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病気になるのが怖いです。

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私は元々心配性な性格です。特に敏感なのが病気に対してです。自分や自分の子ども、旦那が病気になってしまったらどうしよう。この先病気になってしまうのではないかと、不安になります。病気というのは風邪とかではなく、癌なのど大病です。少しでも体に異変があると大変な病気かもしれない!と不安になってしまいます。病気のことを延々とスマホで調べてしまいます。こんな性格どうしたらいいでしょうか。病気に対して神経質になってしまいます。私は死ぬのが怖いです。また、大切な家族が病気になってもしかしたらいなくなってしまうことも怖いです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

病気になって当然だと、お釈迦さまは教えてくださいました。

あんころもちさん、こんにちは。

もしかしたら病気になるかもしれない・・・という気持ちで苦しんでいるのですね。
それは、悟りを開かれる前のお釈迦様の苦しみと同じです(笑)。お釈迦さまの伝記は読まれたことがありますか?もし読まれていないのであれば読みましょう。もしかしたら、あんころもちさんは私よりも先に悟りを開くかもしれませんね(笑)。

お釈迦さまの人生観は「病気になることは人生にとって当然であるから、悩む必要はない」と認識されました。健康で生きていくことの方が珍しいのです。だから病気になったらなったで「病気になるのは当然だと受け止めよ」と教えてくださいます。だから病気になる自体で悩む必要はありません。

それでは、病気をなるべくしないようにするにはどうすれば良いか?病気にも原因があると仏教は教えます。
心が原因で起こる病気は、心を直していけば良いのです。また心が強いと病気も治る場合があります。まさしく「病は気」からです。心を鍛えるだけでも、ならない病気、治る病気はたくさんあります。あんころもちさん、まずはここからですよ。

そして、心の原因に関係なくなる病気もあります。でも心が強いと体は病気に負けても心は負けません。お釈迦さまは最後は食中毒で亡くなられたといわれていますが、体は辛くとも心は穏やかな気持ちで死を迎えられました。人は健康であろうがなかろうが、必ず死を迎えます。死なない人はいません。早いか遅いかだけです。

そこで私も早死にしたくないので、この歳になって、運動を始めました。今年で一年半過ぎましたが、太ってぶよぶよだった体も締まってきました。これで少しは寿命が延びたのではないかと思っています(笑)。なぜ寿命を延ばしたいかというと可愛い息子の子育てのため、そしてもっともっと仏教を勉強したいため、そして趣味を極めたいためです。

病気をしないかと不安になることは、逆に心が原因である病気を起こしてしまいます。あんころもちさんは、心配の方法が間違っているのですよ。心配だったら心の勉強をすることです。運動スポーツをすることです。それが一番の病気をしない方法です。

一緒に健康づくり頑張りましょう!合掌

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心配しても解決しません。

「心配するのをやめれば、すぐにでも健康状態は良くなる」という言葉があります。
あんころもちさんが、それほどまでに心配されると、ほんとに病気になってしまいそうです。
病気にならない方法は考えてもいいでしょうけど、病気になったらどうしようという考え方は、あまり意味がないです。
お答えされている僧侶の言われる通り、お釈迦様でも生老病死は避けられない、ゆえに悩んでも答えはでない。それよりもどうしたら、毎日楽しく過ごせるかを考えた方が、同じ時間なら楽しい方がいいと思うのですが・・・。

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日蓮宗のお寺で、名古屋市南区にあります。 ”お寺は生きている人のためにも...
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「病気と向き合う・看病」問答一覧

原因不明

お世話になっております。 3、4ヶ月前から不調があり、内容的にもあまり人に話せずストレスでメンタルも落ち込んできてしまっているため、 こちらで相談させていただきます。 不調の症状としては下腹部に痛みや痙攣があり、専門の病院にも行ったのですが異常はないと言われてしまいました…… ですが症状としてはとても不快で、何より仕事上一日座っていなければならないため、仕事に集中しづらくもあります。 この症状が出始めた頃にネットで色々調べ、ある病気を見て自分もそれなのではないかと酷く怯えていました。 もしかしたらそれが過度のストレスで症状を悪化させたのかもしれません…… ちなみに何かに集中していたり、友人と楽しく話したりしている時には症状は出ないのですが、 やはり気にしすぎなのでしょうか…… (頓服の精神薬を飲むと落ち着きます) 4か月前ほどに新しい職場に転職し、通勤時間が長いこともストレスの原因なのかもしれませんが、 症状がある部位が相談しづらい部位であり、病院でもあまり聞いた事のない症状との事だったのでとても不安です。 ここ最近は体のこと以外に様々なことが不安になってしまったり、 心配してくれる友人もいるのに孤独感を感じてしまっています。 このような不安な気持ち、パニックになってしまった時などに気持ちを落ち着かせたり、 前向きになれるような方法がありましたら 教えて頂きたいです。 (自分では深呼吸をしたりしています。) これが引金となり、他にも過去の事を思い出したりしてしまい毎日がとても不安で、気持ちが沈んでいることが多く辛いです…… 読みづらい文章で申し訳ございません。 よろしくお願いいたします。

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半年間も続く息苦しさ。助けてください。

私は30代の男です。 朝起きてから寝るまで、息の吸いづらい感じがずっと続きます。 ひどいときは横になることも、座っていることもできず、立ったまま過ごすこともあります。 血中酸素を測定しても低いわけではなく、呼吸苦という自覚症状だけがあるのです。 上記の症状がもう半年以上も続いています。 最初は身体の症状だけでしたが、病気が長引くに連れ、精神をも蝕んできました。 不安や鬱症状もでるようになりました。 病院はたくさん受診しました。 呼吸器科はもちろん、総合内科、循環器科、消化器科、耳鼻咽喉科、整形外科などをまわりましたが、 これといった原因はみつからず、 それでもあらゆる病気の可能性を疑い、薬を何十種類も試しましたが、どれも効いたものはありませんでした。 最終的には精神科に回され、抗不安薬を服用していますが、 大きな改善は見られません。 東洋医学の整体や鍼、漢方薬も試してもらいましたが、同じく改善はありませんでした。 これまでの人生で、不摂生もしておらず、こうなってしまった心当たりもありません。 幸い、妻や両親には恵まれ、 手厚く看病してもらっています。 励ましの言葉も毎日かけてくれます。 身の回りでやってほしいことは全てやってくれます。 しかし苦しいものは苦しいのです。 西洋医学、東洋医学もだめで、 最終的にここにたどりつきました。 身体を変えるのは無理かもしれませんが 、仏教においての心の持ち方を教えていただきたいのです。 仏教を学ばれたお坊様がもし私の立場になったら、どのように行動するのでしょうか。 どうか私に知恵をください。

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病気は私に何を伝えようとしているのか

53才女です                                                  46才を過ぎた頃から原因不明の病気が続きます                                      疾患履歴 糖尿病、脂肪肝、うつ病、 パニック障害(精神障害2級)                    46才ごろ自宅で動けなくなり入院 地元の大きな病院の脳神経外科でいろんな検査をするが原因が分からず歩けないまま自宅に帰らせられる 車椅子生活になり車の運転も出来ず仕事をやめざるを得なくなる                   その後→薬剤過敏症アナフィラキシーで二度入院 一度目は呼吸困難で意識不明になりICU入院(もう少し遅かったら死ぬところだったと先生に言われる) 二度目は自宅で突然顔が腫れ上がり呼吸が苦しくなり救急車を呼ぶ→掛かり付けの病院に入院→また先生に死ぬところだったと言われる                                   特発性大腿骨頭壊死症  難病指定、両足とも壊死 左足は2023年人工股関節置換術をうける  後遺症で大腿神経麻痺→両足とも立ったり歩いたりが困難になる→リハビリ中                  菌血症→2024年1月4日自宅で意識不明 救急搬送→40℃発熱インフルとコロナ陰性 特定個室入院(24時間観察)→翌日目を覚ます意識混濁、味覚障害、めまい、排尿困難、 左耳が聞こえなくなる 急性中耳炎で鼓膜切開 現在(2/5)も左は聞こえません             次々と病がやってきて、死にかけることが度々あるのはなぜでしょうか? なんとなく神様が私に何かを伝えようとしている気がしてなりません            悔い改めるところがあるのか、何かやらなければならないことがあるのか、他の何かなのか、私には分かりません どうか教えてください

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医療福祉従事者さんの燃え尽き症候群

 いつもお世話になっております。私の訪問看護師さんが、 3人離任しました。病院の看護師長さんも性格が変わり、 退職しました。私の前任の心理士さんは、優しく寄り添って ご助言をくださっていたのが、ある日突然防犯ベルを机に置く ようになったり、 「友達が悪い人だったらどうするの」 「障害者は差別されて当然なのよ。歴史を見ればわかる」 などと言い放つようになりました。相談員さんの一人も、 冷たくなりました。  数えればきりがありません。これは「燃え尽き症候群」 という病気の症状です。  燃え尽き症候群には、三つのフェーズがあります。 1.情緒的消耗感  初期症状です。著しい疲労を感じます。 2.脱人格化  1に気が付かず、症状が進むとこうなります。症状としては 最も重く、気づかずに進むと、周囲の職員へきつく当たる、 障害者を人間扱いできなくなるなどの、攻撃的な人格になります。 3.個人的達成感の低下  「自分のやっていることは無駄である」と考えるようになります。  津久井やまゆり園事件の死刑囚も、燃え尽き症候群の脱人格化 だったと予想できます。彼も当初知人に対し、 「仕事は大変だが、障害者は可愛い。俺がいないと生きていけない」 と話していたそうです。  統計によると、医療者では20%~50%、介護従事者では 51%の人が燃え尽き症候群を経験しています。  何人も壊れて、何人も私の前から消えていく。日本人は 世界的に見ても真面目すぎる民族です。私たちのせいで みんな壊れていくと思うと、耐えられません。死んでしまおうか とすら思いました。  差別は恐怖から生まれます。自分たちとは違う、不健康な 人間に対して、人間は本能で恐怖を感じます。その本能に 抗い働いているのが、医療福祉者さんです。相当な負担です。  だから、私たちも、周囲に恐怖を与えない配慮が必要だと 思っています。身なりを整える、言動行動を慎ましくする… アニーサリバン先生は、 「障害者は健常者以上に、厳しくエチケットを教えるべき」 と教えを残してくださいました。  障害者、患者として、私ができることは何でしょうか? 自宅の仏壇には、メスシリンダーに挿した青い花(青は医療者 への感謝の色)と分子模型を供え毎日祈っています。しかし、 祈るだけでは無意味です。  甘えではありません。立派な病気なのです。

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自分を抑えきれません

以前にも相談させて頂いていた医師との関係です。昨年の受診で処方内容に誤りがあり連絡して対応を考えるから待っていてと言われました。それから1か月になります。私のとって服用しなければ大袈裟ですが命の危機にも直結することです。今は服用量の変更等もあり少しの残りがあることを伝えましたがそれも底をつきそうです。年末になるので再度、医師に問い合わせてみましたが返答は聞けていません。多忙な医師なので後回しにされているのかもしれませんがやはり 何かしらの反応をして欲しいのです。人工弁を付けているのでその足りなくなりそうな薬を飲まなければ血栓が出来てしまい脳に飛べば脳梗塞、心臓に出来れば 心筋梗塞になるかもしれません。ただでさえ薬の効果が低いと言われているのに 医師の対応に怒りを覚えてしまいました。 話しが少し変わりますが仕事をしていて苦手な入居者様との対応にも避けたいと思っていても避けきれません。セクハラ発言・行為をしたりするので嫌悪感を抱きながら介助をしています。それについては自分に怒りを覚えてしまいます。 発達障害を理由に出来ませんが。全てが今は怒りを抑えているのが苦しいです 病気ばかりの人生。今は震災で被害に遭っている方の方がツラく苦しいのに自分の事しか考えられない事にも怒りを覚えます。 まとまりがなくなくて申し訳ございません。どうしたら怒りを鎮める事が出来るのでしょうか。医師の対応、自分の仕事に対すること。新年早々、怒りばかりをしているので良いことが逃げていきますか? 今日、毎月一回ですが川越にある喜多院へ参拝に行ってきました。少しは心が落ち着けるかもしれませんが。心の持ちようがわかりません。 震災で命を奪われた希望に満ちていただろう方の代わりに命を捧げたい。 話しが飛び過ぎて分かりづらくなってしまいましたが私は生きている意味があるのでしょうか

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自分の精神疾患が甘えだと思えてしまう

今年30になります。 中学生くらいのときから自殺願望がありました。 高校で睡眠障害になり引きこもり、自殺未遂しました。 気持ちの状況はよくなったり悪くなったりムラがありますが、精神科の通院は高校生からほぼ続いています。 現在も通院しており、職歴がなく実家住まいです。 精神障害者手帳をもらうことを家族から提案され、調べてみたところ成人前から通院が継続している人はほぼ間違いなくもらえると聞きました。 しかしながら自殺願望が頭に浮かんだ一番はじめから今まで、どうしても自分の思考パターンや症状が甘えからくるもので、精神疾患ではないかもしれないという考えが拭えません。 家族からは「死にたいという気持ちを持つこと自体を病気だと考えるべきで、病気ではない人は絶対に死にたいという考えには至らない」と説明されました。 しかしどう考えてもこの先楽しいことも嬉しいこともそんなに起こらないし、起こってもそれは一時的なもので、すぐにまた新たなつらいことで上書きされることがわかっていますし、1の喜びのために100のつらいことを乗り越える意味がわかりません。 正直自分がこの世の中に今いるどの人だったとしても、高い塔の上に立ってたら飛び込むと思います。 自殺は自分の周りにいる大切な人たちに迷惑をかける行為なので多くの人は自殺を思考の外に置いて現状を乗り越えるからなんとか生きていけるのだと思います。 自分はほんの少しでもつらいことや悲しいことや困難が目の前にあると「死んだほうが楽なのにな」と思ってしまって自殺願望の考えに逃げてしまいます。 自分に残された選択肢は、自殺のような大規模な迷惑を周りにかけないまま、問題を起こさずに迷惑を最小限にとどめて朽ちて死ぬことだと思っていますが、迷惑だけかけて何も生み出していないのは自殺と変わらない気もします。 逃げることだけを考え続けている自分はただの甘えん坊だとわかっていますが、今でも自分の手でどうにかしたいという気持ちが湧いていません。 文章にして客観的にみると本当にみじめで愚かで他人に媚びを売っているようで情けない気持ちになります。 誰かに声をかけてもらったところで自分が変わらないと何も起こらないことは分かっているのですが、何か感想程度でも自分のことに関係なくてもいいのでお返事ください。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ