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信ずるものの矛盾について

回答数回答 3
有り難し有り難し 17

前置きとして、私は仏教に深く関心し、このサイトでも別の質問をさせて頂き有難い回答も頂いております。

お気持ちを害するかもしれませんが純粋な質問として受け止めて頂ければ幸いです。

私の現状はご指摘もしてもらいましたが煩悩により、自らを囚え振り回されている状況です。

まず、仏への道として宗派は道程であり、すべからく目的は苦からの脱却、解脱であると勝手に認識しています。事実、それぞれの教えから自己満足の範囲でいろいろ学ばせてもらいました。
煩悩を拭いひたすらに。
しかし、人を救いたい、苦から解放されたいと願うことこそ人智を超えた最大の煩悩の気がしてきてしまいました。だからこその仏様でしょうか。
これが一つ目の問いになります。

心の有り様。全てはここに集約されているのかも知れませんし、因果や縁、前世、今世、来世の繋がりも頭では理解していますが、私個人として、苦がなければ生ではないと強く根底にあります。
苦しみこそが人を最大限に無意識のうちにでも足掻かせ、思考を巡らし、結果が悪かったとしてもその後も全力を尽くした経験値として忘れることがないものと思うのです。好きなことより回避したいことの方が望む望まないに関わらず人は本気を出せると思うのです。出さざるを得ないという方が多いですかね。
往々にして心が弱いですから。
それが成長の種になると。

纏めますと、私は己の弱さ故につまらない選択肢と隣り合わせな苦しい日々が続いていますが、この苦しみから解放され
楽しい、安楽なことだけになることも怖いのです。
弱い心が解放も囚われも恐れるのです。

一つだけ身を投げ打ってでも生きる意味として手に入れたいものがあります。
これは教えに反していますよね。
また、その対価としてというわけではないですが苦難を望んでいる自分がいるのはおかしいですかね。

宜しくお願い致します。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

悩み苦しみをなくす教え、法則の理解

煩悩とは悩み苦しみの原因であり、煩悩を制御したり消したりすれば悩み苦しみを制御したり消したりできる、というのがお釈迦様や仏様達が発見した法則性なのです。
我々一般人レベルの者が人を救いたいというのも、欲の煩悩かもしれませんね。
お釈迦様の場合は、梵天という神様から頼まれて、人々を救う活動に入ったのです。
自分から貪欲に求めたわけではないが、頼まれたら、軽々と、しかも徹底的にやりぬかれたのです。
完全に煩悩がなくなると、輪廻転生から解脱してこの世から消えてなくなることができるようになるのです。
あらゆる苦楽を超えるのです。
仏教は、まず、楽と苦のセットが生命だから苦は必ずあるよと覚悟させます。
そして、苦しみとセットでもいいから生きて楽しみたい、という愚かな執着こそが煩悩の親玉だと気付かされます。
ただし、悟って速やかに消えるばかりが仏教でもなく、他人を救う活動もするのです。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...

何でもかんでも煩悩にしない

煩悩という言葉をよく分っていないままに使っているように感じます。(^

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丹下覚元(たんげかくげん)
かくげん和尚の電話おなやみ相談  📞08020659278 そのモ...

他を救う為に何ができるか。

他を救う為にはまず自分が仏にならなけばいけません。
「救い」とは「仏になる」ですから、まず自分が仏になって他を仏にならしめる活動をしなければいけません。
仏になれば、時間も場所を選ばず六道全てで遊ぶが如くに法を説き伝えることができるとお経に説かれています。

逆に自分が仏になっていないのに他を仏にしようという話はかなり無理が生じてきます。
幼稚園児が同級生に東大合格させるようなもので、自分も悟りの境地を知らないのに他を悟らせることは困難です。

他を救いたいと考えるならば自分が仏になることをまず考えなければいけません。

もし「救い」が「願い事が叶う」「お金持ちになる」等だと考えるのであれば、それは仏教では方向が違いますので、他の宗教を信仰することが好ましいと思います。
「苦から解放される」のは最終的に「成仏」以外に方法はありません。

浄土真宗は他力の法門ですから、私は「みな一緒に救われていきましょう」とお話しています。
皆共に阿弥陀様の本願力によって、来世成仏することが確約されます。
私もいつか命尽きて成仏したならば、今度は仏として他に仏法を説き広めたいと思います。

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始めまして、釈心誓と申します。 浄土真宗本願寺派の僧侶です。 若輩浅学...

質問者からのお礼

願誉浄史様
ありがとうございます。
私はまさに煩悩の親玉と対峙してしまっているようですね。
参考にさせて頂きます。

釈心誓様

親鸞聖人の教えは素人でもわかりやすく浅学ながら学ばせて頂いております

それ故に深遠なるものを感じます。

この歳になり、ようやく誰かを幸せにすることが自分の幸せと想えるようになってきましたので今後の参考とさせて頂きます。

丹下覚元様

深いですね。
単純に現在の力量不足。
人である以上、解脱できない事が
再認識されました。
ありがとうございます。

「仏教全般」問答一覧

仏教とは?

こんにちは。私はとある信仰宗教の元信者です。その宗教ではその宗教のお経を毎日よんで、法名といわれるものをおさめ、つどいと称される会合に参加し、弥勒山という山に登ります。勧誘してきた人は私の20年来の付き合いのある方で、その信仰宗教をとても心から信じていました。しかし、私はこの信仰宗教に違和感を感じていました。職場の方に話してもら辞めた方が良いという回答でした。また、旦那が私には居ましたがその宗教を毛嫌いされ、彼の親族にも激怒され縁をきられてしまいました。私は今実家で幸せに暮らしています。仕事も頑張って居ます。勧誘された方は癌で若くして亡くなりました。彼女は最後までその宗教を信じていましたが、私も彼女もそのお経を毎日読みましたが、私は離婚し、彼女は命を失いました。これのなにが幸せなんでしょうか。私には弟が居ます。まだ若くこれからどうなるか分からないですがきっと結婚するだろうと思います。義理の妹は果たして私の事を理解してくれるかと不安になり、檀家になってるお寺のお坊さんに相談しました。その方は瞑想会をしていて、瞑想すると涅槃の境地に近づけるとの事で、私は毎日するようになり、瞑想会にも参加するようになり、元の信仰宗教は辞めたい。と彼女の旦那さんや支部長に言って辞めさせていただきました。しかし、彼女には本当にお世話になったし、お経を読まないと瞑想出来ない脳になってしまったので、辞めてもお経は読んでいるし、彼女のお墓にお墓参りに行こうと思っています。信仰宗教で出会った方々とはまだLINEで繋がっています。このままいくとまた、戻ってしまうかどうか心配です。私は幸せになりたいからやってるんではありません。ただ、お墓参りして、お経読んで、瞑想して、線香あげて。私は仏教なんて全然知りません。お経の意味も分かりません。でも、これから勉強したいと思います。信仰宗教であげてるのは簡易なもので独自の解釈がされていて本質ではないと思います。瞑想の檀家のお寺のお坊さんも良い方ですが、わたしが涅槃までいけるかどうかは分かりません。こんな私は社会から見ておかしな人間なのでしょうか?仏教ってなんなんでしょうか?お経読む事でしょうか?墓参りする事でしょうか?瞑想する事でしょうか?私は宗教を理由に仕事休んだ事はありません。信仰宗教勧誘は一度しかやった事がなく、家族からも止められてるので今はやってないです。

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最後の言葉「ありがとう、また会おう」

長文で失礼致します。 急ぎの相談ではありませんので、お時間のある際にお話いただければ幸いです。 もう1点、伺いたいことがあるのですが、お坊さま方もお忙しいと思い、別の機会にさせていただきます。 父親のいなかった私たちを、親代わりになって育ててくれた祖父が先日他界しました。 母や叔父と叔母にとっては、優しくも厳しい一面もある父親だったそうですが、孫全員には優しく頼もしく接してくれて、「いい思い出」しか残っていません。 ここ数年は持病が悪化し、コロナ禍ということもあり、楽しみにしていた大勢で食事を楽しむ機会を設けれなかったことだけは心残りです。 入院先の配慮で、最後にお話をする機会があり、駆けつけた祖母・母と叔父・叔母、孫全員と話をすることができたのが幸いです。 「遅くまでいると迷惑がかかる」と祖父に促され、亡くなる前日の別れの際にかけられた言葉が印象的でした。 「じーちゃんが死んだ後、コロナが収まったらな、ばーちゃんに会いに行ってやってくれ」 最後まで祖母を思う優しさ、そして。 「ありがとう……また、会おう」 この言葉は、もしかすると生きて会えるのは最後とわかっていて、「来世」でまた会おうという意味だと私は受け取りました。 葬儀をお願いした元々ご縁のあるお寺のご住職も、「今の別れは、ゆくゆくは浄土で再会するまでの一時的なもの」とお説法をされていたので、受け取り方は違ってなかったのかなと思うのですが、いかがでしょうか?

有り難し有り難し 11
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初めて知った事に対して、怖いです

三尸(さんし)とは、道教に由来するとされる人間の体内にいると考えられていた虫。三虫(さんちゅう)三彭(さんほう)伏尸(ふくし)尸虫(しちゅう)尸鬼(しき)尸彭(しほう)ともいう。 60日に一度めぐってくる庚申(こうしん)の日に眠ると、この三尸が人間の体から抜け出し天帝にその宿主の罪悪を告げ、その人間の寿命を縮めると言い伝えられ、そこから、庚申の夜は眠らずに過ごすという風習が行われた。一人では夜あかしをして過ごすことは難しいことから、庚申待(こうしんまち)の行事がおこなわれる。 日本では平安時代に貴族の間で始まり[1]、民間では江戸時代に入ってから地域で庚申講(こうしんこう)とよばれる集まりをつくり、会場を決めて集団で庚申待をする風習がひろまった。 道教では人間に欲望を起こさせたり寿命を縮めさせるところから、仙人となる上で体内から排除すべき存在としてこれを挙げている ウィキペディアからコピーさせていただきました。 こちらの文章を読んだ上でご質問させていただきます。 質問ですが・・、本当に3匹の虫が体の中に入っているのでしょうか? とある小説でこのような事を知りました。 正直、今までこんな事知らなかったので、怖いです。 60日に一度めぐってくる庚申(こうしん)の日に眠ると、この三尸が人間の体から抜け出し天帝にその宿主の罪悪を告げ、その人間の寿命を縮めると言い伝えられと wikiに書かれていますが・・・、 寝ないで1日越した方がよいでしょうか?あまりいい気分がしないので教えていただけると嬉しいです・・。 お坊さんの方々もこの日は何か特別な事はやってらっしゃるのでしょうか?

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