠慮したり、周囲に誤解を招くこともあるかもしれませんので、その場合は、友達同士数人で会って話をするのも良いでしょう。また、それが何かご友人にとっての良い気分転換になるかもしれません。

とにかく、傾聴するだけで、最初の段階は仕方がなくても、そのうちに解決のヒントになるようなことが、ご友人の口から出て参りましたら、それに合わせてもっと具体的にサポートできることもあるのではないかと存じております。

それがもしも仏教的な解決が必要なことでありましたら、また是非、ご友人の代わりにでもご質問頂けましたら、場合によっては私たちも何らか具体的なことをお答えできるかとは存じます。

瀬戸様の慈悲の心、誠に有り難しでございます。何とかご友人がいち早く自殺企図の思いから離れられて、前向きに人生を歩めていけるようになられますことを祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

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